◆敗北
「おはよう、ライム」
学はライムに起こされる前に自分から起きた。夢見が悪かったのか学の顔色が悪い。
「おはようございます、学さん。顔色が優れないですね。大丈夫ですか?」
「うん。だけどあれからあまりちゃんと眠れなくてね。変な夢を見るんだ」
あの爆発事件の夜からすでに2週間が過ぎようとしていた。
松姫刑事と被害者で所長を演じていた者は心臓マッサージの甲斐もなく現場で死亡が確認された。警備員を演じていた者の他、奥の部屋で発見された6人は症状が重く、病院で治療を受けている。
オフ会を途中で抜けた2名もひどいことになっていた。1名は自殺。行方不明だった1名は身柄を確保できたが症状が重く集中治療を受けている。また、現場検証をしていた警察のスタッフも5名が爆発に巻き込まれ重軽傷を負った。一方、現場で発見された松姫以外のオフ会のメンバーは比較的影響が少なく、すでに病院を退院している。
退院した被害者は警察の質問攻めにあった。警察は被害者から、それぞれオフ会の情報の取得経緯、オフ会でのやりとりや住宅展示場での体験などの情報を得たが、被害者の誰からも横田コア技術研究所での情報を得る事が出来なかった。被害者の記憶はそこだけすっぽりと抜けていた。
エンハンスドモードを体験した学自身も事件後1週間はAIC社内の医療部門で脳波測定を中心とした受診を強いられた。医療スタッフは出来れば24時間手元に置いておきたいと考えていたようだが学の生活サイクルはそれを許さず、言わば通院の様な形になっていた。
学は医療チームから、エンハンスドモードの人体への副作用がない事の確認と聞かされていたが、その内容は聞いてもよく理解できなかった。ともあれ検査結果は数日前にデータ付きで手渡され、問題ないと太鼓判を押された。
「なんだかぼーっとしてるわね。5月病? まだ早いわよ」
学を起こしに来た姉の麻美が言った。今日はどんな起こし方をしてやろうかと手薬煉を引いて階段を上ってきたのだが、学がすでに起きていたので残念そうだった。
姉の後を追うように階段を下り、学は朝食のテーブルにつく。父の和彦はコーヒーを飲みながらタブレットの新聞記事を読んでいたが、学が席につくとタブレットを置いて尋ねた。
「学、ゴールデンウィークは大学の講義あるのか?」
「カレンダー通りだよ。あ、休みの日はAIC社の研究開発部門でバイトするから」
「あんた、平日も夜遅くまでやってるじゃないの。学校の勉強は大丈夫なの?」
「うん。保守サービスの手伝いのバイトだから、空き時間で学校の勉強も出来るんだよ」
連日夜遅くまで外出して何をしているかという両親の質問に対してはバイトと言うことにしておいた。事実、学は先週からAIC社で研修生の名目で座席を用意してもらい、微々たるものだが給料が出ることになった。だが目的はお金ではなくフェアロイドシステム技術を目の当たりにすることと事件解決のための協力だ。
「あんた、よくAIC社なんかのバイト見つけたよね。バイトだって狭き門だって言うよ。あたしが学生の頃は憧れの会社だったもんね」
「たまたま知り合いが誘ってくれたんだ。たまたまさ」
姉弟の会話にキッチンから出てきた母の咲江が口をはさむ。
「そのまま4年間バイトして、就職もAIC社だったら安泰なんだけどね」
「いやいや、AIC社だっていつまでも安定企業じゃないかもしれないぞ?」
和彦が会話に割り込んだ。
「この記事を見て見ろよ。ほら。ライバル企業の株式会社BV(Business Virtual)が新システム発表だってさ。フェアロイド依存症を排除したAIと安全性に配慮したセンサーが売りらしいぞ?」
「あぁ、これ、AICとBVが争ってた奴でしょ、なんだっけ?」
タブレットを覗き見た麻美が聞きかじった情報を披露するが、十分には理解していなかったようで父親への質問になってしまった。
「MVNO(仮想移動体通信事業者)だな。AICから7G無線網を借りて、自社サーバーを網内に置くって訳だ。AICはセキュリティ面から強く反対したが、独占禁止法を盾にとって強引に押し切られた感じだったな」
「そうそう。学、新聞位読んでおきなさいよ」
麻美は学に八つ当たりした。学は無視して父親に聞く。
「いつサービスインって書いてある?」
「8月らしいぞ。ボーナス商戦に間に合わせりゃいいのにな」
のんびりと新聞記事をネタに花を咲かせている3人に咲江が吼えた。
「あなた! 麻美! 時間!!」
「うぉ! いかん、遅れる!」
「あぁ、あたし化粧まだだったんだ!」
二人はバタバタと支度を済ませると、逃げる様に玄関を出て行った。残った学はタブレットを取り上げ、その新聞記事を子細に眺めた。
「BVのVOPEシステム…か。どんなシステムなんだろう?」
「学!あんたものんびりしてると遅刻するわよ!まったくうちの家族はなんでこうマイペースなのかしら」
咲江は呆れ顔で学に言った。
大学の講義が終了後、いつものように学はAIC社に赴いた。
「あら。久しぶり」
学が25階のエレベーターホールに出ると、丁度下りエレベーターで25階に下りてきた太田と鉢合わせした。
事件後、学はほぼ毎日AIC社に赴いているが、医療部門のある10階で検査の為に長時間過ごすことが多く、対策室のある25階にはなかなか行かせてもらえなかった。また、山伏や十石をはじめとする対策室の面々も事件の後処理や得られたデータの解析で奔走されていたこともあって、学が時々25階を訪れても関係者の誰とも逢う事がなかった。
「ライムちゃんも久しぶり。あら、新しい洋服を買ってもらったのね?」
「はい。色と形が可愛くて、とても気に入っています」
ライムは以前仮想ショッピングモールで学に着せて見せた若草色のスリーブレスのワンピースを着てヒマワリの造花の着いた麦わら帽子をかぶっていた。ワンピースは太めの肩ひもが首の後ろで結ばれている形状で、肩甲骨近くの一対のスリットが傷の様に見えてしまうのが残念だったが、今度はエンハンスドモードに遷移しても服を破らなくて済む形だった。ともあれ、これからの季節にぴったりの服装だ。
「山伏さんが買って送ってくれたんですよ。丁度ライムが欲しがってた服だったので嬉しかった。俺が買ったのは麦わら帽子だけです」
「それは事件に巻き込んでしまったお詫びのしるしなのかしらね? ホント大変だったみたいね」
「ちょっとトラウマになる様な現場でしたよ。事実、あれからいやな夢を見続けてます」
「山伏さんもあの後大変だったわよ。その前でさえ泊まり込みでみすぼらしい恰好だったけど、この2週間は二人とも浮浪者みたいな感じ。フロアの中うろうろしたかと思うと研究室から1日中出てこなかったり。十石警部に至っては、現場とここの往復で、奥様が替えの下着なんか持ってきたりしてたわ」
「今日は、山伏さんとは話せますかね? 服のお礼も言いたいし」
「えぇ。ここ2,3日は大分落ち着いたみたいよ。昨日は休暇とったみたい」
二人が話しながら保守・運用サービスフロアの扉をあけると、丁度フロアから出て行こうとする山伏と出会った。頬がこけてはいたが、髪を切り髭を剃って小ざっぱりした格好だった。
「あら、山伏さんたら、男前になってる」
「久々に床屋に行ったよ。伸び放題だったからな」
山伏は太田に他愛ない話を2,3した後、学の方を見て言った。
「和田君、久しぶり。何度かここに来てたんだって? 忙しくてごめんね。なにしろ十石さんに引きずりまわされてたもんだから、会社の人間ともろくろく話す機会がなかったんだ」
「今日は大丈夫なんですか?」
「あぁ、今から十石さんと待ち合わせて晩飯に行ってこようかと思ってたんだ。そうだ、和田君もどうだい?」
「あら、私は?」
「太田君、暇なのか? 大丈夫ならついてきても良いけど」
「ご飯をごちそうになった後、仕事頑張ります」
太田はきっぱり言った。
「じゃぁ、太田さん、ご飯を食べに行っている間、その、ライムに燃料充填を、お願いできますか? 実はあの充填口、俺、人前でホースを接続するの、なんか恥ずかしくて」
学は、ちょっとシドロモドロになりながら太田に相談をした。
「でしょう? やっぱあの位置はなしだわ。この前、設計した人間を問い詰めたのよ。そしたらなんて言ったと思う? 『しっぽみたいでかわいいでしょ?』だって。有り得ない」
「太田さん、その先は言わないで…」
「太田君、さっさとライム君の燃料充填やって来いよ。おいてくぞ」
山伏はエレベーターホールの方に歩きながら太田に言った。太田は学からライムを受取ると、足早に自席へ行き燃料給油スタンドにライムを座らせ、スリープモードにしてから手際よくホースを繋いで装置のスイッチを入れ、速攻でエレベーターホールに戻ってきた。
「晩飯がかかると作業が早いな」
山伏はたしなめる様に太田に言った。
地下の駐車場では、十石が自分の車で待っていた。十石も散髪に行ったようだ。スポーツ刈りに近い長さになっていて、髭もきれいに剃られていた。ワイシャツも垢じみたよれよれのものではなく、ノリが効いてパリッとしている。だが十石の頬はこけていて目に力がなかった。
「医療スタッフの人から聞きました。松姫刑事は亡くなったそうですね。冥福をお祈りします」
「有難う。まぁ、刑事をやっていれば一生に一度くらいはこう言う事を経験するのかな? 松姫のご両親に会うのが辛かったよ。二度と経験したくないね」
逢っていきなり暗い話題になってしまったが、それでも十石は夕食の参加メンバーが増えたことを喜んだ。3人が車に乗り込むと、十石は駐車場から車を出した。
「せっかくだから、ちょっと足を延ばすか。山伏さんは時間大丈夫なの?」
「えぇ。私は、今日は特に抱えている仕事はないんで」
「そちらのお嬢さんは?」
「大丈夫です」
「和田君は?」
「俺も大丈夫です」
「十石さんお得意のイタ飯屋ですか?」
山伏がそういうと、十石はにこっと笑って車を路肩に寄せ電話をかけた。4名で店を予約すると再び車を発進させた。永福の料金所から首都高の4号に入り稲城で降りる。この辺はまだ開発されていない丘陵地帯が残っており都市部に比べて緑が濃かった。
丘陵の尾根をしばらく走るとレストランの看板が見えてきた。Pの文字が見える。十石は看板の指示に従って車をとめた。
「お待たせ。着いたよ」
「この辺、うちの近所ですよ。でもここは初めて来るなぁ」
確かに学の家からは自転車でも来れる距離かもしれない。もっとも学の家はこの丘陵の長い下り坂を下った先だった。丘陵の峰にあたるこのあたりは駅からも離れていてめぼしい店も無く、あまり来る事は無かった。
「ほぅ。和田君の家はこの近くか。じゃぁ、帰りに送っていくよ」
「あ、いえ、ライムを置いてきてしまったから」
「良いわよ。ライムちゃんは私が預かってあげる。どうせ明日また会社に来るんでしょ? ついでにメンテナンスしておいてあげる」
「じゃぁ…お願いします」
話の成り行きで、学はライムを預ける事になった。ライムが学の手元に来てから、学は常にライムを持ち歩いていたので、ちょっと心細い感じがしていた。
レストランは南欧風の小洒落た建物で、建物の周りには芝生が敷き詰められベンチとテーブルが設置されている。この季節、日中はこのベンチで食事をすると気持ちが良さそうに見えるが、日が落ちた今は流石にどの客もレストラン内で食事をとっていた。
少し重い木製のドアを十石が開けると、ドアに取り付けてあったベルが、カランと鳴り、それに気づいたウェイターが一人、ドアまで歩み寄った。
「十石さん、お待ちしておりました」
「個室は大丈夫かな?」
「えぇ。どうぞお入りください」
ウェイターに案内され、4人は庭のよく見える一室に通された。庭の木々や先ほどのベンチとテーブルがライトアップされており、窓は風景画のような雰囲気になっている。
「高いんじゃないですか? このお店」
太田がちょっと不安そうに十石に尋ねる。
「それがさ、ファミリーレストランにちょっと毛の生えた程度なのさ。料理もうまいし量があるし、穴場だよ」
「安心した。山伏さんのお財布の中身で払えないんじゃないかと思いました」
太田は山伏に払わせる気満々だ。
「酒は駄目だぞ。これからまだ仕事があるからな」
「はぁい」
「なんだ、その生ぬるい返事は」
「まぁ、なんだ。俺も車の運転があるし和田君もいる。今日はアルコールフリーにしておこう」
ウェイターが注文を取りに来ると、十石は食べられない物があるか3人に聞き、それをウェイターに確認させて、後はシェフ任せにした。なじみの店と見えて予算感も既にあるのだろう。ウェイターは畏まりましたと言って部屋を出て行った。
ウェイターが出て行くと、十石は椅子に座ったまま伸びをして言った。
「いやぁ、敗北だよ、敗北。奴らに見事にやられてしまった」
「今回は相手の姿が見えただけに、悔しいですね。人質さえ取られなければ」
残念がる十石に山伏が相槌を打った。学と太田も口を開く。
「そういえば、あの爆発事故はあまり大きく報道されませんでしたね」
「そうね。私はニュースで知っただけだけど、稼働していない研究施設の不審火で警察が捜査中としか言ってなかったわね」
「ところで、黒いマイクロバスは見つかったんですか?」
「見つかったよ。盲点だった。あの研究施設からあまり離れていない工場の敷地内に乗り捨ててあった。おそらく奴らはそこで車を乗り換えて逃走したんだろう。街路カメラがないあの工場ブロックにもっと警察官を配置すべきだったね」
ウェイターが飲み物を持ってきたので、十石は話をいったん打ち切った。3人の前にはアルコールフリーのビールが置かれ、学の前にはジンジャエールが置かれた。
「じゃぁ、まずは乾杯しようか?」
「何に?」
山伏の問いに十石は、つまらないことを聞くものだという顔をして言った。
「そうだな。対策本部の解散に」
えっ?! という顔をしたまま学は言葉を失った。




