◆衆参同日選挙
延々と悩まされた夏の暑さも、さすがに10月に入って暫くすると、都心であっても過ごしやすくなった。北国は紅葉シーズンに突入し、朝のニュースでも艶やかな山々が映し出されるようになった。
一時期VOPEにシェアを食われ危機に直面していたフェアロイドだが、今はEMRを付けたフェアロイドが街中にあふれている。AIC社がフェアロイドEMRキャンペーンを行った結果、VOPEに流れていた1型3型の顧客が戻ってきたからだ。
AIC社はBV社のEMRを、かなりリーズナブルな価格で仕入れる事が出来た。さもなければEMRキャンペーンは出来なかった。BV社がどの様な戦略を隠し持っていようと、結果としてフェアロイドのシェアダウンは収まり、AIC社の役員はほっと胸をなでおろす事が出来た。
そして、フェアロイドのEMR装備については、不思議なほど悪評が立たなかった。IT関連の情報発信する記者などの脳の中で、例の体験時に打ち込まれたプローブが発火していたからと推測され、これについては特命プロジェクト側の人間、特にチームバーチャルの人間は背筋が寒くなる思いだった。
「しかし、BV社は、よくもまぁこれだけのEMRを供給出来るもんだね」
土肥は、対策室の中で皮肉とも単純な質問とも取れない様な顔つきをしながらつぶやいていた。
BV社から供給されたEMRは、2ヶ月で一千万台を超えていた。需要とそれを賄う供給量は衰えることもなく、今月末には二千万の大台に乗ると思われた。
「教団の資金が流入している様です。そして、労働力の源泉は教団の信徒ですよ」
「なるほど。人件費0か。うちに安く供給できるわけだ」
麦草の言葉に、土肥は納得した。
「もっとも、チームリアルの報告によると、どうもBV社は一枚岩ではないようですよ」
麦草は、長尾の強引なやり方を快く思っていない役員がBV社の中にいるという話を土肥にした。このEMRの件では、BV社は教団の息のかかった製造業者と契約し、EMRを格安で仕入れている。反対派の取締役はこれを危惧しているというのだ。
「我々が蟻の一穴を穿つとすれば、この役員からでしょうね」
麦草と土肥の二人が話をしていると、そこに天城が入ってきた。
「先日、和田君が言っていた過去の被害者の話ですが、全員、何らかの形で教団と接触してますね」
「普通に学校に行っていたり、仕事をしている人は居るんでしょ?」
「はい。なので、教団との繋がりを一人一人確認するのに時間がかかりました。ですが被害者の行動パターンは大体押さえられましたよ」
「調査御苦労さま。やはり信徒を唯の実験サンプルとして使っただけじゃなさそうね」
「どういうコントロールの仕方をしているのか分かりませんが、教団と党とを行き来している人間もいます。マークは付けました」
衆参両院の同日選挙が近づいていた。
各政党はインターネットを含むメディア上で舌戦を繰り広げていたが、中でも新進の「新党明日の日本」が元気だった。特命プロジェクトが追いかけている、例の政党だ。党は、荒唐無稽ともとれる、衆院の過半数獲得、政権与党を標榜していた。その為に、全国に党事務所を設置していたのだが、面白いのは、事務所の多くが自衛隊駐屯地に隣接している事だった。これはマスコミにも取り上げられ、「明日の日本は、自衛隊を取り込み右傾化したいのでは?」という報道もなされた。
「ここでも教団は、人と金の供給源か」
土肥のその言葉を、天城は否定した。
「いえ、金は別口なんです」
「?」
「今回信徒を追いかけていて、政治資金の事が判ったんですよ。点と点が繋がりました」
衆議院選挙戦と言えば、それこそ莫大な費用がかかる。その人的リソースについては、おそらく教団「光の翼」の信徒が駆り出されていたのだろう。だが、それ以外にも費用はかかる。教団からの資金をあてにしたいところだが、これが表に出ると政教分離の観点から党名が汚れる。少なくとも表向きは、一般企業などから資金を集めたいはずだ。
チームリアルの中で政党を追いかけている担当者が、幾ら調査を進めていても、政治資金供給している企業と犯人組織の接点をつかめなかったのだが、信徒の足取りを追う事でこれが判ったと、天城は言うのだ。
「信徒が、BV社の名刺を持って、VOPEシステムの個別営業をしてるんですよ」
「営業くらいでは……」
「と思うでしょう? ところが、その営業に使うツールが、教団の中で作られている様なんです。少なくともBV社は知らない装置です」
「装置?」
土肥と麦草は、思わず身を乗り出した。
天城が言うには、犯人組織が動きだしたのは梅雨頃からで、8月には全国で本格稼働していた様だ。BV社の営業に扮した信徒が、新製品のVOPEシステムの周知と言う事で、地方の産業展示場などで個別イベントを開催したり、地方の有力企業に出向いて実際にVOPE体験をしてもらい、社内システムとしても有効であることをアピールしていたそうだ。
「装置自体は小型で、無線エリアは広くなかったようです。BV社に潜伏しているチームリアルの人間はその装置の事を知りませんでしたし、社内にそれとなくヒアリングしても誰も知らない情報だったそうです」
「むしろBV社は名前だけを利用されていて、犯人組織の実態は教団と党の中にあるという事か」
「その様ですね。そして、党の資金出資名簿を見ると、8割方が、その営業イベント参加企業なんです。しかも資金提供は体験参加後になっているんですよ」
「プローブか?」
「その可能性は十分にありますね」
これで犯人組織の次のターゲットが衆参同日選挙であるとほぼ固まった。目的は選挙区立候補者名を書かせることと、比例代表で党名を書かせることの2点。それを犯人がどの様な手段で行わせるかを出来る限り想定し、どの様な手段でそれを防ぐかを洗い出しておくことが特命プロジェクトの喫緊の課題だ。
「チームバーチャルでミーティングを持ちましょう」
麦草は号令をかけ、即日、全員が集まった。
「……と言う訳で、犯人の意図は明確なのですが、その手段として何を用いることが出来るか、各位の意見を伺いたいです。検討の条件としては、VOPEユーザーが5百万人、EMRを接続したフェアロイドユーザーが2千万人です。有権者に対しては25%と行った所ね」
麦草は、経緯説明を行うと、まず柳沢が発言した。
「犯人が確実に有権者に名前を書かせるなら、横田技術研究所事件で用いた、身体の乗っ取りですね」
「なるほど。他には? まずは実現性については考えず想定できる物を全て洗い出してみましょう」
「確率は低くなりますが、プローブによる刷りこみ。後は……有権者の脳が駄目になっても良いなら刷り込みと前頭前野の破壊の併用。これは身体の乗っ取りとほぼ同じ確率で成功する。しかも逐一コントロールする必要がない……私が考えられるのはその位ですね」
「柳沢さん、有難う。他には意見はありませんか?」
専門家の柳沢がそこまで言うと、他にアイデアは出なかった。
「出ない様ね。じゃぁ、身体の乗っ取りから行きましょうか。犯人はどうやると思う? 横田技術研究所の時と違って、日本全国に散らばっている数千万人の身体を動かさないといけない。そうそう簡単じゃないわよ?」
ちょっと考えた後、山伏が答えた。
「GPS情報を使うのかもしれませんね。投票所の位置情報は誰でも得られますから、範囲内に入ったら身体を乗っ取る。個別に分かれた選挙区立候補者の名前を書かせるのは至難の業ですが、政党名くらいは書かせられるんじゃないかと思います」
「そこまでは?」
「自分の足で歩くでしょう」
山伏は割り切っていった。柳沢も腕を組んで頷いた。
「動機があるので歩かせるのは簡単ですね。そして全選挙区の立候補者氏名を書かせるのも不可能じゃないですね。GPS情報があればその選挙区の立候補者は判る。新党明日の日本の場合、高々150個、筋肉を操作するスクリプトを組んでサーバーに置いておき、GPS情報との組み合わせで特定のスクリプトを発動させる……そんな感じじゃないですか? 山伏さん」
「うん、柳沢君がスクリプトを組んでくれれば、私はサーバーにこれを実装できるよ」
実現可能性面で、二人の意見は合致した。
「では、どうやって乗っ取るか? 1年前のフェアロイド事件で使った手が今回も採れるか? フェアロイドシステムに犯人が再び侵入できるのか?」
「出来ますよ。むしろ前回よりやり易い」
そう言ったのは韮山だった。
「僕は、実際にVOPEシステムへの侵入実験をしてみましたよ。和田君とね。僕らが出来ると言う事は相手も出来ると言う事。もしかすると、もう出来てるかも知れない」
カルト教団「光の翼」修行棟の地下のイニシエーションルームには、長尾と明神がいた。
「お膳立ては、全て済ませたぞ。お前の方は大丈夫なんだろうな?」
「長尾さん、なんか落ち着きませんね」
野戦病棟のようなだだっ広いところで、ベッドに浅く腰かけた明神は、動物園の熊の様にウロウロしている長尾を見ていた。
「お前には1回煮え湯を飲まされてるからな。今回失敗すると、相手は教団と政党だ。俺たちは生きて日の目を見られんぞ」
「俺はずっと地下暮しですがね」
二人が話していると、ドアが開き、スリーピースを着込んだ恰幅の良い老人と、絣に袴を着込んだ初老の婦人が入ってきた。政党の党首と教団の教祖だった。
「長尾君、こちらの準備はどうかね?」
「は。こちらの方は準備が整っております」
「そうか。我が党も支援者集めに邁進しているが、やはり独力では票田確立は難しい。儂は君らの技術力を頼りにしている」
「お二方には、資金面、人材面でご尽力頂きまして感謝しております」
明神はそう言ったが、その実、(それも俺のシステムがあったればこそだがな)と、心の中で舌を出していた。
「いえいえ、元はと言えば私の教団の教義を是とし、布教活動に陰から支援下さいました明神様のお力があればこそ」
まるで、明神の心の中を見透かしたように、教祖は明神を持ちあげた。柔和な面持ちだが目が氷のように冷たく光っていた。
「で、どういう段取りだ?」
党首が、長尾に聞く。
「はい。それについては明神が説明いたします」
「この建物の地下には、BV社のセキュリティゲートを越えてVOPEシステムに接続可能なサーバーがあります。ただし、BV社には我々に与しない役員もおりますから、万が一にも発覚しない様、回線はまだ接続していません。物理的な敷設工事のみ秘密裏に行ってあります」
「選挙当日の朝、投票開始時間直前にこの回線を開きます。同時に例の<体験>プログラムをVOPEとフェアロイド両システムに置きます」
「今度は、どの様なイニシエーションを行うのです?」
教祖は、プローブの内容をイニシエーションと置き換えて質問した。
「これは、万が一警察の方に証拠として押さえられても問題のない内容、<選挙にいこう>ですよ。ユーザーがEMRを装着すると、いきなりイニシエーションを受けます」
「で、投票所に足を運ぶ訳か。で、どうなる」
党首のせっかちな性格は、<体験>させてもかわらんなと、明神は内心思いながら、説明を続けた。
「ここにあるサーバーには、全国の投票所の位置情報と立候補者のリンクテーブルが入っています。そしてもう一つ、あなたの所の全ての立候補者の名前を書く為の操作情報」
「身体を乗っ取るのか?」
「党首、慌てなさんな」
明神は思わず、ちょっと乱暴な口調になってしまった。
「有権者が端末を持って投票所に行くと……」
「持たないで行くかもしれないじゃないか」
今度は長尾が口を出してきた。
「長尾さん、あんたも黙って。端末を持って選挙に行くように<仕込んで>あるんですよ」
煩いこいつらを、すぐにでも黙らせたいし、その手段も明神は持っている。だが、明神にとって教祖と党首そして長尾は、まだ利用価値があった。明神は説明を続けた。
「投票所に行くと、有権者には2段目のイニシエーションを受けてもらいます。<立候補者の書き込み場所に着いたら端末に合図を送る>という物です。その合図は、こちらのサーバーでモニターできる。そして、党首」
「身体を乗っ取るのか!」
「そうです」
明神は最後に党首に花を持たせた。
「身体を乗っ取っている間、有権者には夢を見てもらいます。自分のお気に入りの立候補者を書く夢をね。比例代表も同じ段取りで行きます」
「我々の教義を広めて下さったことで、明神様の実力と言うのは判っているつもりですが、その様に簡単に人の心や身体を操れるのでしょうか? にわかには信じられないのですが」
教祖の言葉は丁寧で柔らかかったが、その真意は深い闇の中にある様だった。
「EMRと脳とのシンクロが重要なファクターなんでね。有権者にはVOPEでもフェアロイドでも良いが、より長い時間EMRと脳を接続して、慣らしてもらいたいんですよ。まぁ、そのためにも長尾さんの仮想商店街や遊園地は有効に活用させてもらってますがね」
「警察や選挙管理委員会に見つかる可能性は?」
「何か、公安がかぎまわっている様ですがね、奴らは我々が仕掛けたフェアロイドサーバーのバックドアにも気付いていない間抜けですよ」
「それに、」と、明神は続けた。
「教祖様と党首様には、人的にもご協力頂いてますからねぇ。仮に見つかったとして、公安の物理攻撃には、こちらも物理攻撃で行くつもりですよ」




