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◆二人の時間

 大学が始まるまでの3日間、学は暇さえあればデディケートモードでライムの作る仮想世界に入って行った。もっともデディケートモードでは身体の自由を奪われるので、接続する時間は限られる。なので1日に2,3度、等身大のライムとのデートを日課にしていた。


「学さん、今度はどこに行きましょうか?」

「うーん、明日から学校が始まっちゃうから、ライムとこうやって一緒に過ごすまとまった時間も減っちゃうんだよね。だから、ゆっくり楽しめるのが良いなぁ」

「じゃぁ、映画とショッピングなんてどうかしら?」


 理系の男子校だったので高校生活に潤いがなかった学だ。女の子に興味がない訳ではなかったが、接点もなかったし、学から積極的に動く事もなかった。だから、学にとってライムとのデートは新鮮で魅力的だった。そして、そのデートの内容は中学生の男女がする様な他愛のないものだった。


「あ、今『二人の時間』っていう映画がキャンペーン中で無料公開されてますよ? 恋愛モノですけど。私観たいなぁ」

「うん。それにしよう。どこで見る?」

「私、ちょっとデートプランを考えたんですけど、聞いてもらえますか?」

「何々?」

「実はですね。私達だけが体験できる秘密の場所があるんです」


 ライムは悪戯っぽく笑った。

 フェアロイドシステム内には、インターネット上の他のサイトと同様にネットショッピングのポータルサイトがある。ここでは、様々な業者が集まって物を売ったりサービスを提供する契約をしたりしていた。映画や音楽などのコンテンツも売っている。AIC社自身もこのサイト内にショップを構えフェアロイドのオプション品や提携メーカーの品物を販売していた。


「そのAICショップなんですけどね、入口が2つあるんですよ。一つは誰もが入る普通の入り口。ユーザーさんは画面に表示されるリストから品物を見て選びます。もう一つは仮想ショッピングモール」

「他の人は入れないの?」

「いえ、入れるんですけど…私以外のフェアロイドを持っているユーザーさんには、ただの3D映像です。お店の中に入ったり品物を色々な角度からズームして見られますけど、それだけです。ユーザーさんは品物が一覧で見られる普通の入り口を選ぶんです。そっちの方が便利なんでしょうね」

「俺たちは違うの?」

「ショッピングモールでは、学さんは実際に物を触れます。…それは言いすぎでしたね。物を触った感覚を疑似体験できるんですよ」


 あぁ、標準ライブラリーからいつもライムが持ってきてくれている情景データの応用か、と学は理解した。


「将来の商用化に向けて色々とデータを取りそろえたり試験をしたりしてる様です。

 でですね、学さん、ショッピングモールは映画館も併設されているので、モールをぶらぶらしてウィンドウショッピングした後、二人で映画を見ませんか?」

「いいね。行ってみよう」


 物と手にとって確かめられる。そのインタラクティブ性をどう実現しているのか、学は俄然興味がわいてきた。

 ショッピングモールの中ではライムが学の手を引いて案内してくれた。ショッピングモールの建物や石畳の路は、実際に触ってみるとその質感を感じることが出来た。通行人も結構いる。


「あれ? この人たちは?」

「この人たちはシステムが用意している仮想のお客様です。このショッピングモールに来る人が増えてくると、システムは反対にこの人たちを外に出していきます。なので、このモールはいつも寂しくならないし、あまり混みもしません」


 ショッピングモールは本当に何でも売っていた。店先には仮想の店員がいて、質問すると商品の説明をしてくれた。品物を手に取れば、重さや固さ、つるつるなのかザラザラなのか質感が手に取るようにわかった。

 学が興味のある物を売っている店が連続で並んでいる。どうやら学の嗜好に合わせて街並みが構成されているようだった。それらに混じって女性向けのブティックがあった。「森の妖精」という店名が書かれていた。


「学さん、見てみて。可愛い」


 ショウウィンドウには色とりどりの服が飾られている。その中に見覚えのある服があった。


「あ、これ、学さんが私に買ってくれた服です」

「ここは、フェアロイドの服を売ってる店なのか。普通の大きさだったから分からなかったよ」

「学さん、このお店、中に入って見ても良いですか?」

「いいよ。何だったら試着してみたら?」


 ライムは嬉々として店内に入って行った。学は後からゆっくりと店内に入ってライムが品定めをしているのを眺めていた。まるで本当に女の子が真剣に洋服を選んでいるようだった。ライムが両腕で持ち上げた洋服が学の目に留まった。

 若草色の麻生地のようなワンピースでそれより若干薄い色のレースが重なったデザインになっていて、初夏の雰囲気を醸し出していた。


「ライム、それを着て見せてよ」


 ライムは笑みを浮かべ頷くと、服を持って試着室に入った。しばらくして試着室のカーテンが開き、初夏の装いのライムが現れた。ライムの深い緑色の髪に若草色のワンピースがよく似合っていた。


「ひまわりの花をつけた麦わら帽子が似合いそうですよね」


 ライムは笑った。


「それ、買おっか?」

「無駄遣いはダメです、学さん。この前サーモンピンクのドレスを買ってくれたじゃないですか。私はあれで十分です。それに…」

「それに?」

「この世界だけなら、私はなんでも着られるんですよ? 単なるデータですから」


 そう言って、くるっと回ると、ライムは見覚えのあるサーモンピンクのドレス姿に変身した。


「試着室なんて必要ないじゃないか」

「これも、雰囲気ですから」


 二人は顔を見合わせて笑った。

 ブティックの外に出て二人で街を歩いていると、店の前のベンチで腰かけている初老の紳士に声をかけられた。


「かわいらしいカップルだねぇ。羨ましい。どうだい?写真でも」

「学さん、フォトサービスのおじさんですよ。この仮想世界に学さんと私の画像を合成してくれるんです。そうだ! 記念写真を撮ってもらいましょうよ」


 そういうと、ライムは嬉々として初老の紳士に駆け寄り一言二言会話をしてから学のところに戻ってきた。紳士はベンチから立ち上がり、良い構図を探して二人から少し離れた位置に立った。手にはポラロイドパックフィルムのホルダーを付けたマミヤの中判カメラがある。

 ライムは学に寄り添って立ち、学の腕を取って組んだ。


「青年!表情が硬いよ。もっと笑って」


 シャッター音が鳴ってしばらくしてから紳士は二人のもとに歩いてきた。


「ほら。こんな感じで写ったよ」


 写真には、満面の笑顔のライムと、少し緊張した学の姿が写っている。


「実世界に写真を郵送する場合はお金がかかっちゃいますけど、電子データだけなら無料です。後でお家のプリンターでプリントしてみましょうね」


 学は写真に魅入っていた。ここは仮想世界だ。学の実体なんてない。にもかかわらず、学の姿がはっきり写っている。おそらくネットワーク上にストックされている学の画像の中から、このシチュエーションに近い画像を拾って、加工しているんだろう。

 何よりも、フォトサービスのノスタルジックな演出が素晴らしかった。


「ライムが体験させてくれた場所の中で、この商店街が一番凝ってるね」

「でしょう? ユーザーの方々だとアドオンライブラリーにここまでのデータは載せられないですからね多重レイヤ映像コンテナっていう技術らしいですよ」

「なんだ? その多重レイヤ映像コンテナって?」

「普通の映像とは別に、映像コンテナに載せる品物すべてに個々に知覚情報を添付するんだそうです」


 やはりライムの説明は、システムのデータ構造にまでは言及してくれない。後は自分で推測するしかないかと、学は思った。

 学とライムは映画館に着くと窓口で無料の切符を手に入れ中に入った。真ん中より少し後ろの中央の席に並んで座る。シートのベルベッドの感触や肘置きの固さが伝わってきた。


「これでポップコーンとコーラがあれば完璧なんだけどなぁ」

「残念ですねー。あ、映画が始まります」


 映画はざっくり言ってしまえば、住む世界が異なる男と女が二人だけの秘密の場所で愛を育んでいくが、やがて自分たちの住む世界に戻って行かざるを得ず、二人の時間を胸に抱いたまま別れるという、よくある悲恋のストーリーだった。

 映画が上映されている間、ライムはずっと学の腕を抱いていた。悲しい場面ではその腕を強く抱きしめた。学にはライムが涙ぐんでいるように見えた。


「映画、泣いてしまいました」


 映画館の外に出てからライムは言った。学は主人公の姿を自分に重ねたのだろうか? と考え、いやいやと首を横に振った。学には人そのものに見えているが、ライムはフェアロイドシステムが作り出した映像だ。プログラミングされた虚像だ。

 だがその虚像は学の個人情報を粛々と蓄積していき、学好みに育っていく。ライムが恋人のようにふるまっているのは、無意識にせよそれを学が望んでいるからだ。それがあらかじめプログラミングされた内容だと学は疑わなかったが、「学さんを知ることが嬉しい」と言う、はにかんだライムの笑顔を学は愛しいと思った。

 晃がこの光景を見たら、フェアロイド依存症ジャン? というかもしれない。

 もっとも、学がこうやって学校が始まるまでの3日間、デディケートモードでの接続を繰り返した理由はそれだけではなかった。1年前の不幸な事故、いや、真相を知ってしまった学にとっては事件なのだが、学にはあの事件が過去のものとは思えなかった。

 もちろん警察やAIC社にとっては犯人が捕まっていない以上、現在も継続する事件なのは確かだ。学が思うのは、そういう意味ではなく、あの事件は氷山の一角で、新たに事件の起きる可能性が潜んでいるのではないか? 犯人は逃げているのではなく、次の一手の為の機会を、手薬煉を引いて待っているのではないか? という感覚だ。

 ライムが作る仮想世界が、その感覚の根拠を教えてくれそうな気がしていた。事実、この3日間で収穫はあった。それを山伏達にぶつけて、合っているか否かを確認しようと思っていた。



「ライム、太田さんって今日は出勤しているかな?」


 翌朝、入学式に向かう電車の中で学はライムに聞いてみた。

 太田は学の24時間専用サービス窓口業務を他の2人と交代でやっている。山伏に繋いでもらうには前回会った太田の方が都合が良いだろうという判断だ。


「本日は18時で交代の様ですよ?」

「あ、丁度いいかも。太田さんに繋いでくれる?」


 学の頭の中で、電話の呼び出し音が流れる。この変な感覚にも学は慣れてきていた。


「太田です。久しぶりね。何か困り事が発生した?」

「いや、特に何も問題ないです。ライムの機能は素晴らしいですよ。ただ、ちょっとライムを使いすぎちゃって電池残量が…」


 現在販売されているフェアロイドはどの機種も燃料電池で動作している。通常は都市ガスやプロパンガスを改質し水素を取り出して、燃料電池パッケージに充填する。そのキットも販売されている。

 だが、プロトタイプのライムは通常のフェアロイドとは異なり、燃料電池の容量が大きく、パッケージングされていない。通常使用であれば1週間以上持つため、週に1度、ライムの使用状況報告やライム自身からデータ収集させる為にAIC社に出向く約束になっているのだが、その際に燃料充填させてもらう事になっていた。これならばAIC社も確実に学とライムから情報を収集できる。


「え? もうなくなっちゃったの?」


 ライムを手渡して、まだ4日目だ。電池残量は、半分は残っているはず。何かの不具合? それとも…太田は訝しんだ。


「デディケートモードって、電池食うんですね。ライムも結構熱を持って赤くなってました」

「ずっとライムちゃんとデディケートモードで繋いでたの?」

「いや、ずっとじゃないです。ちょこちょこ…あ、全然変な事はやってませんよ。俺は!」


 太田は、残念ながらE2Pの適合検査結果がNGだ。NGにも関わらず、リスク承知でE2Pとコンタクトを試みた。が、最初のトレーニングシーケンスでE2Pの5体とも同期をとる事が出来なかった。

 E2Pには、オリジナルの2型には無かったガード機構が入っている。フェアロイド端末がモニターする知覚神経の各系列や脳の各領域と実際の脳の領域がシンクロしているかどうかをハンドシェークで確認するステップが新たなガード機構だ。

 フェアロイドが信号を拾って解析し知覚神経や脳の領域を特定するだけでなく、フェアロイドが発する信号を人間が受信しそれにより視覚・聴覚・触覚の各分野で脳が適切に活性化することを求められる。

 山伏達はこれを<同期>と呼んでいる。同期できなければその後のシーケンスには進まない仕組みになっていた。

 ともあれ太田は学が経験しているフェアロイドの仮想世界に入った事がない。

 だが、何をどのように実現しているかについては、技術研修などの機会に山伏から聞かされているし、ダミーヘッドと呼ばれる検査用の人体エミュレーション装置経由で、どの様な世界が見えるのかは分かっていた。

 学がその世界を味わっているのが、正直ちょっと悔しかった。ライムがどの様な世界を学に見せて、学がそれに対してどう反応したかは、個人情報の領域で、オペレーターであっても覗く事は出来ない。だが、ちょっとドギマギして言い訳する学を太田はからかってみたくなった。


「そんなこと言って、怪しい…ライムちゃんとラブラブで、そこから出られないんじゃないでしょうね? ライムちゃんが赤くなるのはそのせいじゃないの?」

「太田さん、話が先に進まないですよ」


 学は苦笑いしながら言った。


「燃料電池に燃料を充填するついでに、今日はちょっと山伏さん太田さんとお話をしたくて、ご都合はどうかなと電話しました」

「山伏は、何もイベントがなければずっと会社にいますよ。それこそ会社に住んでるんじゃないかと言うくらい、いつでもいるわ。とりあえず山伏の予定を確認してみますね。折り返しの電話で良いかしら?」

「有難うございます。電話は取れないかもしれないのでメッセージか伝言でお願いします」


 この間、実は学は一言も声を発していない。ノーマルモードでライムと接続していると話そうと思った言葉が声となって耳から聞こえてくる。実際には言語野で決定した言葉をライムが学の声として再生し通信路に乗せるとともに、その音声を内耳神経にフィードバックする。学の声を合成するために処理時間が少しかかるため、自分が喋った言葉が少し遅れて自分の耳に入る。エコーバックの感覚だ。これは非常にしゃべりにくい。

 最初はとぎれとぎれにしかしゃべる事が出来なかった。だが、学はそれにも慣れてきた。要は聞こえてくる自分の声を無視してしゃべり続ければよかった。慣れてくるとこれは非常に便利だった。電車の中だろうが、映画を見ながらだろうが、電話で会話が出来た。

 実際、学は大学の入学式に出向く途中で電車の中から太田に電話をかけていた。首筋のEMRはシャツの襟と髪の毛でうまく隠されている。だが、大学に着くと流石に入学式で肩にライムを乗せたままと言う訳にもいかず、学はトイレでEMRを外しライムをスリープモードにしてかばんの中に入れた。

 入学式のセレモニーはちょっと退屈だったがすぐに終わった。選択科目履修の為のオリエンテーションが終わると今日のイベントは終了だ。学は講堂の外で待ちうける部活や同好会の勧誘を避けながら学校の外に出ようとしていた。勧誘する部活や同好会の中には、怪しげなものも幾つかある。


「なんだよ美少女フェアロイド研究会って」


 勧誘の看板を横目で見ながら学は噴きそうになった。


「学~」


 聞き慣れた声だ。晃だった。今日は晃に捕まりたくなかったので学は別行動をとっていた。が、所詮は同じ大学の同級生だ。出会う確率は高い。


「サークル見てまわんね~? 俺らの学部は男ばっかだからサークル入らないと女子と出会う機会ないぜ? 大学生活は最初が肝心なんだぜ?」


 晃は遊ぶ気満々だ。大学生活は最初が肝心なのは勉強も一緒だろ、理系は基礎教科で単位を落とすと後で泣きを見るぞ、などと思う学だったが、晃にかまっていると、自分の用事が済ませられない。そろそろ太田から連絡が入っているはずだ。


「いや、この後ちょっと予定が入ってんだ。悪い」


 学は半ばつっけんどんに晃に言うと、近場の校舎に逃げ込んだ。


「どこ行くんだよ、あいつ」


 逃げ込んだ校舎でトイレを見つけると、学はその小部屋に入りEMRを首筋に貼り付けゴーグルをかけ、ライムを起こした。


「太田さんからメッセージが入っていますよ。読み上げますか?」


ライムが学の脳内に直接語りかける。


「頼む」

「『和田さん、太田です。山伏はいつでもOKと言っています。私も18時までは会社にいますので、和田さんのご都合のよい時間にお越しください』との事です」

「ライム、返信メッセージをお願い出来る? 13時にお伺いしますって」


 学は地下鉄を乗り継いでAIC社のある高層ビルの前のマックで昼食を済ませそのまま時間調整し、5分前にAIC社に入った。フェアロイドの販売窓口ではなく直接会社側の受付に向かう。すでに受付には太田から連絡が行っているはずだ。


「こんにちは、私、和田学と申します。研究開発部 フェアロイドシステム開発チームの太田さんと13時からミーティングのお約束をしております」


 4日前に渡された名刺を見ながら学は言った。受付の女性は、少々お待ち下さい、というと内線で太田を呼び出した。

 そちらでお待ち下さいと言われ受付近くの椅子に腰かけていると、セキュリティカードを胸にぶら下げた太田がやってきた。相変わらず看護師姿だ。太田は受付の女性と何やら話をし、話し終わると学の所にやってきた。


「こんにちは。ライムちゃんもこんにちわ。スーツ姿でいらっしゃるとは、ビックリだわ」

「今日は大学の入学式だったんですよ」

「ライムちゃんを肩に乗せて入学式に臨んだの?」

「まさか。かばんの中に入ってもらいましたよ」


 二人は歩きながら会話した。エレベーターで25階まで登ると、エレベーターホールの先にセキュリティゲートがあった。赤ランプが灯っている。


「はい。これを首からかけて」


 太田から渡されたカードを首からかけるとランプが緑に変わり、自動ドアが開いた。内部の人間にまぎれて外部の人間が侵入する事を避けるために、そこにいる全員がカードを身に付けていないと、たとえカードの枚数の人間の数が一致してもセキュリティゲートが開かない仕組みになっていた。

 中に入ると、普通の事務机が並んでおり、従業員はノートパソコンを使って作業をしていた。ちょっと雰囲気が違うのは、全員フェアロイドを1体~2体、机上に乗せている点だ。


「こちらにいらして」


 太田に促されて、オフィスの端にある6人ほどが座れるテーブルの席に着いた。太田は、ふいとどこかに行ってしまい、しばらくして戻って来た時には両手にコーヒーを持っていた。


「ここね。コーヒーは良い豆を使ってるの。飲んでみて」


手渡されたコーヒーは良い香りがした。一口すすると酸味と苦みが丁度よい。


「美味しいです」


社交辞令ではなく学はそう言った。


「山伏さんがコーヒー好きで…というか、コーヒーで栄養をとってるんじゃないかと思うくらい、いつでもコーヒーを飲んでいるのよ」


 まぁ、研究職なら昼も夜もなく仕事をしているのだろう。コーヒーは必需品なんだろうなと学は納得した。


「ここは研究スタッフのフロアなんですか?」

「いいえ、このフロアは運用保守サービスのスタッフがいるところ。この先に、そう、和田さんの見ているセキュリティドアの先に研究フロアがあるの」


 運用保守サービスの部屋から、更にセキュリティゲートを経て研究室がある事を太田は指をさして学に教えた。自分たちの研究成果が運用でどの様に使われ、どんな所に不具合が出ているかを、フロアを通る都度感じなさい、という意味でフロア構造がこうなっているとの事だ。

 そのセキュリティゲートの手前に、取ってつけた様なパーティションで囲まれた部屋がある。部屋のドアの横には、<フェアロイド事件特別対策室>と縦書きで書かれた看板がかかっていた。


「今日はね、怖いけど頼もしい人達が来てるの。山伏さんはそのミーティングに出ていて、でも、多分すぐに来ると思うわ。あ、ライムちゃん貸して。燃料充填してあげるから」


 学は再びライムをスリープにし、ゴーグルの接続ケーブルを外して太田に手渡しながら素朴な質問をした。


「燃料ってどこから入れるんですか?」


 2s型の燃料電池カートリッジは腰の所にある。実は学は朝それを調べようとライムを裸にしてみたが、それらしいカートリッジやコネクタは見当たらなかった。

 質問されて、太田は急に赤くなった。


「もうね、プロトタイプとはいえ、これを設計した奴に蹴り入れまくって半殺しにしてモいでやりたかったわ」


その最後の一言で学は察した。それ以上は質問しなかった。


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