◆適性検査
新宿新都心の比較的新しい高層ビルにAIC社はあった。1階が直営の販売店とサービスセンターとなっており、2階が業務システム系の営業拠点となっていた。3階より上に管理系、研究開発系、システム運用系など会社の様々な機能が入っている。
学たちの街にもフェアロイドの販売代理店はある。にもかかわらず、わざわざここまで買いに来た理由は新作のフェアロイドが目当てだったからだ。直営店のここはアンテナショップも兼ねており、目新しいデザインのフェアロイドを真っ先に購入する事が出来た。
学たちは直営店で購入受付をした後、適性検査を受けるための待合室の中にいた。新デザイン発表当日は流石に人が多かった。自分たちが待合室に入った時にすでに十人ほどが座って順番を待っていた。
待合室の壁にはショウウィンドウがあって歴代のフェアロイドが飾られており、二人はしばらくアレが欲しいとか、コレは誰々が持っているとか話していたが、それにも飽きてソファーに腰かけた。
「もっと早くに待ち合わせりゃ良かったな」
「遅れたやつが言うのかよ」
学はスマートフォンをいじりながら晃をたしなめた。
「正丸様、正丸晃様、ルーム2にお入りください」
と、アナウンスが流れた。
「あ、呼ばれた。俺だ。じゃぁ行ってくる」
晃は、ぴょんと立ち上がると、そそくさとルーム2に入って行った。晃がルーム2に入るのと入れ替わりに、ルーム3から人が出てきた。しばらくしてアナウンスが流れる。
「和田様、和田学様、ルーム3にお入りください」
学は、今まで弄っていたスマートフォンの液晶表示を消すと心の中で呟いた。
(今日でお前ともお別れだな。今までありがとね。お疲れさまでした)
ルーム3の中には幅の狭いベッドがあり、枕元に測定装置と思しき機械が設置され、その上にケーブルで繋がったヘッドギアが置いてあった。暗視スコープの様なゴーグルも置いてある。
部屋には白衣を着た男性と看護師の格好の女性がおり、学が部屋に入るとすぐ女性の方が声をかけた。
「和田学さんですね? では、靴を脱いでベッドで楽にして下さい」
学がベッドに横になると、男性がこれから行う事を説明した。
「フェアロイド依存症の事はご存知ですか? 現在フェアロイドを購入される方には、必ず適性検査を受けて頂く事になっております。あらかじめ申し上げておきますが、この検査結果は個人情報であり、和田さんが購入するフェアロイドのタイプ判定に用いる以外には使用いたしませんし外部に漏れる事はありません」
男性は検査準備を始めながら話を続ける。
「また、仮に適性検査に合格しなかった場合でも、フェアロイドのタイプ0はご購入頂く事が可能です。これは外見上、他のフェアロイドと変わる事がありませんのでご安心ください。タイプ0の詳しい説明に関しましては販売窓口でご確認ください」
男性が話終わると、女性の方が学にヘッドホン付きのヘッドギアとゴーグルを装着し、首筋に電極を貼り、続いて指にキャップ状の検査器具を取り付けてくれた。
「では、今から映像と音楽を流して、脳波、脈拍、血圧、血流量を確認させて頂きます。ご気分が悪くなったらすぐ手を挙げて下さいね」
リラックスできる静かで緩やかな音楽が流れ始めた。ゴーグル内に映し出される映像も環境ビデオかと思う様な映像だった。
(もう、測定は始まってるんだろうか? 寝ちゃいそうだ)
学がそう思っていると、映像が急に途切れ真っ暗になった。音もない。(あれ?)と思っていると、再び映像と音楽が始まった。今度はちょっと違う感じの映像と音楽だ。
別室に移った白衣の男性と看護師姿の女性は、リアルタイムで変化する適性検査結果の画面を見ていた。
「面白いね、この子のデータ。太田さん、ちょっと25階の山伏さんを呼んでくれない?」
白衣の男性は、看護師姿の女性に頼んだ。
しばらくして、長身の作業着姿の男性が現れた。
「太田君に呼ばれたんですが、何ですか? 柳沢さん」
「あぁ、山伏さん、今適性検査に来てる男の子のデータなんですが、ちょっと面白いんですよ」
柳沢と呼ばれた白衣の男性は、それまでに取れた検査ログをディスプレイに表示させた。
「今は未成年者用の適性検査プログラムを走らせてるんですがね。ほら、ここの数値を見て下さいよ。一般の被験者より高く出てる」
「なるほど…」
「さらに、この波形を見て下さいよ。ほら、入力波形に見事に同期して動いてるでしょう? こんな波形は今までの被験者では出てこなかったですよ。この波形同期がなけりゃ、むしろ適性試験としては失格なんですがね」
山伏は、柳沢からコンソールの操作権を取ると、マウスのホイールを操作して、学の検査データを何度も確認した。
「この子、もしかしたら、タイプE2Pのオーナーに適合するかも知れないですよ?」
柳沢はちょっと興奮した面持ちで山伏の顔を覗き込んで言うと、山伏は眉根を寄せた。
「いや、この子は未成年じゃないか。成人じゃないとまずいよ。あるいは社内の誰かのお子さんとか…」
「でも、立候補者に対して全員適合検査しましたけど、誰も適合者が出てこなかったじゃないですか。一般人もこうやってやってますけど…初めてなんですよ?」
柳沢がまくしたてると、山伏はマウスの操作を止め腕組みをして考え込んだ。
やがて口を開くと、柳沢の意見を肯定する指示を出した。
「試しに適合プログラムをやってみるか。太田君、今のプログラムをこの子に気付かれない様に適合プログラムに換えてくれる?」
「はい」
看護師姿の太田は、隣のコンソールに座るとキーボードを叩き始めた。山伏と柳沢が見ていたログデータがディスプレイから消え、代わりに検査機へのプログラムダウンロード中を示すインジケーターが現れた。ダウンロードが完了すると、太田はタイミングを見計らってキー入力した。
「適合プログラムに移行しました」
太田は椅子を回転させ身体ごと山伏と柳沢の方に向いてそう言った。
検査室の学は様々な映像と音楽を見せられ聞かされていた。それは単なる環境ビデオだったり心象風景ともいえる絵だったり、活発に動く動画だったりした。そのたびにちょっとドキドキしたり悲しい気持ちになったりしたが、そろそろ飽きてきていた。
(長いなぁ)
そんな風に思った時、ちょっと目の奥と後頭部が熱くなる様な感覚を覚えた。
今度の映像はちょっと違った。何かもやもやした物が目の前に写っている。焦点が合わない様な感覚だ。学はゴーグルをずらそうと手を動かした。が、ゴーグルをずらす事が出来なかった。
(あれ?)
と思う間もなく、目の焦点が合ってきた。よく見ると草原に5人の女の子が立っている。
それぞれ髪の色と長さが違うが、皆同じワンピースを着ていた。皆かわいい。見とれていると、そのうちの4人が去っていく。ゴーグルの視野から消えてしまった。1人残った女の子が学に近づいてくる。いや、自分の方が近づいているのかもしれないそんな映像だった。
学はその娘の少し憂いを帯びた深緑色の瞳に見入っていた。その瞳には自分が写っている。
「適合した……」
山伏は、ぼそっと呟いた。が、口ぶりとは裏腹に目は輝いていた。
「太田君、この子の情報集めて。あと、十石警部に連絡お願い。柳沢さんは上の人に緊急ミーティングをお願いしてください。私は太田君とデータをそろえてから会議室に向かいます」
別室は急にあわただしい動きになった。
長い検査を終えた学は、受付の別の女性に案内され、カウセリングルームの様な小部屋に通された。ソファーに座ってしばらく待っていたが誰も部屋に入ってこない。
「こりゃ、時間がかかる。待たされるわけだ」
などと独り言を言って、さっき別れを告げたスマートフォンを再び使おうとしていると、ようやく小部屋の扉が開き先ほどの2人が入ってきた。
そして少し遅れて後から作業着姿の男が大きな箱を持って入ってきた。白衣と看護師姿は先ほどあっているが、作業着姿の男も初対面のはずなのに、なんとなく見覚えがあった。
看護師姿の女性が少し離れた席に座り、白衣と作業着の男が学の前に座る。作業着の男が持っていた段ボールをテーブルに置くと、白衣の方が先に口を開いた。
「適性試験担当者の柳沢です」
相手のおじぎにつられる形で、学もお辞儀をした。
「えー、和田さんの検査結果はですねぇ、残念ながら2s型使用にはリスクのあるお身体をお持ちと出ています」
柳沢は、そう言って合否判定書類を学に見せた。
(駄目だったか)と、学は肩を落とした。
「いやいや、和田さんのお気持ち次第ですが、別の検査結果を見ると……」
柳沢の話の腰を折って、作業着の男が割り込んだ。
「柳沢さん、試験結果の話からすると誤解するかもしれないから、長くなるけど事実をなるべく詳細に話して、和田さんに使うか使わないか決めてもらおう」
そう言うと、学の方に向き直って作業着の男が話を引き継いだ。
「和田さん、フェアロイドシステム開発部門責任者の山伏です。これからするお話は和田さんにとって重要な事ですので、良く聞いて下さい。答えは今すぐでなくても結構です。よく考えて答えを出して下さい。」
「あっ」
学は名乗られて初めて気づいた。無精ひげが生えて髪もぼさぼさで作業着を着ているため一目では、1年前には授賞式でも逢った山伏には見えなかったのだ。道理で見覚えがある顔だと思ったはずだ、と、学は納得した。
「山伏さん。俺、山伏さんを知ってます。フェアロイドの1/f揺らぎAI多重処理システムを考案した山伏さんですよね。それに去年の国立アカデミーの授賞式では人工筋肉でも受賞してる……逢って話ができるなんて光栄です。俺も回路設計やプログラミングをやっていますが、山伏さんの凄さは神です。」
学はちょっと興奮した面持ちでぺこりと頭を下げた。逢ってからしばらく時間がたっている間の悪い挨拶だった。
「ありがとう。僕も君の名前と顔を見て思い出したよ。じゃぁ、フランクに話すとしようか」
山伏はテーブルの上に置いた箱を学の前に差し出し、親しげな口調で話し始めた。
「君はオリジナルのフェアロイド2型は知っている?」
学は頷く。
「フェアロイド依存症の事も? 自殺者が全てフェアロイド2型ユーザーだった事も?」
続けざまの質問にその都度学は頷いた。
「これは、その2型の進化版のプロトタイプ。社内ではE2Pと呼んでいる」
箱は段ボール製で中を見通すことは出来なかった。
「じゃ、この中身が3型として商品化されるんですね?」
「いや、3型は全く別ラインで開発されているよ。内緒だけど3型は1型からの派生形と言った方が良いものでね。これは、純粋に技術検証をするためのプロトタイプ」
山伏は結論を先に言った。
「君を待たせてしまって申し訳なかった。僕も会社の上層部や社外の関係部署といろいろ調整していてね。和田君が、この後の説明を聞いて、その上でこのプロトタイプを使用したいと言うのであれば、我々は無償でこのプロトタイプを貸しますよ。その間の通信料やサービス料も無料にさせてもらいます」
学は(え?本当?)という顔で山伏を二度見した。山伏は続けて、
「我々の技術検証に協力してもらう見返りとして、君は本システムを期間中無制限に利用しても構わないという事だ」
(うわ、スゲェ)という気持ちと(ちょっと危険なにおいがする?)という気持ちが交錯し、学は身構えた。
知っているとは思うが2型には…と山伏が話し始めた時、学のスマートフォンが鳴った。晃からのメール着信だった。
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学~、まだ検査続いてるの?俺腹減っちゃったから、
向かいのビルのマックに行ってるねー。ちなみに俺はV。
でもって早速買ったぜー。2s型。これから調教するぜぃ。
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「あいつ、適性検査合格したのか」
学はそうつぶやきながらスマートフォンをしまうと、
「失礼しました。説明の続きをお願いします」
と山伏に向き直り説明を促した。
簡潔に山伏が2型の特徴を説明し、最後に一言付け加えた。
「以上が2型の特徴。そして、このE2P型は、その特徴を全て受け継いでる。」
(え? じゃあ、適合検査不合格の自分にとってヤバい装置なんじゃないの?)そう思い、学はさらに緊張した。
山伏は思い出したように太田に1枚の書類を要求した。書類が手渡されると山伏は学の前に書類を置き言った。
「この先を話し始める前に、ここにサインをしてもらえる? あるいは、変な話だと思うなら、ここで話を止めてタイプ0の購入手続きに入っても構わないよ?」
怖いけど続きを聞きたい。学は強い好奇心を覚えた。
書類は機密保持契約だった。これは山伏から普通では聞けない貴重な話を聞ける、と学は確信し、ちょっとワクワクしながら、それでも書類にじっくりと目を通してサインした。
「有難う。では、ここから先は同じ開発仲間と言う感じで行こう。サインしてもらって言うのもなんだけど、ここで話す話はAIC社員以外は和田君しか知らないという事になるからね。くれぐれも口外しない様に」
自分だけに教えてくれるという山伏の言葉だけで、学はもうこの話から逃れることは出来なかった。