◆フェアロイドの語源
太田に連れられて学が部屋から出ていくのを見届けてから、柳沢はドアの方を向いたまま山伏に言った。
「山伏さん、『詳細に』と言っておきながら重要なポイントをいくつか話しませんでしたね」
「彼自身にはあまり関係のない話だし、今話しても混乱するだけだからね」
「E2Pがエンハンスドモードになった時、彼、ビックリするんじゃないですか?」
「まぁ、その時は相当E2Pを理解してくれている状態だろうから、詳細に話をするよ」
二人は部屋の電気を消して廊下に出た。
「まぁ、まず彼にはフェアロイド2の世界を楽しんでもらおうよ。話はそれからだ」
向かいのマックでは、晃が待ちくたびれていた。すでにランチは食べ終わり、追加で注文したポテトとアップルパイも包み紙だけになっていた。愛梨に話す話もそろそろ尽きたころだった。
昼時で混雑する店内で、ランチトレイを持ったままきょろきょろあたりを見回している学を、晃は先に見つけた。
「おせーよ、学。もう先に帰ろうかと思ったぜ」
「すまん。なんか前の人の検査が長くてお前が行った後しばらく待たされてた」
学はとっさに嘘をついた。検査時間が長かったとか、いろんな話を聞いたとか言うと、晃に根掘り葉掘り聞かれて面倒くさいと思ったからだ。
晃の肩には早速フェアロイドが座っている。
「どなたですの?」と、そのフェアロイドが晃に尋ねた。
「俺の友達の和田学。アドレス帳にあるだろ? そいつ。呼び方は学で良いよ」
「学さん、よろしくお願いします。私は晃さんから愛梨という名前を頂きました」
童顔の愛梨はブロンドの髪で水色のワンピースを着ている。背中にはウスバカゲロウの様な翅を背負っていた。学は愛梨に「よろしく」と言い、晃の方に向いて笑った。ちょっと晃には似合っていないと感じたからだ。
「新デザインだね。晃の事だからもっとメカメカしい奴を選ぶのかと思った」
「お前、全っ然わかってない。フェアロイドの意味はfairy + oid。つまり<妖精もどき>だぜ? 俺はその語源を尊重してこのデザインを選んでるわけよ」
またしても晃の薀蓄が始まった。
「大体、男だからってロボット系選ぶっていうのは子供の発想だぜ? 芸能界見てみろよ。イケメンが美少女系フェアロイドを肩に乗せんのが流行りになってんじゃん。今はそういう時代よ。ほら、人気アイドルの…」
愛梨が晃の顔を見上げて、うんうんとうなずいている。これもAIサーバー上に共通認識としてアップロードされるのだろうか? などと、学は余計な事を考えていた。晃の薀蓄長話は半分も聞いていない。
学は頭の中でさっき聞かされた話を反芻した。
フェアロイド依存症の真の原因は、ウィルスに冒されたフェアロイドがEMR経由で脳へ何かを強制書き込みすることによるものだ。何故わかったか? 事件当時EMR装置アラームが発生した。だが自殺者のフェアロイドに接続するEMRの機能は正常だった。実験により、フェアロイドシステムの仕様とは異なるEMR動作が装置アラームを起こしていることが判明した。異なる動作とは脳への強制書き込みに他ならない。
ウィルスの侵入経路は? わからない。
ウィルスが何を書き込もうとしたかは? わからない。
犯人は何が目的なのか? わからない。
何故わからない? ウィルスの痕跡が見当たらない。EMR設定を反転させるプログラムが見当たらない。
「わからないことだらけだよ」
学はぼそっと呟いた。
「え? 何が分からねーの? ちゃんと説明してんジャン」
「あ、ごめん。その、なんだ、続けて」
晃は自分の薀蓄話が分からないと言われてるのかと思い、更に話に熱が入った。学は、晃の話に頷きながら、頭の中では別のことを考えていた。
こんなわからないことだらけなのに、E2Pは本当に安全なんだろうか? それ以前にフェアロイドシステムは安全なんだろうか?
2s型のEMRパッド外しと修正プログラムは、外向きの理由への対応とも言えるが、まだ判明していない侵入経路や犯人の目的、再犯罪の可能性への対策と考えられる。そして、そこまで対応出来ているのであれば新しいユーザーに対する適性試験は要らないはずだが、別れ際にそれを質問した時、山伏は「その通り。でもそれをわかっているのは我々だけで、世間は知らないんだよ」といった。
確かに、新聞報道の方はあくまで潜在的な病的因子がシステムダウンによって顕在化したという立てつけだ。その立てつけでは、適性検査は不可欠だ。世間を納得させるだけのダミー試験ということになる。だが本当にそれだけなのか?
だとしたら、あんな特殊な装置を使ってデータを取る必要はない。形式的に人間ドックの様な検査をして、合格と言っておけばよい。にもかかわらず、彼らは詳細なデータを取っていた。
「なぁ、晃。お前適性検査の時、検査時間どのくらいだった?」
「なんだよ、いきなり。俺の話の筋と全然関係ないじゃん」
「いいから教えてくれよ」
「なんか、最初に説明があって、ヘッドギアと血圧計みたいなのつけられて映像見て、トータル10分くらいじゃね?」
(俺より短いな。でもやっぱりしっかりデータを取っている。おそらく被験者全員のデータを取っているのだろう。それにしても俺の場合は長かった、途中で寝そうになった)
そこまで学は心の中で呟き、ふと事件の被害者の事を思った。
ウィルスに感染したフェアロイドは額と首筋に付けたEMRパッドからでないとユーザーの脳にアクセスできない。だから自殺した52人は書き込みが行われた時間にEMRパッドを付けていたという事になる。
52人。
EMR装置アラームが出始めたのは23時45分からだ。日本全体で考えれば深夜とはいえ、その時間帯にフェアロイドを使っていた人間はもっと多いはずだ。もし、その時間帯に、全員に脳への強制書き込みを実施したのであれば、もっと多くの自殺者が出ていたはずだ。おそらく桁が違うくらいに。そして装置アラームもそれだけの量が発生したはずだ。
なぜその52人だったのか? もしかしたら、何かのきっかけがあって自殺者は自らウィルスを呼び込んだのではないか?
「ねー、俺の話聞いてる?」
はっと我に返ると、晃と愛梨の4つの目で覗きこまれていた。
「聞いてるよ」
「嘘つけ、上の空だったぜ?」
「そうですね。私から見ても聞いている表情には見えませんでした」
学は愛梨にまで突っ込まれた。
「でさ、学も買ったんだろ? 隠してないで見せろよ」
「ここでか?」
「いいじゃん、何買ったんだよ? 見せろよ」
学はデイパックから少し飛び出した箱を取り出した。箱のデザインは小部屋で山伏が持っていたモノから換えられていた。箱には<フェアロイド2s>の記載がある。通常の市販品の2s型と全く同じ箱のデザインになっていた。
箱を開けると、ベッド型の緩衝材の上で、小さな女の子が眠っている。サーモンピンクが基調のふわっとしたドレスを着せられていた。これは学がオプション品として購入したものだ。ブランド品で高価だが、機体の代金を取られていないので、学には余裕があった。
(あぁ、そうだ。あの時胸に湧いた様々なまとまりのない疑問は、この子の瞳を 見たときに消えてなくなってしまったんだ。俺はこの子の瞳に吸い込まれて 技術検証に協力する事にしたんだ。今は色々不安になる事は考えない事にしよう)
と学は自分に言い聞かせた。
「おー、かわいいねー。なんだ、お前も結局女の子デザイン選んだんジャン」
「ちょっと嫉妬します」
この辺の愛梨の言いっぷりがフェアロイドの売れる要素なのかもしれないと、学は感じた。愛梨の表情やしぐさ、台詞が全く人間的で愛らしかったからだ。
「起動してみてくれよ」
晃に促されて、学は箱の中のフェアロイドの肩を、トントン、トントンと叩く。太田に説明された、フェアロイドのスリープモードからの復帰方法だ。冷却液が循環し始めたのか、頬に赤みがさして、やがて目を覚ました。あたりを見回して学の顔を確認すると、上体を起こした。
「すみません。ぐっすり眠ってしまいました」
スリープモードにしたのは学なので、謝る必要もないのだが、この辺もAIC社のフェアロイドに対する演出なのだろう。
起きたばかりの少女は、晃と愛梨がいるのを見て学に尋ねた。
「学さん、ご紹介頂けますか?」
「あぁ、正丸晃と愛梨ちゃん」
学は愛梨も紹介した。フェアロイドの機能を使えばこのような情報は事前に手に入ると思うのだが、フェアロイドが人間に溶け込む演出の手助けのつもりで言っていた。
「私はライムと言います。今後ともよろしくお願いいたします」
髪の色と瞳の色からライムと名付けたのだろう。
「おまっ、安直な名前の付け方だなぁ」
と言いながら、晃はライムを覗き込んだ。顔が近い。情報の整理を頑張っている
のか、冷却液の循環量が増えているようで、ライムの頬が赤く染まった。
「…ライムちゃん、顔のつくりとか瞳の色が普通とちょっと違くね?」
学はギクッとした。メカオタクと言うより今はフェアロイドフェチな晃にかかると、普通の2s型とライムを見分けられるようだ。
「あ、あぁ、実は…時間がかかったのはそれもあったんだ。丁度俺が機種選定をしている時に、隣のブースで店員さん達がセミオーダー品の話をしてたんだよ。もう出来あがって今日納品だったのに急遽キャンセルになって困ってるって」
嘘に嘘を重ねている、ちょっと後ろめたい、そう自責の念にかられながら、学は嘘を続けた。
「で、興味あったんでその店員さんたちに声をかけて、どんなデザインか見せてもらったらこの子だろ、凄く気にいってしまって、どうせキャンセル品だからと格安で譲ってもらったんだ」
「なに、それ、お前、チョーラッキージャン」
晃はしゃべらなければ眼鏡の好青年なのだが、しゃべった途端に軽くなる。残念な奴だ…と、いつもながらにして思う学だったが、その表情をライムは仔細に眺めていた。相変わらずほっぺたが赤い。
「あれ? 今の俺の表情記録した?」
「はい。分析もしましたけど結果を話しますか?」
「いい、止めてくれ」
起動してあまり時間が立っていないせいか、ライムは空気が読めていなかった。
「で、学、これからどうする?」
学は家に帰って今日の事を整理したかった。それに、EMRの件も試してみたかった。今は2s型という立てつけなので箱の中に隠している。
「うーん、今日は帰ろう。大学行く準備もあるし、店でもらった分厚いマニュアルを読まないといけないし」
「だよなー。俺も愛梨からいろんな事教えて貰わないといけないから帰るわ」
「晃が言うと、なんとなくいやらしい響きがする」
と笑った。そして、<いやらしい>という言葉で、学にはふと閃くものがあった。
その閃きはすぐに消えてしまい、それが何だったのかきちんと頭の中で整理出来なかったが、何かの重要なヒントの様な気がした。