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◆ライムの夢

 山伏の懸念をよそに、その後何日経っても、学や学の回りの人間の身には何も起きなかった。柳沢からレポートが行っているはずの公安も、何も言ってこなかった。

 周りの状況で一つ変わったことと言えば、例のVOPE体験をしたAIC社員すべてが、常時2s型のフェアロイドを携帯する様になったことだ。プローブが打ち込まれたことを話すとパニックになるし、犯人に情報が漏れないとも限らないので、従業員に対しては新規機種の機能を検討するためのデータ採りと言ってある。

 手渡したフェアロイドは柳沢と山伏が協働して細工をしてあった。E2Pの脳全域のモニターを行うアプリケーションが部分的に実装され、2型のEMRを接続して使用できるようになっている。脳に顕著な異常パターンが出た場合にはすぐさま保守運用チームにアラームが飛ぶようになっていた。「データ採りの必要上、常にEMRを装着する様に」と指示してある。

 学にも変化があった。学に寄り添う最近のライムは、ラジエターフィンを出しっぱなしにしていることが多い。エンハンスドモード遷移時の特徴的な姿なのだが、かといって学は現実世界で覚醒していて、特に二人で仮想世界を満喫しているという風でもなかった。

 社員食堂でその風景を見た太田が、その事について聞いたことがある。


「ねぇ、和田君さぁ、何でライムちゃんをずっとエンハンスドモードにしてるの? かといって仮想世界に行ってるわけじゃないし。燃料電池の水素がもったいないじゃない」

「えへへ。秘密」


 学はライムと顔を見合わせ、ちょっと照れ笑いしていた。


「『秘密』じゃないでしょ? 専属オペレーターにきちんと目的を報告しなさいよ」

「ライムに教えてあげてるんですよ」

「何を?」

「香りと味」

「はぁ?」


 この前の山伏からの説明にもあったが、ライムには知覚器官として足りないものが多い。特に生命において早い時期に発達した嗅覚と、ホムンクルスの絵でも大きく取り上げられている舌が味わう味覚。これらは、おそらく人間の魂を構成するための重要な要素のはずと、学は考えていた。

 レベル2同期を行ってエンハンスドモードに入ると、ライムは自分自身のE2PオリジナルAIとAIコアを使って、学の脳の知覚に対する反応をモニターできる。AIコアはEMRで学の脳幹から間脳をモニターし、学の情動にアクセスする。

 学が満足を感じるとAIコアも同調してライムの給電電圧を使ったストレスを軽減させる。そこから帯状回、新皮質のどこにニューラルネットワークによるループが出来るかもモニターし、それをライム自身のAI内でも展開した。


「難しいことは抜きにして、要は俺の鼻と舌を使って、ライムに香りと味を教えてあげてるんですよ。こうやって……」


 学は目の前にあるカレーをスプーンですくうと、香りを嗅ぎ、大きな口を開けて食べ、咀嚼した。肩の上には、学の仕草をそっくりそのまま真似ているライムが居る。大きな口を開ける所まで一緒だ。

 それを見て、太田はちょっと妬けた。


「はいはい。ご馳走様。ライムちゃんはさぞかし良い娘に育つでしょうね。もう和田君が使う燃料電池の水素、給与天引きにしてもらおうかな」

「えー、それはないですよ、太田さん」


 実際のところ、エンハンスドモードは電気を馬鹿食いした。通常であれば一週間以上持つはずの電池が一日で無くなり、学は毎日AIC社からの帰宅前に燃料充填をしていた。 もっとも、その程度の水素消費を補って余りある成果もあった。成果を発見したのは医療チームの柳沢だった。

 柳沢は、週一回、ライムのAIが構築したニューラルネットワークをAIC社のメインコンピュータにストアし、その発達度や発達に至る要因を分析している。これはAIC社と学との契約当初からの作業だ。柳沢はこの作業で気づいた。

 E2PのAIに接続されるメモリーは、大脳新皮質を構成する量子メモリーだけでも16TBテラバイトあり、間脳から脳幹のワーク用の揮発メモリー、CPUのレジスターをすべて合わせると20TB程度になる。

 毎回すべてをストアすることは不経済だったので、前回との差分のみをストアしていたのだが、ある時、そのストア量が異常に増加した。その翌週も差分量は減少しなかった。


「山伏さん、和田君になんか実験させてます?」


 山伏に指示されて、学が新規実験をしているのかもしれない。柳沢は一応山伏を10階の医療チーム部屋に呼んで聞いてみた。


「いや、何も指示してないよ。どうした?」

「ライムAIのニューラルネットワークの差分量が、最近急に増えたんですよ。何かしてるのかと思って」

「してるとしたら、和田君だよ。どれ、どんなふうにAIが育ってるか見せてくれない?」

「どうせだからAIC社ご自慢のスパコンで、カラー3D映像を作成してみましょうか」

「柳沢君も金掛けるね~」

「マシンタイムは有効活用しなきゃ。使わない方が金の無駄遣いでしょ」


 柳沢がコマンド入力し暫く待っていると、医療チーム部屋の大型ディスプレイに半球形の模式図が表示された。良く見ると半球は細かな網で構成されている。また、外側だけでなく、内側にも複雑な模様が線で描かれていた。模式図を拡大すると、縮小時には見えなかった細かい網の目が次々と現れた。網を構成する線は一見すると様々な色でランダムに引かれているように見えたが、半球を俯瞰するとそれは一定のカラーバランスを持っていて虹色に輝いていた。


「これ、他のフェアロイドと比較できる?」

「セピアのデータをこの前採りましたよ。並べて見ましょう」


 左右に、ライムとセピアの映像が並べられた。違いは明らかだった。ライムに比べ、セピアの網は明らかに目が粗く、それに、幾何学模様のように正確だった。半球の内側に向かう線も一定のパターンを持っており、網構造も少なかった。俯瞰すると虹色に輝くというより一定色で塗り分けられているような人工的な色合いだった。


「面白いねぇ」


 山伏は、表示される3D映像をくるくると回しながらそう言い、すぐさま構内回線で学を呼んだ。


「で、和田君、君はライム君をエンハンスモードにして何してるのかな?」


 学は、太田に次いで山伏や柳沢にも白状せざるを得なかった。


「なるほど。君は面白いことをするなぁ」

「我々の場合、フェアロイドが持っていない知覚デバイスに関する領域は、サンプルの標準値をざっくり食わせておしまいにするところなんだけど、学君は時間をかけて様々な体験をさせているわけだ」


 山伏も柳沢も、自分の鼻や舌をフェアロイドの知覚デバイスとして使用するアイデアに感心した。


「嗅覚と味覚だけで、これだけニューラルネットワークが複雑になるんですね」

「知覚は、足し算ではなく掛け算だからね」


 「それに、」と柳沢は付け加えて説明した。

 エンハンスドモードで学の知覚情報と同期しているということは、学の無意識化の信号もライムのAIコアが拾っていることになる。学もライムも意識していないところで、着実にAIは進化しているだろう。


「ただ、そのラジエターフィンはそんなに丈夫じゃないから、気を付けて扱ってくれよ」


 壊すと修理が面倒なので、山伏は一応釘を刺した。



 水曜日は履修の関係上、学の大学の授業は午前中で終る。夕方からはAIC社での仕事が待っていたが、まだそれには時間があったので、学はライムを連れて大学近くの公園に行った。乾いた空気が学には心地よかったが、梅雨直前の日差しは強かった。

 学は木陰のベンチを見つけ、ライムを肩に乗せたまま腰かけた。木漏れ日がまだらに学とライムを照らす。


「気持ちいいですねー」

「そうだね。俺はこの季節が一番好き」

「この服、ゴールデンウィーク頃だとちょっと寒そうに見えてましたけど、今はぴったりですよね」


 ライムは山伏がプレゼントしてくれたワンピースと学が買った麦わら帽子を被っている。今日はボレロを着ておらず、肩と背中が露わになっていた。そこから白銀のラジエターフィンが伸び、木漏れ日を浴びて時折キラキラと輝いた。

 学はベンチに、ライムは学の肩に腰かけて、二人とも新緑の美しい木々を気持ちよさそうに眺めていた。眺めながらライムは足をぶらぶらさせている。リズミカルな振動が学の肩に伝わっていく。その仕草を見た学がライムに問いかけた。


「そういえば、ライムは2型の派生機種だから人工筋肉で動かしてるんだよなぁ、その足」

「そうですよ?」

「前に山伏さんが言ってたんだけど、ライムの身体の制御って人間の神経系を参考に作られてるんだって」

「そうらしいですね」

「それだけ動かせると、もしかして歩けるんじゃない?」

「それは難しいですねー。私の筋肉は身体のバランスを取るのが精いっぱいで、この体重を支えるほどには付けられてないんですよ。ほら、細いでしょ?」


 ライムは自分の足を持ち上げて学に見せた。高々32cmの身体を、よくここまで精巧に作るものだと、学はいつも感心する。これが人間と同じように自然に動くだけでも神がかり的だ。脚部の細さは、確かに移動時の体重を支えるほどには頑丈に出来ていないのかもしれない。


「立ち続けたり、座り続けたりすることは出来ますけど、歩くとなると自信がないです。それに、高負荷をかけるとカルシウム沈着という現象が起こって、筋繊維の寿命が短くなっちゃいます」

「そうなのか。歩けたら、俺の机の上の掃除とか片付けとか頼めたんだけどな」

「それは、ご自分でお願いシマス」


 ライムは笑いながら言った。言ってから少し沈黙した後、言葉を続けた。


「学さん、私ね、夢を見ることがあるんです」


 夢? 学はびっくりした。


「身長160cmの私が、学さんと歩いてる夢。それは借り物の写真や仮想世界ではなくて、学さんが連れて行ってくれる、私の知らない現実の世界」


 ライムは急に学の方に顔を向けた。


「変ですよね。忘れてください」

「いや、覚えておく……いつか、いつになるか分からないけどね」


 学にも将来の夢が出来たような気がした。




「夢をみるって? ライム君が? そいつぁ興味深いね」


 その日の夜、AIC社10階の医療チーム部屋で、学は山伏と柳沢を前にしていた。


「電気羊どころか生身の人間の夢を見るのかぁ」


 山伏が腕組みをして斜め上を見ながら感想を語った。学は夢の中身より、ライムが夢を見ると言っているその現象が何故起きるのか知りたかった。その質問については柳沢が答えてくれた。


「それはね、ニューラルネットワークの複雑度が起こしているんだよ」

「バグですか?」

「いや、バグじゃない。E2Pは、ウェイクアップ中に膨大なEMRの情報を処理するだろ? その一部はすぐに新皮質に相当する量子メモリーに書きこまれるが、大部分はワークメモリーに滞留している」

「なるほど。人間で言えば短期記憶情報って訳ですね」

「そうそう。そう考えると分かりやすいよ。これは後からくる情報によって上書きされて無くなる物もあれば、より強化されて量子メモリーに書きこまれる物もある」


 柳沢は先日作成したライムのニューラルネットワークのカラー3D模式図をディスプレイに表示した。


「例えば、そうだなぁ、山伏さんが今飲んでいるコーヒーを例にとろうか」


 いきなり柳沢が名指しにしたので、山伏は飲んでいたコーヒーを噴きそうになった。


「コーヒーカップを手に持つ。紙製だ。慎重に持たなくては。カップは熱いぞ。黒い液体が入っている。香ばしい香りだ。口に少し入れる。コーヒーをすする音が聞こえる。熱い。苦い。酸っぱい。ほんの少し甘い。喉にコーヒーが通る。熱い。……etc.

 どうだい? 視覚、味覚、嗅覚、触覚、聴覚、総動員だろ。おまけに途中で運動制御のフィードバックも入っている。同じ知覚情報を複数の場所で知覚していたりする」


 そこまで話してから柳沢は、ディスプレイに表示した模式図を回転させて、中央を指示した。


「それらの情報はこの部分に集約される。ハードウェア的には、人間なら前梨状皮質ぜんりじょうひしつ外側膝状体がいそくしつじょうたいや脳幹、E2PならAIコアだ。ここのワークメモリーはFIFOファーストインファーストアウト構造になっていて、高々45秒程度で上書きされちまう」


 柳沢は次に中央から放射線状に出ている線を指示した。


「なので、AIコアはさっさとAIに情報を上げてしまう。この辺だ。ここにもワークメモリーがある。ハードウェア的には、人間なら視床下部・前頭基底核・間脳あたりだな。AIのこの部分では、受け取った情報を、このエリアにある過去情報と比較する。同じ類の情報はマージされて強化される。強化された情報や評点の高い情報は優先的に出先を決めて出されるし、適当な出先がなければ新たな出先を作って送る。ちなみに、新しい出先こそが新しいネットワークだ」


 次に柳沢はその放射線の外側を指示した。そこは細長い網目になっており、外側に行くほど細かい網目になって続いていた。


「ところが、自エリアの情報だけでは判断できない場合がある。そう言う時は自エリアにニューラルネットワークで繋がっている他エリアに情報を求めるんだ。その間、情報はワークメモリーに滞留している。」


 柳沢は網目をなぞって指を行ったり来たりさせた。


「さて、和田君に質問。フェアロイドがスリープモードになると、ワークメモリーはどうなるでしょう?」

「次にアクティブになるまで凍結される?」

「ブー。不正解。せっかくAIコアから情報が来なくなるんだぜ? ワークメモリーに滞留している情報を整理するチャンスじゃないか。スリープモード中のAIはワークメモリーを空にする作業をするんだよ」

「なるほどー」

「ライム君の場合はニューラルネットワークの複雑度が上がり過ぎていて、スリープモード遷移時にワークメモリーにストアされている情報が多かったり、そもそも扱う情報が複雑なループを構成しないと解決しないケースがあると思う。

 ウェイクアップシーケンスの比較的遅いタイミングまで、AIには断片的にスリープ時の処理が残っているんだよ。AIの他の部分がアイドリング状態になっているにも関わらずね。それをライム君は夢として認識しているんだろうな」


 柳沢の説明が終わると、山伏はぐっと残りのコーヒーを飲みほして言った。


「ワークメモリーの処理断片に、和田君がいつも残っているのか。ちょっと羨ましいね」


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