◆工事現場
AIC社25階、保守運用サービス部門の端に学の席はあった。凹字型の机の上にはE2Pフェアロイド端末専用の水素充填システムと、それを接続してフェアロイドを座らせる為の小さな椅子と、開発用のA4ノートパソコンがおかれている。全て学用に用意してくれた会社の備品だ。
その他、学が家から持ち込んだ学習参考書、物理やプログラミング技術の専門書が並べられ、席の両脇にはプリントアウトされたフェアロイドシステムの仕様書が積み上げられ、要塞の様になっていた。
当の学はと言えば、先程からゴーグルをかけたまま腕を組んで瞑想しているように見える。ゴーグルの先から机上の小さな椅子に腰かけたライムにケーブルが延びていた。
「いいんですか? 仕事時間中ですよ?」
「うん。今日頼まれた仕事は終わっちゃったしね。空き時間は仮想世界を回って、問題点やこの前の事件の時みたいに、おかしな動きがないか確認するように山伏さんに言われてる。これも仕事だよ」
学とライムはAIC社の仮想商店街を歩いていた。夕焼け空が街を徐々にオレンジ色に照らしはじめている。学の答えを聞いて安心したのか、ライムは学の腕をとって寄り添った。
「オペレーターの白石さんにメール出しちゃおうかな? 『私と和田さんはこんなに楽しんでます!』って、写真付きで」
「ライム、やめてくれよ。みんなから睨まれちゃうよ」
「冗談ですよ。でも、接続ログを見たら二人でどこに行っているのか分っちゃいますね。内緒の場所があれば良いのになぁ」
ライムは悪戯っぽく笑った。エンハンスドモードを経験後、学とライムの距離は確実に縮まったと学は感じている。ライムの表情や口調が、それを物語っていた。
街を目的もなく、ウィンドウショッピングをしながら歩いて行く間、学は山伏の言った話を思い出していた。「E2PのAIは愛で育つ」と「EMRはAIコアに繋がっている」という話だ。脳の様々な部位や、<情動><報酬予測>というキーワードなんかも出てきていた。
「ライム。この辺に本屋さんはある?」
「ありますよ。そこの角を曲がってすぐです」
AIを作ってみたいなぁと漠然と思っていながら、学は最近の脳科学について疎かったので、ライムの仕組みを謎解きするのに、わかりやすい本がないか、ちょっと立ち読みしてみようという魂胆だった。
仮想商店街は物理的な土地を必要としないため、本屋はただただ大きかった。書店員に脳科学分野の書籍の場所を訊くと、本としては売れない分野のせいか、書店の一番隅を示している。広大な店内を歩きながら、学は検索したら一発で出てくる一覧表形式の便利さを噛み締めていた。
書店員が示した場所には、<脳科学>というカテゴリーが表記され6メートル幅で8段ある書棚にびっしり単行本が差し込まれている。脳科学と言うだけで、全世界でこんなにも書籍が発行されているのかと、学は驚愕した。
「学さん、私の本来用途を忘れて頂いては困るんですけど……何かお探しですか?」
ライムに言われて、学は思わず噴き出した。ライムはオールラウンドのコンシェルジュだ。こう言う時こそライムの機能を発揮してもらうべきだった。
「そうだよな。まずライムに聞くべきだよな。」
学は笑いながら言った。
「そうだなぁ、人間の意識や感情について脳科学の観点から説明していて、門外漢の俺みたいな学生でもとっつきやすい本はどれかなぁ」
「いきなり、難しい注文ですね。感情や意識という話になると、情動の話が避けて通れないと思うのですが、情動は比較的新しい研究分野なんです。書籍数もそれほど多くなくて、学さんが興味をもって読めるかどうかは分かりませんけど……」
そう言って、ライムは書棚に向かうと、本を2冊抜き取った。
「こちらは、小説仕立てになっていて、読み進めると脳の仕組みがわかる物です。もう一冊のこちらは、かなり専門的で手ごわいですけど、意識や感情を層別して、脳のどの部位を中心にそれが生成されているかを、臨床例を挙げて説明している物です」
「小説仕立ての方が読みやすそうだけど、その本薄いなぁ」
「そうですね。こちらはどちらかと言うと読み物的な本で、専門書ではないですね」
ライムはそう言って、持っている2冊のうち後に紹介した本を学に渡した。
学が本を開くと、書籍の文字列の上に見開きで<サンプル>の文字が上書きされている。読みにくいなと思いながら数ページ先をめくると、完全な白紙が現れた。白紙は巻末まで続いていた。
「なにこれ?」
「学さん、これは売り物なので、全ては読めまセン。全て読まれてしまうと書店さんは上がったりデス」
ライムは冗談めかして言った後、言葉を続けた。
「この書籍なら、区立図書館に蔵書がありますよ。貸出期間2週間で、今調べましたけど誰も借りてないみたい。借りてしまいますか?」
「それを先に言えよー。借りる手続きして」
「では、本屋さんを出たらすぐに。所で借りた本はどこに置きますか?」
「え? 俺のパソコンじゃないの? 俺タブレット持ってないし。まさかリアルな書籍?」
「いえ、磁気データですが、学さんのパソコンに転送しますか? ここにも置いておけますけど」
「ライムの中に置いておけるという事? そう言うの、やったことないな。そうしよう」
ライムの仕事は早かった。書店を出ると、ライムは先程の書籍を持っていた。背表紙に図書館の記号が書かれているのは昔も今も変わらない。
「書店から出て裸の本を抱えてると、万引きしたみたいだな」
「人聞きの悪い事を言わないで下さい。この世界でそんなこと出来る訳ないじゃないですか」
二人で笑いながら歩いていると、街のはずれについてしまった。石畳の道はそこで終っている。通常はそこにゲートがあって、ゲートを越えるとライムが用意する任意の場所に出る事になる。
だが、今日は違っていた。ゲートは黄色く太いテープで遮断されている。テープには<立ち入り禁止/Keep Out><工事中/Under Construction>と交互に書かれている。テープを潜って出て行こうとしたが、テープの奥には見えない壁があって出られなかった。
「なんだろう? ライムは何か知っている?」
「おそらく、VOPEシステムとの相互接続の為の試験で使うゲートになるんだと思います」
「あれ? BV社との提携ってAIC社にとっては回線貸しなだけじゃないの?」
「ネット上の噂を拾って来たんですけど、どうやらこの仮想商店街サービスはBV社にも提供するようですよ。フェアロイドユーザーでこの仮想商店街の機能を100%使えるのは私たちだけですからね」
「そうか。開発費の元はとらないといけないもんなぁ」
学は、BV社のVOPEシステムとの相互接続と言う点が気に入らなかった。テープの奥の見えない壁のその先に、何かどす黒いもやもやしたモノが生息している様な気がしていた。
このテープの先を覗けないものかと思案していたが、ふと思いつく事があって学はライムに聞いてみた。
「ねえ、ライム。この前の事件の時、エンハンスドモードになったでしょう? あれって俺の方からどう指示したらモード遷移するの?」
それを聞いて、ライムはちょっと赤くなって下を向いた。
「えっとですね。エンハンスドモードは口頭指示ではないんです。双方がレベル2同期しないとモード遷移しないんです」
「レベル2同期って?」
そう言ってから、エンハンスドモードに遷移した時の事を思い出して、学も赤くなった。
「あ、あれか……」
「あの、ただ口づけを交わすだけでは駄目なんです。その時の二人の想いが同じレベルで同じベクトルでいないと、フェールセーフ機構が働いてモード遷移しません」
街外れの工事現場の前で、二人は向き合ったまま下を向いて赤くなっている。オレンジ色に街を染めていた太陽が今沈もうとしている。夕日が、ことさら二人の頬を赤く映えさせていた。やがて、その太陽が沈み、街灯がつく頃、学がぽつりと言った。
「試してみよっか」
「……はい」
二人はどちらからともなく近づき、お互いそっと腕を腰に回した。
白石との交代時間はまだだいぶ先であるにもかかわらず、25階の保守運用サービス部門に太田が出社してきた。
「白石さん、おっはよー」
「あら、太田さん早いじゃないですか」
「毎回思うけど、1週間交代の夜勤シフトは勘弁してほしいわ。昼間にそうそう寝られないわよ」
太田は、自席に荷物を置くと、少し離れた位置に座っている学を見て言った。
「で、和田君は気持ち良くお昼寝ですか?」
「いいえ、今デディケートモードで仮想世界を探索中ですよ」
「ライムちゃんとデート中ってことかー。良いわよねー、仕事時間中に堂々とデートが出来るんだから」
寝不足のせいか、少々言葉に棘がある。
「良いじゃないですか。研修員としての仕事はきちんと片づけてくれてるんだから」
「だって、彼にとっちゃ趣味の一環でしょ?」
そう言って太田が席に着こうとした時、視界の端で動くものがあった。何かと思って見ると、ライムの背中から翅が飛び出していた。
「白石さん、あれ、何?」
「エンハンスドモードに遷移したんでしょ」
「そうじゃなくって、何でエンハンスドモードに遷移してるの?」
「さぁ、特に和田さんからは連絡は入っていませんし、ライムちゃんが送ってくるデータにも異常はないですよ」
脳波データを見ると、ちょっと興奮気味ですけどね、とは太田には言わなかった。太田に言えば、絶対に興味本位で覗き見しようとするはずだ。
ところが、白石の配慮にもかかわらず、太田は食い下がった。
「何もないのにエンハンスドモードって変じゃない? ちょっとモニターしようよ」
「プライベートですよ」
「何言ってんのよ、彼も仕事で仮想世界探索してるんでしょ? だったらオペレーターもそのバックアップをすべきじゃない」
太田は無理やり理屈を通してきた。交代時間前なのでオペレーター業務には白石に責任がある。白石は拒否も出来るところだが、太田の意見を採用した。
白石はセキュリティ管理されている研究室に赴き、E2P開発用のダミーヘッドを用意し、残り4体あるE2Pフェアロイドから茶色い髪の1体をピックアップして席に戻り、それぞれの機器をフェアロイドに接続した。
「セピア、コンタクト」
白石は、セピアと名付けられたフェアロイドをノーマルモードで立ち上げる。学と違って、ダミーヘッドがないとコマンドを送れないのが厄介だった。
「セピア、カメラ映像をダミーヘッドの視神経に流して」
白石がセピアに指示すると、ダミーヘッドに接続されたディスプレイにセピアの目から見た映像が写し出された。
「おはよう、セピア。白石だよ」
「白石さん、おはようございます。私、ずっと眠りについていたんですね」
ディスプレイには、白石の顔とその後ろから覗き込むようにしている太田の顔が大写しになっていた。それを映しているセピアの表情は少し残念そうだった。
「何よ、またこいつらかって顔してるじゃないの」
「太田さん、そんなことないですよー。また会えて嬉しいです」
「取り繕いかたも上手になってきたよね、でも顔に出てるよ、セピア」
「え?!」
セピアはビックリしたように両手を頬に当てる。その可愛いしぐさに太田は満足した。
「早速だけど、デディケートモードに遷移してくれる?」
「はい」
「ここからの操作がちょっと面倒なのよね」
白石は、ダミーヘッドに接続されているジョイスティックを手前に引き寄せていった。デディケートモードでは、フェアロイド視点とユーザー視点の2つがある。ダミーヘッドを使ったユーザーの移動と視点の移動はジョイスティックでコントロールする必要があった。まるで3Dのロールプレイングゲームだ。
「太田さん、そっちのモニターで学くんが今どこにいるか見てくれる?」
「さっきっから変わってないよ。商店街の外れ」
「セピア、行こう」
白石とセピアがその場所についた。が、学もライムもその場所には居なかった。少なくともダミーヘッド経由で表示される風景に、学もライムも写し出されなかった。
「どういうこと?」
エンハンスドモードとデディケートモードを解除した形跡はない。学もライムもまだ仮想世界にいるはずだった。
「お二人とも、ここにいらっしゃいますよ」
ユーザー視点で写し出されたセピアが白石に語りかけた。ディスプレイの中のセピアは空間に手を押し付けるようなしぐさをしている。そこに透明人間がいるようなジェスチャーだ。
白石はジョイスティックを動かして、その場所に移動しようとした。が、何かに邪魔をされてそれ以上進むことが出来なかった。
「バグ?」
「かもね。学君が帰ってきたら聞いてみよう」
「セピアちゃんが来ましたね」
「隣にいるのは?」
「ダミーヘッドのアバターです。だから、その先にいるのは、おそらく白石さん」
「エンハンスドモードになったもんだから、慌てて見に来たのかな」
「あ、セピアちゃんが私たちに気づいた。私たちの戻り位置を手で指し示してますよ」
「後で問い詰められるな、こりゃ」
「もう、戻りましょうか」
「そうだね。工事現場もあまり面白くなかったし」
セピアと白石のアバターが戻ろうとしていると、透明人間だった学とライムが実体化した。
「セピアちゃん、お久しぶりです!」
「ライム、元気してた?」
フェアロイド同士が、抱き合って挨拶を交わしている。
「白石さんですか?」
学がアバターに向かって話しかけた。25階のフロアでは、ディスプレイに学が、正確には学を3Dスキャンした精巧なアバターが写し出されている。白石は立ち上がって学の席を見た。相変わらず学は瞑想しているように見える。不思議な光景だった。
「いやぁ、和田君とこうやって会話するのは初めてだよね。なんか不思議な感覚だね」
「どうしましたか?」
「いや、それはこっちの台詞。エンハンスドモードになってるけど、何かあったの?」
「あぁ、これが気になったんですよ」
学は先程の工事中のテープを指差した。
「それ? 社外秘だよ。BV社のVOPEシステムとの接続試験をするためにセキュリティゲートの工事をしてるの」
「で、何でエンハンスドモードになったのよ?」
白石の後ろからダミーヘッドに向かって太田がしゃべった。
「その声は、太田さん? もうそんな時間ですか?」
「交代時間はまだ先よ。寝付けなくて会社に出てきちゃった。やっぱり夜勤はきついわ。って、私の話はいいから、エンハンスドモード遷移の理由を述べよ」
遷移のプロセスを述べよ、と言われなかっただけましだと、学は思った。
「知ってるでしょ? 俺とライムは特別らしいですけど、エンハンスドモードに遷移すると管理者権限も取れるんですよ。一種のセキュリティホールですよ、これ」
「で?」
「管理者モードになって、街を俯瞰してました。工事現場がどうなってるかな? って」
「どうだったの?」
「いや、当たり前ですけど、何もなかったです。システムリンク前ですからね。インターフェース的にはダミーのオブジェクトに繋がっていて、1つ前の位置に強制的に戻されるだけでした。セキュリティゲートが出来上がると、きっとこのオブジェクトと差し替えられるんですね」
太田にとっては、あまり面白い回答ではなかった。
「そろそろ、あなたの退社時間になるわよ。戻ってらっしゃい」
興味を失った太田が自席に戻り、ひとりで引き継ぎ準備を始めたので、白石は後片付けをするためにセピアをノーマルモードに戻した。
「ねぇ、セピア、あなたも早く見つかると良いわね。こんなダミーヘッド経由じゃなく、直接お話しできる友達が」
白石がそういうと、セピアは少し悲しそうな表情で微笑んだ。




