◆晩餐
乾杯の後、ウェイターがパンやサラダを持ってくる度に会話は中断したが、十石は訥々とこの二週間の状況を話した。
曰く、十石が指揮する対策本部は特別捜査本部内に設置された下部組織の位置づけだったのだが、今回の研究所爆破事件を受けて本部機能が公安部に移転されることになった。警視庁としては一般的な刑事事件ではなく、組織テロと位置付けたことがわかる。
それが決定したのが丁度一週間前、爆破事件後一週間たってからだった。この二週間のうち後半の一週間、十石は約1年分の捜査データを公安部へ引き継ぐための作業で奔走させられれたとの事だった。
サラダを食べ終わると、間髪いれずにウェイターとウェイトレスが前菜のスパゲティを運ぶ。ボンゴレビアンコだが上に紫蘇のみじん切りがかかっていて和風の仕上がりになっていた。後にこってりした物が控えているらしい。
「山伏君には1年以上、この問題で世話になった。公安に引き継いだ後もこの事件にかかわらせてもらいたいと思っていたが、それは叶わなかった」
「私こそお世話になりっぱなしで…それで、今後十石さんはどうなるんですか?」
「本庁に戻って別の事件に当たる毎日に戻るだけだ。もっとも、警視庁としては、被害者の拉致と研究所の爆破に関して公安とは非同期に捜査を進めることになっている。ま、メンツもあるしな」
山伏の問いに、十石はさびしそうに答えた。
「担当は十石さんではないのですか?」
「亀石が所轄の警察署の刑事と一緒に、足で稼ぐ捜査をすることになると思う」
亀石刑事は現場で所長に扮した被害者の心臓マッサージを行った刑事だ。解散の一言に驚いて話を聞くだけだった学だが、それを思い出して恐る恐る尋ねた。
「そういえば、松姫刑事と所長はどうやって殺されたんでしょう? それ以前に犯人がどうやって被害者を操っていたかも疑問です」
「その辺は、山伏君が詳しいよ」
十石に振られた格好になった山伏は飲んでいたノンアルコールビールのグラスを置いて言った。
「デディケートモードの応用だよ」
件の研究所の爆発物はサーバーに入念に設置されていたと見え、ハードディスクや不揮発性メモリーは物理的に完全に破壊され再生は現段階でも出来ていない。それでも疑似AICサーバーに接続された被害者のフェアロイド端末に書き込まれた情報から、疑似サーバーの断片情報を収集できた。山伏が、その断片的な情報を解析した結果行き着いた結論だった。
ライムはデディケートモード遷移時、仮想世界での学の神経反応が学のリアルな肉体を動かしてしまわない様に、学の随意神経系の信号をターミネートしている。ところが被害者の場合は逆にEMRが随意神経系に信号を送り込み、手足を動かしていた。
もともとフェアロイドは人工筋肉と人間に非常に近い骨格を持っており、その制御は人間の随意神経系の信号を参考にしている。このフェアロイド動作制御用のシーケンスをそのままEMR信号に変換し、随意神経系に信号を送りこんで人体を動かしてい事がわかった。
同時に、警備員が建物の外でまで操られていた理由も判明した。犯人はフェアロイドのローカル接続用の無線LAN帯域をフルに使用して警備員を操っていた。この無線帯域はAIC網が使用する7G無線帯域より格段に狭いため、警備員1人を動かすのが帯域上の限界だったようだ。その為、所長は有線で操られていた。所長の場合はフェアロイド端末なしで直接サーバーからEMR経由で操作されていた事が、現場の痕跡で判明した。
「被害者が被っていたヘルメットも警察から資料提供を受けて我々が解析した。ヘルメットの中からは我々が使っているものとは異なるEMRパッドが出てきた。我々が実験したところE2Pのざっと十倍の電磁波が出力できた」
「松姫刑事と所長は、それで焼き殺された……ということですか」
「脳幹に狙いを絞れば容易く死に追いやれる出力だったよ」
山伏の脇で金属的な音がした。見ると太田がフォークを皿に放り出して膨れっ面をしている。
「…せっかくの美味しい食事なのに、食欲なくなっちゃうじゃないですかぁ」
「そうだな。太田君の言うとおりだ。食事の時にする話題じゃなかった」
楽しい話題で食事をしようと山伏が促した。ところが、4人はこれと言った共通の楽しい話題を思いつかず、4人は会話なく目の前のスパゲティを食べ始めた。そして結局、沈黙に耐えかねて十石が元の話題に戻ってしまった。
「まぁ、捜査上の機密なんで君らには話せないが、これだけ物証があるにもかかわらず、捜査を進めていくと、どういう訳か壁にぶち当たってその先が見えなくなったんだよな。この辺が対策本部組織の限界だったのかもしれん」
十石は下を向いてパンをむしりバターを塗りながら話を続ける。
「あの研究所だがね、いつから犯人が不法占拠していたか知らないが、横田コアは気づけたはずなんだ。水道光熱に関する請求はあの研究所を持つ横田コアに行っているからね」
「犯人とグルと言うことですか?」
「疑いだよ、疑い。警察じゃなくたって、そのぐらいは想像するだろう。ところが、そこを突いても横田コアの財務担当は、『縦割り組織なので、財務部は移転の話なんて聞いてないんです。だから気づきませんでした』 と言うんだよ。本当に知らされていなかったのか、知っていながらぼろを出さないのか。後者ならよく教育が出来ている」
十石はそこまで話してからパンを口の中に放り込んだ。
「彼らが使っていた無線通信用の機材ってどこから調達したモノだったんですか? 特殊な物だし、おいそれと買えるものじゃないですよね?」
学が質問すると、十石は口の中に残ったパンをアルコールフリーのビールで流し込み、答えた。
「あぁ。犯人が使っていたハードウェアは、BV社が研究開発終了に伴い廃棄した機材だというところまでは突き止めた。BV社は廃棄するに当たって業者に委託していたが、ここはBV社とは全く関係ない。業者は中古品として海外輸出して、その輸出証明書の類もある。なのに、どういう訳か国内にその機器がある」
BV社と聞いて、学は少し引っかかるものがあった。十石は話を続ける。
「犯人が密輸したのか、あるいは輸出自体が偽装だったのか…? 横浜港まで出向いて確認したが、書類上は全く問題なかった。いずれにしてもBV社の情報に犯人が繋がっていなければ実現は困難だ。そもそも研究開発機材としても最新機器が廃棄品として出てくるのが解せなかったんでBV社にもヒアリングしたんだが、例のあれだよ」
「MVNOですか」
学は今朝そのニュースを新聞で知ったばかりだ。
「そう、それ。既に半年前にBV社は独自技術を捨てて、AIC社に乗り入れする方針変更があったとかで、不要機材になったって言うんだよな。確かにBV社の内部資料を参考までに見せてもらったのだが、プロジェクト中止に関する資料があったよ。経理処理にも問題は無かった。ただ、ファームウェアを書き換えればAIC社のフェアロイドシステムが実現できる機材だからね。なんとなく解せないと思わないか? まぁ、これ以上は現状では突っ込めないがね」
そこまで聞いて、ボンゴレのアサリの殻をなんとなくつついていた山伏が口を開いた。
「確かに。ただ第7世代の無線通信網は既に仕様が標準化されているし、システムを構成する機器は寡占状態ですからね。BV社が研究開発で使ったハードウェアと我々が運用で使っているハードウェアがたまたま同じでも不思議じゃないですよ。それにセッション層より上は汎用機材ですし、ソフトとファームは明神が退職時に巧妙に隠して持ち出したと考えれば説明はつきます」
「同じことをうちの情報処理専門チームの若い奴にも言われたよ」
「BV社と横田コア技術研究所との繋がりは、なにかあったんですか?」
横から学が口をはさむ。十石はフォークで丸めたスパゲティを口に入れようとしていたがそれを皿に戻して言った。
「資本関係は特にない。ただ…」
「ただ?」
「BV社の社外取締役には、某野党政党の献金母体としても知られている、ある団体の幹部いてね、この団体は横田コア技術にも出資していて社外取締役を送り込んでいる。同一人物ではないがね。今見えている繋がりはそれくらいだ。ネットで誰でも調べられるくらいの情報だよ」
それを聞いて、山伏が更に口をはさんだ。
「でも公安が動くとなると、その繋がりを疑っている?」
「知らん」
十石はしゃべりすぎた事を反省したのか、一言言うと黙々とスパゲティを食べ始めた。十石がしゃべらなくなるとテーブルには少し気まずい沈黙が流れた。
「そう言えば、ライムちゃんの服、可愛かったわね。夏向きで」
この気まずい流れを変えようと、太田が何とか別の話題を絞り出して学に振った。
「あ、お礼するのが遅れました。山伏さん、有難うございました。丁度買おうと思ってた服と同じだったんでびっくりしました」
「和田君にはエンハンスドモードの事を言ってなくて、服をダメにさせちゃったからな。お詫びのしるしだ」
「そうそう。今度山伏さんに会ったらエンハンスドモードについて詳しく聞こうと思ってたんですよ。あのモードは一体何に使う事を想定していたんですか? 明らかにユーザー向けじゃないですよね?」
「いや、あれはユーザーの為に開発されたモードだよ。むしろフェアロイドの根幹となるべきモードだ」
「でも、ライムは 『root権限を奪取した』と言ってましたよ。システム管理者権限を取得したってことでしょ?」
「あの場面はかなり特殊で、我々もフェアロイド端末がそんな事をできるとは、実は想定していなかったんだよ。後でログ解析して本当にびっくりした。あれは和田君とコンビを組んでなければ絶対に起こらない事だったと思うよ」
「コンビ? ライムは『バックアップしてくれ』と言ってましたが、それと何か関係があるんですか?」
「それは…話が長くなるし、かなり掘り下げた技術の話になるから、十石さんや太田がつまらないだろう」
扉をノックする音がして、ウェイターとウェイトレスがメインディッシュを持って部屋に入ってきた。メインディッシュはカツ状の骨付き鶏腿肉に、チーズがふんだんに入ったトマトクリームソースがたっぷりと掛けられており、付け合わせにクレソンとブロッコリーと人参が添えられていた。
「これが美味いんだよ。ちょっとカロリーが高いがな」
十石のお薦め料理らしい。空いた前菜の皿と引き換えにメインディッシュが置かれて行く間、十石はグラスをウェイターに渡し飲み物のお代わりを頼み、頼み終わってから十石は山伏の方に向き直って言った。
「俺は良いぞ。技術的にわからなくても、何か捜査のヒントになるかも知れん」
「山伏さん、私も聞きたい」
ナイフとフォークを手に太田もその掘り下げた話に興味津々だった。どこから話始めようかと迷いながら、山伏はライム、つまりE2P型の目的から話始めた。
「E2P型研究開発の目的は大きく2つ。端末 - サーバー処理比率の変更と、実装範囲の拡大だ。2s型までのフェアロイドは、人間で言えば眼窩前頭皮質から大脳新皮質までの部分をサーバー側で受け持っている。眼窩前頭皮質は人間の意思決定に関わる部分で、1/f揺らぎAIシステムにより実現されているフェアロイドシステムでは一番評価されている部分だ。一方、端末側は人間で言えば間脳から脳幹よりの部分を受け持っている。こちらにもAIが実装されているが、サーバー側処理よりは単純な構造だ」
ここまで一気に話してから、山伏は3人が話についてきているか確認した。
「聞きたいと言った手前言いにくいんですが…いきなり難しい単語が出てきて、全然話が理解できないんですけど…」
口をはさんだのは太田だった。口をはさんだ癖に、骨付き肉の骨をナイフとフォークで懸命に外している。お前はこの部分は知ってなきゃダメだろうと山伏が太田をたしなめていると学が首をひねりながら聞いた。
「俺、AIが自分の手で作れたらなぁとか思って、良くネットで脳の構造とか調べてたんですけど、フェアロイドのAIが対応している脳の機能、なんか間がすっぽり抜けてる気がするのは気のせいですか?」
「おぅ!鋭い!」
山伏は理解者を得て嬉しそうに話を続けた。
「人間の脳で言えば大脳辺縁系あたりが抜けている。もっと言うと人間における情動を司る部分が抜けてるんだ。情動が抜けても意思決定し行動できる…それは、その部分をパラメーターとしてあらかじめ決め打ちしているからさ」
いくら市場が持て囃しても結局のところ従来のフェアロイドはあらかじめ決められた感情を表現する人形にすぎない。それを1/f揺らぎAIシステムで上手い事表現しているに過ぎないと、山伏は言う。だから、より自然な感情をフェアロイドに持たせるために<情動>部分もAIシステム内に組み込んだというのである。
「和田君がびっくりするような話をしてあげようか?」
「なんです?」
学が興味津々で聞くと、山伏はナイフフォークを皿に置いて真顔で言った。
「E2PのAIは愛で育つ」
澄ました顔でワイングラスを傾けていた太田が口から赤ワインを噴いた。
「や、山伏さん、何をトチ狂って歯の浮くようなセリフを…」
「お前こそ、ちょっと目を離したすきに何飲んでるんだよ!」
どうやら十石が飲み物のお替りを頼んだ際に、ちゃっかりグラスワインを注文していたらしい。
「いやドリンクメニューを見て欲しそうだったから注文してあげたんだよ」
十石がフォローに回った。
「私のことは良いので、話の続きを。ほら、和田さんがきょとんとしてますよ」
「そのワインの分は後でしっかり請求するからな」
ワインを噴出す寸前に顔を横に向けたので、前に座っている十石に被害はなかったが、テーブルクロスに赤いシミが出来てしまった。それを太田は懸命におしぼりで拭いている。山伏はその太田を無視して学に話しかけた。
「情動を組み込んだって話だったな。ところで、和田君は報酬系と言うのを知っているかい?」
「うーん、ネットで情報を集めた時に名前だけは見たことあります」
「私はあまり詳しくないんだが、医学や脳科学では情動は人間の三欲にかかわる本能的感情の動きと位置付けているね。ここに報酬系という神経部位が大きくかかわっているんだ」
人間が本能で行動するとき、その要因は快か不快かに大別できる。その感情の動きが情動だ。情動は、人間社会の中での承認欲求など人としての高次元の欲求でも機能するが、そのプリミティブな部分は食欲や性欲と言った生命としての本能だ。そして、情動にかかわる神経である報酬系は人や動物が生きていくうえでの根源的な機能だ。
報酬系には脳内物質であるドーパミンを用いたドーパミン回路が重要な要素となっている。ドーパミンは脳幹に近いA9やA10神経で生成され、大脳基底核という大脳の脳幹に近い部位に運ばれる。大脳内の脳神経は運動分野ごとに独立した神経経路ループ(大脳皮質-大脳基底核-視床-大脳皮質のループ)を組んで並列動作している。脳の活性・非活性は神経ループに投射されるドーパミンの流量によるといっても良いだろう。
「まぁ、前置きが長くなったけど、情動を組み込んだといったのは、この報酬系機能をE2Pに組み込んだということだ。最初に言った実装範囲の拡大とはそういう事だよ」
山伏はナイフで小分けにした肉片をフォークにさして目の前に持ってくると学に問いかけた。
「さて、和田君。我々はどうしてこれを食べようとするんだろう。腹が減ってる時に焼いた肉を見ると涎がでて腹が鳴ったりするよな」
「それは…」
「多分この肉を口に入れると、味覚をはじめとする五感が脳を刺激して、ドーパミン回路が活性化し、快いと感じる…そこまでは良い。どうして我々はこれを口に入れようとするのか? これには報酬予測という機能があるからだ。大脳皮質で考えてから神経ループを活性化させるんじゃなくて、これは肉という食べ物で、口に入れれば快い刺激が得られ身体の滋養になったという過去の経験をもとに、条件反射的に大脳の特定部位を活性化させる機能が備わってるんだよ」
そういうと、山伏は肉片を口に放り込んで暫く咀嚼した。咀嚼しながらこれから話す内容を整理している風だった。3人は山伏の口の中の肉がなくなるのを黙って見ていた。
「報酬系と報酬予測。私は非常にシンプルに考えて、それをE2Pに実装したんだよ。E2Pに実装したのは、電圧昇降アルゴリズムと定電圧化アルゴリズムの2つだ。電圧昇降回路はE2PのAIシステムとは非同期に用意されている。一方定電圧化アルゴリズムはE2PのAIシステムのコア部分にある。これがE2Pの深層心理のメカニズムだ」
「それだけ?」
「あぁ。細かく言うとクロックも弄ってるがね。これ以上の詳細なメカニズムの話になると一晩語り明かしてしまいそうなので、それは明日以降和田君がフロアに来ているときにでも、随時説明しよう」
「わかりました。なんか凄くワクワクします。やっぱり一緒に会社に戻ろうかな」
「まぁ、楽しみにして、今日は帰りなさい。一言だけ和田君を悩ますE2Pの仕様を教えといてやろう。今晩想像してみると良い」
「なんですか? 思わせぶりですね」
「和田君の脳内情報をモニターするEMRは、AIコアに繋がっていて電圧昇降アルゴリズムに直接接続されているんだよ。これはどういう意味か考えてみると良い」
「それが、愛で育つっていう話にどう繋がるんですかー?」
太田が突っ込みを入れた。見ると手にはなみなみと赤ワインを注がれたグラスがある。
「お前ぇ、また頼んだのか。今日これから夜勤だろ」
「大丈夫ですよぉ、このくらい。それに、私の今日のメインの仕事は和田さんの専属オペレーター。でもぉ、ライムちゃんは私の手元にあるー。それはどーいう事かなー? 山伏さんー」
グラスワイン2杯で幸せになれる安上がりな女だった。




