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◆アポトーシス2

 天城が小さな爆発音を聞く少し前、サーバー室内では明神が仮想世界に行って教祖をコントロールし、朱里はその明神が仮想世界から戻ってくる事を心待ちにしていた。

 赤い冷却液の跡を床に残しながら、腕の力だけで目指すサーバーラックの下に到着したライムは、そこで身体を起こし、電源に身を委ねた。サーバーの床からは天井に向かって冷却のための送風が行われている。その風がライムの髪を揺らしていた。


「ここは、涼しいわ。ちょっとだけ、休ませて」


 もう、ほとんど身体は動かなかった。あの衝撃で燃料電池ユニットが壊れなかったのが不幸中の幸いだ。こうしてここまで来られて、学のことを想える自分が居る。ライムは神様に感謝した。

 一休みすると、ライムは腕に残された力を振り絞り、ラックの柱を使って身体を立たせた。下半身は言うことを聞かなかったが、カルシウム沈着で硬直した下肢は固い木の杖の様に、ライムの上半身を支えた。だが、この動作で上腕の人工筋肉は使い物にならなくなった。稼働できるのは首と肩が若干、それに手指程度だということをライムは判っていた。

 サーバーラックには、N・Eと書かれた2台の電源が上下に設置されている。通常系と、通常系に異常が派生した場合のバックアップ電源だ。2台を両方ともオフにしなければ、サーバーの電源供給は止まらない。


「学さん……学さん…嘘をついて、ごめんなさい。私はもう…あなたの元に戻れない……今まで、有難う……愛してました」


 ライムはラックの柱から手を離した。体はバランスを失って倒れ込む。その先にはN系の電源スイッチのレバーがあった。ライムはそのレバーに捕まり倒れ込む自分の体重を使ってレバーを押し下げた。更にその下にはE系の電源スイッチがある。ライムは捕まっていたレバーを離し、身体ごとE系電源のスイッチに落下して行った。




 仮想世界のアーケードゲーム機のようなコントローラーで、教祖を自爆させた後、信徒の脳を焼こうと準備していた明神は、突然目の前が激しく点滅し、次の瞬間、サーバー室の天井が映し出されたことに驚いた。何が起きたかは分からないが、現実世界に強制的に引き戻されたことを認識した。そして身体の感覚が戻ると同時に、朱里が自分の太腿を擦っていることに気づいた。

 サーバーラックを見ると、実験用のVOPE端末が収まっているラックの電源が落ちている。まさに、明神が同軸ケーブルで接続していたラックだ。下を見ると、電源が両方ともオフになっていて、その脇にボロ人形が落ちていた。そのボロ人形の身体から、赤い液体が朱里の足もとまで続いている。


「おい。朱里」

「あ、明神さん、戻ってきた!」


 朱里は喜色を浮かべたが、明神は鬼の形相だった。被っていたヘッドギアを放り出すと、その手で朱里の髪の毛を掴み持ち上げた。


「明神さん、痛い、痛いっ!」

「てめぇ、どこまで俺の邪魔をしやがる」

「何よっ、あたしは、あたしの邪魔をする女をここまで連れて来て……そうよ! 明神さんに取り入って、私を追い出そうとした女よ!」

「女? 人形か? それが何をしたのか、分かってんのか?」


 明神はサーバーラックを指差した。朱里が明神の指差す方向を見ると、そこには先ほど半殺しの目に合わせた女が転がっている。半殺しの目に合っても、まだ私の場所を取ろうとする、明神を奪おうとしている。朱里の目にはそう写った。


「立ち上げ直してる暇はねぇ! 起動しているVOPEをさっさと持って来い! この馬鹿女!!」


 明神は背もたれを倒した椅子に横柄に座りながら朱里に命令した。

 朱里は身悶えした。ここまでしても明神をあの女から取り戻せない。それどころか明神の心はどんどん自分から離れていく。もう、どうすることも出来なかった。

 朱里はラック下に転がっているライムを拾い上げると、サーバーラック越しの壁に向かって憎しみをぶつける様に思いっきり投げた。ライムの身体は回転しながら壁に当たり鈍い音を立てて机の上に落ちた。机の上のライムは、もうピクリとも動かなかった。

 ラック越しにそれを見て安心すると、朱里は明神には見えないように、そっとポケットの中から手榴弾を取り出し、胸の谷間に押し込んだ。その時、小さく金属の擦れる音とスプリングが弾ける様な音がしたが、明神は気づかなかった。


「明神さん、もう離さない! 私と一緒に行こうっ!」


 朱里は振り向きざま明神に覆いかぶさり、その頭を抱きかかえた。明神の額あたりに固いものが当たっている。だが背もたれを倒した椅子に腰かけていた明神は、朱里に圧し掛かられ身動きが取れなくなっていた。

 明神が最後に見たのは、朱里の胸元に輝く白い光だった。

 天城が聞いた爆発音は、地下で手榴弾が爆発する音だった。サーバーラックのいくつかは、飛び散った手榴弾の破片と朱里や明神の肉片で、その動きを止めた。基地局装置のラックも動きを止めた一つだった。

 無線電波が停止すると、それまでゆらゆらと動いていた信徒たちは、その場にバタバタと倒れ込んだ。自爆すると身構えていた韮山達は、予想していなかった光景に呆然とした。


「韮山さん、見てください! 無線が止まってます!」


 若い刑事がVOPE端末を持ち上げ、そのLEDを指差して叫んだ。


「行こう、和田君!」


 韮山と学はバスを飛び出した。山伏や医療スタッフも麻酔薬を持って後に続いた。天城が合流し、今度は正面の入り口近くの階段から一気に地下に駆け降りた。


「ライム! ライム!!」


 天井灯のいくつかが割れうす暗くなったサーバー室に入ると、学は倒れている信徒を飛び越しながら叫んだ。天城と韮山はまだ残る硝煙の匂いをたよりにサーバーラックの方に向かった。コンソール卓には損傷の激しい男と女の遺体があり、血の匂いと肉の焦げる匂いが充満していた。

 生存者がいない事を確認して、天城と韮山が林立するサーバーラックの向こう側から戻ると、学が変わり果てたライムを抱きかかえて、呆然と立ちつくしていた。


「ライム、居ました」


 ライムの四肢は樹の枝の様に硬直し、学に抱きかかえられても、全く動かなかった。滴る赤い冷却液とは対照的に、ライムの顔は青白く生気が感じられなかった。ただ冷却液の循環ポンプが時々、小さく咳き込むように音を発しているだけだった。

 後からサーバールームに駆け付けた山伏が、その音を聞きつけた。


「和田君、ライム君はまだ生きてる。とりあえず、冷気の当たるサーバーラックのところに。韮山君、どこかから水を汲んできてくれないか?」


 韮山はすぐさま部屋を出ていき、残った天城は、死体が学の視界に入らないよう自分の身体で隠しながら学を誘導した。学が現場の遺留品に注意しながら、ライムをサーバーラックの良く風の当たるところに寝かせると、後ろから山伏が手を伸ばし、ライムをうつ伏せに寝かせ直して、ひしゃげたラジエターフィンの片方を根元から折った。


「山伏さん、水です」


 韮山がどこから調達したのか、紙コップに水を汲んで戻ってきた。


「おう。いいものに汲んできたな。紙コップは他になかったかい?」

「あぁ、ありましたよ。ちょっと待ってください」


 山伏は再び戻ってきた韮山から紙コップを受け取ると、空の紙コップを壊して漏斗状に作り替え、先ほど折ったライムのフィンの根元に差し込むと、上から水を注ぎこんだ。コフコフと音を立てて循環ポンプが水を飲みこむ。


「これで……多分、アポトーシスが完了するまで、CPUは正常動作するだろう。和田君、まだ、お別れの挨拶には、間に合うと思うよ」


 アポトーシスは、細胞の自己崩壊になぞらえた、フェアロイドの改造防止機能としての自己崩壊プログラムの呼び名だ。それほどライムの外部損傷は著しかった。


「……ライムは……もう、助からないんですか?」

「……ごめん。この損傷では、すでにアポトーシスがカウントダウンを始めている。そして、ここではそれを止められない。AIC社に戻るには時間がかかりすぎて、プログラムは発動してしまうんだよ」


 誰も何も言わなくなった。学は震える指先で、ライムの拉げた腰に触れると、EMRケーブルを接続した。


「ライム、聞こえる? 二人きりになろう」


 ライムは学の声に気付いたのか、デディケートモードに遷移した。だが、その場に何も映像はなかった。唯、真っ暗な闇が広がっているだけだった。


「学さん? ごめんなさい。もう、3D映像を作る程の力が残ってないの」

「ライム? どこに居るの?」


 暗闇の中で学の手がそっと握られた。学はその手の感触を覚えていた。学は握られたその手を引きライムを抱きとめた。両腕でライムを抱きしめる。そこには、確かにライムがいた。

 学はライムを抱きしめながら言った。


「ライム、俺のわがままを聞いて欲しい。アポトーシスが発動する前に、ライムの記憶を俺の脳に書き写せ」

「そ、そんなこと出来ません。学さんがおかしくなっちゃいます」

「バックアップの差分データだけだ。その程度の空き領域は、俺の脳にもある。ライムは広域モニターしてたから知ってるだろ?」

「だめ、そんなこと、私出来ません。それに、書き込みレベルに応じた保護機能が掛かってるの。お願い、私を困らせないで」

「ごめん。わがままだって判ってる。ライムを困らせてるのも知っている。でも、このわがままだけは聞いてほしい」

「学さん……」


 学は暗闇の中で泣いていた。書き込みレベルごとの保護機能も、エンハンスドモードで書き込める脳の部位の限界も学は知っていた。自分の言っていることが無理難題だということも学は判っていた。

 学の悔しい気持ちは、抱きしめられる腕の強さで、ライムに伝わった。私はこの人に、こんなにも愛されている、ライムは嬉しさで、愛しさで、胸が震える思いだった。


「学さん、最後に私のわがままも聞いて欲しいの」

「……何?」


 学は半べそ状態で問いかけた。

 ライムは少し言いよどんだ後、学の耳元で囁いた。


「私に愛を下さい。私、愛されていた証が欲しい」


 言って恥ずかしくなったのか、ライムが俯く気配がした。学はその俯いた顎を手でそっと持ち上げ、優しく唇を吸うと、ライムを抱いて横たえさせた。天も地もない漆黒の闇の中で、何かに触れる感触もなかった。ただ二人は互いの身体を使って、互いを求めあい、互いの感触を確かめあうだけだった。


「ライム、ライム……愛してる!」

「学さん……私も……」


 学のライムを想う気持ちが溢れ、ライムを満たした。ライムはそれを受け入れた。

 ふと、ライムは鍵の外れる音を聞いた気がした。そして、突然それは起きた。今まで閉ざされていた、ライムの学を思う気持ち、ライムのそれまでの記憶、今、学の愛を受け止めたという記憶までもが、一気に学の脳に流れ込んだ。

 学の脳は、突然の情報流入に驚き、その情報を塊のままループに固定してしまった。学の意識は、その事象を真っ白な光として捉えた。そして、その光の中にライムが居る事を認識した。


「ライム?」

「学さん、このままで、このままで居させてください」


 ライムは横になったまま学の腕を抱きしめている。アポトーシスの発動は、もう間もなくのはずだった。


「ライム。君は死ぬんじゃない。このまま眠りにつくだけなんだよ。次に目覚める時には、今日のこの記憶を持って、俺の前で目覚める。そう信じて、安心して眠りにつくんだよ」

「はい。おやすみなさい。学さん。目覚めた時に、今、この時のことを想い出したら、私、顔が真っ赤になってしまうかも知れませんね」


 暗闇で見えはしないが、そこに居るライムは確かに微笑んでると、学には感じ取れた。



 アポトーシスが発動し、学は現実の世界に戻された。


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