◆入り江の浜辺
昼は大学の授業、残りの時間は暇さえあればAIC社に詰めていた学には、余暇時間をべったり過ごすような学生仲間が居なかった。夏休みに入ると大学の授業がない。ぽっかり空いた時間を学は持て余し気味で、ついついAIC社に足を向けてしまう。
学はAIC社に出向くと、決まってその場に居合わせた太田等からE2Pフェアロイドと、柳沢から臨床検査用のコンソール、それにニューラルパターンを光で知らせてくれるダミーヘッドを借りていく。
この日も学は、ライムを自席の小さな椅子に腰かけさせ、更にフェアロイド用の小さなベンチを置き、4体のE2Pフェアロイドを借りてきて座らせた。そして、ダミーヘッドを使用して、順番に4体をアイソレーションモードに遷移させ、5体のEMRをコンソール経由でダミーヘッドに接続させた。
以前、学がこれをし始めた頃に、太田が何をしているのか訪ねたことがあった。
「お茶はないけどお茶会です。フェアロイド同士でおしゃべりしてもらうんですよ」
エンハンスドモードやアイソレーションモードで運用されているE2Pは、経験値が端末のAI内に蓄積される。それを声と身振り手振り、そしてEMR情報を使って情報交換してもらうというアイデアだった。EMRのみでも情報交換は出来るが、発声と傾聴、ボディランゲージとその理解により、ニューラルネットワークの複雑度を上げる狙いがあった。
フェアロイドAI各々は、自分の経験していない情報に触れることが刺激となり、この情報交換を非常に喜んだ。最初はライムが一方的におしゃべりをしていて、他のフェアロイドのコミュニケーションはぎこちなかったが、回数を重ねるにつれて、普通の女の子同士の会話に聞こえるようになってきた。
学は、このフェアロイド同士のおしゃべりを聞いているのが好きだったが、時には、
「ここから先は、学さんは聞いちゃダメです」
と、ライムに釘を刺されることもあった。
人間のコミュニケーションと異なり、嗅覚や味覚がない代わりに、AIはEMRインターフェース経由で生な刺激をやり取り出来る。あるAIが記憶した経験を、そのまま別のAIが経験することが出来、AIの複雑度は著しく上がって行った。
学は、そのAIの成長の過程を、ダミーヘッドで見ることも好きだった。
この日のお茶会の終了後に、アクアのニューラルネットワークをダミーヘッドに写してぼーっとしていた学を見て、呆れた太田が言った。
「お給料出ないんだから、会社に居ることないじゃない。気分転換も大事だよ。遊びに行ってきなよ。海とか」
だが、カップルやグループで賑わう盛夏の浜辺に一人で佇むのは、どう考えても寂しいだろうと学は思うのだった。
「私が一緒に行ってあげようか? 今週末なんて、どう? 和田君が一緒なら、白石さんも行けるはず」
「太田さん、彼氏とか居ないんですか?」
学がその質問をした瞬間に、太田の眉尻がキュッと上がった。
「あのね。私の仕事はオペレーターなの。夜勤もあるし、日曜祭日だって働くことがあるの。そんな状況でね、休みの日はぐったり寝てるの。いつ彼氏を作る時間があるのよ?」
学は、太田に捲し立てられて思わず後ずさりした。太田は更に押してくる。
「それにね、あんたが計画なくウロウロしてると、私たちはここでモニターしてなきゃいけないの。わかる?」
専属オペレーターの太田と白石は、学を監督下に置くことが業務の一つであり、それによって行動を制約される部分があった。逆に言うと、学さえ監督下に置いておけば、二人の業務はかなり時間的な自由度を確保できた。
言ってしまえば、学をダシに夏の海を満喫しようという魂胆だった。
「何? 何の話」
振り返ると韮山がいた。彼もまた、AIC社にずっと常駐している。公安部の方から指令がない時間帯は、学の席の隣に座ってフェアロイドの仕様書を頭に叩き込んでいた。太田が海の話をすると、まだ若い韮山はすぐに乗ってきた。
「車、出すよ。西伊豆なんてどう? 透明度が高くて、素潜りでも魚をたくさん見られる場所があるんだ」
「韮山さん、公安部の仕事は大丈夫なの?」
「そんなものは、天城に投げとくよ」
韮山は笑った。そう言えば天城はプロジェクトの人間だが、あまりAIC社には来ないな、と学は思った。ミーティングの際に麦草と一緒に来るくらいだ。もっぱら韮山が常駐している。そのことを韮山に言うと、思わぬ答えが返ってきた。
「僕の叔父さんも刑事なんだけど、現場の人でね。ひたすら現場に足を運んで有名な難事件を幾つも解決したんだよ。子供の頃は僕にとってヒーローだったんだ」
だけど、と韮山は話を続けた。犯人を捕まえる正義の味方の刑事である韮山の叔父は、自分が大学生になる頃は、徐々に捜査で躓くようになった。IT犯罪が高度化して、技術について行けなくなっていたからだった。
「だから僕が叔父さんの代わりに犯人を突き止めてやるって、口に出して言えないけど、今思えば荒っぽい事を色々とやったよ」
「叔父さんは、なんて?」
「そもそも不法な手段で得た情報なんて、証拠になりはしないし、正義の味方ぶって犯罪に手を染めそうな甥っ子を、泣きながら叱ってくれたよ」
韮山は学から顔を背け、オフィスの遠くの窓を見つめて、そう言った。
「もしかして、韮山さんの叔父さんて、……十石警部ですか?」
「うん」と言って振り向いた韮山の顔には厳しさがあった。
「叔父さんは、今でも僕のヒーローだよ。だから、僕も現場に張り付いて叔父さんの無念を晴らすんだ」
そう言った後、韮山は元のさわやかな笑顔に戻り、「でも、この週末は楽しもうね」と一言付け加えて自席に去って行った。
「忘れ物はない?」
週末の早朝、AIC社前で韮山は元気よく言った。
「大丈夫……韮山さん、こんなに早い時間に出発なんて……」
太田が欠伸をかみ殺しながら言う。確かに時間は早かった。登りの始発が新宿駅に到着する時間帯だ。
「いや、今から出たって、きっと三島の辺りで渋滞に巻き込まれるよ。ささっ、乗って乗って。着くまで寝ちゃって良いからさ」
韮山の車はコンパクトな燃料電池車だった。後部座席は少し狭い。太田と白石が後ろに乗り、助手席には学が座った。
車は首都高速3号線に乗って、そのまま東名高速に入る。暫くは後部座席で他愛のない話をしていた太田と白石だったが、伊勢原を過ぎる頃には二人とも寝てしまった。
「二人とも寝顔が可愛いね」
韮山がルームミラーで二人の寝顔を確認して言った。学も後ろを振り返り確認してみる。
仕事中の顔つきと違い、寝顔はまるで子供のようだった。太田は肩に結び目のあるスリーブレスのブラウスとレギンス、白石は薄手で長めのワンピースという格好で、二人とも良く似合っていた。
仕事中は、あまり関心を持たないが、二人とも顔立ちは美人の部類に入る。太田は活動系の美人で、白石は清楚な美人という感じだった。薄化粧でも十分映えた。隣で運転している韮山は、男から見ても美男子と思える顔立ちだ。学は、思わず膝の上のライムを見てしまった。学を見て微笑んでいる。自分の回りには、なんと美男美女が多い事かと思う学だった。
「フェアロイドは苦戦してるね」
韮山は、少しカーブが増えてきた高速道路に注意しながら、ぼそっと言った。
「……そうですね」
「BV社に歯止めをかけられないのが、痛いなぁ」
「契約者の純減は10%にもなっているそうです」
シェア約7割を誇っていたフェアロイドの契約者が、一気にVOPEに流れた。使ってみると、こういうコンシェルジュ機能も良いということで、口コミでも広がり、契約者の流出は歯止めがかからない。
「奴ら、新規契約者にはプローブを打ち込まないんだよな。打ち込めば、それを押さえて犯人組織を検挙することも可能なのに」
公安部もAIC社も、犯人組織が何を仕掛けてきても良いように、男女の個人名で3台ずつVOPEを購入し、1台は双方でソフトウェアのリバースエンジニアリングをするとともに、ハードウェアの分解を実施し、残り2台ずつ計4台はダミーヘッドにEMRを接続し、ログ取得させながら24時間稼働させていた。
ところが、犯人組織は今のところアタックをしてきてはいない。
「そうですね。それは犯人組織も用心しているんじゃないでしょうか」
「さて、VOPEはどこまでシェアを伸ばすかな」
「さぁ……」
「まぁ、どれだけシェアを伸ばしても、5割まで行くかどうか? それで、何をしようとしてるのか?」
二人の間に沈黙が流れた。その間にも車は高速道路を進んでいく。御殿場を過ぎると道はなだらかな下り坂になり、右手に富士山が見えた。良い天気だった。
「信者にしたり政党支持に向かわせる……ってのはわかりますが」
「方法は?」
「今用心しているくらいですから、無差別的なプローブは使わないでしょうね」
「まぁ、使ったとしても広告目的程度だろうね。大体プローブ自体にはそれほど強い力はないからなぁ」
「広告で人を集めてから、何かを行う……今までと似たやり方ですね。でも、それだと更に動かせる人間は減ってしまう」
「うん、そうだね。だから、犯人組織はもう少し母数を増やそうと思ってるはずだ」
新興のカルト教団と政党、信者と有権者の囲い込みをVOPEでやるとする。成人であれば8割方が何某かのコンシェルジュ端末を使用している。約1億人の8割として8千万人。実際には、社用端末を共有したり一人で複数台契約・保有する人間もいるので、一対一でコントロールできる、真水の総使用者数は6千万人といった所だ。その比率でフェアロイドの使用者人数を割り出すと、4千万人強と計算出来る。それがVOPEのキャンペーン以降、3千5百万人程度まで急激に減少した。
仮にVOPEが全コンシェルジュ端末の5割までシェアを伸ばしたとして、3千万人。現在の全国の有権者数は1億4百万人だから、約3割をキープできる計算だ。新進の政党、それも支持母体が全くない政党にとっては絶大な数値だ。うまくやれば衆議院の過半数だって取れるかもしれない。だが、それは、VOPEがシェアを5割稼いで初めて有効になるシナリオだ。
どうやってこれ以上母数を増やすのか? どこに千万人規模の人を集めるのか? 学はそれこそ魔法でも使わなければ出来ないと思った。
沼津で高速を降り、三島を抜けて伊豆半島に入った。韮山は西海岸の細い道を選んで走る。道幅は狭くアップダウンが激しい上に曲がりくねっているが、景色が良い。海の青と空の青、そして山の緑と岩肌の灰色のコントラストが素晴らしかった。その頃には、太田と白石も目を覚まし、西伊豆の絶景を楽しんだ。
「見てみて、海の底が見える」
「綺麗ねぇ」
後部座席では、白石の上に覆いかぶさるようにして、太田が右側の海をみている。
「さて、長らくご乗車お疲れ様。もうじき着くよ」
「この辺で泳ぐの? 素敵ー」
後部座席で太田がはしゃいだ。
韮山は、駐車場に車を止めると、トランクルームに回って荷物を出し始めた。だが、その駐車場は山の中腹ほどにあり、浜辺ではなかった。
「ここから、ちょっと歩くからね。荷物を持ってー」
4人は樹のトンネルの下り坂を下って行った。海水浴の荷物の他、飲み物や食べ物、フェアロイドと携帯用燃料電池パッケージなど、かなりの大荷物で急な下り坂は難渋したが、樹のトンネルが終わるとそこには海が広がっていた。
浜辺は入江の一番奥にあり、静かな波が打ち寄せていた。砂ではなく小砂利の浜で、波打ち際の直ぐそこまで魚が泳いできているのが見えた。小さな浜だが海水浴客も少なく、三方は急坂と崖になっているので、隠れ家的なプライベートビーチという感じだった。
「素敵……」
白石の口からも、思わず言葉が漏れた。
「でしょー? ここは割と知られてない浜なんだ。着替えは上のキャンプ場のトイレ兼更衣室で出来るから、荷物を置いたら着替えよう」
韮山はビールやジュースの入ったクーラーボックスをそこら辺に置くと、セピアをそこに座らせてパラソルを立てた。太田と白石は、その脇に荷物を置いて着替えに行った。
「あれ? 和田君は着替えに行かないの?」
「あ、俺は、実は下に履いてきちゃったんですよ」
「……実は僕もそうだ」
学と韮山は顔を見合わせて笑った。二人はぱぱっと着ている物を脱ぎ、パラソルに続いてサンシェード用の簡易テントを立て始めた。その作業が丁度終わった頃、太田と白石が戻ってきた。
「お待たせー。どう?」
太田はスポーティーなビキニ、白石は背中が大きく開いたワンピース。二人とも髪を上げうなじが見えた。
「ひゅー、可愛いねー。でも、その恰好だけじゃ、ここでは楽しめない」
韮山がスポーツバッグから何やら取り出した。水中眼鏡とシュノーケルだ。
「人数分用意しておいたよ。子供っぽいけど、これが楽しいんだ」
「あ、貸して貸してっ!」
太田は韮山から1セット借りると、早速波打ち際に向かっていった。韮山は白石にも1セット渡し、頭に付けるのを手伝った。
「あれ? 和田君は行かないの?」
「最初は俺が荷物番してますよ。行って来て下さい」
学は、サンシェードの中に入り、肩にライムを乗せ、体育座りをした。
「オッケー。じゃ、少ししたら交代しよう」
韮山は白石と一緒に、先に行った太田を追いかけて水に入った。太田と白石が奇声を上げている。魚が足を突くらしく、くすぐったいとか痛いとか叫んでいた。そんな風景を眺めながら、学は胸いっぱい空気を吸い込んでライムに話しかけた。
「これが、潮の香り。後で海水も舐めてみるよ」
ライムはいつの間にかラジエターフィンを広げている。EMR経由で学習の真っ最中だった。
「ところで、ライムは海に入れるの?」
「生活防水レベルですよ。海にどっぷりは無理ですねー。それに、学さんのゴーグルの補助インターフェースが壊れちゃいますよ」
「それは残念だなぁ。でも、水に浸からないように、後でちょっとだけ体験してみよう」
学が暫く眺めていると、韮山が戻ってきた。
「ふぃ~。ビールビール」
「お帰りなさい」
クーラーボックスの番をしていたセピアが答える。韮山はそのセピアに笑顔を返して脇にどいてもらうと、缶ビールを取り出し一気に喉に流し込んだ。
「はぁ~、やっぱり良いねー、海は! 和田君も行ってきなよ」
そう言って韮山が肩の上のライムを見ると、いつものようにラジエターフィンが出ている。韮山は、サンシェードのシートに腰かけ、まだ波打ち際近くで魚にもてあそばれている太田と白石を眺めながら、学に話しかけた。
「和田君、僕は君を見てると、ちょっと心配になるなぁ」
「え?」
「君がライム君に、そこまで入れあげる理由はなんだい?」
「……」
「僕もセピアが好きだよ。セピアが可愛いと思うし、デディケートモードでセピアに接していると、ちょっと錯覚してしまいそうになることがある」
クーラーボックスに座っていたセピアは、はっと目を見開き、そして少し寂しそうな顔を見せた。
「でもさ、和田君、フェアロイドは、どんなに人間らしくても人間が作ったもので、神様が作った人間ではないよ?」
「……」
「僕たちのDNAは、それに警鐘を鳴らしているんじゃないかな? E2Pが人を拒絶すると山伏さんは言うけど、実は、人が本能的に、かつ、無意識的に、フェアロイドに壁を作っているんじゃないかな? そして、和田君はその壁が低い」
韮山は、ビールのアテにしようと、コンビニのビニール袋からポテトチップの袋を取り出して開き、学にも勧めた。学がポテトチップを噛むと、口の中で乾いた音がした。
「ま、もっとも若い時は何事も経験だよな! だけど前を見ろよ。若いピチピチの女性、しかも二人とも美人で彼氏なし! 放っておいたら可哀想だろ!」
韮山は、言いかけた言葉を飲み込むようにして口調を変え、急に軽口をたたいた。そして尻を叩いて、肩にライムを乗せたままの学をサンシェードから追い出してしまった。
「荷物番してますよ?」
ライムの言葉は、韮山の言葉が少し影響しているように、学には聞こえた。
「うん。でも、その前に海水の味を経験してもらおうか」
学はライムが濡れてしまわないように両手でライムを抱えながら、そっと海に入って行った。




