◆あやつり人形
警備員を追いかける形で十石と山伏が続いた。学はその後ろにいる。少し離れて亀石が続いた。亀石は十石に言われた通り下を向いてスマートフォンのアンテナ表示を見ながらついてきている。
玄関の受付を通り過ぎ、電気のついている役員室に通された。部屋の奥にはすでに人がいた。亀石が最後に部屋に入ると、入れ違いに警備員が退出しドアを閉めた。
「夜分遅くに何の用ですかな?」
部屋の中は、ちょっとした会議が出来るようなテーブルがあり、その奥に両袖の大きな机がある。声の主は背もたれの高い椅子に腰かけ、こちらを見ていた。
比較的大きな、フチの太いセルロイド製のメガネをかけた初老の男だった。腰かけたまま動こうとしない。十石は前に進み出て言った。
「こちらの所長さんでいらっしゃいますか? 私は警視庁の十石と申します。実は事件捜査のご協力をお願いしたく参りました」
「何を協力すればよろしいかな?」
「この付近に停車していると思われる黒いマイクロバスを追っています」
十石は男と話しながら後ろ手で山伏達に手招きをした。山伏達が近づいてきた。
「駐車場にはそのような車はなかったと思うが?」
「はい。ですが、失礼ながらこちらの建物にはトラックが搬出入可能な入口があります。我々はそういった建物に犯人が潜伏していないか一軒一軒確認して回っている次第でして」
「うちの建物も確認したいと?」
「はい」
「できませんな。現在建物の左側の実験棟は1週間の連続運転実験中だ。
捜査令状はお持ちか? そうでないなら帰っていただこう」
「令状は現在稟議中です。すぐに確認できます」
「迷惑だな」
(気づいたか?)と、十石はすぐ後ろにいる山伏に小声で言った。山伏が頷く。学も気づいていた。対峙している男は警備員と同様、嫌な臭いを発していた。そしてもう一つ、この男が座っている椅子から目立たないように太めのケーブルが出ており、部屋の壁まで伸びていた。
そして十石のヘッドセットに、十石が待っている本部からの連絡がやっと届いた。十石はヘッドセットでその連絡を聞き、わかった、有難うと言ってから所長に向かって言った。
「所長さん? あんた本当にここの所長さんか?」
十石の問いに相手は無言だった。焦点の合わない目で十石を見ている。
「横田コア技術研究所、ここのことだね? 本部に確認させたよ。そうしたらどうだ? 研究所自体は移転して、この施設は年初から使われていないそうじゃないか? 現在施設売却のための交渉中とのことだったよ」
相手は押し黙ったままだ。
「あんた、誰だ?」
「いやぁ、この研究施設は居心地がよかったんですがね」
男の口調が急に変わった。
「何とか誤魔化してやり過ごそうと思ったんですが、ダメでしたねぇ。あんたらの所為でこの施設を放棄しなければいけない。全くもったいないことだ」
「あんたは誰なんだと聞いている」
山伏は、姿と声色は違うものの、この喋り口調で確信した。
「お前、明神だな?」
「…おぉ、山伏か。警察の人間かと思ってたよ。一民間企業の雇われ技術者がご苦労なことだな」
「お前、ここで何をしている?」
「見てお分かりの通りだよ。1年前の続きをやっている。いや、2年前の続きと言った方が良いかな?」
「お前、まさか…」
「気になるか? 相当な成果が出てるぞ。後で廊下の突き当たりの鉄扉を開けて見ると良い。面白いものが見られるぞ。もっとも…」
初老の男はそこまでしゃべると、急に上を向いた。
「ちょっと失敗するとこの男みたいになってしまうがな」
上を向いたままそうしゃべったかと思うと、そのままの姿勢で急に立ち上がった。今まで椅子越しに後頭部につけられていたEMRパッドがパタパタと外れて椅子の上に落ちた。
「…ぎゅぅえええぇぇ!!」
初老の男は、人間が発する声とは思えないような、喉の奥から絞り出すような叫び声をあげて十石に襲い掛かった。十石が体をかわすと、男はそのまま糸の切れた操り人形のように床に転がった。息をしていなかった。
十石は男に呼びかけ、胸に耳を当てて心音を聞いた。
「亀石っ!心臓マッサージ!」
続けざまに十石はヘッドセットのマイクに向かって叫んだ。
「玄関前、どちらか一人、館内に入ってAED探せ!」
山伏と学はその場で呆然と立っていた。たった今まで平然と会話していた人間が急に倒れこんで今は息もしていないし心臓の音も聞こえない。あまりにもあっけない死だった。
学は生まれて初めて人の死に直面し、絶望に近い感情が湧きあがっていた。だが山伏の感情は別のところにあった。山伏は呆然とし、やがて胸の中で沸々と湧き上がるものが顔を赤くしていった。
「亀石はそのまま心臓マッサージを続けてくれ。AEDを持ってきたら試してみてくれ。俺は奴らを探す」
十石は実際のところ相手が何人かまでは把握していなかった。ただ、状況からすれば会合に参加した人間が1名、展示住宅で準備を進め参加メンバーを呼び込んだ人間が1名、それに明神、少なくとも3名がここにはいるとみてよいと考えていた。
こちらは6名だが、2名は素人だ。残りは4名だが、1名は心臓マッサージ、1名は外で待機しているし、1名は館内をうろついている。一旦体制を立て直すべきか? 十石は逡巡した。
十石がふと気づくと、山伏が部屋の外に出ようとしている。
「山伏さん、どこ行く? やめろ!」
「十石さん、あいつのことだ、ここから逃げることを考えている。あいつを無条件で逃がすと、ここにいる全員が死ぬぞ!」
山伏は言うや否や廊下を駆けて行った。十石も山伏を追った。はっと我に返った学も二人を追いかけた。
山伏は廊下の突き当たりまで行くと、乱暴に鉄扉を開け中に入った。駈けてきた勢いで十石と学も扉の内側に入った。乱暴にあけた扉は反動で締まる。学は扉を開けようとノブをひねるが、扉は開かなかった。一方からは開くが他方からは鍵がないと開かないオートロックだった。そして、そこには先程の警備員が立っていた。
「あれほど、実験棟には入ってはいけないと言ったのに、入ってきましたね? 何が起こっても知りませんよ?」
警備員はにやりと笑っただけで、ただ立ったままこちらを見ていた。
「学さん! ここ、変です! これ、私じゃない!」
ライムの声が悲鳴のように学の脳内に響いた。十石も自分のヘッドセットが切断されたので気づいた。手に持っていたスマートフォンを見る。アンテナ表示は最強になっていたが、回線は切れた。再度本部にかけ直したが繋がらなかった。
山伏は気がついた。
「ここは、AIC網じゃない。AIC網を疑似った何かだ」
ライムの様子がおかしい。しきりに何かブツブツと言ったかと思うと、学に向っていきなり叫んだ。
「学さん! 座って! 頭を安定させて動かないで下さい」
学は何が何だかわからなかったが、ライムの言うとおり、壁を背にしてそのまま座り込んだ。急に目の前の映像が途切れ、等身大のライムが現れた。
「ごめんなさい、学さん。急がないといけないので勝手にデディケートモードに遷移しました。…そして、私が私でなくなる前に、私を受け入れてほしいの」
ライムの目が真剣だった。ライムの背後にはもやもやと得体の知れない映像が写っていた。AIC網じゃないとすれば、背後に写る映像はライムのものじゃない。何か押し迫ってくる。危機的な状況と即座に学は理解した。
「わかった。でも、どうすれば良いんだ、ライム」
ライムは何も言わず学に近づき、学の唇に自分の唇を合わせた。学はライムの柔らかい濡れた唇を感じ、思わずライムの腰に腕を回しライムを抱き締めた。
ライムの腕が自分の背中に回る。ライムの髪が学の頬をなでる。学は甘い香りを感じた気がした。何かが頬や首筋から脳天を突き抜けて出て行く様な、でも凄く心地よい感覚だった。
「学さん、有難う。嬉しい」
目の前のライムが消え、元の風景に戻った。肩が熱い。学が肩のライムを見ると顔も腕も足も真っ赤になっている。何が起こっているのか学には状況がつかめなかった。
「学さん、私の服を脱がせて。早く。お願い!」
山伏がそれを見て気付いた。
「和田君!エンハンスドモードに遷移している。そのままじゃライムがオーバーヒートするぞ!服の背中を破れ!」
山伏に言われて、慌ててライムを手に取ると、服の背中を破った。ホックを一つ一つ外している暇は無かった。
学が服を破ると、やはり肌の色が真っ赤になったライムの背中が現れた。すると、肩甲骨の所に入っていた一対のスリットから何かが飛び出してきた。学はのけぞって避けた。背中のスリットから出てきたのは4枚の白い翅だった。翅はライムの背中で蝶がそれを広げる様に大きく広がった。
よく見ると翅に見えるそれは、薄い金属膜で出来た極細の溝が刻まれた扁平パイプが幾重にもループを描いて重なったラジエターで、乱反射して白く見えていた。ループしたパイプはそれぞれ根本で他のループと結合し、最後には太いパイプとなって背中のスリットに吸い込まれていた。
翅が広がってからしばらくすると、ライムの肌はいつもの色に戻った。若干頬が赤い程度だ。
「学さん。相手のroot権限を奪取しました。システムにダイブします。バックアップをお願います。もう一度デディケートモードに遷移しますね」
「おーっと、そこまでにしておいた方が良いですよ、お嬢さん」
ライムが学に話しかけ行動に移した瞬間に、さっきまで黙って立っていた警備員がライムを制止した。
「山伏ぃ。お前ずいぶん面白いもの作ったじゃないか。その小さいお嬢さん、うちのサーバーに犯されないばかりか、プロテクトこじ開けてこっちに入ってこようとしたぞ。それ以上うちのシステムに土足で入りこむと、こいつらがどうなっても知らんぞ?」
警備員の背後の少し離れたところには階下に続く階段がある。その階段から人がゆっくりと登ってくる足音がした。複数人で上ってくる音だった。階段の足音は、やがて学たちのいる通路に実像として現れた。ヘルメットをかぶった男が4人、階段を登りきるとこちらにゆっくりと歩いてきた。
「松姫!」
現れた人間の先頭には十石が松姫と呼ぶ男がいた。肩には警視庁の備品のフェアロイドが無表情で座っていた。松姫はゆっくりと前進し、やがて警備員の脇を通って学たちの前までやってきた。
「松姫と言うのかこの男は。この男は刑事だろ? 十石さん。上手く潜り込ませたなぁ。だが、こいつはさっき俺たちの仲間になったんだよ。まぁ、まだちゃんとは動けないんだがね、こんなことくらいは出来る」
警備員がそう言うと、松姫はゆらゆらと揺れながら山伏に向かって拳銃を構えた。
ぱんっ
乾いた音が通路に響いた。
「そんな下らん遊びは止めにして、姿を現したらどうだ? 明神君」
十石は落ち着いていた。事実、銃を向けられた山伏はそのままの姿で立っていた。松姫が持っていた拳銃はモデルガンだった。
「モデルガンだってわかってたんですか?」
学は、同じく落ち着き払っている山伏に尋ねた。
「十石さんは松姫さんには拳銃は持たせてないよ。会合に潜入するから酒が入るだろうし、何かの間違いがあったらそれこそまずいからね。それにあのモデルガンをよく見てごらんよ。銃口が開いてないだろ」
「あんたらにはモデルガンかもしれないが、この男にとっては本物の銃かもしれないよ?」
警備員が笑う。松姫は自分のこめかみにモデルガンをあて引き金を引いた。
二度目の銃声が通路に響き、松姫はその場に崩れ落ちた。




