■2/フェイクリーと刺客と竜巻少女(2)
●
あの後、魔女の魔力から解放して人間に戻った全裸女子を慌てて——ドロシーに殴られながら——病院まで送り届けてから、俺たちは事務所まで帰ってきていた。とはいうものの、魔女との遭遇があった今回の事件はいつもとは勝手が違かったらしく、帰ってすぐに二人とも、事務所の隣に併設されている寮(住民三名)の部屋で倒れるように眠ってしまった。
いやはや、愉快だね。
「ヨホホ、ご苦労たんでしたねートトぽち」
「そいつは、どうも」
というわけで時間は移って、事件翌朝の解決屋トライコーン。グリンダさんが俺の報告を聞いてコロコロと笑いながらお茶をすすっている。ドロシーはまだ起きてきていないので、自動的に俺が所長に報告をするはめになっていた。事件後は大体いつもこんな感じで、いまではすっかり慣れたもんだ。
「いやあーしかし今回も派手にやらかしたッスなぁ。キミ風にいうとユカイユカイって奴スね? ヨホホホ」
「それはその……すみませんでした」
派手に、というのはもちろんドロシーがぶち壊した建物や石畳の諸々である。毎度のことながらいつも申し訳ない気持ちでいっぱいだ。別に俺が壊してるわけではないんだがな。
「だいじょーぶだいじょーぶ。魔女被害に伴う損害は国からある程度保証受けてるッスから、ドロシーたんの竜巻っぷりもそれに含まれるはずでっせ。優しい世の中ばんばんざーい」
ばんざーい、とグリンダさんが余り袖を振り回しながらその両手を高く上げた。俺もつられて万歳をしたのだが、その動作だけで部屋中の埃が舞ってしまう。窓から指す朝陽に反射して、キラキラと埃が光るのが綺麗だった。
「ま、さすがにあの規模ともなると多少の天引きは覚悟せにゃーならんっぽいスけど」
「……面目ない」
「ヨホホホ。とりあえず、トトぽちが持って帰ってきたこのぶらじゃーは、このグリンダちゃんが責任もって換金しときますッスーん」
ぶんぶんと所長が振り回しているのは、俺たちが持ち帰ったオルタの魔力拘束具だ。シルクハット・オズが定めたエメラルドの法律により、フェイクリーの所有物を除くすべての魔力拘束具は回収される決まりになっている。
もちろんタダじゃない。魔力拘束具を回収した者には、回収手数料として決して安くない報酬金が支払われる仕組みだ。解決屋の収入は、主にこの魔力拘束具の換金で成り立っている。商売相手は国、ということになるのだろう。
だから、俺たちはなるべく取引先である国に迷惑をかけずに魔力拘束具を回収するのが望ましい。……のだが、我々解決屋トライコーンは——主にドロシーは——街をぶっ壊すことで有名で、毎回報酬金からある程度建造物の修理金が引かれてしまっていた。
それは直接の収入が減ることに他ならない。雇い主であるグリンダさんには迷惑をかけっぱなしで、そしてお世話になりっぱなしだ。
「ほらほら、そんな暗い顔しちゃダーメッスよトトぽち。なぁに、少しくらい貰うお金が減ってもグリンダちゃん達がしばらく食べていくには十分な額でっせ。心配ご無用ごむよーう」
「うう、いつもいつもありがとうございます……」
彼女は我らが所長であり、大家であり、そして家族だった。身寄りがない俺やドロシーに飯と寝床、仕事を与えてくれる、親のような人。とてもじゃないが十二歳というのは信じられない。見た目以外は。
「手の掛かる子ほど可愛いもんッスよ」
「所長、それ十二歳の台詞じゃないです」
「しまったーっ!」
本気で頭を抱えてつっぷす所長はとても可愛らしい。
「……で、本当は何歳なんですか?」
「十二歳ッス」
「即答かよ」
そんなに簡単にボロ出しておいて、未だに十二歳と言い張るとは底が見えないお方だ。結構恐ろしいものがある。
「まぁまぁ、永遠の十二歳ってことでここは一つ穏便にすませようじゃあないッスか。ヨホホホ」
「ははは……愉快ですね……」
声はともかく目が全然笑ってない。お気楽な人かと思いきや年齢の話になると恐怖スイッチがオンになるのであんまりつつかないようにしておこう、そうしておこう。
「そういや、ドロシーたんは大丈夫スかね」
「へ? どうしたんですか急に」
所長は、天井を仰いでゆらゆらと揺れながら続けて言った。
「どうしたんですか急に、じゃないッスよトトぽち。長年追っていた魔女がいきなり現れたンすよね? そらグリンダちゃんは心配だってするッス」
「ああ」
魔女——エルファバか。相当にふざけた感じの奴だったなぁと思い返して、思わず表情が濁る。色々と思うところはあるが、不愉快な存在だということは間違いなかった。
「まぁ、あいつがずっと追いかけてきた魔女ですから。相手にされなかったショックは大きいでしょうね」
エルファバと対峙したときのドロシーは、はっきり言って異常だった。どこか大切なネジがすっとんでしまったかのような表情は、思い出すだけで怖気が走る。
「……」
しかし、あの魔女に関しては俺も思うところがある。エルファバは確かに俺にこう言った——『俺が一年前に記憶を失くした理由を知っている』と。それは真実の俺を知っているってことじゃないのか? 記憶を失う前の、俺のことを。
俺は誰なんだ?
こうなる前はなにをしていたんだ?
どうして使い魔に追われていたんだ?
——年齢は?
————職業は?
——————家族は?
————————真実の俺って、なんなんだ?
永らく忘れていた……考えないようにしていた、記憶がないということに対する不安が一気にぶり返す。
「トトぽちも心配?」
「あ……すんません」
どうやらその不安が思いっきり顔に出ていたらしく、いつの間にか目の前まで来ていた所長が下から俺の顔をのぞき込んでいた。
「……心配ッスよねえ、大好きなドロシーたんがショックを受けたんだもの、そりゃーもう心配ッスなー?」
なっ、
「大好きっていきなりなに言い出すんですか所長!」
「かーくさなくても分かってる分かってる、バレバレちゃんッスよ」
「待て、なにか大きな勘違いをしているようですが!」
「否定するところがまた怪しいヨホホホホ」
「違いますって! どうしていきなりそんな話になるんですか! 俺がいまこんな顔になってたのは……」
「どうしてもなにも、トトぽちの顔、真っ赤ッスよ」
「誰のせいだ誰のーーーッ!」
グリンダさんと二人で騒いでいたその時だ。事務所入り口の扉が軋み、小さな悲鳴を上げながら開けられた。
「……ああもう、うるっさいわね朝っぱらから」
入ってきたのは見慣れた姿。噂をすれば影、ドロシー・キャスケットである。昨日の疲れも抜けきっていないのだろう、今日もぶすっと不機嫌そうな顔で、なんともやかましそうに俺を一瞥した。
「ほら、ドロシーたん来たッスよトトぽち」
「小突かんといてください!」
大体、ドロシーが事務所に来るのは毎日のことだろう。なにを今更「来たッスよ」だ。なにも特別なことなんて起きていない。だというのに、
「…………アタシがどうかした?」
「い、いやなんでもない」
グリンダさんが余計なことを言ったせいだ。まともに彼女の瞳を直視できなかった。
「ふうん——ま、別にいいケド」
「おはおはー。疲れはとれたッスか、ドロシーたん」
そんな俺を気遣ってか否か、所長はいつものぶっ飛んだテンションではなく、どことなく落ち着いた様子でドロシーに会釈した。それに対してドロシーは両手を組んで前に突き出すように伸びをしながら言葉を返した。
「おはよ、所長。疲れはまぁ……うーん、ぼちぼちかな。すぐにベッドに入ったはいいんだけど、色々考えちゃってあんまり寝付けなかったわ」
寝付けなかった——か。実を言うと、俺も昨晩はなかなか寝付けなかったクチだ。それというのも全て、
「色々ってのは、やっぱり魔女のことスね?」
エルファバのことが頭の中をぐるぐると回っていたからだ。
「…………やっぱ、トトからもう聞いてましたか」
「はいそこ、にらまなーいにらまない。報告は立派なトトぽちの仕事でっせドロシーたん。そしてそれを聞くのがグリンダちゃんのお仕事ッス」
「……うん」
「しかし、ドロシーたんが解決屋に入る全ての始まりッスからね、魔女は。軽々と他人に口にして欲しくない気持ちはこのグリンダちゃん、よーく理解してるつもりでっせ」
大変でしたね、と続けた所長はまた十二歳らしからぬ柔らかな大人の表情を浮かべていた。
「まー、でもこれでようやく一歩前進ッスね。んでもこうして魔女に近づけたのなら、これからはもっと周囲をよく観察しないとダメッスよ」
「ありがと」
「いえいえ、礼を言われるようなこたなーんも」
所長とのやりとりの中で、彼女の表情がいつになく柔らかく緩んでいくのが分かる。きっと、ドロシーは魔女に出会ってからずっと肩肘張っていたのだろう。長いため息を大きく吐き出した彼女はそのまま軽いストレッチを始めた。どことなく動きが軽快だ。
「——なんか、アタシが思ったよりも心配かけてたみたい……ゴメン、所長」
のんのん。所長は人差し指を左右に振って心配などしていないとドロシーの言葉を否定する。
「心配してたのはグリンダちゃんじゃなくて、トトぽちッスよ」
「……………………へ」
急な話題の振り方に、そんな間抜けな声をあげたのは果たして俺かドロシーか。なんとなく二人で顔を見合わせて、そのまま黙りこくってしまった。非常に気まずい。だからと言っちゃなんだが、俺はその気まずさに耐えかねて慌てて言葉を紡ごうと躍起になる。
「……や、ちちちがちがちがうぞドロシー、心配とか言ってたのは所長が勝手に——」
「ありがと」
トトも心配してくれてたのね。そういった彼女の笑顔は、今まで見たことないくらい、底抜けに明るかった。俺の言葉を遮って放たれたドロシーからの不意の一撃で、それ以上俺の喉は機能しなくなる。
どうしよう、なんだかよくわからんけど、ものすごく鼓動がうるさかった。
「よっし!」
いつのまにか、わけもわからず自分の鼓動だけに集中して周りの状況が理解できていなかった俺は、ドロシーの拳と拳を打つ鈍い音で現実に引き戻される。相当な馬鹿面を晒していたに違いない。
「なんかウジウジしてるのバカらしくなっちゃった。目標が見えたんだから、それを逃がしたことよりも『どうやって追い詰めるか』を考えた方がよっぽど有意義よねッ」
「……そーそ。ドロシーたんには行き過ぎるぐらいの元気が似合ってるッスよ。そのチョーシそのチョーシ」
「うん、所長の言うとおりかも。トト、心配かけてごめんね」
「い、いや。俺は別に……」
ダメだ、やっぱりドロシーの顔が直視できん。
「素直じゃないッスねえ、トトぽちは」
そんな俺の様子を知ってか知らずか、グリンダさんがにやにやと下卑た笑いを口端に浮かべていた。
「もう、所長は好い加減俺をいじって遊ぶのやめて下さいよ!」
「ヨホホホ、ごめんごめん」
所長はコロコロと笑いながら、ちょいちょいと手を招くジェスチャーで俺に頭を下げろと命令してくる。
「んっふっふ、いやぁ青春だねえトトぽちはー」
「……なんだってんですか」
俺はそれに従って膝を折って彼女に目線の高さを合わせた。
「もうすぐお城でパーティーがあるッスよ、トトぽち」
所長は懐から紙切れを三枚取り出してひらりと俺の目の前につきつけた。三日前に街中に配られた、一年に一度行われる例のパーティーの招待状だった。
「グリンダちゃんが最高の舞台を整えてあげるッスから、ここいらでムチューッといっちゃいましょうヨ、ムチューッとあででっ」
「……やめてくださいって、言いましたよね?」
「ごめんなひゃいごめんなひゃいっひゅ」
俺はグリンダさんの両頬をムニッとつまんで引き延ばす。——だから、ドロシーとはそんなんじゃないんだって。所詮あいつと俺は拾い拾われの主従関係でしかなくて、その……ムチューッといくような仲では決してないのだ。大体パーティーがどんな物なのか、俺にはその記憶すらないってのに、その上グリンダさんが最高の舞台を整えるとかイヤな予感のオンパレードだ。
大体、なぜ所長が三人分の招待状を持っているんだ。ああ、俺が事務所の寮に住んでいるからか。しかし所長が絡んできたところで無茶苦茶ちょっかいだしてきそうだし、どうせなら二人っきりでそのパーティーとやらを楽しみたいもので——、
「——ハッ」
いかんいかん、いつのまにか思考がストロベリってる。だから俺はドロシーとそういう仲ではないのだ。パーティーとか俺関係ないし。興味ないし。所長のせいでいらん思考を巡らせてしまった。
「いひゃいいひゃい、いひゃいっひゅ。しょろしょろひゃなしてほしひっひゅ」
「あ、ああ、すみません所長。いま脳みそどっか行ってました」
「はー、んもートトぽちったら手加減してくださいよー。痛いったらありゃしないッス」
頬をさする所長にペコペコと平謝りしていると、本棚に寄りかかってこちらの話を聞いていたドロシーが急に声をかけてくる。俺をいじめるときの顔だ。
「っていうかトト、あんたの脳みそがどっか行ってるのはいつのものことでしょうが。カカシなんだから」
「うるせえぞドロシー。お前ちょっとは記憶喪失にかかった人間に優しくしろよ。病人だぞ病人」
「ああ、そういえばあったわねそんな設定……」
「設定じゃねえよ!」真実色々と深刻なんだよ! こっちの気も知らないで適当なことばかり言いやがって。
「で、二人でコソコソと何の話してんのよさっきから」
……だからこのドロシーという女は。人の気も知らないで……。しかしそこでびくっと肩を震わせるのを我慢して、
「なんでもないよ」
と平静を装いながら即答する。あくまで「ドロシーは関係ない話題ですよ」感を醸し出せて内心ホッと安堵した。
「…………あ、そ」
しかしそんな安堵を悟られたのか、ドロシーはふくれっ面で素っ気ない返事を寄越した。
今日の我ら解決屋業務は一日事務所待機で幕を閉じたが、その間のドロシーはずっと不機嫌そうだった。
もしかしたら俺と所長の話は彼女の耳に届いていたのかもしれない。そんな考えに至ったのは、自分のベッドで横になってからだった。