◆ハードランディング
明神は、朱里の隣の席に腰かけると、1体のVOPEと共に教団のシステムからBV社の仮想環境に入った。
「お前は朱里を探してくれ。また隠れてくだらない遊びをしてるんだろう。見つけたらフェアロイドシステムのゲートウェイに連れて来てくれ」
明神のVOPEは、無言でその場から消えた。
明神がBV社の仮想商店街に入り、AIC社とのゲートで待っていると朱里と朱里のVOPEが明神のVOPEに連れられて現れた。
「あら、仕事なのぉ?」
「あぁ。どこに行ってたんだ? 酔ってるのか?」
「この子と、ちょっとね。遊んでました。だって、明神さん、構ってくれないんだもの」
朱里のアバターは上目づかいで明神を見た。
「お前は他の奴らとは違う。お前自身の頭脳を働かせなければ仕事にならん。ほどほどにしとけよ」
明神は、朱里がより強い刺激を求めて、何らかの脳内麻薬を生成して使用していることを、薄々感づいている。またか、という顔をしながらも諦めたように朱里を諭した。
「バックドアから侵入するの?」
「いや、今日はまっとうにゲートを通ろう。ちょっと気になる事がある」
明神等4人は、AIC社とのゲートを通り、回転ドアを抜けた。目前にいつもの風景が広がっている。だが、街中を歩く明神は何か腑に落ちない物を感じていた。
「何するの?」
「とりあえず、お前が設置したバックドアの所まで行く」
VOPEを後ろに従え、明神と朱里は腕を組んで街を歩いた。朱里は上機嫌だ。街をキョロキョロしながら明神に話しかけた。
「なんか、デートみたいねぇ。ついでに何か買ってよぉ」
「仕事中だ」
「ケチっ。他のカップルは皆買い物を楽しんでるのにさぁ」
それを聴いて、明神は腑に落ちない物が何かを突き止めた。急に目つきが鋭くなり、口調まで変わった。
「見てみろ。周りの連中は買い物なんかしてねぇぞ」
朱里が街中の人を見回す。皆、楽しそうに微笑んでいた。だが、一人として店内に入って買い物をしている人間はいなかった。全て、ダミーアバターだった。午前中とは言え、休日だ。人が全くいない事は有り得ない。
明神は、自分たちの仕組んだトリックが見破られ、事前に対処されている事を悟った。だが、どこまで知られているのかを把握する必要があった。投票所でVOPEユーザーの信徒は、身体を乗っ取られていた。一方、フェアロイドユーザーの身体の乗っ取りは失敗だった。
個人のGPS情報や、乗っ取りの為のEMR情報はバックドア経由だ。そこに行けば何らかの情報は得られる。
明神はバックドアに着くと、VOPEに仮想コンソールを出させ、バックドアをこじ開けて管理者エリアに入って行った。
「ようこそ。フェアロイド管理者エリアへ」
待っていたのは韮山だった。後ろに仮想コンソールを膝に乗せたまま、横目で見ている学がいる。セピアとライムもいた。
罠だと判った瞬間、明神はVOPEに指示を出し、いわゆるリストリクションモードに遷移させた。
教団本部の地下に戻るなり、明神はEMRをかなぐり捨てた。ややあって、隣の席の朱里が目を開けた。
「もう一回行かなきゃならん」
慌ててモード遷移させたので、管理者エリアに自分の抜け殻を残してしまったが、それは良い。どうせその抜け殻はフェアロイドの環境システム内で作られた物だ。また、このVOPEはどうせ捨て駒だ。惜しくない。
もう一回行かなければいけない理由は、公安の連中がハードランディングの内容まで知っているかを突き止めなければいけないからだ。
明神は、別のVOPEを使用する為に、サーバーラックが林立する部屋の一番奥にあるコンソール卓に移動しようと席を立つと、朱里がついて来た。
「もう、お前はついて来なくて良い」
明神は急いでいた。朱里に少し強い口調で言うと、朱里は肩をビクンと強張らせ、その場に立ち止った。出会ったころの俊敏さや狡賢いまでの機転の効き方は、めっきりなりを潜め、ただ色を求めるだけの女になってしまっていた。
明神は1本のサーバーラックに火を入れた。実験用のVOPE端末で、横田コア技術研究所の所長が被っていた物と同型のヘッドギアが同軸ケーブルで接続されている。明神はコンソールの椅子に腰かけると、VOPE端末が立ち上がるのを待って、同軸ケーブルで接続されたヘッドギアを装着し、再び仮想世界に入って行った。
仮想世界に入るなり、明神はぎょっとした。さっき明神が置き去りにした明神と朱里のVOPEがそこに立っていたからだ。
「明神さんかい? 忘れ物を届けに来たぜ」
VOPEの後ろには、明神と朱里がさっきまで使っていた3Dアバターが立ってしゃべっている。
「誰だ?! どうしてここに居る?!」
「明神さんで正解だったな。お前さんが裏口から消えちまったんで、この子達に案内してもらって、ちゃんと2つのゲートを通ってここまで来たのさ」
今、明神と朱里のアバターには、韮山と学の情報入出力ラインが接続されている。以前VOPEシステムに潜入した時の手法と同じだ。各ゲートウェイはVOPEの識別コードでパスできる。
「なるほど。期せずして我がシステムに、正式にお招きしたって訳だ」
「明神さん、もうジタバタすんなよ。この場所が教団本部地下だという事も判ったし、秘密裏にBV社のゲートウェイに接続していることも判った。ここから、洗脳……いや、身体の乗っ取りと言った方が良いか? に関するデータを送信していることも掴んだ」
「ほぅ。それで?」
「このシステムを放棄しても、もう遅いよ。我々は送受信データの記録を証拠として押さえている。BV社も、間もなくここに繋がるゲートウェイを切り離す。教団本部にも、我々の仲間が逮捕状をもって伺う予定だ」
教団地下のシステムが作りだす3D領域は、何もない殺伐としたところだった。ただVOPEシステムに繋がるゲートウェイの回転ドアがあるだけだった。
明神は観念したように回転ドア手前の階段に腰掛けて言った。
「なぁあんた、教えてくれよ。フェアロイドユーザーはどこに行っちまったんだ?」
「フェアロイドシステム内に居るよ。ただ明神さん、あんたの知らないシステムだ」
「なるほど。どっかの拠点を孤立させて、そこに匿ったってわけか」
この日を迎える大分前、学が悩んでいた愛梨のパーソナルデータのサルベージ方法について、韮山はとんでもない方法を提案していた。
まず、現在5拠点で稼働しているフェアロイドサーバーのうち商用の4拠点から、愛梨をはじめとする事件被害者のフェアロイドを解約状態にしてしまう。すると、システムによって全パーソナルデータが削除される。データの削除処理が終了したら、状態のみを契約状態に戻す。この時システムで状態異常のアラームが出るが無視する。
次に、研究開発目的で間歇接続されている1拠点のサーバーにのみ、3ヶ月前つまり、まだ愛梨達がまともに動いていた時にバックアップされたシステム全体のダンプイメージデータを、丸ごとコピーする。
そして、このサーバーの間歇ミラーリングを再開させる。
すると、商用サーバーと研究開発用サーバーが相互にミラーされ、欠落した場所にはバックアップデータが書き込まれ、バックアップの古いデータは新しいデータで上書きされる。つまり、すべてのサーバーで愛梨および被害者のフェアロイドだけが3ヶ月前の状態となり、それ以外の全ユーザーのフェアロイドのパーソナルデータが最新の状態になる、という形が出来上がる。
これで、通常運用になるのだが、山伏達は一計を案じた。
フェアロイド端末は第7世代の無線システムでサーバーと繋がっている。無線システムのサーバー側末端には基地局装置がある。通常はこの基地局装置から4拠点の商用サーバーへの分散接続を行う様な接続設定となっているが、これを大幅に変更した。全ての基地局を、この研究開発用サーバーに集中して接続させたのだ。
これにより、無線網で繋がるフェアロイドは、全てこの研究開発用サーバーのAIを使う設定となってしまっていた。元々、研究開発用サーバーには、BV社と接続するゲートウェイがない。サーバーの負荷は従来の4倍となり、何かあった際には即システムダウンという綱渡りの様な運用だが、ユーザーの身体が乗っ取られる可能性はなくなった。そして、残った4拠点の商用サーバーは、AIC本社内の実験用基地局のみが接続され、犯人組織を捉えるトラップそのものとして稼働を継続していたのだった。
もっとも、明神にそんな種明かしをする必要はない。
「こことBV社との接続が切れれば、もうお前さんは何もできない。もう逃げることも出来ない。おとなしくしていなさい」
韮山の話を聞いて、明神は高笑いした。投げやりな高笑いではない。何かを確信した笑いだった。
「あんた、良くこの俺をここまで追い詰めたよ。自己紹介してくれよ。あんたどこの誰だよ?」
「公安の韮山だ」
「ありがとな。覚えたぜ、その名前。ところで、あんたらは俺のシステムに居るって事を忘れてるよな」
明神は、後ろに控えているVOPEから仮想コンソールを受け取ると、パタパタとキーを叩き始めた。
「韮山さん、危ない!」
学が叫んだが、遅かった。3Dイメージはなかったが、何か黒いべったりした物が韮山に貼りついた感じがした。
フェアロイドシステム側で待機していたセピアに、明神の3Dアバターに接続した韮山の入出力情報ライン経由で情報コンテナが届いた。セピアの意識とは全く別のメカニズムでこの情報コンテナは扱われるのだが、セピアの潜在的なこの処理系が、<これは韮山のEMRに伝えるべき情報>とコンテナを処理しようとした際に、突如異変が発生した。
コンテナの中身がセピアのコード領域(プログラムの書かれている領域)に居座ってしまったのだ、このコードは次々と情報コンテナを呼び込み増大していった。まるでがん細胞の様だった。
先に異変に気付いたのはライムだった。
「セピアちゃん?」
このがん細胞は、セピアの身体の制御部分から壊して行ったため、セピアの意思にかかわらず、身体の末端が痙攣していた。ライムはその振動に気付き異変を感じ取った。
「セピアちゃん、ウィルスよ! シャットダウンして!」
「駄目! 今落ちると、韮山さんに迷惑がかかる」
セピアはそう言うと動かなくなり、韮山との接続ラインだけは必死にキープした。
「学さん、早く戻って! セピアちゃんが!」
ライムは学の脳に直接訴えた。さっき学が感じた変なイメージは、これだった。
「長居し過ぎた。戻ろう」
韮山はそう言うと、即座に明神の横を通ってゲートウェイをBV社の方に抜けて行った。BV社に移動する直前に学は振り返って明神を見たが、明神は何もせず腰かけたまま背中を見せ、ただ笑っていた。
韮山と学が逃げるように去った後も、明神は暫くそこに佇んでいたが、やがてVOPEに指示して仮想スマートフォンを出させ、電話をかけた。
「あ、長尾さん? 党首に伝えて欲しいんですが、今からハードランディングに移行しますと……えぇ、公安も馬鹿じゃないですね、嗅ぎつけて予防線を張ってきました……はい。これ以上の票確保は難しいので……はい、なので兵隊とコマをよろしくお願いします」
一旦電話を切ってから、別の所に掛け直す。
「教祖様、明神です。いよいよ、開眼の式を執り行います。……はい。式の方法は強行路線となりますので、信徒をお借りする事になります。あ、それから、公安がこちらに逮捕状をもって向かっているとの事です。強行突入前に事を起こします」
明神は、そこまで言って電話を切ると、おもむろにコンソールを叩き始めた。
「明神様、お戻りにはならないのですか?」
「あぁ、俺はもう、このままで良いよ。ここから全てをコントロールする」
VOPEの問いかけに、そう答えると、明神は無言でコンソールを叩いた。
一旦フェアロイドシステムのサーバーまで戻ってから、AIC社25階の現実世界に移動した韮山は戦慄した。そこには真っ白になって動かなくなっているセピアと、それを心配そうに見守るライムがいたからだ。
「セピアちゃんは韮山さんの情報入出力ライン経由でウィルスに感染した様です」
「ライムは?」
「私は大丈夫。セピアちゃんはアイソレーションモードだったから、ウィルスは外に出ていません」
韮山の情報入出力ラインは、所詮はセピアが構築しセピアのEMR経由で韮山に伝わっている。情報入出力ラインにウィルスを流されたら、最初に感染するのはセピアだ。通常のデディケートモードのまま潜入していたら、サーバーAI自体が感染するところだった。明らかに明神はそれを狙っていたと見えた。
「セピアはどんな状態?」
「ウィルスがどこまで進行しているか判りませんけど、韮山さんが戻ってからすぐに自分で電源を落としました。その判断ができたのだから、身体の制御プログラムや、記憶が少し食べられちゃったかも知れないけど、アイデンティティまでは壊されていないんじゃないかしら」
ライムの説明を聴いて、韮山は少し安心した。
「韮山君、和田君、戻った?」
対策室から麦草が顔を出した。
「天城君から連絡が入った。BV社の取締役が話を付けてくれて、サーバーAIは山伏さん達3人が完全に掌握したわ。教団側のシステムを接続した犯人組織の一員は天城君達が拘束した」
「回線は?」
「既に切断済み。これで、まずは一安心ね。後は教団のシステムを押さえて、そこから教祖と党首の首根っこを捕まえれば終了よ」
その時、麦草のスマートフォンがなった。
「はい。麦草……え?……判った。人選を急ぐわ」
麦草は、ちょっと下を向いた後、韮山を見て言った。
「奴ら、伊達に2年も準備してないわね。教団の強制捜査チームから支援要請があったわ。韮山君と和田君の手が要りそうよ。天城君もすぐ向かわせるわ」




