◆工場出荷時設定に戻すということ
ライムに起こされた学が着替えをして階下のダイニングに行くと、父の一彦と姉の麻美が朝食を食べながら壁に掛かった大型モニターを見ていた。大型モニターは大きな産業展示会場を写し出している。右隅に女子アナがマイクを持って立っていた。
「私は今、東京ビッグサイトのコミュニケーションワールドトーキョー会場に来ています。見てください、この規模。大企業、中小企業が約1万5千社集まっての、一大イベントとなっています」
いわゆる通信・情報処理系の産業見本市イベントだ。AIC社も当然参加している。カメラが女子アナに寄り、女子アナが展示場内を歩き始めた。リアルタイムの映像と見え、この時間は出展している企業の担当者が、準備に大童という状態だった。
「さて、今回のコミュニケーションワールドトーキョーの目玉と言えば、先日発表があったばかりのBV社のVOPEシステムですね。どういったものなのでしょうか? 準備でお忙しいとは思いますが、BV社の方にインタビューしてみたいと思います」
すでに段取りはできているのだろう、BV社のブースの前には担当者が立って待っていた。
「BV社の方ですね? すみません。お話を聞かせてください。今回のBV社の展示の目玉は、ずばりVOPEシステムだと思うのですが、これはどういったシステムなのでしょう?」
「そうですね、VOPEシステムは、移動体通信システムを用いたエンドユーザーに向けてのサービスの為のシステムなのですが、一言で言うとコンシェルジュ機能の集大成という感じです」
「コンシェルジュ機能といえば、AIC社のフェアロイドが有名ですが、こちらとはどのように違うのでしょうか?」
「まず、外見的に大きく違います。VOPEシステムの端末ハードウェアは、これです」
担当者は後ろに隠し持っていた装置を女子アナの目の前に持ってきた。その装置はU字型で、Uの底の部分が前後に飛び出した形をしている。フェアロイドが愛らしい人形なのに対し、VOPE端末は無機質な機械だった。
「かなり形が違いますね。人形ではないのですね」
「AICさんのシステムとはコンセプトが違いますからね。ちょっと試してみてください」
担当者はそういうと、U字型の装置を逆さまにして女子アナの首からかけた。前後に飛び出した突起は、丁度女子アナの脛椎を覆う形になった。
担当者は次に乳白色のカチューシャを女子アナの頭に取り付けた。カチューシャから延びる配線をU字型の装置に接続すると準備は完了のようだった。
「視神経をスキャンしますので、そのまま動かないで待っていてください……はい、終わりました」
女子アナは何をされているのかわからない様子だった。
「では、VOPEにお会い頂きましょう」
「きゃ!」
女子アナが何もない方向を見て短く叫んだ。モニター上には、テロップで「VOPE体験中」の文字が流れている。
「今あなたが見ているのがVOPEです。今日はうちのブースのコンパニオンをしてもらうので制服を着てきてもらいました」
担当者がそうは言うものの、学たちが見ているモニターには何も映っていない。
「なんだこりゃ? なにやってんだ? 全然わからないじゃないか」
モニターを眺めていた一彦は、吐き捨てるように言うと、コーヒーをのみながら手元にあるタブレットを引き寄せて新聞記事を読み始めた。
「これね、女子アナが見ている映像を補助映像として出さないと、視聴者には何が起きてるかわからないよ」
「学、あんたは何が起きてるかわかるの?」
麻美はトーストをかじりながら学に問いかけた。
「うん。たぶん。あのU字型の装置とカチューシャにはEMRという装置がついていてね、視神経に直接映像を送れる仕組みになっているんだと思う。女子アナの目がとらえた映像に、あのシステムが上書きで何か書いてるんだよ」
「うぁ、そんなこと出来るんだ?!」
「その技術自体は2、3年前からあるよ。ほら、フェアロイド2型で採用されたじゃない」
言ってから、学は(しまった)と思った。商用化された2型は、モニターはするが書き込みはしない。あれは事件の犯人が意図的に行ったものだ。麻美の顔を覗き込んだが、麻美は学のいったことを正しくは理解していないようで、学は胸をなでおろした。
大型モニターの映像が変化した。画面が左右に分割され、同じ映像が写されたが、片方には制服を着た女性が映っている。
「今、私が見ている景色が画面に出せるというので、出していただきました。これはどういう仕組みですか?」
「はい。あなたが見ている景色というのは、あなたの網膜がとらえた光を、視神経を経由してあなたの頭脳で画像処理した結果です。VOPEは網膜と脳の間の視神経をモニターした上で画像処理しています。その画像をこちらに映し出しているという具合です」
女子アナの見たものが、そのまま映像としてお茶の間に流れていることを、この女子アナは理解しているのだろうか? キョロキョロと視点を移すため画像が乱れた。その視点があるポイントに行くと必ず先程の制服を着た女性が映った。
「この女性がVOPEシステムの顔なのですね?」
「そうです。AICさんのフェアロイドと異なり、VOPEは仮想的にしか存在しません。機械的な稼働部分が端末にないので、非常にコンパクトにまとめられています」
「なにか話しかけてもよいですか?」
「どうぞ」
担当者に許可を得て、女子アナはVOPEにインタビューした。
「あなたは誰ですか?」
「それは、難しい質問ですね。私にはまだ名前がありません。ID0601994です。購入されたお客様に名前を着けていただくのが、今の私の希望です」
「それは……ごめんなさい。では、あなたはここで何をしているのですか?」
「この女子アナは、脳みそついてんのか?」
新聞を読んでいたはずの一彦が、またしても吐き捨てるように言った。質問の内容が記憶喪失の患者に聞くようなものだったからだ。だが、学はまんざら悪い質問でもないと思っていた。VOPEシステムの本質をつくような質問に思えた。
「今日の私はコンパニオンです。今日は、ひとりでも多くのお客様に私を見ていただこうと思っています」
あまり感情を感じさせない抑揚でVOPEは語った。
「AICさんのフェアロイドが、人間の感情をシミュレートして、それを前面に出してくるのに対して、VOPEは、ともすれば他人行儀な感じでしょう?」
「そうですね」
「プロのコンシェルジュを想像してください。コンシェルジュはいつも冷静にお客様に応対しますよね。つまり、お客様の困っていることや成し遂げたいことをコンシェルジュするのに、コンシェルジュ自体の感情は必要ないんです。だから、VOPEには感情を組み込みません」
「なるほど。でも、それだとユーザーは面白くないんじゃないですか? フェアロイドは、まるで心があるかのように振る舞う、あの可愛らしさで日本を席巻しましたよね」
「でも、ビジネスの場ではどうでしょう? 公式の場や重要な会議にフェアロイドを持ち込めますか?」
「あ、なるほど。確かに、私もフェアロイドを常日頃持っていますが、そういった場所では置いて行きますね」
「それに、もう一つ利点があります」
「なんですか?」
「フェアロイド依存症。あれはフェアロイドがシミュレートする感情に依存してしまうものだと聞いています。感情を組み込まないVOPEでは、その恐れがありません」
BV社はAIC社にとって痛いところを突いてきた。フェアロイド依存症の本質は別のところにあるが、新聞発表では確かにそうなっている。
「BV社は、ビジネスを主体に考えています。どのような場でも、プロとしてユーザーをコンシェルジュすることを目指しています」
インタビューの最後はBV社のCMの様になっていた。
学は、朝食を終えると、顔を洗い手早く持ち物をまとめ、ライムを置いて家を出た。これから向かう先では、ライムには聞かせたくない話が出ると思ったからだ。
「あら、学くん、久しぶり」
「おばさん、ご無沙汰してます。晃はいますか?」
学が訪ねると、母親の顔が曇った。
「居るには居るんだけど、最近なんか塞ぎ込んでるのよ。会ってくれる?」
学は晃の部屋に通された。晃はまだ寝ている。
「晃、晃! 学くんが来てくれたわよ」
「ん? あ? 学?」
「おはよう。いつまで寝てるんだよ。学校行こうぜ」
晃は虚ろな目付きで、それでも上半身だけ身体を起こした。やはり、晃が可愛がっていた愛梨は見当たらない。
「晃、愛梨ちゃん、どこにやったの?」
「愛梨? ……もう、以前の愛梨はいないよ。俺が悪いんだけどさ」
晃は肩を落として言った。晃が部屋を見回すと、本棚の上にフェアロイドの段ボール箱がおいてある。学は手を伸ばして箱をとり、ふたを開けてみた。中では愛梨が手を組んで眠っていた。学に自慢した愛梨の服の飾り翅は、この前の事件の際に取れてしまい、愛梨と一緒に、とれた状態で箱にしまわれてあった。
「愛梨ちゃん、いるじゃないか。なんで起こしてあげないんだよ?」
「それは、愛梨じゃねーよ。愛梨の形をした別物だよ」
晃はベッドで上半身を起こしたまま、下を向いてポツポツと喋り始めた。
事件後病院に担ぎ込まれた晃は、そこで目を覚ました。目を覚ました時には、何故自分が病院のベッドに寝ているのか、さっぱりわからなかった。
晃は思い出せるところから思い出してみた。先輩と一緒にオフ会に出向いた。オフ会にはいろんな奴が居たが、色っぽい女が話しかけてきたことを覚えている。なんと言ったか、たしか、愛梨ともっと親密になれるとかなんとか。
興味をもって、オフ会後も女についていった。それも覚えている。住宅街の一角で、展示住宅のような所に入っていったのも覚えている。そこで見た映像に興奮したことも覚えている。それに、女が用意したフェアロイド、そう、映像に出てきたフェアロイドの実体を見た。女が用意したフェアロイドを試したことも覚えている。
そこで思いっきり頭を殴られた。そこからの記憶が曖昧だ。なにか乗り物に揺られて移動した気もするし、暗い部屋で愛梨と語り合った気もする。愛梨とは、もっと違う事もした気がする。だが、それは夢と現実が入り交じったようなおかしな記憶だった。
「で、病院だ。お前が俺を見つけてくれたんだって? 警察の人がいってたよ。ありがとうな。でも、警察の人は、俺が監禁されてたとしか教えてくれねーんだよ。俺は殴られて監禁されたのか?」
「まぁ、そんなところだよ。ヘルメットを被ろうと隙が出来たお前を後ろからガーンと殴ったんだろう? 俺もその時その現場にいたわけじゃないから知らないよ」
晃が愛梨経由で犯人に操られていた話はしなかった。
「でも、愛梨のことが解せないんだよなぁ。病院で愛梨を受け取ったんだが、立ち上げると初期エラーが発生しちまって、工場出荷時に戻さないとダメだった」
その理由を学は知っていた。証拠として扱われた愛梨だが、解析中にフェアロイドのコアプログラムが書き換えられている事がわかった。悪いことに、そのコアプログラムベースでニューラルネットワークが張り巡らされ、そのまま無視して使うとサーバー側データに悪影響を与えることがわかった。ニューラルネットワークは既存の愛梨の端末側データに複雑に絡んでいて、選択的に消去することが出来なかった。
晃には申し訳ないが、ブートプログラム(端末の起動プログラム)を残して、データもろとも全て削除せざるを得なかった。これは被害者のすべてのフェアロイドで行われた。
「お前が監禁されていたのが通信システムの研究所で、恐らくそこの強い電磁波が愛梨を壊してしまったんだろう」
「そうらしいな。俺が興味本意で行ったばっかりに、愛梨を壊しちまった」
「また育ててあげれば良いじゃないか」
「それがさぁ、そういう気持ちになれないのよ。やっぱ、フェアロイドって作り物だな」
晃はそれでも、工場出荷時に戻して愛梨を立ち上げ直した。その時の愛梨は、購入時のそれと変わらなかったと言う。厳密には1/f揺らぎAIシステムによって異なる反応も見せただろう、だが育成段階の基本プロセスは変わらない。RPGゲームのイベントを見せられているような気がしたと、晃は語った。
「なんか、興醒めしちゃってさぁ、愛梨におやすみを言って、そのまま立ち上げなくなっちまった。それ以来、気分が乗らないんよ」
学が考えているより晃の状態は深刻だった。とぼけて晃を元気づけ、また愛梨を育てる気にさせようと思っていた学の考えは甘かった。学は晃を元気づけるための言葉を失ってしまった。
「……で、部屋のなかでグダグダしてんのか。外に出ろよ。学校に行こうぜ」
学は、半ば強制的に晃を連れ出した。学校に向かう途中、電車の中でもあれほどおしゃべりだった晃が、無口でぼぅっと窓の外を見ている。その姿を見て学は悲しくなった。




