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◆魂の実装

 山伏は突然抽象的なことを言い出した。学にはどう答えてよいのか、返答に困った。


「魂は、肉体とは別の存在って言うよな。つまり心だよ。じゃぁ心ってなんだ?」

「心は……」

「他人を思いやる心、人を愛おしいと思う心、良心なんて言葉もあるな」

「意識を言い換えたものですかね? なんか哲学的になってきましたね」

「いや、十分科学的だよ。意識か。そうだね。『あの人は心無い人だ』などと言った場合、それは<あの人>の何が<心無い>んだろうね?」

「行いとか態度とか言葉とか」

「それは、内に秘めた<意識>が外に現れ出たものだね。じゃあ、内に秘めた<意識>ってなんだろう?」

「感情……ですか? 山伏さん、もう降参です」


 学は禅問答のようなやり取りにギブアップした。すると山伏はコーヒーを飲みながらホワイトボードに落書きをし始めた。

 横長のホワイトボードの中央に縦に線を引き、左側に矩形をいくつも書いている。そして、その矩形の下に横棒を引っ張って、「t」と記載した。


挿絵(By みてみん)


「ここに描いたのは、人間の意識の芽生えを説明するための絵だよ。tはその人の時間軸。過去と未来がある」


 山伏は絵を指差しながら説明し、さらに学に質問した。


「ところで<意識がある>状態ってどんな状態だい?」

「目が覚めている状態ですかね?」

「普通の人はそうだね。でも、目が覚めている事は、意識がある事を現していない。病気で覚醒していても意識がないという人も居るんだ。和田君は未成年だから、まだ酒で失敗してないよな」

「前後不覚になったことですか? 実は高校卒業時のコンパで1回」

「はははっ、和田君も人の子だねぇ。その時の事を思い出してよ。目が覚めた瞬間、どうだった?」

「最初は、自分がどこにいるのか分からず、周りをきょろきょろしましたね」

「それで?」

「ベッドに寝ていたんですが、何でベッドに寝ているのか理由を探りました」

「で、前の晩飲み過ぎたことを思い出したと」

「そんなところです。ていうか、急性アルコール中毒で死ななくてよかった」


 学は照れ笑いした。山伏は「今のを例にとってみると」と言って、ホワイトボードに追記し始めた。


挿絵(By みてみん)


「ま、こんなとこかな? 和田君が和田君足り得るのはどこかと言うと、飲み過ぎたと反省している良心の部分だよな」


 山伏は笑いながら説明を続けた。


「でも、その下には潜在的にこれだけの意識の段階があるんだよ」

「あぁ、なんかわかります。魂があるという事は、スナップショットの自分が連綿と続いていて、その自分を行き来出来るって事ですね」

「まぁ、そんな感じだ。このプロセス、つまり原自己から良心に行きつくまで脳が活動する仕組みが人間には静的に備わっている。DNAに刷りこまれていると言っても良いだろう。でもDNAの仕事はここまで」

「後は? 後天的な学習ということですか?」

「学習という言葉は誤解を招くな。自伝的記憶の時間軸上の積み重ねだよ。そして自伝的記憶とは自伝的な自己、つまり自分と自分以外の認識の積み重ね。その要素である中核自己はスナップショットでの自分と自分以外の認識。それは原自己から出来ている。つまり身体の様々な信号から出来ている」


「あー、また二人で小難しい話をしてるー」


 10階に荷物を返しに行っていた太田が、お盆にコーヒーとクッキーを乗せて入ってきた。


「おぅ、気が利くなぁ」

「何の話してるんですか?」


 山伏は「人間の魂についてだ」と言って、太田が手に持っているお盆から、コーヒーとクッキーを1枚手に取った。

 山伏がコーヒーを手に取ると急にお盆が軽くなったため、太田の手が持ち上がり自然に元の位置に戻った。


「ほら」

「え?」


二人は、山伏の「ほら」にきょとんとしている。


「今、私がコーヒーとクッキーを取った時、太田君の手が持ち上がったろう?」

「はい……?」

「だが、その手はコーヒーをこぼさないように自然に止まり、また元の位置に戻った。これは太田君の無意識または半意識的なふるまいだよ」

「自伝的自己……ですか?」

「<こぼしちゃいけない>という思いは、自伝的自己より上の領域かもしれないね。ただ意図的に手を上げ下げするという命令は太田君の<意識>はしなかったはずだ。そうしなくても、過去の<自分の行い>や<他人の行いを見た結果>などから積み上げた自伝的自己が、自動的に制御したって考えられるね」


 山伏はホワイトボードの前に立って、<自伝的自己>と記載されたあたりを指示した。


「和田君はホムンクルスって知ってるかい?」

「この話の流れからだと、錬金術師が作るアレじゃないですよね」

「うむ。脳の中のホムンクルスだ」

「絵を見た事ありますよ。手とか舌とかがでかくて猿みたいな顔の絵」

「なら話が早い。この話の冒頭で私は『魂は肉体とは別の存在』と言ったけど、リアルな身体とは別に脳の中にも身体があるんだよな。それがホムンクルスだ」


 太田はホムンクルスを知らなかったと見え、手持ちのノートパソコンで検索していた。


「うぇ。こんなのが私の脳の中にいるの?」

「ホムンクルスは一種の脳地図ですよ。パーツが大きいのは記憶量が多いってことなんでしょうね」


と、太田の表示した画像を覗き込みながら、学が言った。


「ホムンクルスは新皮質にあって、それぞれの守備範囲の過去からの記憶を蓄積し、蓄積された記憶に基づいて未来を予測できるし、予測に基づいて今の振る舞いを起こす事が出来る。つまり過去からの自伝的自己の集合体だ」


 一息ついてコーヒーを飲みほしてから山伏は話を続けた。


「一方、脳の中央部分は、実際の身体の様々な信号を受け取っている。神経の電気信号だけでなく血液を流れる化学的な信号もね。ここからホムンクルスに向かって信号を送ったり、ホムンクルスからの信号を身体に送ったりしてるわけだ。一種の変換機だな」


 ここまで話し終えると、山伏はホワイトボードの右側の何も書いていない部分に絵を描き始めた。


挿絵(By みてみん)


「ま、単純系としては、こんな感じのループを組むな。ところが、脳幹からの1つの信号は、さまざまな領域で利用され、結果、記憶として残るから……」


と言って絵を描き足した。


挿絵(By みてみん)


「さらにフィードバックされた信号は他の領域にも影響するから……」

「とまぁ、1つの元信号は脳の中央から新皮質に向かって樹状に広がるし、そのフィードバックによって網状になる。しかもそれはあらかじめ決められた形ではなく、過去の自伝的自己の積み重ねが樹状、網状の形を決めていく訳だ」

「この複雑な網の延長線上に、<良心>があると?」


挿絵(By みてみん)


 山伏はホワイトボードを離れ、椅子に腰かけた。ホワイトボードには網状の図が出来上がっている。


「生まれてから今に至るまで、<自分>と相対する<環境>とが作り上げた信号ネットワーク。これ自身が人の<良心>であり<魂>なんだと思う。だから、知識だけを詰め込んだAIに<魂>は宿らない」


 部屋に沈黙が流れた。思い出したように太田がクッキーを頬張る。学もお盆の上のクッキーを手に取って食べた。口の中に甘みとバターの香りが広がった。


「魂の実装」


 山伏がぼそりと呟いた。


「E2Pでは、それを実践したんだ。そして、その魂は人でありたいと願った」


 太田が下を向いている。願った結果を知っているようだった。


「私は限りなく人に近い信号が発せられる様フェアロイドを開発した。だが、足りないんだよ。嗅覚や味覚はもとより皮膚を含む人間の臓器から送られる信号まで、足りないものが多すぎた。それらは実際の人間からサンプルを取って擬似的にAIコアに入力したが……」


 山伏は机に肘を置き、手を組んで俯いた。


「そうやって育ったフェアロイドの魂は、人を拒絶した」


 5体製作されたE2PフェアロイドのAIは、AIコアに接続されるEMRから直接、元自己に係る情報を入力された。時間軸を1/200まで圧縮しての情報入力だった。EMRの先にはダミーヘッドがある。情報入力中のダミーヘッドはAI(ホムンクルス)に対応する、身体そのものとして機能した。

 17歳の年齢に達するまでの情報入力(起床、就寝、食事、運動、女性型の場合、月経時の元自己などに至るまで)を終了し、E2Pをノーマルモードで立ち上げると、ダミーヘッドでは順調な仕上がりを見せた。まさに人だった。

 ところが、すべてのダミーヘッド上の試験を終了し、いざEMRを生身の人間に装着すると、フェアロイドは接続を拒否してきたのだった。


「なんでですかね?」

「全然根拠はないんだが、私は人に<不気味の谷>があるように、フェアロイドの魂にもそれがあるんじゃないかと思っている。そうだとすれば、唯一その谷を越えられたのが君だよ、和田君」

「ロボットと人の双方が似てくると、ある領域を境に<お互い>が急激に嫌悪感を生じるって事ですか」

「以前は、『フェアロイドは不気味の谷を越えた』なんて言われたもんだが、全然そんなことはなかったってオチかも知れないんだよ」


 最後は少し笑みを含めながら語る山伏だった。


「EMRがAIコアに繋がっている理由は判りましたが、俺が利用しているときは関係ないですよね?」

「いや、通常利用中も和田君の体組織からの信号をAIコアに入れてるよ。理由はさっき和田君が回答した内容の他に、ライム君の自伝的自己の校正をするために使ってる。唯一の例外は性機能。これは和田君とライム君の性別が違うからな。入力すると性同一障害になっちまう」


 山伏は笑った。


「そっちの方はね、それほど回路規模が大きくないから、ライムちゃんの身体の中にエミュレータを内蔵してるの。ちなみに、ライムちゃんが居ないから言うけど、ライムちゃんは<経験してない>からねっ!」


 意味が分かって学は真っ赤になった。こういうところだけ、口を出す太田だった。

 山伏と太田が学をからかって遊んでいると、部屋に設置されている構内電話が鳴った。太田が電話に出る。


「はい。元対策室です。……あ、柳沢さん? 居ますよ。ちょっと待ってくださいね」


 太田が「柳沢さん」と言い受話器を山伏に渡した。


「替わりました。山伏です」

「あぁ、山伏さん、先ほどはどうも。あの後、10階に戻ってからライム君のデータを数値分析してみたんですが……」


 電話口の柳沢は口籠っていたが、やがて話を切り出した。


「犯人が打ちこんだプローブ、以外と奥まで伸びているかも知れないです。今、公安用レポートを作って送るんで、山伏さんも見てくださいね」


 山伏の額に、じわりと汗が滲んだ。


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