◆開眼の日
AIC社内で異変に最初に気づいたのは、夜勤中の白石だった。白石がE2Pフェアロイドのブランを使って、ダミーヘッド経由で仮想商店街の中を見ていると、韮山の作った番犬が吼え始めた。
白石はすぐに管理者モードに移り、情報入出力ラインを表示させながら番犬の吠える方向に向かった。
「きゃぁ!!!」
ディスプレイ画面には、番犬達が口に咥えた無数の蛇が映っている。直ぐに社内に警報を鳴らし、仮眠中のチームメンバーを集めた。少し遅れて10階から柳沢と、それをサポートする太田がやってきた。手に例のダミーヘッドを持っている。
白石は、集まってきたメンバーに先ほどのログを見せた。
「10分前の3Dイメージログです」
「ほぅ。捕まえきれなかった殆どの蛇は、個人情報エリアに行くね。韮山さん、どこから来てるか探索して下さい。柳沢さんと太田君は、誰かのフェアロイドをダミーヘッドに接続して起動して。蛇がどう動くのか見たい。人体に悪影響がある物なら即時排除しないと」
起き抜けにもかかわらず、山伏はてきぱきと指示を出した。脇では麦草が本庁に、動きがあった旨の報告をしている。
「山伏さん、臨床検査用のダミーヘッド、準備できました」
「OK。じゃぁ、フェアロイドを起動してみよう。ディスプレイは、このフェアロイドのパーソナル情報にフォーカスして表示させて」
フェアロイドを起動させると、サーバー側AIの個人情報エリアから、するっと一匹の蛇が現れすぐに消えた。同時に、ダミーヘッドの一部が明るく輝いた。
「プローブですね。言語野を発火させている」
「言語野だったら、どんな言葉をイメージさせているか分かるだろう。表示できないか?」
「えぇ。キーワードは表示出来ますよ」
柳沢が白石に代わってダミーヘッドをオペレーションする。意味不明の文字列がダンプされた後、明確にそれとわかる文字列が画面に表示された。
「選挙、投票、意志、行動……。どうも、ただ単に選挙や投票を促すようなメッセージのみですね」
「投票行動を促すだけのプローブか? 君の読み通りだな」
柳沢の読み上げに、山伏が反応した。
「ですね。これは多分、朝フェアロイドを起動させると、すぐに脳内に打ち込まれて選挙を意識させ、さらに行動を起こそうと意識すると心地よい刺激が与えられる、そんなプローブでしょう。こいつは放っておいても大丈夫そうだ」
「侵入経路はどうだ?」
「以前見つけたバックドアの内の1つです。塞ぎますか?」
別のコンソールについている太田が報告し、確認を取った。
「いや、もう蛇は来てないだろう。穴はそのままで、番犬の後ろに網を張るだけにしよう。それより、バックドアの先はどこに繋がっているか、確認できたか?」
「それは今、韮山さんと和田君が追いかけてます」
学と韮山、それにライムとセピアは、VOPEシステム側の管理者領域に居た。
「あの時作ったバックドアは、こうやって使うんですね」
「事に当たっては、色々仕込んでおかないとね。さ、そんなことより経路探索だ。まずはパーソナルデータの履歴管理エリアに行ってみよう」
「バックドアを通るデータなんて、残ってますかね?」
「あるよ。形を変えてね。セピア、履歴管理データからゲートマップを起こして、ここに展開して」
セピアは履歴管理データから入出力ゲートの情報をピックアップし、地図状に変換して3人に見せた。円がいくつも表示され、その円が直線で結ばれている絵が表示された。
「ん? セピア、データを2日前に限定して、もう一枚作ってくれる?」
セピアがもう一枚の絵を広げると、そこに明らかな違いがあった。
「ゲートが一つ増えている……どこに繋がるゲートだ?」
「公衆網ではないですね。ネット上には登録のない回線です」
「ここじゃ、これ以上は分からないから移動しよう」
韮山はセピアが用意した仮想コンソールを叩いて、履歴データからバックドアを開けるための命令、つまりこの場合、AIC社へ向かう、ある特定アドレスへの書き込み記録をピックアップした。更にその命令が出された環境サーバーのプロセスを参照し、サーバプロセスを起動させたAI側のプログラムを追いかけて行った。
そうやって韮山は3人を引き連れ、データを追ってVOPEのセキュリティゲートウェイまでやってきた。ゲートマップを確認すると、まさに先ほど確認した増えたゲートの所だ。
「行き止まりですね」
学の目の前には大きな壁が立っている。セキュリティゲートウェイを保守運用向けに3Dイメージ化したものだ。これも、元はAIC社で開発したものが、そのまま流用されている。
「セピア、このゲートの物理的な位置は判るか?」
「BV本社サーバーですね」
「天城が行ってる筈だなぁ。一回戻って、相談してみよう」
4人がAIC社の25階に戻ると、本部内がにぎやかになっていた。
「どうしたんです?」
学が中に居る山伏に声をかけると、山伏が答えてくれた。
「朝、一報があったプローブなんだけどね、一応、人体に悪影響がないことを確認するために、若い刑事二人がモルモットになってくれたんだよ」
「で、どうでした」
「うむ。特に問題はなかった。打ち込んだ直後、開口一番に『選挙行かなきゃ』とか『投票に行きましょうよ』と言い出したがね」
学と山伏が話をしている横では、韮山が麦草に報告していた。
「プローブの出所はBV社じゃありませんねぇ。BV社には新しいゲートウェイが構築されています。2日前にはなかった物です」
「どこに接続されているかは?」
「こちらサイドからは確認できないので、戻ってきました。天城がBV本社に行ってますよね? ゲートウェイはそこにあります。天城に追ってもらいたいです」
「了解。天城君に繋ぐからちょっと待って。あ、それから山伏さんが、そろそろ基地局接続サーバーの切り替え作業に入るから、一旦待機してって言ってるわよ」
日の出の時間はだいぶ遅くなってきたが、やっと夜が明け始めた。朝日が建物に当たり、広い敷地に長い影を落としている。静かな朝だったが教団本部の地下での動きは慌ただしかった。
「明神! 初動はうまくいったのか?」
この日、長尾は赤坂にある党本部の応援の為、教団本部にはいなかった。そのため、教団と党を結ぶビデオ回線を接続し、会議を行っている。地下の大型ディスプレイに映し出される長尾の横には、党首が落ち着きなさそうに映っていた。向こうには党首と対照をなすように落ち着いて座っている教祖と明神が映っているはずだった。
「長尾さん、準備万端ですよ。選挙行動を起こすためのイニシエーションは、すでにAIC社サーバーの中」
「気づかれなかったか?」
「フェアロイドを持ってる信徒5,6人が、選挙に行きたがってますよ」
それを聞いて、党首の顔に喜色が浮かんだ。
まだ、行動開始からほとんど時間は立っていないが、順調だった。公安も所詮は旧体制の遺物だ、情報戦にはからっきし弱い。教団本部の門の外に監視用のバスと追跡用の車を止め、連日交代で見張りを続けている刑事を、明神は施設側の監視カメラ映像で見て、そう思っていた。
だが、公安には山伏が付いている。奴がそれほどの甘ちゃんとは、明神は思っていない。 明神は、順調に事が運び有頂天にならないよう、自分を戒める積もりで党首と長尾に言った。
「少しでも変な動きになったら、ハードランディングに移行しますので、その積もりで」
朝のニュースは、どのチャネルも今日の衆参両院選挙の話題ばかりで、今回は前回に比べ投票に出向く人が多いのではないかというコメントが寄せられていた。
「そら、動き出すぞ」
明神は、ブロードキャストされるニュース画面と、身体乗っ取り用のモニター画面を交互に観つつ、呟いた。
画面上にポロっと1行、使用者IDとGPS情報が表示される。その横のステータス表示が"connect"、"install", "control" と変化し、最後は"end"となった。
最初はぱらぱらと表示されていたが、やがて、ものすごい勢いのスクロール表示となり、肉眼ではとても確認できなくなったところで、明神はコンソールを閉じた。
「順調のようですね。ひと段落着いたようにお見受けしますので、食事になさっては?」
ビデオ会議後も傍で明神の作業を見ていた教祖は、明神にねぎらいの言葉をかけると、信徒の一人に朝食の手配を指示した。
「まぁ、ここまでくれば、もう公安にも止められないとは思いますがね」
「信徒が、投票に行きたいと申しておりますが、よろしいですか?」
「えぇ、構いませんよ。どれ、私も一緒に行きますか」
明神は、なんの障害もなく事が進んでいること自体が、なんとなく気に入らなかった。実際にコントロールされている所を見て安心したいと思っていた。
教祖は、明神と共に地下で食事を済ますと、この近辺に住民届をしている信徒の中から、明神の背格好に近い人間をピックアップし、その投票案内を取り上げた。
「さ、これで投票に」
「では、ついでにVOPE端末ユーザーとフェアロイド端末ユーザーを連れて投票に行ってきましょう」
投票所は目と鼻の先の小学校の体育館だったが、VOPE端末ユーザー2名とフェアロイド端末ユーザー2名、合計4名信徒は、ステーションワゴンに乗り込んだ。荷物室には、明神が隠れた。
車がゲートを越え一般道路に出ると、すかさず公安の車が後をつける。ステーションワゴンは寄り道をしない。小学校に着くと4人は車を降り、投票所に向かった。
「いちいち、投票すんのに車なんか出すんじゃねーよ」
若い刑事は、悪態を着きながら元の道を引き返して行った。その光景を荷物の隙間から見ていた明神は、刑事の車が十分離れたのを確認してから外に出て、足早に4人を追った。4人は兼ねての指示通り体育館前で待っていた。もし、張り込み中の刑事が帰らず、信徒が投票から戻ってくるまで、その場で待っているようなら、信徒に引き返す合図をして本部に戻る予定だったが、運よく刑事は引き返していった。やはり公安は甘い、と思う明神だった。
「さて、投票に行こうか。ところで皆は誰に投票する?」
答えはバラバラだったが、新党明日の日本に投票しようとする人間は居なかった。党は組織票を期待しているが、その指導をしなくとも、信徒は皆コントロールが可能なのだ。それを確認するために、明神は投票所に足を運んだのだ。
投票受付を済ませ投票用紙を受け取り、記名場所に移動する信徒を、明神は注意深く見守った。まずはVOPEユーザーの一人が行く。記名場所でポーズが掛かった様に一時停止し、その後記名の動作があった。うまく身体を乗っ取れているように見えた。
次はフェアロイドユーザーだった。このユーザーも記名場所でポーズが掛かった様に一時停止し、その後記名の動作があった。
明神自身も投票の為に並んでいるので、用紙を受け取って記名場所に移動したのだが、その際にこのフェアロイドユーザーとぶつかり、このユーザーは投票用紙を落としてしまった。
日本の選挙で使われる投票用紙は独特で、二つ折りにしても、自然に開くような紙質だ。落とした用紙は広がり、記名内容が明神にも見えた。明神はその名前を見て愕然とした。
「馬鹿な!」
思わず明神は、声を出してしまい、周りの注目を集めてしまった。ぶつかった信徒は、申し訳なくしながらも、何が「馬鹿な」なのかが分からない様子だった。
投票はあと3回、衆議院の比例代表区分と参議院選挙だ。明神は、4人の信徒の行動をさらに注意深く、どの党に、あるいは誰に投票するかまで見守った。
4人とも、記名場所で一旦停止する所作は変わらない。だが、その後記名の際、VOPEユーザーに比べフェアロイドユーザーの2名は明らかに記載が早かった。何故かわからないが、記名場所到着の報告をサーバーに上げているにもかかわらず、乗っ取りのための信号がEMRに届かないように明神には見えた。
「イニシエーションは、うまく行かなかったのですか?」
「えぇ、公安かAIC社の邪魔が入ったようです。これから確認します」
明神は教団に戻ると手短に教祖に報告し、自ら仮想世界に入る為、サーバー室に入って行った。サーバー室の中には、守衛の格好をした大男と、作務衣を着、すでにVOPE端末を装着して蹲っている信徒が数人いた。
「暫くあっちの世界に籠る。ここの警備を頼む。朱里! 行くぞ」
大男は頷いた。ところが朱里の返事がない。すでにVOPEを身に着けサーバー室内の椅子に腰かけていた。意識はなく、先に仮想世界に行っているようだった。




