■1/ゾロアとオルタと竜巻少女(3)
「そぉ、お察しの通り魔女っ娘やってるわん☆」
隣にいるドロシーの表情が強ばる。見なくてもそれぐらい分かった。
少しの間沈黙が緊張と共に場を支配する。誰もなにも喋らなかった。
その沈黙をやぶったのは、この空気に我慢がきかなかった俺だ。
「どうして魔女がここに……!」
てっきり、あのゾロア達へと魔力供給をしていたのは上級使い魔だとばかり思っていた。魔女という余りに予想外の配役が、あっさりと現実味を食い尽くしている。
総大将が自ら敵の前に現れるなんて、誰が予想できる?
「それはね、我慢できずに見に来ちゃったのぉ。カイケツヤとかいう方々がどんな風にた・た・か・う・の・か☆」
あまりにも軽い調子の甘ったるい声で返された。しかし軽いのは調子だけで、その言葉にはひどい威圧感を覚える。とてつもない重圧が身体の内側から滝のように汗を押し出すのがわかった。
「でも、エルファバ様は少しがっかりしちゃったわぁん……」
その声に肩を振るわせたのはドロシーだ。
「がっかり……ですって……?」
出会ってからいままで聞いたこともないようなドスの聞いたドロシーの声色に、思わず彼女の顔を見る。見てしまって、言葉を失った。
ドロシーは、笑っていたのだ。
「なににがっかりしたのか、聞かせてくれる……?」
「ワタクシ、あなたのことはよぉく知ってるのよぉん、ドロシーちゃん」
ふわり、とエルファバは俺たちの目線の高さまで高度を下げて続ける。
「——使い魔憎し、魔女憎し。一生懸命ワタクシたち魔女を追ってるファンの女の子が、どんな風に戦うのかとても、とぉっても興味があったんだけどぉ☆」
囮を走り回らせて鬼ごっこしてるだけじゃない、とエルファバは言う。
「それじゃあつまらない釣り人と同じだわぁん。もっと創意工夫しないと——」
「どうでもいいじゃないッ!」
ほぼ予備動作なしで、声を荒らげたドロシーが拳をぶち込んだ。標的はもちろん魔女だ。
「——ああ。ドロシーちゃんには難しい話だった? エルファバ様ったらうっかり様ぁ☆」
しかしその拳は空を突く。いつの間にか、エルファバは俺たちの後ろに回り込んでいた。
「どうでもいいって言ったでしょ、魔女……! アタシ達のやり方がアンタにとってつまらなかろうがなんだろうが、こうして目の前に目的の魔女がいる!」
そんなことはお構いなし、とドロシーは振り返ってすぐに魔女を睨めつけた。口元にはやはり笑みを浮かべている。あまりに凄惨な表情が、彼女の精神状態の異常をまわりに訴えていた。
こいつ、ここまで魔女に執心してたのかよ。一年もつきあってきたが、こんな表情見たこと一度もない。あるいは、一年しかつきあいがなかったからか。
「待て、落ち着けドロシー! いくらなんでもいきなり戦いを挑むのは無茶だ!」
とにかく一度冷静にさせる必要がある。明らかに準備不足だ。
知識も。おそらく経験も。
「この状況で臆して戦わないバカはいないわよッ! これで、これでようやく——」
いまのドロシーに俺の話を聞く耳はない。彼女は激昂に身を任せるように、笑いながらエルファバを睨み付けて、叫ぶ。
「——ようやくアタシは元の身体に戻れるんだから!!」
ドロシーの叫びは悲痛だ。子供の頃からずっと願っていた目的を、俺がこの一年間聞き続けてきた想いを、彼女は口に出さずにはいられないのだろう。
彼女は自分が魔力の影響によってもたらされた、とある身体の秘密を抱えている。その秘密を彼女は嫌悪している。ゆえに、その嫌悪から脱却するために——自分の本当の身体を取り戻すためにドロシーは解決屋になり、人生を賭けて魔女を追っていたのだ。
その目標の『到達点』ともいえる魔女が目の前にいる。ドロシーが取り乱すのも無理はない。しかし、
「だからこそだ! いまだからこそお前は落ち着かなきゃいけないんだろ! お前いまコイツが回り込んだ瞬間が見えたってのか!?」
「…………っ」
「んっふー、そっちのカレシはもう少しお利口さんみたいねん☆」
「……そりゃどうも」
この状況で臆して戦わないバカはいないとドロシーは言ったが、そのバカはいる。俺だ。
コイツが降りてきた瞬間から、身体の震えが止まらない。得体の知れない恐怖感が、頭のてっぺんまでどっぷりと支配している。
「そんなに怖がらなくてもいいのよん、トト・ザ・スケアクロウちゃん☆」
長いからカカシちゃんって呼ぶわね、とお気楽に彼女は言う。
「お前、俺のこと、まで……」
「エルファバ様は何でも知ってるのぉ☆ それはたとえばぁ——」
刹那、俺の顔の真横にエルファバの顔があった。挙動がつかめないまま、後ろから耳元に囁かれる。
「——どうしてカカシちゃんが一年前、記憶喪失になったのか……とかね☆」
「な……!?」
それはどういうことだ、と聞く前に、魔女はすでにその場から消えている。再び空高く飛び上がっていたのだ。
「ウフフ☆ 今日はこ・こ・ま・で」
「逃げるっていうの!?」
ドロシーが過剰に反応して叫ぶ。
「そう、逃げて『あげる』のよぉ」
見下ろす魔女の顔は、不敵に笑っていた。
「ふざけるな、アタシと戦いなさい魔女ッ!」
「アナタはワタクシと戦うにはまだ早いわドロシーちゃん。そうねえ」
エルファバは右手を高く掲げて、中指と親指をあわせ、
「いまのドロシーちゃんにはこういうのがお似合いかしらん☆」
そのまま指を鳴らした。
「それじゃあカイケツヤのお二人様ぁ、また会いましょうねん☆」
そして、なにかが小さく弾ける音と同時、エルファバの姿が瞬きと共に消えていた。
●
その代わりにというように、轟という破砕音が地響きと共に辺りを席巻する。エルファバがいた位置よりさらに上空から、異形が降ってきたのだ。
それは人間の少女のような姿と大きさをしていた。しかし、確実にそれが人外であると一目でわかる。
大木が捻れたように歪んだ土色の肌に、黒く塗りつぶされた瞳。髪の毛は枝やツタで構成され、まるで過剰なアクセサリーのようにいくつもの赤い木の実がなっている。
黒いランジェリーこそつけているが、ほとんど全裸のようなその少女は、言うなれば樹木の怪物だった。
「こいつ……」
そう。こいつこそが魔女の魔法によって生み出された化け物。魔力を持たない無機物ではなく、先天的に魔力を内包している動物——人間を変身させた、魔女お手製の上級使い魔。
「……オルタか!」
瞬間、身構える。俺は戦闘においてはほとんど役立たずだが、相手の攻撃に備えた方がダメージもいくらか抑えられるはずだ。
「おい、ドロシー! いい加減に目ぇ覚ませよ!?」
そういえば、とドロシーの様子をあわてて伺う。魔女と対峙していた時のまま興奮状態が続いていたら、とてもじゃないが戦えないだろう。
「ああもう、うるっさいわね。とっくに落ち着いてるわよ」
いつも通りの悪態が返ってきたことでドロシーの調子が戻っていることを確認すると、俺はひとまず安堵する。それが顔に出たのか、俺の表情を見るなりドロシーは少しばかりばつが悪そうに頬を掻いて俯いた。
「……わかってる、ごめん」
「いや、いいんだ」
とりあえず目の前のオルタを何とかするぞ、と俺はドロシーの肩に手を置く。
「■■■■——■■」
まるで聞き取れないうめき声にも似た言葉を口にしながら、オルタは一歩また一歩とこちらに詰め寄ってくる。その両手には、赤い木の実が二つ握られていた。
それを見たドロシーはすぐさまこちらに背中を見せて、言う。
「やるわよ、アレ」
「え、いいのか。やったら疲れるだろアレ」
「アタシがやるっていってんだから、さっさとやりなさいよ! 死ぬわよ!」
オルタの両手が左右に広げられる。どんな攻撃が来るか、容易に想像できた。
「わ、わかった……じゃあ、やるぞ!」
このままモタモタしていたら確かに死にかねない。急かされるように俺は佇まいを直した。
目の前にドロシーの背中がある。大きく背中が開いた服から白い肌が大胆に露わになっていた。その中央に走る黒のラインは、彼女のブラジャーだった。
その扇情的で魅惑的な背中を改めてまじまじと見ると、やはり少し気まずい。見てはいけない物を覗き見しているような感覚におそわれながら、おそるおそる、そのホックに手を伸ばす。何度やってもこの震えは治らない。
オルタの両腕がしなる。
もう時間がない、と俺は覚悟を決めた。俺はホックを外す。俺はホックを外す。俺はホックを外す。俺はホックを外す。
敵がその二つの木の実を思いっきり——、
俺はホックを————、
——ブン投げた。
————外した。
オルタの手から放たれた瞬間、木の実は炎と化けた。炎の球は轟々と燃えさかり、こちらにまっすぐ飛んでくる——それと同時。三つの破裂音が衝撃となって爆発した。
「うおわあッ!」
俺の身体は後方へと思いっきり吹っ飛ばされた。それは敵の攻撃によるものではない。
ドロシーを中心に波のような衝撃波が三回、周りの物を見境無く攻撃したのだ。その波にぶつかったオルタの炎は、跡形もなく霧散してしまった。
オルタの無表情な顔が、少しだけ動揺に染まるのがわかった。
それもそのはずだ。先程までそこにいた赤毛のドロシーはどこにもいない。俺が彼女のブラのホックを外したこの瞬間、ドロシー・キャスケットは一つの異質な存在へと“変身”しているのだから。
赤毛だった髪は金に染まり、おさげもほどけてことごとく風に靡いている。
彼女の名は竜巻少女。
間違いなく、この地上で最強の“人類”だ。
■二章へ続く■