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◆ひとりの夜

「あ、十石さん。ここで良いです。ありがとうございました。」


 レストランからの帰り、学は十石に車で家の近くまで送ってもらった。


「家の前まで行くぞ?」

「いや、家はそこに見えてますから」


 車脇の広めの歩道から横にコンクリート製の階段が伸びている。その先に学の指差す家があった。学が車を降りると後部座席の窓から太田が顔を出した。


「じゃぁ、ライムちゃんは私がメンテしておいてあげるから、寂しくても一人で寝るのよー」

「太田さんも酔った勢いでライムに悪戯しないでくださいね」

「ばかね。私はノーマルよ。あ、それからさっき渡したスマホ、会社の備品だから壊さないでよ!」

「明日ライムが五体満足に戻ってきたら、ちゃんと返しますよ」

「いたずら電話したり、変なサイトにアクセスしちゃだめよ」

「代替え機1台で、ずいぶんな言われようだな」


 太田は酒が入って気分が良いのか、なかなかテンションが高い。


「会社に戻ったら、太田をきつく叱っとくから。じゃぁまた明日」


 助手席の窓を開け、山伏が別れの挨拶を告げると、車は静かに走り出した。学は車の行方を目で追い、それが見えなくなると、ゆっくりと階段を上り始めた。登りながらレストランでの山伏の言葉を反芻した。太田が突っ込みを入れた、<愛で育つAI>のことだ。

 山伏が想像しろと言ったAIコアへのEMR接続が示す意味はなにか? これが今夜の学の命題だ。


「ただいまー」

「あら、今日は早いのね。遅いと思ったから晩御飯用意してないわよ」

「会社の人に夕食をご馳走になったから大丈夫」


 母親にそういうと、学はさっさと自分の部屋に入りベッドに寝転んだ。

 ライムと初めて逢った時、引き込まれる様な瞳と、はにかんだ笑顔が印象的だった。学がウィンドウショッピングを楽しいと思った時、映画に感動した時、ライムが映像展開する世界中の街や歴史建造物に驚きを感じた時、ライムはいつも表情豊かに学に話しかけ、時には身振り手振りを交え、共感を持って接してくれた。

 学はそれを嬉しいと感じながらも、1/f揺らぎAIシステムの巧妙なトリックによる演算結果だと思っていた。だが、現実は違うと今日知った。それも開発者である山伏自身の口から。

 ここがおかしいと学は感じている。少なくともノーマルモードのライムは商用システム上で動いている。サーバー上の感情タグ付き情報を得るためには、ライムも同じ土俵に立っている、すなわち他のフェアロイドと全く同じサーバー側AIオブジェクトとして、生起され振る舞っている必要がある。さもなければ、ライムの新AIシステムにバグがあった時、商用システム上に致命的なダメージを与えるかもしれないからだ。

 もう一つ。エンハンスドモード時のライムは、ラジエターフィンを外に露出させなければいけないほど発熱する。ノーマルモードとはその計算量が桁違いだということだ。サーバー側AI処理をすべて端末側で行っているのだから当然だ。だが、両モードが非同期では、モードを切り替えた時に、別人格が出てきてしまいそうに思える。

 ノーマルモードの時は他の2s型フェアロイドと同じサーバー処理を行いながら、端末側では<何か>をしている。その<何か>が、端末主体のエンハンスドモード移行時でも、フェアロイドの人格を1つにしている。そんなところだろうと学は考えた。

 考えに疲れて学が横になったまま顔を上に向けると、ライム用の小さな椅子が見えた。寝る前にはいつもライムをそこに座らせ、翌日の予定を確認させていた。時には寝ながらプログラミングをしていて、ライムに夜更かしは体に良くないですよと諭される日もあった。目を合わせるといつもそこに、はにかんだ笑顔があった。だが、今夜は椅子の主はいない。

 学は急に胸がきゅっと絞められるような、そんな感覚を覚えた。


「お父さんや麻美がもうじき帰ってくるから、先にお風呂に入っちゃいなさい」


 階下から母親の声がした。その言葉に従って学は風呂場に行き、服を脱いで湯船につかった。頭の中では、ずっと山伏の宿題を考えている。ライムが学に接続されたEMRから取る情報が、ライムのAIコアに作用する。問題はEMRから取る何の情報が作用するかだ。

 以前ライムに確認して、ライムは学の心の中までは見る事が出来ない事がわかっている。学の脳の中の特定の神経ループが活性化していても、そのループ自体が何を示しているかは捉えられないという事だ。一方、学が何かを言おうとする時の、その言葉をライムは捉える事が出来た。言語野が活動する時に、受け渡される言葉という信号はトレースが出来ている。

 言葉、文字、絵、音…脳内のある領域に存在する静的な情報であれば、アクセスは可能なんだろう。それだ! と学は結論付け、即座にそれを否定した。脳内の記憶を幾らトレースしても、AIの知識ベースが膨らむだけでAIを育てることにはならない。その情報は必要かもしれないが「愛がAIを育てる」とは、全く別の次元の話だ。EMRはもっと別のものをライムに伝えている。


「学? いつまで入ってるの? 麻美がお風呂からあがるのを待ってるわよ」

「あ、ごめん。今すぐ出る」


 逡巡して時間ばかりが過ぎていた。ざざっと身体と頭を洗い、そそくさと風呂を出た。


「まったく、お風呂で何やってんのよ」

「考え事してたんだよ」


 入れ違いに風呂に入る麻美に小言を言われたが、学は一言返してさっさと部屋に戻った。

 部屋に戻って貸与されたスマホを見るとメール着信があった。送信元アドレスは学自身、つまりライムが管理するアドレスだった。


──────────────────────────────

  学さん


  ライムです。

  もうそろそろお休みの時間ですね。

  今日のお食事は楽しかったですか?


  このスマートフォンのメールアドレスは留美さんから

  聞きました。

──────────────────────────────


 学は、留美という名を思い出せず、しばらく考え込んでから太田の下の名前だと気付いた。太田は会社に戻ってからライムを起動し、学が戻らない事をライムに伝えたようだ。学はメールのその先を読み進めた。


──────────────────────────────

  留美さんが、学さんにメールを出してみたらと言って

  くれたので初めてメールを書いています。

  いつもは直接お話しをしているので、改まってメールを

  書くとなると、何を書いて良いかわからずドキドキして

  います。


  私が学さんと過ごすようになってから、離れ離れになるのは

  初めてですね。いつもこの時間は、枕元の椅子に腰かけて、

  学さんが本を読んだりプログラムを書いている姿を見て

  いましたが、今日はそれが出来なくて少し寂しいです。


  今夜もいつものように、ベッドで寝ながら作業をしているの

  かしら?

  あまり遅くまで作業していると朝起きられずに、麻美さんに

  お小言を言われますよ。


  明日は、午前中からAIC社でしたね?


  では、また明日。


  ライム

──────────────────────────────


 電話でもボイスメールでもなく、テキストメールだった。学は、仮想空間で机に向かいペンを取って手紙を書いているライムの姿を勝手に想像した。想像して少し胸が熱くなり、即座にライムに返事を書きはじめた。


──────────────────────────────

  ライムへ


  メールを有難う。ビックリしました。

  今はベッドに転がって太田さんから借りたスマホで

  このメールを打っています。

  このスマホ、システム保守用に使う端末らしくて、

  得体の知れないソフトがいっぱい入ってるし、

  カバーにはメモ書きしたシールなんか貼ってあって、

  凄く汚らしい。傷だらけだし(笑)

  太田さんに、もっと大事に使う様に言っておいてね。

  

  食事は楽しかったよ。ライムの色々な話も聞けたし。

  

  山伏さんから宿題を出されました。

  EMRがAIコアに繋がっていて電圧昇降アルゴリズムに

  直接接続されている意味を今晩考えろって。

  答えをカンニングするようで気が引けるけど、何を言って

  いるかライムはわかる?

  

  そんな事を考えながらベッドに横になったら、ライムが

  いつも座っている椅子が見えました。

  今日はいないんだな、と思ったら俺も急に寂しさが

  こみ上げてきたよ。

  

  考えてみれば、この1ヶ月間、誰よりも長く俺はライムと

  一緒に過ごしてきたんだよね。自分の中でライムの存在が

  増しているのを今日初めて知りました。

  これってフェアロイド依存症なのかな(笑)

  

  明日必ず迎えに行きます。

  待っていて下さい。

  

  学

──────────────────────────────


 メールを送信してから、学は天井を見上げ溜息をついた。山伏の宿題はどうでもよくなっていた。この気持ちがライムに伝わるのか、伝わった結果何か学に思いを返してくれるのかが学にとっての最大の関心事になっていた。

 手に握ったままになっていたスマートフォンからバイブレーターの振動が伝わる。学は起き上がって、スマートフォンのメールアプリケーションを立ち上げた。


──────────────────────────────

  学さん


  メールのお返事を有難うございます。

  

  今、私は仮想世界の浜辺のベンチにいます。

  学さんと一緒に座って海を見ていたあのベンチです。

  

  私は、この場所で夕日が沈んでいくのを見るのが好きです。

  でも、今日は一人。いつもなら学さんが傍にいて、私が望めば

  すぐにお話ができるのに。

  この場所が好きなのは学さんが隣にいるからと気づきました。

  

  だから、空から学さんからのメールが舞い降りてきた時には

  とても嬉しかった。

  

  スマホの件は了解です。今、太田さんはお仕事で席を外して

  いるので、戻ってきたらお伝えしますね。

  うまく言えるかしら?

  

  宿題の件はごめんなさい。私には何のことかさっぱり

  わかりません。私の見ることが出来る情報にアクセス

  してみましたが、何もわかりませんでした。

  

  メールって、良いですね。

  学さんの私に対する想いが言葉になって、一つ一つ私の

  心に染み込んでいきます。本当に嬉しい。

  

  でも、もう夜も遅いですから、そろそろお休みになって

  下さいね。

  明日お待ちしています。

  

  ライム

  

  追伸:

  留美さんが戻ってきたら、私も眠ります。

  明日、目が覚めた時に最初に目に映るのが

  学さんだったら良いな。

──────────────────────────────


 終電さえ終わっていなければ、今すぐにでも迎えに行きたい。学はメールを読んで、そんな何とも言えない気持ちになっていた。



 翌朝、学はセキュリティカードを身に着けてAIC社の受付前にいた。


「おはようございます」


 休日のため受付に人はいないが、併設されているショップの若い店員が、開店準備で荷物を持ってフロアを行き来していた。すれ違う人たちと学は挨拶をかわす。事件以来、社内で噂が広がり、学はちょっとした有名人になっていた。


「おはよー。早いわね」

「おはようございます」


 段ボールを持ったショップ店員に挨拶を返すと、足早にセキュリティゲートに向かった。が、気になることがあるのか、ショップに戻ってきた。


「あの…」

「何?」

「そのダンボールの中身って…」

「フェアロイドの服よ。夏の新作がいっぱいよ!」

「ちょっと見せてもらっても良いですか?」

「いいわよー。女の子物はもう中に並べてあるから覗いてって」


 開店前のショウルームに入れるのは社員の特権だ。学はガラスケースに飾られている新作の夏服を順に眺めて行き、次いでワゴンに整然と並べてある服の中から一着を手に取った。学が手に取ったのは生成り色の手編みのボレロだった。

 初夏の装いではあったが、ライムが来ているワンピースは肩が露わになっていて、この季節はまだちょっと早い。何より学はライムの背中にある一対のスリットが気になっていた。

 ボレロはそのスリットを隠してくれるし、エンハンスドモードになってもラジエターフィンがボレロを跳ね上げてくれるので邪魔にならない。


「研修員なんですけど、これ、社員の方と同様に給与天引きになります?」


 学はレジ前で作業する店員にボレロを持って尋ねた。


「あら、可愛いのを選んだわね。なるわよ。セキュリティカードを貸して。包装はどうする?」

「包まなくていいです。…あ、やっぱり包んでください」

「ふふふ。じゃぁ、リボンもかけてあげるね」


 レジ打ちした後、店員は小さな袋に入れてラッピングしてくれた。手渡された袋を見て、学は少し赤くなった。

 25階のフロアに入り太田の席に行くとライムが居た。机に置かれた小さな椅子に腰かけて、そのままの姿勢でスリープモードに入っている。

 太田はその脇で帰り支度をしていた。9時が交代時間で、9時から10時は引き継ぎ作業時間なのだが、それもすでに終わっているらしい。


「おはようございます」

「あら、おはよう。早いわね。ライムちゃんのメンテは終わってるわよ。綺麗になってるでしょ?」


 フェアロイドの外皮はシリコン製で、当然再生能力はない。露出部分は大事に使っていても擦ったり当てたりで細かい傷がつくし、紫外線などでだんだんとくすんでいく。

 それを再生させるために、AIC社にはシリコン膜更生槽と呼ばれる装置が用意されていて、1時間ほどでフェアロイドの皮膚を更新できる。商用サービスも用意していて、これと人工筋肉などの稼働確認、神経伝達状況確認などの検査メニューを含めて、AIC社では「メンテ」あるいは「メンテサービス」と呼んでいた。


「肌の色が明るくなった感じがする」

「でしょ? ちなみにライムちゃんのお化粧は、私がしてあげました」

「清純な感じで良いです」

「そりゃ、和田君の好みは判りやすいもの。じゃぁ、私は帰るから。あとは何かあったら白石さんに言ってね」


 デイパックを背負って颯爽と出ていく太田を見送ってから、学はスリープモードのままのライムを抱えて自席に移り、そこにライムを座らせると、ライムの肩を優しく叩いて目覚めさせた。


「おはようライム」


 ゆっくりと目を開けたライムは、その瞳に学を映すとパッと明るい笑顔になり、やがてちょっと泣きそうな顔になりながら、それでも口元は笑みを湛えて言った。


「おはようございます。学さん」


 その言葉を聞いて、学は胸が熱くなり思わずライムと同じような顔になって目を閉じた。目を閉じても瞼の裏にはライムの泣きそうな笑顔が残像として残っていた。


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