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◆βテスト

 話は2年前に遡る。


 フェアロイド1型の初号機発売から丸7年、そろそろ8年目を迎えようという頃、AIC社は次期フェアロイドのリリースに向けて大詰めを迎えており、柳沢はサービスイン前の最終βテストの準備に奔走されていた。


「テスト立候補者のアサインは出来ているのか?」

「あったり前ですよ。やはり新型機は社内でも注目の的ですね。結構立候補者が居ますよ。なので、ランダムにアサインしていく予定です」


 いよいよこの2型が世に出る。高揚感もあってか、柳沢は責任者の山伏の質問に威勢よく答えた。

 国立保健医療科学院が提唱する、電磁界の人体曝露に関する防護指針と規制のガイドラインへの準拠、動物実験での検証、EMR単体での臨床実験と、ここまでの道のりは長かった。2型はそれでなくとも内骨格と人工筋肉による稼働、姿勢制御、液冷による全身放熱など、今までにないギミックがふんだんに盛り込まれている。評価と修正の為に気の遠くなるような時間を費やしてきた。それも、このβテストが最終だ。柳沢が高揚するのも当然だった。

 翌朝、柳沢は、当日の被験者を10階の医療チーム部屋に呼んだ。50人ほどが柳沢の前に立った。


「本日10時から、βテストを開始します。βテスト被験者には、同時にAIC仮想商店街を実際に利用して頂き、課金システムの使い勝手やダミーアバターの問題など、あればレポートしてもらいます」


 被験者は順に首筋にEMRパッドを貼りつけゴーグルをかけた。パッドのひんやりとした感触に奇声を上げる被験者もいる。みなワクワクしていた。


「さて、βテスト用フェアロイドは、まだ1型の商用網にアクセスできません。万が一問題があったらまずいですからね。臨床検査室に2型と独自網が用意されていますので、そちらまで移動します」


 柳沢が先導し、ゴーグルとEMRパッドを取り付けた被験者がケーブルを持って臨床検査室に入って行った。部屋の中には山伏と明神が立っていた。二人も、このβテストを心待ちにしていた。山伏は2型のボディ開発、明神はEMRデバイス開発で苦労していたからだ。

 被験者は検査室に所狭しと並べられた細身のベッド、と言うより長机にクッションを貼ったような台に寝かされ、胸の上にβテスト用フェアロイドを乗せられた。


「では、βテストを開始します。こちらから皆さんのフェアロイドにコマンドを送ると、まずトレーニングシーケンスが始まります。この際、一次的に視覚、聴覚が機能しなくなります。トレーニングシーケンス後、皆さんは仮想商店街の入り口に立っています。自由に移動して下さって構いません。もし、気分が悪くなったりしたら<ノーマルモード>とフェアロイドに指示をして戻り、私に報告して下さい。では、始めます!」


 柳沢は被験者に短いブリーフィングを行うと、臨床室のオペレーターに手でサインを送った。

 試験時間は約2時間、初回は滞りなく終わった。評価を終えた被験者は口々に、凄い! 面白い! これは売れる! の声を上げて自席に戻って行った。


「なかなかの評判だな」

「そりゃぁ、仮想世界が実際に手で触れられるんだから、面白いでしょう」

「これで、匂いと味があればなぁ」

「明日からは、午前・午後の2回だな。夜はデータ解析だし、まだ当分休めないぜ」

「それも、あと1ヶ月だ。いよいよだよ」


 初回、成功裏に終わった臨床試験室で山伏達3人は語りあった。

 翌日も、翌々日も特に問題なくβテストは進行していった。だが、ちょっとした変化が一週間後に起きた。


「ねぇ、柳沢さん。俺βテストに立候補してるのに、なかなか回って来ないっすよ」


 運用ソフトウェア開発部門の若いエンジニアが柳沢に直談判に来た。


「いや、君は初日にも被験者になってもらったし、3日前にもなってもらったじゃないか」

「だけど、同じフロアの奴なんか、今日4回目だって言うし、なんか俺、順番抜かされてるんじゃないかって思ってるっすよ」

「いや、順番じゃなくて、ランダムアサインだから」

「何でランダムなんすか? それって不公平じゃないすか!」


 最初は、2型人気は凄いものだと感心していた柳沢だったが、この直談判が毎日続いたので、少々気味が悪くなって明神に相談してみた。


「言ってきてるのは、その一人なんでしょう? だったら気にする必要はないでしょう。世の中には一定量居るんですよ、そう言うちょっと物事に傾倒しやすい人が」

「そんなもんかなぁ?」


 ところが、数日続いた直談判がぱったりと途絶えたため、柳沢もこれ以上この問題を追いかけるのを止めてしまった。

 βテストも終了間際のある日、出勤の為セキュリティゲートをくぐろうとすると、柳沢は運用ソフトウェア開発部門の部長に呼びとめられた。


「柳沢君、ちょっと」

「はい、なんでしょう?」

「うちのエンジニアがちょっとおかしいんだが、後で寄らせるので診てもらえないかな?」

「良いですけど、専門医がいるかどうか……どうしたんですか?」

「いや、朝、なかなか出社しないんだよ。出社したかと思うとずっとぼーっとしてるし、仕事を頼んでも上がってこないんだ」

「鬱ですかね? 心療内科の医師に見せる前にカウンセラーに診てもらった方が良いのでは?」

「うーん、いやね、どうも目が見えなくなってるんじゃないかと思うんだ。伝え歩きのような仕草を良くしている」

「わかりました。今日出社したら寄こしてください」


 昼休みの休憩時間も終了し、柳沢が午後のβテストの準備を始めようとした時、そのエンジニアは来た。部長が腕を取って誘導している。

 柳沢は、その顔に見覚えがあった。この前まで被験者にさせろと直談判していたエンジニアだった。


「柳沢君、すまん。医療チームに行くと言ったら、急に怯えだして、怯え方が尋常じゃなかったので問いただしたら、白状したよ。本当に申し訳ない」

「なんです?」


 柳沢はこの部長がなぜ謝っているのか理解に苦しんだ。


「夜間、臨床検査室に忍び込んで、βテストのフェアロイドを勝手に使ったらしい。どうも、その副作用が出ているようだ」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。βテストはもう今週末で終了ですよ。今まで何も問題は出てないですよ。とにかく診断しますので、そちらの部屋で待っていてください」


 柳沢は、突然の問題提起に困惑しながらも、脳神経外科医、心療内科医、眼科医の3名を招集し、診療にあたらせた。


「柳沢さん、角膜や網膜には全く異常がないですよ。ただし、本人はほとんど見えてませんね。視神経か一次視覚野が変性してるかもしれない」


 最初に診療を終えた眼科医が、別室の柳沢のところに報告に来た。ついで出てきたのが神経外科医だった。


「CTを取ってみましたけど、外科的には特に問題なさそうです。ただ、ことによると精神科の医師が必要になるかもしれませんね」

「やはり、そう思いましたか。私も明らかに異常を感じましたよ」


 そこに、診察を終えた心療内科医が現れた。


「一応、セロトニンとノルアドレナリンの再取り込み阻害剤を処方しておきました。これで、少し様子みかなぁ。でも明らかにこれでは解決できないと思いますね」

「反応が出るか検査しましたか?」

「しました。でも反応は出なかったですね」


 医師たちは口々に異常な状況を語り合っていた。


「彼に何が起きてるんですか?」


 柳沢はたまりかねて聞くと、3名の医師は口をそろえて答えた。


「薬物中毒の症状ですよ。覚醒剤系のね」

「そんな、馬鹿な」


 と言ったのは、連れてきた部長だった。


「彼は、最近の若者らしいところはあるが、新技術への興味は人一倍あるし、研究熱心で真面目だ。リーダーとしてのチームの責任を担っている。彼に限ってそんなことがあるはずない」

「僕らも、別の観点から不思議に思ってるんですよ。彼の粘膜や皮膚を一通り調べましたが、薬物中毒患者にありがちな、注射針の後や粘膜の荒れが全くないんですよ。だけど一応、彼の持ち物はチェックしてください」

「部長。彼を問い詰めた時、彼は何と言っていたんですか?」


 柳沢の声のトーンは低く、少し掠れていた。


「夜間、臨床検査室に忍び込んで、βテスト用のフェアロイドを使ったと」

「それだけですか?」

「ただ使っているだけでは満足できなくなって、テストデータを試行錯誤で自分で作ったらしい。それを仲間の一人と一緒に試したそうだ」

「誰です?」

「運用保守サービス部門のオペレーター」


 データが残っているかもしれない。そう思った柳沢は25階の運用保守サービス部門に駆け上がり、部長から聞いた従業員を探した。柳沢がその従業員を探し当て、顔を見た瞬間、こいつもどこかおかしいと直感した。


「ちょっと来てくれ。それから臨床試験室で使ったデータも出してくれ」


 柳沢は、有無を言わさず、その従業員を10階の3名の医師のところに連れて行き、診療を受けさせた。柳沢の手の中には従業員が観念して手渡したメモリーチップがある。従業員を見送ってから、柳沢は臨床検査室に入った。

 いつも通りの部屋だ。臨床検査用コンソールを立ち上げる。これもいつも通りだ。彼らは、機材の不正使用を隠すため、使用後の機材類を入念に元に戻していたようだった。それが事態を悪い方向へ進めさせた。

 柳沢は手持ちのメモリーチップを臨床検査用コンソールの内部に埋め込み、用心のため、ダミーヘッド経由でそのデータがどんなものなのか確認した。


「明神さん、山伏さんを連れて、急いで10階の臨床検査室まで来てもらえますか?」


 明神は、柳沢からの緊急の電話に何事かと思いながら、山伏と共に臨床検査室に出向いた。と、そこには柳沢がダミーヘッドとフェアロイドを用意した状態で立っていた。


「すみません。お忙しいところ」

「いや、良いけど、なにかあったのか?」

「ありました。まずは、この画像を見てください」


 柳沢がテストコマンドを投入すると、ダミーヘッドに接続されたディスプレイが点滅し始めた。暗い部屋で見ると、かなり刺激的だった。


「柳沢さん、何ですか? これは」

「その前に、このディスプレイへの表示データは輝度をかなり落としてあります。実際にはこの光量は太陽を直視するのに近いレベルです」


 山伏の問いに、柳沢が前置きを話すと、まぶしさに目がくらんだ明神が思わず言った。


「何が目的なんだ? いったい」

「これをデディケートモード時に被験者に投影したらどうなりますかね?」

「一次視覚野がおかしくなるだろう。EMRだってサチュレーションを起こすぞ。やった奴がいるのか? 誰だ、これを作ったのは?」


 明神は半ば怒っている。


「フェアロイド中毒患者ですよ」


 柳沢の声の後、臨床検査室は静まり返った。


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