エリングレンの告白
ラロッタは恐縮しきって、横のマディアンを幾度も見た。
近衛宿舎三階の、エリングレンの私室。
大きな窓の手前。
明るい黄色の、洒落たソファに腰掛けて。
白と黄と茶色が基調の、こざっぱりし、適度に飾られた趣味の良い…落ち着いた部屋だった。
エリングレンは側仕えが持ってくるティー・セットの盆を受け取り、テーブルに置き…姉妹の向かいの一人がけ用椅子に座ると、ティーポットを取り上げ、カップにお茶を注ぎ始めた。
カップの乗った皿をマディアンに差し出し、顔を見つめ…そして俯くと、再び空のカップにお茶を注ぎ、ラロッタに手渡す。
「まあ味は保証出来る。
菓子…なんて、昔はいつも、君に焼いて貰ってたな」
そう言って…色々な種類のお菓子乗った、銀の皿が互い違いに高く詰まれる、ティアードトレイを二人の方へと押し出す。
ラロッタは横の、マディアンを見たが、マディアンは顔を、下げていた。
あれ程会いたかったオーガスタス…。
でもほんの短い時間の逢瀬は、余計に焦燥感を生んだ。
去る彼を、どうして引き留められないのかと…。
じれる心に掻き乱されそうになる。
けれど目前に居るエリングレンは、懐かしい…とても親しみを感じる存在で、彼の存在を感じた途端、焦燥感が薄れて行き…安心してる自分を見つけ、マディアンは自分に問う。
「(忘れたの?
楽しく輝く恋の時間の、その後…彼が去った後の、冬のように辛い時間を…)」
マディアンは顔を上げないまま、囁く。
「…解らないわ。
あの時…貴方は何も言わず、消えた……」
言って、咄嗟顔を上げる。
「王立騎士養成学校『教練』の試験に受かったって!
私、一緒に喜んだのに!
でももう暫くしてお別れだから…それ迄悲しいけれど、どうやって過ごそうって…色々考えてる間に、突然!」
エリングレンは決まり悪げにマディアンを上目使いで見つめ…視線を下げて囁く。
「あんたのお袋さんに…。
『娘の結婚相手は貴族しか、考えてません』
そう…きっぱり言われたと、親父が。
だから…貴族に成れないのに、万が一あんたを孕ませたりしたら…役人に突き出して、処刑して貰う。
なんて親父に脅されたから……」
言って、目を見開くマディアンをチラ、と視線上げて見つめる。
「でつまり…近衛に入ったって、手柄を上げなきゃ貴族に成れない。
更に…近衛に上がる前の『教練』は脱落者が多いし…俺だって、モノになるか解らない。
卒業できたって…軍に入れなきゃ駄目だしその…出動がかかって、いざ戦いで、実力発揮できなきゃ…死ぬ。
そんな…毎日で君に、必ず貴族に成るから、待っていてくれとは…とても、言えなくて」
そして、顔を上げて悲しげに見つめるマディアンを見つめ返す。
「幾度も…手紙を書こうとペンを、取り上げた。
けど文字をどうしても、記せなくて…」
マディアンはそれを聞いて、顔を下げた。
「…私…とても…とても悲しかった。
貴方を忘れられずに。
ずっと…辛くて………裏切られた気分だった。
貴方とは…心が通じ合ってると…思ってたから!」
エリングレンはそれを聞いて…顔を下げる。
「だがどの道、別れるしか無かった。
あのまま続けられる訳が…無かったし…」
マディアンは顔を上げて、叫ぶ。
「でもそう言ってくれれば…!
せめて、どうして突然いなくなったのか…!
私に告げてくれれば………!」
エリングレンは顔を傾け、マディアンから目を逸らすと囁く。
「…俺も…嫌だった。
別れるどころか、君を忘れるなんて………。
別れを、告げなければ君と、どこかでずっと…繋がっていられるかもと…。
そう…思い続け、どうしても言えなかった。
君に別れが」
エリングレンは言って、チラ…と、マディアンを見る。
マディアンは小刻みに顔を震わせ、膝に置いた両手で、取り出したハンケチを握り込む。
その…優しげな茶色の瞳が、悲しげに潤むのをエリングレンは見たが、言葉をそっと続けた。
「…けれど教練を何とか出て、近衛の実戦に出る度、思い知らされる。
近衛の奴らは皆軍人で…。
俺のような農民出とは、訳が違う…。
戦う相手は人間で、奴らはそれでも平気で剣で切り裂く…!
俺は…幾度も無理だと思い、けど死ぬのが嫌で…何とか必死に、乗り越えて来た…」
言って、そっ…とマディアンを見つめる。
マディアンは自分を見つめる、その懐かしいブルーグレーの瞳を見つめた。
時折陰ってグレーに見えるその瞳は、彼が嬉しかったりすると途端、とても綺麗な明るいブルーに輝く…。
今、エリングレンの瞳は、グレーに見えた…。
エリングレンは気づいたように目を伏せ、だが言葉を紡ぎ出す。
「…つまり、近衛の男は人殺し集団だ。
…貴族の爵位を貰って嬉しかった。
けど…人殺しの俺が君に…相応しいかは…………」
言って、エリングレンは深く、俯く。
「君はいつも無邪気で…人の善意を当たり前に信じ…。
優しいものや可愛らしいものを愛してた。
俺もだ。
けど今の俺はもう…以前とはまるで違う」
マディアンはがくん。
と顔が、揺れるのを感じた。
オーガスタスも、そうだった。
身を、引こうとしていた。
エリングレン同様、自分の手が、血に染まってると、知っていたから………。
横のラロッタが、そんな姉を見つめ、必死で叫ぶ。
「だって…!
相手が殺そうとするのなら、戦って殺さなきゃ!
貴方が死ぬんでしょう?!
それは…当たり前なんじゃ無いの?!」
エリングレンはラロッタを、優しい…けれど悲しげな眼差しで、見つめる。
「…そう。
俺にとっては。
けれど…君やマディアンの父上は作付けの指導者。
剣を振ったり人を殺したりはしない」
ラロッタは必死になって、エリングレンに言い返す。
「それでもお父様は、暴漢から農民を護る時…剣を、振ったわ!
剣士じゃなくても!
護らなきゃいけなかったから!!!
その時だって、近衛の騎士が助けてくれなかったら…お父様は大怪我をされて、私やお姉様は…浚われて国外に、売られていたかもしれない!!!
だって、必要でしょう?!
戦ってくれる騎士は!!!
頼もしい騎士は!!!」
ラロッタの悲鳴のような叫びを聞いても…エリングレンは俯いていた。
「だが…俺は夢で見る。
俺が殺した、男達の屍だ。
卑劣で冷酷な盗賊ならまだ…いい。
だが…敵国の騎士は…奴らには、家族がいる。
国王が攻め込む事を命じ、忠誠心からそれに従ってるだけで…それは、俺と同じだ。
つい…思ってしまう。
殺した男がその男で無く、俺なら?と。
奴らと俺は…変わらない。
戦いを命じられたから剣を向け…そして…殺される」
マディアンは…エリングレンを見た。
彼はやはり昔道理の…快活で生気に満ちあふれ…素敵な若者に見えた。
だがその顔に落ちる影は…とても深く、暗く感じる。




