◆プロローグ
◆プロローグ
控えの間で待機している和田学は、緊張で顔色が白かった。
学の手元には、これから壇上で話す内容を書いた紙があったが、何度読み直しても頭に入らない。
「ちょっと、ネクタイ曲がってるわよ」
そういって姉の麻美が、学を自分の正面に立たせ、ネクタイを直した。
経済産業省が「日本発技術」復興の旗頭として設立した外郭団体に、国立アカデミーと言う非営利組織がある。この組織が2020年から毎年行っている表彰イベントに「先端技術アワード」というものがあった。
例年、その年の各事業分野の優れた製品がノミネートされ、有識者の判断の元、年明け早々に受賞者が決定する。表彰は、エレクトロニクス・メカトロニクス・ケミカル・製造技術・品質保証技術・伝統工芸など、さまざまなカテゴリーに分かれていたが、この賞に付随して、高校生を対象とした「ものづくりコンテスト」があった。
コンテストは、在学中の高校生が自ら研究開発テーマを決め、何らかの成果を報告する。「ものづくりコンテスト」なので、成果は形のある物が要求された。
電子工作やプログラミングが趣味だった学は、夏休みの自由課題として「モノの気持ち」というテーマで、小さな電子回路とその回路で動作するプログラムを作ったのだが、担任の勧めでコンテストに応募した。
この回路は様々な家庭用品や玩具に取り付けることが出来、簡単な人工知能(AI)を有していて、そのモノの「気持ち」を表現することが出来る。モノを大事にする心という点が審査員の目に留まり、その回路が発する表現力や汎用性を持たせるための工夫など、高校生としては出色の出来で、学の深い観察力と課題解決能力が回路に表現されていると評された。
結果、日本全国のライバルを押さえて、最優秀賞受賞者として、学はこの場にいる。
「じゃぁ、私たちは席に行くから、落ち着いて話すのよ」
母の咲江にそう言われると、学は心の中に急に不安な気持ちが持ち上がってきたのを感じた。
「お前は私たちの誇りだよ。胸を張れ」
父の和彦が学の背中をポンとたたき、麻美が後ろ手でVサインを送って部屋を出て行った。そして、ドア口で振り返った咲江が出ていくと、学は一人きりになった。
控えの間には他の受賞者も大勢いたが、大方が社会人で、同じコンテストの受賞者の高校生とも面識はなく、話すこともなかった。
ある者は、手持ちのカンニングペーパーを見ながら「受賞の弁」を音読しているし、ある者は、仕事の繋がりでもあるのだろうか、他の受賞者と談笑している。
学が気持ちを落ち着けるために、そんな控えの間の風景を見渡していると、学は見覚えのある顔を見出した。逢った事がある訳ではない。学が雑誌やインターネットのサイトでよく見る人物だった。
「AICの山伏さんだ!」
AIコミュノロジー社(AIC社)。その名の通り、元々は分散型AIシステムの開発・販売を本業としていた会社だったが、現在は日本国内で実に7割の登録利用者比率を誇る移動体通信(=モバイルネットワーク)事業者だ。
かつて、AIC社が日本で第三位の移動体通信事業者を買収した当初のシェアは、それこそ目も当てられないほど小さかった。その劣勢を一気に逆転した製品がある。携帯電話から派生したコンシェルジュ専用端末=フェアロイドシリーズと呼ばれる製品群だ。このシリーズ開発陣の筆頭にチーフアーキテクトの山伏がいた。
「山伏さん、2回目の受賞なんだ……8年ぶり? 多分、今年はフェアロイド2型でノミネートされたんだろうな」
別に8年前から山伏を知っていたわけではないが、高校生になりたての学がAIに興味を持ち、AIに関する技術資料を漁るにつけ、その随所にチーフアーキテクトの山伏はいた。文章の中の山伏は饒舌に学に語りかけ、自然、学は山伏のファンになり、山伏の様々な事柄が記憶に残るようになった。
「……確か、前回の受賞製品はフェアロイド1型で、分散型1/f揺らぎAIシステムが受賞の肝だったんだよな。今回は何だろう?」
学は山伏と話をしてみたかったが、自分が神格化した人物とまともに話せる自信がなく、山伏が他の受賞者と談笑している光景を遠巻きに見ているしかなかった。
「時間となりましたので、受賞者の方々はステージにおあがりください。この部屋は鍵をかけますので、荷物はそのままで結構です。貴重品のみお持ちください」
ドア口で良く通る声の女性がアナウンスすると、それまでスピーチを音読したり談笑したりしていた面々は急に静かになり、おもむろに立ち上がってドア口に向かった。その列に加わって、学もステージへと移動した。
ライトのまぶしいステージには受賞者人数分の、少し立派な作りの椅子が並べられており、背もたれに小さく受賞者の名前が貼ってあった。学は自分の名前の貼られた椅子を見つけると、事前に先ほどの女性に言われた通りそこに座り、緞帳が上がると会場を見渡した。
既に受賞の通知は公開されている。会場には高校の担任や同級生が最前列に陣取っていて、学と目が合うと彼らは大きく手を振った。
「どうせ前座なんだから、なにも、そんなに前で観なくても……」
学はちょっと気恥ずかしい気持ちになった。
授賞式は、経済産業省のお偉方による国立アカデミーの宣伝スピーチで始まり、スピーチが終わると会場全体が暗くなって、ステージ正面のスクリーンに歴代の受賞製品のサマリーを紹介する映画が上映された。その映画の中には、8年前にエレクトロニクス部門で受賞したフェアロイドの分散型1/f揺らぎAIシステムもあった。
映画の中でフェアロイドは、「時代を変えたコンシェルジュ端末」として紹介されていた。
その映像を見て、会場の中央あたりに陣取っていた麻美は正面スクリーンに釘付けになった。麻美が膝の上に乗せているぬいぐるみと同じ物が、フェアロイド1型として紹介されていたからだ。
「むーたん! むーたんだよ。むーたんが映ってる!」
短大を卒業する歳というのに、麻美は膝の上のむーたんと名付けたぬいぐるみの両手をとって、子供のようにはしゃいだ。隣に座っている母の咲江が、「麻美」とそれをたしなめながら、それでも紹介映像に感心して言った。
「……麻美の持ってるぬいぐるみは、すごい技術で出来てるのね」
「そうよ。もう、むーたんは手放せないもの。あたしの一部だわ」
麻美はほぼ毎日、朝起きてから夜寝るまで「むーたん」と名付けたフェアロイドを肌身離さず持っていた。「むーたん」が来る前の生活がどうだったか、麻美はすぐには思い出せなくなっている。それほど「むーたん」は麻美の生活に自然に溶け込んでいた。
世間一般に認知されているコンシェルジュとは「お世話係」だ。その人の様々な要望に応える役割を担っている。コンシェルジュ端末であるフェアロイドは、まさに「小さなお世話係」として機能した。
肌身離さず持ち歩いていると、フェアロイドはユーザーの表情や声質とユーザーの置かれた環境やユーザーの視野に入っている対象物から、ユーザーが何を欲しているか、何に困っているかを察知し、その時の最適な情報を最適な形でユーザーに提供した。
そのためにフェアロイドは稼働する手足を持ち、自身の顔の表情を作ることが出来る。フェアロイドが作る表情やボディランゲージは愛らしく、ユーザーはなおのことフェアロイドを手放せなくなった。
「8年前か。発売時期は意外と古かったんだな」
「そうね。人気が落ちないから細かいバージョンアップを繰り返してたみたい」
「そういえば、お前の持っているぬいぐるみの他に、人形もあるんだよな」
「それはフェアロイド2よ。今ね、あの人形を肩に乗せて街を歩くのが流行ってるのよ」
「あら、それ、お母さんも聴いたことがあるわ。ほら、アイドルのなんて子だっけ、あの子が流行らしたんでしょ?」
超ロングセラーとなった1型フェアロイドが2型に替わり、人形型がラインナップに加わると、販売台数はさらに伸びた。そして、秋葉原発のある不思議系のアイドルが、これをファッションに替えてしまった。そのアイドルは、自分のファッションに合わせ、女性型のフェアロイドに衣装を着せ、肩に乗せてテレビやネット上に出演した。
当時は、「不思議ちゃんだから」と揶揄されたが、メディアへの露出が増えるにつけ、次第にそれを真似、肩に乗せたまま街を歩く娘が増えて行った。それをさらに真似する形で、若い男の子がフェアロイドを肩に乗せる様になり、いつしかそれはファッションとなって行った。東京発の流行が全国展開されるのに、そう時間はかからなかった。
「へぇ、そんなもんがねぇ」
「お父さん、もうちょっとファッションにも敏感になってよ」
いわゆるサブカルチャーに疎い和彦には、そう言われてもピンとこない。人形を肩に乗せて歩く日常が理解できなかった。だが、これでAIC社は他の追随を許さない、利用者シェア7割をたたき出した。更にはそのシェア率実績を武器に公的機関に圧力をかけ、超高速通信が可能な第7世代無線通信(7G)帯域の実に8割の占有権を奪取していった。
家族が小声で話しこんでいるうちに、正面スクリーンの紹介映画は昨年の受賞製品を紹介して終了し、照明が点灯してステージが明るくなった。
「さて、歴代の受賞製品をご覧いただきました。如何だったでしょうか? 皆様の印象に残る製品や、今もトップシェアを誇っている製品もあったかと思います。では、先端技術アワード授賞式に移りたいと思います。まずは高校生部門ものづくりコンテストから参ります」
幕のそばに立つ司会の女性がそう宣言すると、ステージの椅子に腰かけていた学は心臓が口から飛び出そうになった。いよいよ自分の名前が呼ばれる。学は頭の中が真っ白になった気がした。
モノづくりコンテストは佳作、優秀賞、最優秀賞とあり、受賞スピーチがあるのは最優秀賞1名だけだ。つまり、この授賞式で最初にスピーチする受賞者が学だった。
佳作から順に名前が呼ばれ、呼ばれた高校生は賞状を受け取り元の席に戻る。それが数人繰り返された。
「さて、ものづくりコンテスト最優秀賞に輝いたのは、テーマ『モノの気持ち』の和田学さんです。和田さん、どうぞこちらに」
司会者に呼ばれ、学は飛び上がりそうになったが、アガらないように着席のまま一呼吸し、おもむろに立ち上がった。会場からは落ち着き払った高校生に見えたかもしれない。 学は正面の壇上でプレゼンターから賞状とトロフィーを受け取ると、そのままマイクの前に立った。
「では、和田さん。受賞の弁をどうぞ」
壇上はライトでまぶしく、会場が良く見えない。最前列にいる同級生や担任が見える程度なのが、学にとっては有難かった。手足は小刻みに震えてはいたが、アガっている感覚は、学にはなかった。
「和田学です。まず、今回オ…僕の作品を評価して頂き、最高の評価をくださいまして、有難うございました。今回僕がテーマに掲げたモノの気持ちとは……」
学は睡眠不足になる程練習したスピーチ内容を淡々としゃべり、5分間のスピーチを追えて壇を降り、着席した。着席した途端、汗がどっと吹き出し、自分が壇上で何を話したか全く思い出せなくなっていた。
「やっぱ俺、アガってたんだよな」
そんな風に自分を客観的に分析するには、少々時間がかかった。気が付けば授賞式は終盤になっている。
「では、先端技術アワード最後の発表となります。メカトロニクス部門最優秀賞に輝きましたのは、AIC社『フェアロイド2』です。山伏さん、どうぞこちらにお越しください」
司会に促され、男が壇上に上がった。スーツに細いネクタイ。パリッとした感じだが、山伏の風貌は、どこか研究者の匂いを漂わせていた。
山伏は賞状とトロフィーを受け取った後、マイクの前に向かった。さすがにこういう事には慣れてるとあって、落ち着いたものだった。
「えー、山伏です。今回はメカトロニクス部門での受賞となりました。まず、私どもの製品に最高評価を頂き、ありがとうございます。この場を借りてお礼申し上げます」
フェアロイド1型ではAIのチーフアーキテクトだった山伏が、今回はメカトロニクス部門で受賞している。学は山伏の多彩さに改めて感心してしまった。
「実は、うちの取締役から、せっかくスピーチの時間をもらってるんだから、しっかりうちの製品の宣伝をして来いと言われましてね……」
山伏は頭を掻きながらフランクに言う。会場の笑いを誘うところも慣れたものだ。
「先ほど映画でも紹介されましたが、フェアロイドは8年前にこの賞を受賞しています。その際はエレクトロニクス部門で、分散型AIで受賞致しました。その時は、自分の長年の研究成果が評価されたと、天にも昇る気持ちでした」
チーフアーキテクトとしては鼻高々だったろう。だが、研究心旺盛な山伏は、そこに胡坐をかくことはしなかったらしい、というのが、その後に続くスピーチでわかった。
「実際、フェアロイド1は、ベストセラー・ロングセラー製品になりましてね、いやらしい話になってしまいますが、昨年までAIC社のドル箱でした。前回の受賞後、私は、このドル箱から次のベストセラー製品を開発するために少々お小遣いを分けてもらえる立場になれました」
「少々じゃねーだろ、会社が傾きかけるほど金使ったろー」
会場から冗談めかしたヤジが飛んで、一瞬笑いが起こった。
「えー、会場から社外秘のヤジが飛んでたりしますが、今回受賞したフェアロイド2を開発するにあたり、我々は2つの技術に着目し投資しました。ひとつは、間脳電流計測に関する技術、今ひとつは、今回受賞のポイントとなった人工筋肉と内骨格、そしてその制御技術です」
そう言って、山伏は自身が開発した人工筋肉の構造や内骨格の構成、それを制御する神経回路の説明をし始めた。
「実際、冗談抜きで、金、使ったよなぁ、山伏さん」
説明の途中で、会場の最も後ろ、出口に近いところに立っていた男がぼそりと呟いたが、その声は山伏や学はおろか、最後部の座席に座っている者にもよく聞き取れなかったはずだ。
「あら、使ったのはあなたもでしょう?」
男の横で、スーツ姿の女が山伏の代わりに答えた。
「あぁ。だが、奴は表舞台。俺は今のところ裏稼業だ」
「山伏って男に妬いてるの?」
「まさか。俺は自分から裏稼業を選んだんだぜ? 憐れんでるんだよ。自分の開発した技術が、もう一つの技術で悪しざまにされる哀れな技術者に対してさ」
男は、そういってニヤリと笑うと、サングラスをかけて出口の扉を押し、女と共に会場を出て行った。
会場には、一瞬外の光が入り込み、山伏は壇上から扉が開いたことに気付いて、スピーチを途切れさせたが、扉が閉まると再び話し出した。
「……我々がフェアロイド2でリアルな人型をボディデザインとして選択したのは、我々の執念です。骨と骨の接合部分には人工軟骨を配置し、バランスする2~4以上の人工筋肉で結合しました。軟骨の間には、冷却液を潤滑油代わりに満たしました。つまりフェアロイド2は、可動部に全くギアやベアリングを持たないボディなのです」
そこまで山伏がスピーチすると、正面スクリーンには大写しで、フェアロイドのラインナップが映し出された。そこには人と見紛うような各種女性型、男性型が表示されていた。
「我々の人工筋肉はまだ改良の余地があります。より高負荷に長時間耐えるという課題を持っています。それでも、今回このフェアロイド2ボディがメカトロニクス部門の最優秀賞を獲得できたことは、これが最先端の技術である事を客観的に証明して頂いたことに他なりません。これは我々技術者冥利に尽き、今後の課題に邁進する原動力となります。本当にありがとうございました。そして……」
山伏は、ふと天井を見上げ、思い出したように言葉を付け加えた。
「まだフェアロイド2に触れられていない方々は、当社で無料体験が出来ますので、是非お試しください。きっとご満足いただけると思います。また、人型以外のラインナップも取り揃えておりますので、是非ショウルームにお越しください」
思い出したのは、取締役から念を押された営業トークだった。
授賞式が終わると、学は会場に来てくれた皆に挨拶し、家族の元に戻った。
「さ、今日はあなたの受賞記念ディナーよ」
麻美は美味しいものが食べられると上機嫌だ。
(結局山伏さんと話せなかったなぁ)
学は一度だけ会場を振り返り、そのまま家族と一緒に帰途についた。
一方山伏は、授賞式が終わると新宿の自社ビルに戻り、そこでサーバー側の運用担当者から声をかけられた。
「お帰りなさい。授賞式はいかがでした?」
「ただいま。いやぁ、何度やっても緊張するよね。危うく取締役から言われてた営業トークを忘れる所だったよ」
「山伏さんは檜舞台に立てて良いよなぁ。私なんか、窓のないサーバールームで一日中スパムと格闘ですよ」
「うんうん。すまんなぁ。君たちの頑張りがあるから、フェアロイドは今日もお客様に喜ばれてるんだよ」
山伏は、運用担当者をねぎらった。
「だけど、最近ちょっと攻撃が多いんですよね。今朝交代したゲートウェイ管理者からの報告なんですが、昨晩、またうちのゲートウェイサーバーに攻撃があったようです」
運用担当者は、そういって山伏にレポートを差し出した。
山伏は、脇にある自動販売機でコーヒーを買い、それを啜りながら手渡されたレポートを読む。レポートのページをめくると、その日発生したアラーム履歴の一覧が添付されていたが、その何枚目かで山伏の目が止まった。
「EMR装置異常のアラームが出てるのか……」
「えぇ、だけど、すぐ復旧してるんで、ちょっとした接続不良じゃないですかね?」
山伏はこのレポートに書かれている内容に、一抹の不安を感じた。
この日から数日後、山伏の予感は的中し、世の中を震撼させAIC社を窮地に陥れる問題が発生し、研究者であるはずの山伏の日々は、人知れずこの事件解決に費やされることになるのだが、この時の山伏はまだその事を知らなかった。