◆カナリア
「なるほど、興味深いですねぇ」
AIC社25階、元対策室の小部屋のホワイトボード前で、柳沢は太田が淹れたコーヒーを飲みながら短い感想を言った。
「太田君、10階に行って医療チームが使ってる臨床評価用のダミーヘッド持って来てよ。25階で柳沢が使うって言えば出してくれるから」
太田がお使いに出ると、柳沢はライムに向かって言った。
「広域スキャンした時のログは残ってるね?」
「はい。2回とも」
「太田君がダミーヘッドを持ってきたら、そのログをフィードバックして欲しいんだ」
太田が戻ってくるまでの間、柳沢は山伏に話しかけた。
「山伏さん、念のため、社内でVOPE体験した人間をリスティングしておいた方が良いと思いますよ。何か起きてからじゃ、対処が後手に回る可能性がある」
「ぶっちゃけ、何が起きると思う?」
「山伏さんの想像が正しいと思いますよ。潜在意識として何かを埋め込まれた。文字か絵か音か。それはライム君のログを見れば大体想像がつくな。問題は何をトリガーにして顕在化するかですよ」
「ずばり、柳沢さんの意見を聞かせてよ」
「それは難しいなぁ。VOPEの拡販なんてどうです? 単純すぎますか?」
「どうやるの?」
「そうですね、私が犯人なら、BV社への乗換割引キャンペーンのイメージを刷り込みますね。あと、<乗り換える>という文字列とか。そして、同時にAIC社のロゴマークやCM音楽を刷り込んで、ロゴマークを見たりCM音楽を聴くと乗換割引キャンペーンを思い出すような潜在意識を植え付けますね」
「できるの?」
「さぁ、それこそ山伏さんのお楽しみじゃないんですか? 今度は山伏さん自身が人体実験の被験者だ」
そんな話をしていると、太田がダミーヘッドを持って戻ってきた。柳沢は手早くダミーヘッドと手持ちのノートパソコンを接続すると、学とライムに話しかけた。
「さて、学君、ライム君をこちらに。EMRパッドはダミーヘッドについてるから、ケーブルは外しちゃって。あ、その前にスリープにしてね」
言われる通り、学はライムをスリープにして柳沢に手渡し、柳沢は手早くライムをダミーヘッドに接続した。
柳沢がパソコンからダミーヘッドにコマンドを送ると、研究開発本部にあるダミーヘッドと異なり、ダミーヘッド自体が光り始めた。学はダミーヘッド自体が動いている所を見るのは初めてだったので興味深かったのだが、山伏もこれを珍しがった。
「ほぅ。医療チームは面白いダミーヘッドを使ってるんですね」
「新型ですよ。今はダミーヘッドのセルフチェック中。面白いでしょ? シミュレーションしたりログ出力する脳の活動部位が、fMRIや光トポグラフィで見るよりずっと細かく、核レベルで光るように出来てるんですよ。透明だから内部の活動も見えるでしょ」
「これ、記憶のループ単位で活動が見えるんじゃないですか?」
「その通り!」
柳沢は少し自慢げに言った。
ダミーヘッドのセルフチェックが終了しアイドリング状態になったのを見計らって、柳沢はダミーヘッド経由でライムにコマンドを送った。
「ライム、コンタクト&メンテナンスモード」
ライムが目を開けた。同時にパソコンには、ライムがダミーヘッドの視神経に送っている映像が映し出された。何のことはない、ライムの目がパソコンのカメラがわりに風景を映し出している。
「わぁ、何か懐かしい感じがします。お母さんと一緒にいるみたいで安心する」
「そりゃ、そうだよ。君はここで育ったんだから」
学にとって柳沢とライムの言葉のやり取りは不思議なものに思えた。「お母さん」と言う単語をライムがこの場面で使ったからだ。
「さて、ライム君、EMRにログ出力してもらおうか」
「接続先がダミーヘッドである事を確認しました。出力します」
少し間があって、ダミーヘッドが光り出した。後頭部の表皮近くと左側の表皮近くが3箇所、脳の中心に向かって光を放っている。
「ビンゴだ。視覚野、聴覚野、言語野が連携して機能しているね。反応がくっきりと出ているから、これは人工的な刷り込みと見て良いんじゃないかな。何が書いてあるか見たいなぁ。広域スキャンのログなのが残念だ」
学は背筋が寒くなった。自分の脳に自分以外が人工的に書き込みを行うという恐怖を、今まさに味わっている。
顔色が白っぽくなっている学を見て、柳沢も山伏と同じようなことを言った。
「大丈夫、大丈夫! この事実を知らなければ、犯人の思惑に嵌ってしまう可能性はあるけど、もう我々はこの事実を知ってしまったじゃないか。自覚してれば全く問題ないよ」
「そうか。これは逆手に取れるかも知れないな」
「逆手?」
山伏の一言に柳沢と学は首をひねった。
「彼らはVOPE体験コーナーの皮を被って、多数の、おそらく3日間で10万人以上の参加者にプローブを埋め込んだ。何も問題が発生していないから、彼らは計画通りに事が運んだと踏んでいるはずだ」
「我々が察知したとも知らずに」
「そう。我々に仕掛けたことも知らないかもしれないし、仮に会場で我々が体験している事を察知したとしても、してやったりと思うはずだ。とにかく犯人は我々がプローブに気づいたことを知らない。何をするかわからないが、予定通り行動を起こすはずだ」
「ライムの手柄ですね。終わってすぐに俺の脳の広域スキャンをしなきゃわからなかった」
学がそう言うと、肩のライムが少し照れて俯いた。
「結論! 我々は、炭鉱のカナリアだ。」
「なんですか?それ」
「洞窟探検や石炭採掘場の工夫はカナリアをかごに入れて穴に入るんだよ。ガスが発生していると、人間が参るより先にカナリアが死ぬ」
「私達、死ぬの?!」
太田が目をまん丸くして山伏に問いかけた。話が違うという口ぶりだ。
「物の例えだよ。プローブが埋め込まれた事を知っている私たちは、自覚症状を察知できる。そうすれば犯人がやろうとしている事を事前に阻止出来るじゃないか」
カナリアの例えも知らないのかと、山伏は少々がっかりした口調で太田を安心させた。
「ともあれ公安に報告する。公安部と対策を練ることにしよう。そういえば全然現れないな、彼ら」
「じゃあ、ライム君が持ってるログデータをもう少し解析して、公安部への提出用資料にまとめておきますよ。和田君、ライム君借りるよ」
「すまないね、柳沢さん」
柳沢はダミーヘッドとパソコンを抱えてフロアを出て行った。ライムと持ちきれないケーブル類は太田が持ち、柳沢の後に続いた。山伏は柳沢達が出て行くのを目で追った後、学に向き直って言った。
「さてと、柳沢さんが報告資料を作ってくれるみたいだし、手が空いたな。そうだ、この前の話の続きをしようか。何か思いついたかい?」
「EMRがAIコアに接続されている理由って奴ですか?」
「そうそう」
十石との晩餐会の後、学は技術的な話を山伏から聞きたいと思っていたが、スケジュールが折り合わず今まで延び延びとなっていた。その間、学は学なりに考えはしたのだが、答えは出なかった。唯一この前の出来事が頭の中にあったので、それを答えてみた。
「エンハンスドモードと関係してますか?」
「お。続けて」
「EMRは俺の間脳部分をモニターしてますね? 多分間脳の活動量とその後活動する脳の領域がどこになるかをモニターして、ライムのAIコアの活動量とAI内の機能ループの部位とを比較してるんじゃないですか?」
「で?」
最初、興味を持って相槌を打っていた山伏が、今はトーンダウンした受け答えをしている。学は、違うのかなと思いながらも答え続けた。
「比較結果、同期がとれていればエンハンスドモードに遷移。同期がとれてなければノーマルモードのまま、あるいはリストリクションモードにしてしまうとか」
「それは、何で?」
「フェアロイド依存症に対するフェールセーフ機構なのではないかと」
「半分、いや、3割正解って感じかな」
「えー、まだ7割も残ってるんですか」
この前の工事現場でのライムの言葉がヒントになっていたのだが、3割と聞いて学はがっかりした。
「そもそも、E2Pとは何なのか? 足りないのは何か? 芯のところが判らなければ、残りの答えは出ないよ」
「なんか、いじめられているみたいですね。実は自分なりに調べようとはしてるんですよ」
学はこの前ライムが借りてくれた本の名前を口にした。
「難しい本を読んでるなぁ」
「本はライムの中にあるので、寝る前にライムと一緒に読んでるんですけど、知らない単語が多いし難しくてすぐ寝ちゃう。朝起きると内容を覚えてなくて、何遍も同じところを読み直してます」
「でも、この前は私の説明に対して『間がすっぽり抜けてる』って指摘したじゃないか」
「あれは、ネットの受け売りですよ。芯の所は全然判っちゃいないです」
自嘲気味に学は語った。
「その本は一応私も読んだよ。読み進めると、私がE2Pでテーマにしている話が詳しく書いてある。どちらかと言うと医療チームの柳沢が専門的に扱う分野だけどね。それを、どうフェアロイドに実装するかが、私や学君の専門分野、かつ、生きがいに感じる部分だな」
頷く学に、山伏は別の質問をぶつけた。
「なぁ和田君、人間の魂とは何だろう?」




