■3/メイドと竜巻少女とへるべちか
ビレッタ・インプレートと名乗ったメイド。彼女がした突然の殺害予告に、事務所の三人があっけにとられて黙り込んでしまった。それでも話を理解しないわけにもいかず、ひとまず情報を整理しようと雑用係の俺がすごすごと手を上げる。
「はい、えっと。あの、すみません、ちょっぐえっ」
自分でも驚くくらいにどもりまくってしまった俺の言葉を遮るように、無表情のビレッタは俺の喉に向かって手刀を一突き。
「話相手はキミじゃない」
冷淡に言い放ち、ビレッタは俺の肩を正面から抱き寄せて、そこから俺の右腕を俺の背中に回すようにくるりと身を翻させた。
「げっほげほ……へ、あ、いてててててっ!」
早い話が、そのまま腕をひねられて拘束されたのだ。そしてナイフを握った彼女の右手が、流れるような所作で俺ののど元にその鋭い刃先をあてがった。ひねられた右腕の痛みもあるし、俺が反撃する目はどうやらなさそうだ。自由な左腕をピンと天井に向けて伸ばして「なにもしない」の意思表示をする。
「ちょっと! トトになにすんのよ!」
「見ての通り、人質になっていただいたよ?」
激昂するドロシーに向かって、さも当たり前かのような物言いでビレッタは返す。まるで機械の言葉を聞いているみたいに、その言葉には彼女の思惑が見えてこなかった。
「ああでも、やっぱり最初に許可を貰った方が良かったかな」
「……あんた、なに言ってんの……?」
「そう。だって、なにごとも許可が必要なんだよね。扉を開けるにもノックが必要だし、人質になってもらうなら本人に一言告げれば良かったかな」
事後承諾だけどこれからボクの人質としてよろしくね、お兄さん。そんな風に、耳元で囁く。あまりにも自分達の常識から外れたビレッタの発言に、ドロシーが口をつぐんで思いっきりこちらを睨み付けた。やばい、あれはブチギレ寸前の顔だ。あいつは大抵プッツンする直前、まずは俺に難癖付けて黙り込むのだ。どうせ今回は「なに簡単に人質になってんのよ」とか「言葉が通じない人間を相手にさせるんじゃないわよ」とか、大方そういう感じだろう。
俺は俺でドロシーの非難の視線に耐えながら、どうにかしてこの窮地を切り抜けようと、パニックを起こそうとする本能を押さえつけ、冷静にビレッタに頷いて見せた。
「ハハ、人質か。このパターンのピンチは初めてだよ。まったく愉快だね……」
人質になるのも、のど元にナイフを突きつけられるのも、両方初めて。明確な敵意を持った言葉が話せる人間と対峙するのも、これが初めてだ。
……敵、か。ビレッタ・インプレートはドロシーを殺すと言っているから敵意はあるんだろう。しかし敵意をもってこそいるが、どことなく彼女は敵という感じがしない。こういうパターンも、もちろん初めて。どうにも敵に思えないと俺の直感が告げている。なんなら、話せば分かるということもあるかもしれない。
「なぁ、話しかけていいか?」
だから俺はビレッタのやり方に則って『許可』を得ることにした。
「そもそも、ドロシーが魔女って一体どういうことだ?」
「どういうこともなにもない。ボクらを襲い、エメラルドの国盗りを企てた魔女こそ、そこにいるドロシー・キャスケット」
「ひ、人違いとか?」
「ありえないね、だってアイツが直接ボクにそう名乗ったんだ。顔を変えてこの国のどっかに隠れるから、もし運良く人間に戻れた時、自分を殺したいなら探しに来いって」
「…………えっと……?」
「まさかキミはドロシーが魔女と知らずに一緒にいたの?」
「い、いやぁ、初耳だったなぁ」
「そうか、それは可哀想な被害者だ。いまは人質だけどね」
ドロシーが魔女? そんなワケねえだろ。ビレッタをオルタに変えた魔女の名前はエルファバだよ、と否定したい気持ちは山々なんだが、今の俺は彼女の言うとおり人質という状況におかれているわけで。下手に刺激するとこののど元のナイフがサクっと来そうでとてもじゃないが、おいそれと反論できる状況ではない。ドロシー、お前はこっちを睨むな。否定しない俺にキレてるんだろうが、それは随分と筋違いなキレ方だと俺は思うぞ。
しかしこれで確定した情報がいくつかある。いままでオルタとゾロアという使い魔でちょっかいを出してきた魔女が、いよいよ本懐である復讐——国盗りを企てたということ。
そのためにエメラルド城は既に攻め入られたということ。……恐らくこの時点で、ビレッタと同じくメイドでありながらオルタになってしまった人間も少なくないはずだ。
次にビレッタ・インプレートは盛大に騙されているということ。魔女が自分をドロシーだと名乗った意図はわからないが、国盗りを企てているのに城を開けて隠れるとか言い出すはずがない。恐らく厄介払いのためのスケープゴートにされたに違いない。
だから、彼女は誤った敵意を向けてはいるが、実際の所は敵じゃないということ。それがわかっただけで交渉しようがあるってもんだ。
「……ドロシーが魔女だってのはよくわかった——」
だから睨むなって。
「——だけど、なんでオルタに変身させたキミを、変身させた張本人がわざわざ助けたんだ? 矛盾してるとは思わないのか」
「気まぐれだろ。ボクはドロシーが殺しに来いって言ったんだから殺しに来たんだよ」
そしていまの話でわかったなにより重要な情報。それは、ビレッタ・インプレート——こいつあんまり頭良くないな。ってことだ。というよりも、自分で考えることを放棄して言われたことをそのままやっているような感じで。どうにもこいつの言葉や行動にはこいつ自身の心がないように思えて仕方がない。
「…………表に出なさい、そこのメイド」
その時だ。黙して俺とビレッタの会話を聞いていたドロシーが、腹の底から響くような低い声でビレッタを呼んだ。見れば、ドロシーのこめかみには青筋が立ち、彼女の眉間にはいまやちょっとした山脈が出来上がっている。
「あわわわ……トトぽちぃ、ドロシーたん完全にぷっつんしてるッスよあの顔ぉお……」
んなもん、見たまんまだ。我慢の限界を超えてしまったのだとすぐにわかる。あれはもう、これ以上ない位にキレた顔だ。誰が見たってわかる。
「しょ、所長は危ないから、机の下に隠れてください」
「ヨホホホォ……」
本の山を掻き分けて、所長がモグラのように奥へ奥へと潜っていく。それを見計らってか否か、ドロシーはいよいよ抑えきれないといった様子で呟き始めた。
「会話にならないだとかトトが役立たずだとかアタシが魔女だとか、色々……ああもう色々気にくわないことはあるんだけどさ……もうダメだわ」
アンタね、とドロシーはびしっと人差し指をこちらに——正確にはビレッタに突きつけて続ける。
「アタシが我慢ならないのは……。アンタ、ビレッタとか言ったわね!?」
「そう、ボクはビレッタ。ビレッタ・インプレートだよ。よく一発で覚えていてくれたね、褒めてあげよう」
ああもういちいちめんどくさいわね。思うようにやりとりが進まないことで、ドロシーの苛立ちは更に増していくようだ。髪の毛を掻きむしって、赤毛がボサボサになっている。
「ビレッタ! アンタね、アタシを殺しに来たんなら、人質とかセコい手使ってんじゃないわよ! やるなら正々堂々表に出なさいッ!」
「それは断るよ」
「そうでしょうそうでしょうそれじゃあ表に」
「いや、ドロシー・キャスケット。だから、ボクは断るよ」
「は!?」
「表には出ない」
「なんでよ、アタシここで戦り合うのイヤよ!? いいからさっさとトトを離しなさい!」
駄々をこねる赤子のように喚き散らすドロシー。しかしというべきか、やはりというべきか、ビレッタがそれに応じる気配は微塵もない。それどころか、俺ののど元にあてがったナイフを少し食い込ませやがった。
「この人質を解放することと、表に出ろということは繋がらないよね」
ああ。ビレッタは本当に会話が通じないタイプなんだな。ドロシーが言ってるのはそういうことじゃない。彼女が言いたいのは、
「アタシは言ってんのはッ! アタシを殺しに来たとか言ってる奴が卑怯な手を使ってんのが我慢ならないって言ってんの! 正々堂々とアタシと戦いなさいッッ!」
まぁ、殺しに来たのだから卑怯な手も使うだろうに。ドロシーもドロシーで言っていることが無茶苦茶なんだが、ツッコミなど入れたら俺ごとぶっ飛ばされそうだ。まったく、ドロシーもビレッタもどっちもどっちじゃないか。方向性が違うとは言え、互いに我が強いタイプなのは見て明らか。反りが合わないことなどこの短時間で充分わかることだ。
はは、まったく愉快だね。そんな言葉と共に呆れにも似た微妙な感情が、脳裏をもったりと這っているのがわかる。なんか、この状況に順応しすぎていないか俺。
「それに、ココで人質という利を手放してキミを殺すアドバンテージを手放すのは愚行だ。この男が戦力としてそちらに与した場合、不利になるのはボクのほうだよ。ボクは安全にキミを殺す」
自分や友人の命がかかっているこんな状況に慣れっこだとは言わない。しかし、なんとなく『なんとかしてくれるだろう』という信頼をドロシーに依せているせいか、ビレッタの物騒な言葉も、のど元のナイフもあまり恐怖感を煽らない。それどころか、この光景がひどく茶番に思えて「早く終われ」とすら思えてきた。
まぁ、俺を逃がすメリットがないのもわかるけどさ。だからってナイフに力を込めるのはいい加減にやめてくれ。あくまでドロシーを信頼して恐怖感を抑えているだけであって、、生殺与奪を他人に預けていることからの本能的な恐れが消えたわけではないのだ。
「——アドバンテージ? ッハ」
喉にあたる冷たい感触に恐々と背筋を冷やす俺の耳に、ドロシーの声が凛と響いた。ドロシーは笑っている。エルファバと対峙したときのような凄惨な笑みではなく、ビレッタを見下したような嘲笑が、ドロシーの口元を軽快に歪めていた。
「わかったわ」
ドロシーは大きく頷き、右足を後ろに引いて、
「ふむ。大人しくボクに殺される気になっ——」
スカートの中身が見えるのも気にせずそのまま大きく真上に蹴り上げた。瞬間、飛来する影が見える。影とは靴だ。ドロシーの靴が飛んで俺の頬を掠めていく。
「——ちょろごもッ」
直後、ビレッタのくぐもった悲鳴と共に、俺の右腕の拘束の力が抜け、のど元からナイフが下ろされた。俺は今が好機とばかりに隙を縫い、その場に尻餅をついて転がるように回避行動。振り向きざまにメイドの顔を見ると、ドロシーのブーツが深々と口に突っ込まれている。うわ、悲惨。アンタの要望通り表には出ないでいてあげる。そんなドロシーの囁きが俺の耳元で聞こえてくる。
「そのかわり、」
風の如き身のこなしから生まれる、ドロシーの流れるような動作。刹那の瞬きを捉えるように、彼女の体がいつの間にか目の前に現れていて。
「ここでアンタをぶっ潰すッ!!」
次の瞬間、あまりにも鮮やかな踏み込みと腰のひねりから伝達される力が加わったドロシーの右腕が振り抜かれた。ビレッタの腹をぶち転がすように拳が撃ち貫いていく。腹に与えられた衝撃によって、ビレッタの口に挟まっていたブーツが唾液と共に宙に舞った。
「へるべちかッ」
同時に、事務所の扉を含める外壁がメイドを中心として破壊され、メイドごと外に弾け飛ぶ。ビレッタの間抜けな悲鳴が、破砕音と共に聞こえた気がした。
「アンタはわかったかしら。トトみたいな安物のカカシを人質にしたところで、全然アンタのアドバンテージなんかじゃないってことが」
「いやまて、安物のカカシってどういうことだ」
人質をとろうがドロシーに対してアドバンテージにならないことは非常に同意できる。しかしそう余計な一言を付け加えてまで俺に辛く当たらなくてもいいだろうに。
「ああー、ごめんね所長。ちょっと玄関ぶっ壊しちゃった。だから表に出て戦り合おうっていったのになぁ……はぁ、反省」
「ヨホホホ、必要経費ひつようけいひッス〜」
「無視をするな無視を!」っていうかちょっとぶっ壊したってレベルじゃない! 変身なしでこのレベルって、見る度にドロシーは力を増しているのではないか。もはや人類最強を疑う余地もない、と俺は内心で肩を竦めてため息をひとつ。ドロシーに喧嘩をふっかけることがいかに無謀か、ビレッタという犠牲をもって改めて思い知らされた。
「——あ、おいメイド! 大丈夫か!?」
慌てて壊れた壁の外に横たわるビレッタの元に駆け寄る。話しかけても返事はない……。しかし大丈夫そうだ、と俺は安堵で肩の力を抜いた。気を失ってはいるものの呼吸はしているし、乱れてもいない。身体ごと吹っ飛ばされるぐらいの衝撃を受けたのだ。血まみれで全身複雑骨折していてもおかしくない状況なのに、気絶しただけで外傷が見当たらないとは大した頑丈っぷりだ(あくまでパッと見たところでしかないが)。
「……っと、そうだ」
怪我をしていようがいまいが、なんにせよこのまま雨に濡れさせるのはマズい。とにかく抱えてでも中へ入れなければ……とビレッタに手を伸ばす。
「アンタ、人質にされたのにそいつの心配するの……敵なのよ?」
すると、背後からあからさまに不機嫌そうなドロシーの声がかけられた。俺は振り返って答えを返す。当然だと。
「もちろんだ、ドロシーの馬鹿力をもろに喰らったんだぞ。それにビレッタは別に敵じゃないだろ」
「はぁ!? トト、アンタ遂に脳みそ無くなったの!」
いまアタシを殺しに来たところなのに、とドロシーは続けるが、結局このメイドは騙されていただけだ。話が通じるような奴じゃないとは思うが、それでも説明すればドロシーへの敵意が解消される可能性はゼロじゃないだろ。それに、
「ドロシーだって、気絶した女の子を雨空に晒したままにするほど非情じゃない。俺だってそれくらいわかってるよ」
いまは敵意を向けられたことに対して過剰に反応しているのだろう。落ち着いた時には「雨のなか女の子を放っておくなんてトトはサイテー」ぐらいのこと言い出すに違いない。そんなことをぼけっと考えていると、ドロシーの顔がみるみるうちに紅潮していき、頬がぷっくりとふくれていく。
「…………もうっ!」
やべ、怒らせた。
■四章に続く■