表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/46

◆兆し

 今年の梅雨明けは例年より早かった。

 学の学校は7月20日が前期試験の終了日なのだが、それより一週間も早く梅雨が明けた。朝から焼けつくアスファルトの上を学校へ向かい、試験終了後は夜中までAIC社内で翌日の試験勉強をするという日課が続いていた。それもあと1日で終了だった。


「ふぃ~、選択科目を欲張って履修しちゃったから、試験が大変だよ」

「あと1日、2科目ですよ。そうしたらお休みです」


 AIC社に向かう途中、殺人的な暑さも手伝って、学はちょっと弱音を吐いた。励ましている今日のライムは、浅黄色ベースに細かい花模様の柄がランダムに入ったワンピースを着ている。足には夏向きのヒール付き革サンダルを履いていた。

 ライムは「もったいない」と言ったが、学は5月の給与が入ると、何着かライムの衣装を買い、6月もそれを繰り返した。大学で人型のフェアロイドを持ってくる連中は、日々フェアロイドの衣装を替えてくる。自分が服を選ぶように、フェアロイドの衣装も毎日着せかえていた。そんな中で、ライムがいつも同じ服を着ているのは忍びなかった。

 事実、もったいないと言っていたライムも、仮想商店街では嬉々として服や靴を選び、実物が家に到着すると、確認の為に試着するその顔がほころんだ。


「和田君って、AICのビジネス戦略に、まんまと引っ掛かってるわよね」


 25階のフロアに到着した学を見た太田が、ニヤリと笑って言った。ライムがまた新しい衣装を身に付けていたからだ。

 フェアロイドの衣装の市場は2兆円市場と言われ、馬鹿に出来ない規模に成長している。この市場の何割かはAIC社系列が占めており、AIC社の一つの収益原となっていた。


「良いじゃないですか、ちゃんと仮想商店街で買って、AIC社の収益に貢献してるんだから」

「良いわよぉ。どんどん買って私の給料を潤して頂戴」

「馬鹿じゃないから、そんなには買いません」

「そう言えばさ、VOPEシステムと仮想商店街の試験接続、来週からいよいよ始まるみたいよ」

「今頃ですか」


 5月に工事中となっていた例のセキュリティゲートだ。ずいぶんと時間がかかったものだと学は感じた。


「仮想商店街に入ってくるVOPE側AIの、3Dアバター仕様の実装が予想外に時間がかかったのと、AIC側の仮想商店街とそれ以外のエリアのセキュリティ確保が、なかなか落ち着かなかったのが原因らしい」


 学の後ろから声をかけてきたのは韮山だった。

 韮山は特別プロジェクト発足後、すぐにAIC社に常駐し始めた。甘いマスクと持ち前の明るく気さくな振る舞いで、すぐにAIC社に溶け込んだ。特に女性社員から人気が高かった。

 韮山の肩に腰かけているセピアは、韮山に安心しきった表情を見せている。……と、学は目を疑った。セピアの背中から4枚のラジエターフィンが顔を出していた。エンハンスドモードに移行している証拠だ。


「韮山さん、セピアの翅……」

「あぁ、これ? 学君が試験で居ない間に、ちょっとね」


 韮山もレベル2同期なのか、学はちょっと複雑な気持ちで自席に向かった。学が自席に荷物とライムをおろしてフロアを眺めると、太田の席に見慣れないフェアロイドが置いてある。ダミーヘッドと接続してある、そのフェアロイドは背中からラジエターフィンが蝶の翅の様に出ていた。ここにもエンハンスドモードに移行しているフェアロイドがいる。


「そのフェアロイド、E2Pですよね?!」


 学は太田の席に赴き、作業を開始しようとしていた太田に声をかけた。


「そ。私の専用機にしたの」

「同期とれたんですか!……って、ダミーヘッドを接続してるところを見ると、まだなんですね」

「いいのよ、これで。これはアイソレーションモードと言ってね……」


 ライム、セピア、他のE2P型フェアロイドのニューラルネットワークを評価して、ひとつ判った事があった。ニューラルネットワークの複雑度がまったく異なる事だ。セピアのネットワークはライムに比べて単純だったが、他のE2Pに比べると複雑度は一段上だった。

 これは、白石が「セピア」という名前を、このフェアロイドに付けたことと、白石が何かと言ってはセピアを実験などに使っていた事に関係がありそうだった。

 太田が話すには、学が大学の試験期間中で学業に専念している間、山伏と柳沢は韮山の力を借りて、E2Pの端末ソフトウェアを実験的に改造したそうだ。

 人間との同期をとる前段階として、ニューラルネットワークの複雑度を上げる為、リストリクションモード(EMRを使用しない2s型とほぼ同等の動作モード)であっても、EMRモニターによる脳のスキャニング機能が有効動作するようにし、更にノーマルモード以下であっても、サーバー側AI機能を使わずに稼働させるように改造した。

 要は、人間の知覚情報やそれに対して人間の脳がどう活性化されたかを一方的に送りつけ、端末のAIのみで思考させる改造をしたのだった。

 端末が独立で動くことが出来る為、アイソレーションモードと名付けられた。


「効果の方は、どうですか?」

「今日初めて手渡されたんだもの。これからよ」


 学は、韮山のセピアがラジエターフィンを広げていた事にも納得がいった。もっとも、デディケートモードに遷移できる韮山にとって、その改造により、ほぼエンハンスドモード遷移が実現したと言ってもおかしくない。


「この娘にはね、アクアっていう名前を付けたの。私を守ってくれる水の妖精」

「プローブからですか?」

「そうね。白石さんと山伏さんもE2Pフェアロイドを使い始めたわ」


 プローブを打ちこまれてから2ヶ月が経過したが、学の身の回りには特に何も起きていない。ライムも随時、学の脳の広域モニターを行っているが、特にアラームを上げてこない。静かなのが却って不気味だった。もしかしたら例の仮想商店街の試験の際に何かやってくるかも、と、根拠のない妄想をしながら、学が自席に戻ると、韮山が寄ってきて小声で話しかけた。


「さっきチームリアルの奴から聞いた情報なんだけどさ。プローブは既に機能してるらしい」



 韮山の話は、夜AIC社内の会議室で行われたチームバーチャル・チームリアルの連絡会議で正式に報告された。


「天城君の方から、チームリアルの報告をお願いできる?」


 主管の麦草に促されて、天城が手元のメモを見ながら報告をし始めた。


「本日の報告は3点。まず簡単な報告から。BV社の部品発注状況についてです」

「何か変化があった?」

「長尾氏が所属する部署なんですがね、EMRの構成部材を大量に発注しています」


 VOPEシステムの販売に強気であれば、構成部材の大量発注自体は、そうおかしい事ではない。大量発注すればコスト低減効果もある。


「ここでそれを報告する理由は?」

「VOPE端末の構成部材発注量とバランスが取れないんですよ。それも、極端に。端末側が50万台規模の発注量なのに対して、EMRはその10倍です」


 状況は判ったが、ここから何かを推理しようとしても、それは憶測にしかならなかった。天城は、最初の話題を早々に切り上げると次の報告を行った。


「次は、BV社に潜伏させているスタッフからの情報分析結果の報告です。情報を総合すると、柳沢レポートにあったプローブは既に発動している公算が高くなりました」

「公算が高い……とは?」


 天城のこの報告は、最初の一言で憶測が含まれている事を示している。


「これは、すでに分かっていることですが、本事件に絡んでいるのはBV社のごく一部です。我々はBV社にスタッフを送り込んでいますが、長尾氏や明神氏とその配下のチームには、直接コンタクトを取ることが出来ません。なので、部署間でやり取りされる業務上の報告・連絡・相談などから情報を吸い上げています」

「なぜ、発動していると?」

「スタッフを潜入させている部署から、EMR出力を危惧する声が上がったんですよ。ところが、犯人チームとは全く別の部署から反論が出たんです。BV社のAIとEMRのメカニズムは、フェアロイド依存症など起こしえない。まずは体験してから危惧しろ、と」「反論したチームもグルなんじゃないのか?」

「それは、事前の調査で、可能性が低いと出ています……実は反論したそのチームも、当初はEMR出力に異論を唱えていた部署なんですよ」


 山伏達は、なんとなく話の結末が見えてきた。


「なるほど。異論を唱えるチームには、体験をさせてプローブを打ち込んでるわけか」

「はい。そして、我々のスタッフも体験しました。面白いことに、体験後、気分が軽くなったそうですよ」

「つまり、EMRとフェアロイド依存症や関連事件を結びつけないようにするプローブだった訳だね?」

「今のところはそうですね。プローブが1本のみとは言い切れないので、継続して注意が必要ですが」


 天城の回答は慎重だった。


「BV社内の犯人チームにとっても、1年前のフェアロイド依存症事故の口コミは恐ろしい。なので、マスコミをはじめ、口コミを発信しそうな人間に対し、<体験>時にプローブを打ち込み、その後のコメントからEMRに関する危惧を取り払うというのが目的だったって所ではないでしょうか?」

「例の犯人組織が行うにしては、地味な犯行だねぇ」


 それは、ここに集まっている人間の正直な感想だろう。麦草も同感だった。


「それ以前に、口止めの働きかけ程度では犯行と言いきれないわ。大体、証拠が何一つないし。まぁ、BV社に強制捜査に入って、プローブに関する仕様書やソースコードでも押収出来れば、何らかの罪で挙げることは出来るかも知れないけど、そこまでやって得るものはないわ」


(そう言えばプローブの恐怖は感じていたが、VOPEのEMRによる依存症の恐怖と言う物を感じていない。フェアロイド依存症はEMR出力に根本原因があるのに……)

学がそう思った時、ライムが反応した。


「学さん、プローブのループが活性化しました!」


 ライムの他にも、プローブが発動した事を訴えるフェアロイドが居た。どうやら、天城や麦草の発言した単語をメンバーが頭の中で処理する際に、プローブが機能した様だった。


「どうやら、VOPE、EMR出力、フェアロイド依存症というキーワードが揃った時に、快方向の神経伝達物質が出るように、間脳部を刺激するのが、このプローブの様だなぁ。どう思う? 柳沢さん」


 山伏は、自分の思考の状況と、フェアロイドの反応を勘案して、そう発言した。


「まぁ、そんなところでしょうね。大体、サブリミナル効果なんてものは、潜在意識下で機能するものなので、意識をしっかり持っている人間の行動を変える力なんてないです。せいぜいが、ちょっと気になるとか、気にならないとか、気づきのトリガーになるくらいですからね」

「プローブの件については後でディスカッションしましょう。天城君、報告は以上? 3点あるって話だったのでは?」


 話が脱線してきたので、麦草が割り込んだ。


「もう1点は、教団を張っているスタッフからの報告です。これも、あまり気持ちの良い話ではないのですが……。カルト教団「光の翼」の信徒数が、ここ最近かなり増えていますが、それがフェアロイドと何らかの因果関係がありそうだという初動報告です」


 天城の報告によれば、「光の翼」が宗教法人であることを逆手にとって、公安の内々の指示の元、4-6月期決算の会計監査における実地立ち入り検査を実施した。備え付けの信者名簿もこの立ち入り検査時に確認し、情報として押さえた。

 これを分析したところ、この2,3か月で増加した教団の信徒2百余名のうち、約8割がフェアロイド依存症事件以前にフェアロイドを購入した者だった。


「それと、教団本部なんですが、最近、信徒の出入りが激しいようです。大型バスが直接敷地内に乗り入れ、信者を乗せて出ていく所も目撃されています」

「バスはチャーターした物? 誰か追ったの?」

「いや、運悪く張り込み中の覆面パトカーが、その前にバラバラと本部を出た数台の車を追いかけてしまい、手元に車が残ってなかったのですよ」


 その数台の車はばらばらに都内を走り、ガソリンを給油すると、また本部に帰って行ったとの事だ。報告のあった大型バスの件と総合すると、公安は囮の車に、まんまと引っ掛かったことになる。

 麦草の舌打ちしたいという表情がありありと見え、天城は少し忍びない思いだった。


「バス会社への聞き取り調査は進んでる?」

「はい。バス会社からの運転手つき時間貸しサービスを受けているようです。本部から新宿までの片道運行だったそうです。運転手には、どのような人間が何人くらい乗りこんだか聞いてみたんですが……」

「覚えてないの?」

「いや、そうではなく……なんでも、信仰上の理由で運転手は乗員を見てはならないと言われて、停車中は目隠しをされたそうです。チャーターしたバスは2階建てなので、運転手は、運転中に中の様子を見られないそうで……結局、足音から20人前後は乗り込んだだろう、との事でした。あ、後、キャスターバッグを転がすような音と、荷物室に人数分の荷物を入れる様な音もしてたようです。報告は以上です」


 会議はその後、プローブに関して、犯人の現状を整理したうえで、今後どのようにアクションを取るか、という話に戻った。

 犯人組織も、今回のプローブに関しては十分注意して行為に及んだのだろう。以前の事件のように健康被害が1件でも発生すれば、その調査と称してBV社への立ち入りができる所だが、そのような届け出は1件も発生しなかった。

 事故をでっちあげることも可能ではあり、会議中にそのような意見も出たが、無理にやると、企業に対する業務妨害として逆に訴えられる恐れもあった。それに、むざむざこちら側がプローブの打ち込みを察知していると言うことを犯人組織に知らせる必要はない。

 柳沢が言うように、このプローブ自体は潜在意識化で機能するものだから、直ちに生命を左右するようなものではない。今回のプローブについては特に何もアクションを取らず、犯人組織の動きを注意深く見守るということで、会議参加メンバーの合意がとれ会議は終了した。

 ところが、このプローブは、意外なほど効果を発揮していて、改めてVOPEのEMRに関するインターネット上の記事や口コミを参照すると、先日の体験イベント以降、フェアロイド依存症をVOPEのEMRに結び付ける人間は、ぱったりと出なくなっていた。 偶にインターネットの掲示板サイトなどで、VOPEのEMRを叩く人間が現れたが、周りから「体験してから言え」と、逆に叩かれ、そのうち消えた。

 極めつけは、通信・情報処理関連の雑誌だった。どの雑誌もローンチを9月に控えたVOPEシステムを取り上げていたが、EMRに関しては全てポジティブな記事内容だった。

 そして、VOPEシステムを称賛する記事が全て出そろった頃、BV社はAIC社幹部が驚くようなキャンペーンを打ってきた。新聞広告ではこんな内容を謳っている。


──────────────────────────────

     【VOPE前乗りキャンペーン】


   BV社では、9月サービスインに先だって、

   VOPEシステムのデータ拡充を行います。

   皆さんの生の情報が、VOPEの知識ベース

   拡充に役立ちます。


   進んでデータ拡充に応募して頂いた方には、

   VOPE端末を無料で提供!

   さらに、2年間のサービス料を無料にします。

   (AIC社ならびに他社の提供サービスを

    ご利用になる場合は別途料金が発生します)


   そして、なんと!!

   他社コンシェルジュ端末をお持ちの方は、

   購入時価格の8割で下取りいたします!!

   (お一人様1台までに限らせて頂きます)

   

   皆さん奮ってご参加ください。

   

   応募締切:8月20日

           :

──────────────────────────────


「何を考えているんだ?」


 会社の役員室では、朝、新聞を広げた土肥が唸っていた。データ蓄積の大義名分の下、AIC社のフェアロイド顧客を根こそぎ持って行く作戦に見えた。

 不当廉売を訴えようにも、他社サービス料はきちんと顧客に支払わせるし、下取り価格8割は現状のフェアロイドの人気を考えれば、不当とまでは言えない。端末と2年間分のサービス料はデータ取得と相殺というロジックだ。文句は言えなかった。

 土肥は役員による緊急の経営会議を開いたものの、役員の誰からも妙案は出てこなかった。各位の頭の中には、フェアロイド依存症の話でBV社の足を引っ張るというアイデアがあるにはあるのだが、これをやろうとすれば、AIC社自らが足をすくわれるとあって切り出せない。土肥を除く役員は、プローブの事を知らないので、内心マスコミがフェアロイド依存症をネタに騒いでくれる事を期待する、他力本願的スタイルだった。

 結局、BV社を引き摺り下ろす策ではなく、フェアロイド3キャンペーンを打ってBV社の端末無料に対抗する、という程度の案が承認され、戦略企画部門に指示が飛んだ。有体に言えば、AIC社はBV社の動きを見守るくらいしか出来なかった。

 もっとも、AIC社の幹部の中には、この問題をそれほど重要視していない人間もいた。理由はMVNOだった。BV社の顧客が増えれば、AIC社の通信網を使う。そうすれば通信量に見合ったマージンがAIC社に入った。何も、多額の研究開発投資をしなくてもBV社から日銭が入るなら、その様な選択もありだろうという見解だった。


「土管屋は、いずれ寂れて行くんだよ」


 土肥は、危機感が足らず、日銭で満足する社内意見を苦々しく思っていた。

 そして、7月25日から始まったBV社のキャンペーンは、暴力的な勢いを見せた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ