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◆光の翼

 陸上自衛隊立川駐屯地。過去幾多の大規模自然災害時は、ここを基地として自衛官が災害地域に飛んだ。また、隣には航空自衛隊立川基地、さらに少し離れた場所には航空自衛隊横田飛行場があり、陸空の機動力はこの一帯に集結している。

 だが、近代戦は情報戦争の一面もある為、バーチャルな領域での機動力が非常に重要で、防衛相情報本部もこの一帯に拠点を構えている。自然、この地域の有線・無線通信網は発達していた。

 カルト教団「光の翼」本部は、その地域の中にあった。

 教団は、海外移転の為閉鎖となった企業の工場跡地を買い上げ、そのままの状態で看板のみを替えて活動している。ただし、敷地の壁は買い上げ当初よりも高くし、正門は二重のゲートを構え、警棒を持った厳つい大男をガードマンとして立たせており、部外者の立ち入りを拒んでいることが容易に想像できた。広大な敷地にはいくつかの建物が立っているが、それぞれ道場、信徒の居住区、布教活動準備エリアというように役割別に分かれていて、それが屋根つきの渡り廊下で繋がっている。

 梅雨時期後半に特有のスコールのような雨の中、居住区がある建物から道場の建物に移動する女性の影があった。絣に白袴という出で立ちの女性は建物の入り口まで来ると、そこに立っている男に声をかけた。


「明神様はこちらにいらっしゃると聞いて参りましたが」

「これは、これは、教祖様、わざわざお出で下さいまして有難うございます。明神様は地下のイニシエーションルームにいらっしゃいます」


 作務衣を着た、この建物の守衛と思しき男は、丁重にお辞儀をしてから教祖を地下に案内した。


「これは、教祖様、お呼び頂ければこちらか伺ったのに」


 白衣姿でタブレットを持ち、ペンで何やら書いていた明神は、部屋の隅から現れた教祖をみとめ、手を止めてとりあえずの挨拶をした。足元には数十台のベッドと、そこに横たわる信徒がいた。横たわる信徒の首にはVOPE端末に良く似た形の装置が掛けられ、その端末に接続された同軸ケーブルが部屋の隅の装置まで伸びている。


「たまには明神様のご尽力を肌で感じないといけないと思ったものですから。<布教活動>は、順調ですか?」

「まぁ、ご覧ください。本日2組目の信徒への<特別布教>です。どうです? 教祖様も一度お試しになっては?」


 教祖は、それには答えず、ベッドの上の信徒の顔を一人一人眺めて行った。ベッドに横たわる信徒は、いずれも表情がなかった。眠っているというより死んでいるように見える。呼吸のための胸の上下動が、唯一まだ生きている事を示していた。


「順調なようですね。そういえば<開眼の日>には、信仰を持たざる者に2つの道を用意すると聞きましたが?」

「……誰からお聞きになりました?」

「長尾様から」


 あのおしゃべりめ、と、明神は心の中で呟いた。


「はい。<開眼の日>は、まず、自らが道を極められるように、この道場に敷設される布教装置から信号を送ります。ですが、失礼ながら教祖様の教義を快く思っていない輩がおります」

「公安ですね?」

「どうも、現状の政権与党も絡んでいるようです。そして、AIC社も」

「それは、困りましたね。いつの時代も道を創るものは迫害される」

「ですので、万が一、自らの道を極めるための道標を奪われた時は、この者たちに導いてもらいます。この者たちは、主に昨年我々が行ったイニシエーションに参加した者たちで、<教義>は十分に身についていますが、さらにこの教育で徹底させます」

「おぉ、それは頼もしい。準備を怠りなくお願いいたします」

「心得ております。最近イニシエーションを行った者たちも徐々に集まってきています。その者達にもこの教育を順次行っていく予定です。素晴らしい集団になりますよ」


 教祖と明神が話をしていると、別室から白衣姿の女性が現れた。朱里だ。朱里はベッドをよけながらスタスタと明神の元まで歩み寄ると、教祖を無視して明神に語りかけた。


「明神さん、プログラム起動したわ。イニシエーション時間は15分。だから、ね?」


 朱里の声は、最後の方で湿っぽく響いた。


「朱里、教祖様の前だぞ」

「そんなこと、分かってる。だけど、我慢できない」


 朱里は、避ける明神ににじり寄って腕を捉えると胸に抱え、片腕で明神の二の腕を捕まえたまま、もう片方の手で明神の手を握り、そっと自分の方に招きよせた。近寄ると、朱里から強く女が匂った。同性の教祖には、それがなんの匂いかすぐに分かった。


「この方は、どうされたのですか?」

「申し訳ありません。当人には布教用の素材データを作る為に、初期の<体験>を重ねさせているのですが、悟りの度合いが少し強く出てきているようです」

「他の方々は大丈夫なのですか?」

「えぇ、その点はご心配なく。データ作成側の問題ですので」

「明神様、くれぐれも正しい道を進むようご指導くださいね」


 そう言い残すと、教祖はその場を立ち去った。

 教祖が次に向かった先には、長尾がいた。長尾は布教活動準備棟でスーツ姿の信徒を集め、講義を行っていた。信徒の脇には旅行用キャスターバッグ程の大きさの装置が置いてある。


「……以上で、営業口上は終わりだ。買ってくれなくともよい。彼らに<体験>してもらうことが重要だ。必ず顧客が試すように誘導してくれ。それがこの教団の未来につながる。それから、この装置は売り込み先以外の人間には絶対に見られるな。VOPE端末やケーブルもカバンの中に入れて移動してくれ」

「ご精が出ますね、長尾様」


 長尾の説明をドア口で聞いていた教祖は、一通りの説明が終わるのを待ってから声をかけた。その声を聴いて居合わせた信徒たちは一斉にひれ伏した。全員がスーツ姿だけに、一種異様な光景に長尾には映った。


「おー、これは教祖さん、布教活動の一環とは言え、信徒の方々を借りられるとは、嬉しい限りですよ」

「信徒たちはどうですか?」

「いや、素直で非常に物覚えも良い。表情がもう少し明るいと営業としてはグッドなんですがね」

「いつからお始めになるの?」

「今日の午後からですよ。まずはこの近辺の業者から始めて、徐々に範囲を広げ、来週には全国展開します。これで、あの党首に貸しを作りますよ」


 長尾は戦略家だ。それに、自分が去ることになったAIC社を、いかにして潰すかに情熱的だった。そのために、個人コンサル時代に新興宗教やカルト集団の情報と、各党の財政情報を収集した。その結果候補に挙がったのが、「光の翼」と「新党明日の日本」だった。

 長尾は巧みに両者に歩み寄り、両者のかしらを水面下で引き合わせた。これで、人・物・金はそろえることが出来る。だがAIC社を抹殺するためには、ライバル企業を台頭させるだけでなく、AIC社のコア技術を潰す必要がある。

 長尾は、その両方を行う為に、BV社に潜り込んだ。これについては、無線通信事業分野での事業立案で実績のある長尾は簡単なことだった。BV社幹部に新規コンシェルジュ事業のプレゼンを実施し、簡単に採用された。だが、絵に描いた餅を実際の餅に変えるには、優秀な技術者が必要だ。長尾の頭の中にある優秀な技術者とは、すなわち、明神だった。

 明神には煮え湯を飲まされた長尾だったが、そこは自分から頭を下げて明神に来てもらった。長尾はそれが出来る男だった。

 実際に明神に来てもらうと、事は思いの他順調に進んだ。事件が発覚し警察にマークされてはいるものの、ここまでは予定通りだ。明神は使えるだけ使って、後はトカゲのしっぽになってもらおうというのが、長尾の目論見だった。


「そう言えば、あの党首様とも最近お会いしておりませんね。そろそろ<開眼の日>に向けて具体的なお話もさせてもらわないとなりません」

「そうですなぁ。だが、公安にマークされている以上、我々が会う際には十分注意せねばなりません。近々アレンジしますので、それまでお待ちください」

「よろしくお願い致しますね。そして布教活動の方も」


 教祖は、ひれ伏している信徒達を見回して言った。




 福生ふっさグリッシーニ株式会社。

 自分の店舗で自家製パンを売りながら、横田基地の売店にもパンを卸している業者だ。株式会社とは言っても経営者家族が中心の零細企業で、店構えは立派だったが、店の後ろに続く製パンの為の工場はプレハブだった。

 その店舗の軒先に、鬱陶しい梅雨の雨を避ける様にしてスーツ姿の営業マンが立った。営業マンが転がしているキャスターバッグは、雨にぬれないよう厳重に防水パッキングされている。営業マンは中の様子を見て、店主がいることを確認して店のドアを開けた。


「あんた、また来たの。うちは、そういうの要らないから」

「いいえ、御社のパンが美味しいので、また買いに来たんですよ」


 飛び込み営業と言うのは辛い仕事だ。飛び込んだ先の人間は、大抵の場合、あからさまに不快な顔をする。中には、ここぞとばかりに日頃のストレスを営業マンにぶつける人間もいる。しかし、これも修行の一つと考えられる人間は強い。地道に、粘り強く飛び込み営業を続け、顧客を勝ち取っていく。


「いくらパンを買ってもらっても、期待には添えないよ」

「パンが美味しいから買いに来てるんですよ。また来ます」


 そう言って、営業マンはキャスターバッグの中を開けるでもなく、毎日ちょっとだけ仕事の話をして、後はパンを買うとすぐに店を出て行った。

 営業マンに情が移ったのか、店主の言葉もだんだん和らいで行き、ついに営業マンは


「あんたが気が済むなら、とりあえず試すだけ。そうしたらもう来ないでおくれ」


と、店主の言葉を引き出した。


「えぇ。上司からは、とにかく製品の良さを知ってもらうだけで良い。それが口コミで広がれば、いつか物は売れていくと言われています。決して強引な商売はするなとの、上司からの言いつけですので。……では、これを頭に……」


 店主がVOPE端末を首からかけ、カチューシャを頭に付けると、営業マンはニコリと笑ってシステムを起動させた。




 国道16号線を、少しくたびれた軽ワンボックスが八王子方面に走って行く。横田飛行場を少し過ぎ、基地内に建物が立ち並び始めると車は左折した。左折した先には出入り業者用の通用門があり、バリケードが築かれていた。その奥にはライフルを持った警備員が何人か立っている。バリケード前に車を停車させると守衛が車までやってきた。


「やぁ、福生グッシリーニさん。今日は配達?」

「いや、今日は購買の課長さんに用があってね」

「あれ? 助手席の人は見かけない人だね」


 通用門の守衛が、車の中を覗き込む。守衛と会話をしていた店主の横には、パン屋に通い詰めていた営業マンが座っていた。後部座席にはキャスターバッグが置いてある。


「購買課長さんから連絡入ってない? BV社の営業の人だよ。うちに通って一生懸命商品を売り込んで、ついでにパンを買ってってくれるんだけどさ、うちじゃぁ、BV社のシステムなんて用がないからねぇ」

「あぁ、BV社とは書いてないけど、入館申請は購買部から出ていますね。一応、車の中を調べさせてもらいますよ」


 守衛は、キャスターバッグに目を止め、中の物を見せる様に指示した。


「見ても分からないですよ?」


 営業マンはそう言って、キャスターバッグのファスナーを開け、守衛にだけ中の機材を見せた。


「これは、プレゼン用に使用するデモシステムです。下にバッテリーを積んでますから、基地内の電源も使用しませんし、ネットワークにも接続しません」

「危険物は、入っていませんね?」

「えぇ。入っていません 」


 確認を済ませた守衛が、守衛所に戻って何やら操作すると、車の前のバリケードが移動し車が通れるだけのスペースが出来た。店主は軽のワンボックスを場内に進め、購買部が属する建物前の駐車場に車を停めた。店主は営業マンを引き連れ建物の中に入って行く。建物の中には更に受付があり、名札を受け取って指定された会議室に入った。

 店主と営業マンが会議室で待っていると、作業着姿の男性が入ってきた。


「福生さんから電話をもらったんで、一応打ち合わせ時間は設けたけどさ。こういうシステムは、セキュリティの関係もあるから、うちじゃ扱えないよ? それに、個別に業者と会うことは癒着問題なんかを疑われるから……」


 作業着姿の男性は、会議室に入るなり拒否の姿勢を示した。


「課長さん、申し訳ないですね。いや、こちらBV社の営業さんなんですがね、非常に熱心なんで、情が移っちゃってね。少しでも大口の顧客を取らせてやりたいかな? なんてね。まずは彼の話を聞いてもらえないですかね?」

「ご期待には添えないと思うが……」


 そう言いながら、購買部の課長は営業マンと名刺交換をした。


「で、どんな話?」

「はい。BV社では、今後VOPEシステムを法人向けにもご提供しようと考えています。今回は、弊社が試験開発した法人向けシステムを、実際に現場の方々に体験して頂き、忌憚のないご意見を伺いたいと思っております」

「実地のマーケティングって訳ね」

「はい。課長様にはお時間を頂き、大変感謝しております」


 営業マンは深々とお辞儀をした。そう言われると購買部の課長もまんざらではなく、人肌脱いでやろうかと言う気持ちになった。


「どれ? どんなシステムを作ったの? 短時間なら他の連中も呼んで、試してコメントしてあげるよ」

「ありがとうございます。まずは課長様から。そして、是非、複数人で一つの仕事をしている方に、この便利さを試して頂きたいです」

「例えば?」


 営業マンは、機器をセットアップしはじめていたが、購買課長が質問すると手を止めて少し考えてから回答した。


「例えば、守衛の方々とか」


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