◆確執
この事は、一次報告として柳沢からすぐさま取締役執行役員の土肥に上げられ、土肥の指示で、急遽βテスト被験者全員を集め、血液検査、脳波検査、及び問診が行われた。検査の目的をぼかす為、そして統計情報収集の為に、被験者以外も各部門から数名サンプリングされた。疑いのある者は、fMRI検査にまで進んだ。
その結果、統計的に見てβテスト被験者の脳にはセロトニン・ノルアドレナリン量の減少が発生していることが分かった。しかもそれはβテストの回数にある程度比例していた。
「EMR単体での検査に問題はなかったのか?」
という疑念が浮かび、過去の検査履歴が再度評価の俎上に上がった。その結果、単体の臨床検査時にも微妙ではあるが、疑いのあるデータが抽出された。
「例のエンジニアが持っていたメモリーチップには、複数のテストデータがありましてね、データのタイムスタンプを見ると、内容が日を追って過激になっていくのがわかります」
「つまり、刺激を求めてどんどん強い薬を作った……と言ったところか。運用保守サービスのオペレーターの方はどんな塩梅だった?」
「やはり、失明に近い状態ですね。この2人以外は、潜在的な要因を抱えてはいますが、これ以上刺激しなければ放っておいても元に戻ると思います」
「要ウォッチだな」
山伏、明神、柳沢は、取締役の土肥を前にして話し合っていた。脳神経系の医師と精神科の医師の協力を得て、現象は大体把握できた。致命的な問題は、この症状に習慣性があり、かつ、エスカレートしていく点だった。
何らかの要因により、脳内でドーパミンの過剰分泌が起こり、これに呼応する形でドーパミンからアドレナリンが過剰生成される。脳内では崩れたバランスを保つため、ノルアドレナリン、セロトニンが過剰生成され、さらにこれに呼応して、これらの受容体が過剰に生成される。
受容体が過剰に生成されると、脳内のノルアドレナリン、セロトニンが減少し、脳は飢餓感をおぼえる。これが習慣性の要因だ。さらに、受容体が過剰生成された後では、同量のアドレナリン分泌があっても以前の様な快楽を得られない。これがエスカレートする要因だった。
「で、真の原因はつかめたのか?」
日ごろは恰幅の良い身体を揺すって朗らかに従業員に接している土肥だが、この日の土肥は目が鋭かった。
「はい。ほぼ掴めています。EMRの指向性の問題です」
現在、EMRはM社に開発委託していたが、このEMRチップの指向性が甘いと、明神は言う。本来であればピンポイントで第一次視覚中枢に照射しなければならない電気信号なのだが、目的位置の周囲にある、中脳、間脳にも微細な刺激を与えてしまっていた。
「それはつまり、彼らにとって、あの連続フラッシュの様な映像自体が必要なのではなく、EMRが中脳だか間脳を刺激する信号の、電圧を上げる為に映像が必要だったわけだな」
「はい。単体臨床検査時には抽出できなかった不具合でした。脳神経外科医と精神科医の見解では、このEMR出力がA10神経付近への直接刺激を起こし、これにより人間本来の情動とは非同期にドーパミン放出が起こったのではないか、との事です」
土肥は腕を組んで唸った。既に2型発売日程に関するプレスリリースは打ってしまっている。サービス内容も開示済だ。だが、今のままではEMRを接続した2型を世に出せない。
「山伏君、関係部署のトップを招集してくれ。緊急戦略会議を行おう。あ、実務レベルのトップだけで良いぞ。お飾りの取締役連中は要らん」
取締役命とあって、関係者はすぐに集まった。とはいっても、先ほどのメンバーに、売る側の人間が加わっただけだ。
フェアロイドビジネス管掌執行役員 土肥
戦略担当事業部長 長尾
営業統括部長 湖尻
システム開発責任者 山伏
システム医療チーフ 柳沢
デバイス開発リーダー 明神
「さて、困ったことになった。皆は柳沢君からの報告で状況は飲み込めてるね?」
土肥の言葉に出席メンバーは頷いた。
「明神! これ、何とかならんのか? お前の開発したデバイスだろ?」
「まぁ、長尾君、最初からその剣幕じゃ会議にならんよ。落ち着いて」
「土肥さん、落ち着いて居られますか!! こいつは次の我々のドル箱だ! うちの最高収益記録を塗り替える素質がある。それが潰されかねないんですぞ?!」
「確かに、君は相当このシステムに入れあげて投資していったからなぁ」
長尾はフェアロイドビジネスの戦略担当だった。2型のフェアロイドはEMRによるユーザーの疑似体験をメインテーマに置いている。ユーザーが体験可能な仮想商店街や仮想観光地などを長尾が強力に推進する形で準備しきっていた。プレスリリースも盛大に打った。
これだけでも膨大な開発投資を行っており、EMRによる直接出力が出来ないとなると、疑似体験は幻となり、これらの投資は全て減損処理しなくてはならず、戦略事業部長としては致命的な汚点となる。何としてでも避けたかった。
「集まってもらったのは、各部門トップの立場から意見を言ってもらって、リスク・リターンをディスカッションした上で、方針を決めたいからだ」
土肥はそう言ってメンバーの顔を見渡し、「明神君から、まずは意見を聞こうか」と言った。
「はい。各位にはご迷惑をお掛けしています。デバイスエンジニアの観点からすれば、EMR出力の収束度の問題ですので、時間をかければ解決が可能です」
「どれだけかかる?」
「お約束は出来ないが、1年程度」
「話にならん」
長尾はそっぽを向いた。
「いえ、サービスインをそこまでずらせとは言っていません。その1年間、事故を起こさなければ良い。その為にEMR出力のダイナミックレンジを狭めます」
「それは危険だ!」
反論したのは柳沢だった。
「私は今回の事故で、EMR出力が如何に危険かを知りましたよ。もう一年、技術を熟成させる明神さんの案には賛成ですが、その間、たとえレンジを狭めたとしても、これを売ることは間違っている」
「柳沢さん、極論になってしまうけど、EMRは殺人兵器と同じだよ? 脳幹の網様帯あたりか、それより脊椎に近いところを狙って、例のデータを直接照射したらどうなるか? 人は簡単に死んでしまう」
柳沢は、明神が何を言っているのか理解に苦しんだ。その通りであれば、絶対にこれは売れないではないか。
「レンジを狭める、正確に放射位置を制御する、どちらもコントロールの話だよね? 何が違うんだ? 我々は殺人兵器をコントロールして夢を実現してるんだ。ブレーキの効きが悪い車と同じだよ。よく効くブレーキを付けるまではスピードを押さえようって言ってるんだ」
「詭弁だ。大体、ダイナミックレンジを押さえて事故が起きない確証はないだろ」
「漏出電力を自然界に存在する電磁波レベルまで下げれば問題ないだろう」
「私は柳沢案に賛成だな」
二人の議論に山伏が口をはさんだ。その山伏に対抗したのは長尾だ。
「それは、今期の事業収支計画が頭に入った上で言っているのか?」
「入ってますよ。でも明神がいみじくも言った様に、EMRは未だ開発途上だ。明神は車を例にとったが、私はどちらかと言うと、頸動脈にナイフを突き付けた状態でマラソンをするイメージだな。歩く速度になっても、危険度は変わらない。そして何か起きればAIC社は即死だ」
「では山伏、お前の案を言ってみろ」
「はい。2型フェアロイドのEMR機能はモニターオンリーにします。視聴覚デバイスは1型の物を転用します」
「はぁ? お前正気か? ビジネスの目玉の仮想商店街と仮想観光地はどうする?」
「そこは、EMRの熟成を待ちます。高々一年から数年と言ったところですよ」
「山伏、お前は一年間のビジネス機会損失がいくらになるか計算して言ってるんだろうな?」
「命のやりとりをするより良いでしょう」
長尾は頭に血が上っていた。
「こら、営業! 湖尻! 黙ってないで、お前も意見を言え!」
「そうですね。営業としては、サービスインタイミングの遅れを最大限短縮してほしい。その方法に対して賛同します。フェアロイド1型は、もう製品ライフサイクルの最終地点に来てるんですよ。新しい商材が早く欲しい。その為にいくつかのサービスが犠牲になっても構いません」
湖尻の意見はどちらにも与しないニュートラルな物だった。これ以上会議を長引かせても、両者の確執が大きくなるだけと判断した土肥は、意見まとめに入った。
「明神君の案は、EMR単体での臨床検査と再βテストが必要だな。一方、山伏君の案はシステムの改造が必要だが、臨床検査はほぼ必要無いな。」
「はい」
二人は回答した。
「では、サービスインのタイミングを、まず3ヶ月延期しよう。その間は明神案、山伏案をそれぞれ並行して進めてくれ。明神案の検証には柳沢君が当たれ。公正にな。湖尻君は山伏案で仮想商店街を利用出来るアイデアをプレゼン資料にまとめてくれ。……あぁ、長尾君はちょっと後で私の所に来てくれ」
そう言って、土肥は半ば強制的に会議を終了させた。
柳沢が実地検証の元、明神案の臨床試験が始まった。1ヶ月の単体試験では特に問題は出なかったが、βテストに移行すると、AIC社にとっては幸運、被験者と明神にとっては不運な事故が発生した。
再度のβテストでは、被験者をすべて新規に選出した。以前の被験者では、先のテストの影響が残っている可能性がある為だ。ところが、たまたま選出された従業員に、脳の電磁的刺激に対する感受性が強いという潜伏的な脳疾患を持っている者がいた。
そして、再βテスト時にそれが顕在化した。βテストを開始すると、この従業員は筋肉を硬直させ、痙攣し、そして嘔吐した。
「明神、諦めろよ。これは世に出せないよ」
「いや、これは我々が追っている問題とは違う。個人の疾患だ」
「でも、潜在的な個人疾患を突き止める医療設備も、それを事前に察知して販売を止めるようなプロセスも、我々は持っていないじゃないか」
「山伏さん! 俺はこの事でEMRの別の可能性も見つけた! あんただって、そうだろう! それをここで諦めるのか?」
その翌日から一週間ほど、明神は会社を休んだ。休んでいる間に会社の方針は山伏案で行く事に決定した。
「うむ。山伏さん、あんたは正しいよ。理解した。2型をさっさと仕上げちまおう。ただ、世の中の正解は一つじゃないことも理解した。俺はそれを追求していきたい」
出社した明神は、妙にサバサバした雰囲気で口調も変わっていた。決定事項を聴いても、特にEMR出力に拘りを見せることはなく、進んで山伏案の開発サポートに回った。
もともとEMRデバイスを主管していた明神が開発に加わってから、進捗はスピードアップした。また、EMRデバイス製造会社を変更し、デバイスのコストダウンにも貢献した。
改修後の2型EMRはモニター機能のみの為、臨床検査は出力されていないことと、出力されていない状態で人体に影響がない事を確認するのみで、スムーズに進み、3ヶ月遅れで、無事サービスインする事が出来た。
「こんなに長い行列が出来るとは思いませんでしたよ」
フェアロイド2型発売日、山伏はAIC社1階にある直営販売店に並ぶ行列を見て言った。脇には営業部長の湖尻がいる。
「それだけ待ち望まれてたってことだよ。何より端末の出来が素晴らしい。芸術品だね。サービス内容はちょっとシュリンクしたけど使えない訳じゃないし、ヒットは間違いない」
土肥から湖尻に宿題として出されていた、仮想商店街や仮想観光地等サービスの代替え提案は、結局3D映像サービスという形になった。網膜投影ディスプレイを使ってステレオで投影し、触ることは出来ないが立体視は出来るというサービスだ。ユーザーは、一応商店街や観光地の中を見て回る事が出来た。
「おはよう」
声をかけてきたのは土肥だった。いつもの様に恰幅の良い身体を揺すっていたが、あまり面白い事があった表情ではなかった。
「あ、おはようございます。見て下さいよ。盛況です」
湖尻は如才なく土肥に挨拶したが、それには反応せず、山伏に向いて言った。
「昨晩なぁ、明神君が辞表を提出したよ」
「え?!」
「自分には使命が出来た。それはこの会社では実現できない、と言ってな」
その話を聞いて、山伏は即座に明神の席に赴いた。だが、すでに研究室の机はきれいに整理され、スタッフに宛てた引継書が置いてあるだけだった。それ以降、明神がAIC社に来ることはなかった。
「白石君、太田君、悪いが人数分コーヒーを頼むよ」
AIC社の会議室では、2年前の出来事を大体説明し終えた山伏がコーヒーを要求した。一方麦草の方は、まだ聴き足りない部分があると見て、山伏に質問した。
「長尾事業部長の方は、どうなったの?」
「あぁ、そこを説明しませんでしたね。長尾さんの方が、ちょっと悲惨で、ご存じの通りフェアロイド2型は爆発的なヒットとなったわけですが、仮想商店街と仮想観光地の方は客の入りがあまりなくてね。やっぱり触覚とインタラクティブな物の変化がないと、ユーザーは飽きてしまうんですね。サービスイン当初はそれでも盛況だったんですが、徐々に」
「で?」
「事業収支計画では、サービスイン後一年で回収できるモデルだったんですが、半年たった時点で実現出来ないと見て、損切りしました。長尾さんもそのタイミングで辞職しましたよ。責任を取らされた格好ですね。今から約1年半前なので、そちらの情報と合っているでしょう」
山伏は、そう言いながらも、解せないという雰囲気を醸し出していた。長尾からすれば、明神は自分の顔に泥を塗った張本人だ。退職させられて会社にも恨みがあるはずだ。
一方、明神は退職時に『使命がある』と土肥に言っている。何の使命なのかはわからないが、会社を恨みに思うような理由での退職ではないはずだ。それに技術者の明神にとって、長尾は正直なところどうでもよい存在のはずだ。それが今BV社の裏で手を握っている。
二人を結びつける要素が山伏には見当たらなかった。




