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いつかの眠りまで

作者: 風月白夜

誰かが言っていた。


それは必ず訪れるものなのだ、と。


誰かが言っていた。


始まりがあるから終わりがあるのだと。


誰かが言っていた。


だからこそ人は一生懸命生きようとするのだ、と。


誰かが言っていた。


命の終焉こそ、生物の終着点なのだと。



逃げることなど出来ないのだ、と。


誰かは言っていた。





怖い。


感情が押し寄せて、僕にひたすら意味のない焦燥感を与える。


僕が出来ることといえば、この焦燥感に駆られて棒みたいな足を真っ暗な世界に進めることだけだった。


もう、五日もこの状態だ。疲れが出ないわけがないし、歩くことですら止めてしまいたくなる。



ここは何処なのだろう。真っ暗なままの世界に意識をとどめておく必要がなかったので、随分の間場所というものを気にかけなかった。


朦朧とした意識を周囲に撒き散らす。


……駅、だろうか。周囲はやはり暗い。縦に長く伸びたそこは、どうやら駅のホームらしかった。


周りに人の影はなく、静かだ。


ふと、視界に点滅した光が入る。首を曲げると、それが蛍光灯だということが分かった。点滅する蛍光灯が、やけに小さく映る。


奥には建屋があり、近づいてみると、入り口には待合室と書かれている。


室内は手前にあったものと同じようにちらつく蛍光灯と部屋の壁に沿って並べられたベンチしかなかった。


久しぶりに目にした明るいものに惹かれた――というわけではないけれど、僕はそこで少し休むことにした。



とはいっても。……休めるのだろうか。


不安や疑問ばかりを抱えたままベンチに腰掛ける。途端に、大波と化した疲労感が押し寄せて、脳が睡眠を要求し始める。その強大さは、とても抗えるものではなかった。


何も命令していないはずの瞼は自動シャッターよろしく僕の視界を閉じていく。すでに消えかけていた意識も世界から遠ざかろうとする。ああ、この調子なら。


このまま。そう、このまま、落ちるように、沈むように――。



「――うわぁぁぁあああ!」


瞬間。恐怖が、襲ってきた。


「ああぁぁあぁあ!」


囲みこむように、逃げ場なく。刺さるように、鋭く。


恐怖は感覚を超え、感情を埋め尽くし、僕の身体を喰らっていく。


息が詰まるように苦しい。凍るくらいに寒い。針に刺されたように痛い。


この状態が始まって――もう、五日になる。慣れるなんてことはなくて、だからこそ僕はこうして逃げまとっているのだった。


ただただ恐いから。考えるだけでどうにかなってしまうくらいに恐ろしい。


もう五日。


僕は眠っていなかった。恐怖が故に。対抗する知恵も、人も知らず、ただただ考えてしまうそのことを恐れて、歩き続けて。眠りたくても眠れず。ただ、彷徨っているのだった。



気を鎮めて。


抗えない恐怖を心の奥に押しやって。


呼吸を整えて。


どれくらいの時間が経ったのだろう。数分どころの話ではなかったのだろう。


でなければ、静かすぎるこの待合室に、人が入って来たことに気付いた筈だから。





「大丈夫?」


目から入ってくる情報を脳に受け入れると、僕は今ガラスを睨んでいるらしかった。記憶が正しければ、ここは駅の待合室だったはずだ。当然そこにはガラスがあるはずだし、人が入ってくることもあるだろう。


周囲が暗いおかげで、ガラスに映る自分の顔がよく見える。


顔全体に汗を流し、真っ青な顔で目を大きく開けていた。これが他人だったら、なるほど確かに大丈夫かと声をかけるだろうくらいには、酷い顔をしている。


自分の顔を映すガラスの隅には一人の少女が映っている。


僕は振り返りながら自分の状態をようやく認知して、近くの椅子に腰掛けた。眠ろうとしているうちに立ち上がり、ガラスに歩み寄っていたらしい。いよいよもって重症だ。


「なんだか、わたしと同じ感じの子だね」


少女は笑って、僕の隣に座った。


「同じって?」


僕が訊くと、少女は少し考えてから、


「寝ている間に動いちゃうところ?」


と首を傾げた。


「もしくは、動いている時に寝ちゃうところ、かな」


少女は欠伸をして、


「わたしはいつでもどこでも眠いからさー」


変な人に出会ったものだ。僕は隣に座る彼女の姿を目に入れながら、そう思った。


高校生くらいだろうか。そうだとしたら年上になる。でも、その容姿からは少しも年上らしい頼りになる雰囲気がなく、ふわふわと浮いた印象すら受ける。


髪がボサボサであることと、着ている服がひらひらした服であることも、彼女がふわふわしているという印象を与える要因なのかもしれない。長い髪はそれぞれ自分勝手な方向に伸びていて、ちっとも櫛を入れていないことがはっきり分かる。


「僕はそんなに寝相が悪いほうじゃないんだ」


これは例外的、と僕は意味もなく言い訳をした。


「そうなの? 変わっているね。面白い」


言葉を反し、微笑んで――、


「それじゃ、おやすみ」


寝た。


寝始めた。言葉の通り。目をつむり、背もたれに身体をあずけて、眠り始めた。


「――って、おい! なんなの? なんでいきなり眠り始めるのっ?」


僕は思わず立ち上がり、少女の正面に立って思い切りツッコんでしまった。


「えー? なに? どうしたの~?」


少女は面倒くさそうに目を半開きにし、僕へ視線を送る。


「なに、じゃないよ。今の会話で寝る? 普通」


「普通の話は重要じゃないんだよー。問題はわたしが何をしたいかなんだよー」


ぷう、と頬を膨らませて、目をこすり、


「仕方ないなー。ちょっと話相手になってあげるよー。わたし、こうみえても暇じゃないんだよ?」


「へえ。これから寝ようとしてる人間が暇じゃないなんて、一体これからどんな用事があるっていうんだろうね?」


「むう。可愛くないよ、きみー。見た目可愛いんだから、もっと子供っぽくていいのにー」


少女は立ち上がり、僕の頭を撫で始め、


「中学生? 可愛いなー」


「うわ、なにするの!」


「あー、可愛い。ずっと撫でてたいー」


「それはやめて」


僕は腕を振り払い、距離を取る。


なんでー、と少女は子供っぽい口調で手を伸ばして今度は僕に抱きつこうとしてきたので、少女と少し離れた位置に逃げた。


「あー、そういえば自己紹介がまだだったねー」


逃げた僕に対して深追いはせずに彼女は、


「わたし、西村にしむら夏乃なつのっていうんだ。高校二年生――十七歳だよ」


よろしく、と笑いかける。


「……山中やまなか小風こかぜ。中学二年」


何故だかわからないけれどその笑顔を僕は直視できなくて、無愛想に自己紹介をした。決して、照れくさかったわけではない。


「それでどうして、小風くんはこんなところにいたの?」


「分からない」


首を傾げる夏乃に僕は、


「気がついたらこの、駅のホームに立っていたんだ。休めそうなところを探して、ここに行き着いた」


大分省略した説明にはなったけれど、大方はそんな感じだろう。彼女としても、世間話程度に聞いてみただけだろうし、僕もそこまで深く介入されるのは本望ではない。これくらいの説明がベストだろう――そう思っての言葉だった。


しかしどうしたことだろう、数十秒しても返事が来ない。もっと詳しい説明をしろということなのか、不審感を覚えて黙ってしまったのか――彼女の方へ視線を向ける。


「…………」


この沈黙は、夏乃を見て閉口してしまった僕のものと、その夏乃自身のものである。


彼女はなんと、気持ちよさそうに目を瞑り、わずかばかりの呼吸音を残してこの世界から意識を投げ出していた。これが大会か何かの競技で、採点者がいたとすれば満点は堅いだろう。それくらいに気持ちよさそうな――睡眠を貪っていた。


「ねえ、ちょっと! 人に話を振っておいて、それはなくない? 世間話程度だったとしても、話を聞こうとする姿勢くらいはつくるものじゃないのっ?」


僕は立ち上がり、夏乃の正面に立つ。


「聞いたの、あなただよねっ? 僕は答えただけなんだよねっ」


「…………?」


「え、なんで僕に迷惑そうな顔するの? 僕、悪いことしたの? 僕、何かしたの?」


「……元気だね、小風くん」


そう言われて、口を閉じる。確かに、いくら人生最大の断眠記録に挑戦している途中だとはいえ、少しテンションを上げすぎたかもしれない。頭のネジが外れかかっているのかもしれなかった。


「君も、眠いんでしょ?」


夏乃は半分以上閉じた眼で僕をとらえ、訊いた。



頷くと、


「一緒に寝ようよ。きっと、寝られるよ」


彼女はそう言って、栄養失調で元気がなくなりかけている亀みたいな速度で腕を動かし、自身の隣の席へ招いた。


不思議と、嫌悪感は感じられない。いや、感じる体力が無かっただけなのかもしれないし、彼女が出す独特のオーラにのせられたのかもしれない。


とにかく僕はその時、確かに彼女と一緒になら眠ることができる気がしたのだ。生きていれば必ず行うはずの行動が行えなくなってしまった僕が、その時だけは眠りの底へ向かうことができる気がしたのだ。


もう一度、何も言わずに頷いて――僕は椅子に腰掛け、目を瞑った。


「…………」


夏乃がごく自然に僕の肩へ頭をよりかけても、嫌ではなかった。むしろ――いや、これはきっと僕の気のせいだろう。



とにかく。


かくして。


僕はここ五日間、何度も試みた愚行に、また挑戦することになった。


挑戦、というのはあながち拡大表現というわけでもなく、今の僕にとっては文字通りの意味合いになっているというのは、どうでもいいことなのだろう。


溜まった疲れが再び溢れてきて、僕の思考を鈍らせる。


静かに。僕は暗闇へ、沈んでいく。落ちていく。消えて――、


「――――っ!」


声にならない悲鳴が、喉から溢れた。


駄目だ。


駄目だ。駄目だ。


突き刺さり、取り囲み、締め付ける。


そんな恐怖が、襲ってくる。叫びが声にならなかったのは、隣に人がいることを気にしたからなのだが、それでも、身体が硬直するのを抑えることは出来なかった。


怖い。感情が心と身体を支配して、僕を眠りの底から引きずり上げる。


やめてよ。僕はただ、静かに生きていたいだけなんだ。そんなことを考えて、苦しめられていたくないんだ。


やめてよ。とめてよ。――助けてよ。


「大丈夫?」


近くで聞こえたその声は、暖かく、優しかった。


目を開けると、どうやら僕を締め付けていたものが恐怖だけだったわけではなく、物理的な意味でも締め付けていたらしいことが分かった。


夏乃の腕だ。

状況から察するに、突然異変に見舞われた僕を必死の想いで抱きしめて安心させようとしたらしい。先程までの眠そうな目つきは何だったのか、今は真剣な表情で僕を見つめていた。


「……うん」


返事をすると、僕を抱いていた両手を緩め、微笑んだ。


「なら、よかった」


「……あ、ありがとう」


「どーいたしまして」


返事をするなり、夏乃は、


「怖いんだよね?」


そう、訊いた。


表情は真剣で、目を逸らすこともしない。こちらが逸らすことだって、させてはくれないようだった。


「――話して。聞くから」


吸い込まれるみたいに。僕は自然に、言っていた。


「うん」


彼女に、この悲鳴が聞こえるのだろうか。そんな疑問を抱えながら。





「本を、読んだんだ」


ちらつく電灯を見上げ、呟くように言った。


「何処にでもある、ありきたりな本だったんだ」


夏乃は口を閉じて、真剣な表情で僕の話に聞き入っている。



そもそもの発端は、くだらないことだった。本を読んで、物語を知って。それだけの、ことだった。


砂になってしまうという病気に罹った少女が、消えていく話。


最初は確かにそこにいて、身体がそこに在った筈なのに。その少女は時間が経つに連れて身体が砂に変わっていってしまうことに気がついて、抗うけれど、無駄で。結局、身体が完全に砂に変わり、風と共に消えていく。そんな、話。


消えていく。なくなってしまう。跡形もなく。



「それが、僕にとっては怖くて。生きていることはつまり、正反対のものを受け入れることなんだって、考えてしまって」


考えは止まらず、恐怖は駆け抜けて。僕を貫き、縛り付けた。


「眠るという行為が、怖くなってしまったんだ。いつも、眠るときになると考えてしまう。僕もいつか、あの物語の女の子みたいに失くなっていくんだって。消えていくんだって。


眠るという行為は、その消えるという状態に最も近い行動なんじゃないかって」


だから僕は、眠れなくなった。目を瞑ろうが、疲労で身体がぼろぼろになってしまおうが、意識が朦朧としていようが、関係なく。恐怖は僕をこの世界に縛り付け、眠りの世界とかけ離れた僕は今、目を瞑ってしまえば眠れる筈なのに、それが出来なくなっている。


「馬鹿馬鹿しいでしょ? 誰でも抱えている問題で、誰もが通る道の筈で、それが特別じゃないことくらい、分かっている筈なのに。分かりきっていることなのに」


思ってしまう。考えてしまう。


怖い。ただ、ただ、純粋に。


僕は、眠ってしまうということが怖かった。





「僕が眠れないのはそう、そんな、くだらないお話だよ」


ちらついた電灯が眩しい。目も潰れるように光が僕を押さえつけてくるのに、もう僕は目を細めることすら出来なくなっていた。


いよいよもって、終わってる。そう、思った。


あまりの惨めさに、笑い出してしまいそうだった。いやむしろ、いっそ何かの感情が溢れ出て、心から笑ってしまえたらどんなにいいだろう。もう、どんなにくだらないことでもいい。恐怖でさえなければ、僕は笑っていられるはずだ。


「――違うよ」


遠くで声がした。


「くだらなくはない筈だよ。少なくとも、わたしにとっては」

 

遠くの彼女は、そう言った。


「一生懸命考えて、悩んでる。それにくだらないことなんて無い」


わたしはそう思ってる。声は僕の耳を貫く。



小風くん。


隣で彼女は、僕を抱きしめた。


「わたしはここにいるよ」


暖かくて優しい風を、どこかで感じていた。


まるで世界の色が変わったような――いや、変わり始めているような、そんな気がする。


「わたしは、ねぼすけだから――出来ることならずっと眠っていたいと思うくらい、眠ることが大好きな人間だから――ずっと、ここにいる。小風くんの、隣に」


優しく、抱きしめて。


「君が起きるまでここに居るし、君が起きなければずっとここにいる。眠りながら、君を待ってる。帰ってこないのなら、わたしもそこに行く」


だから、安心して。


「一緒に、眠ろう?」


差し伸べられた手を掴むと、彼女は微笑んで僕へ温もりを伝えてくる。


抱きしめられたまま寝たら、起きた時に身体が痛くなりそうだなとか考えながら目を瞑り。夏乃の後ろに自分の腕を回して。


ぎゅっと服を掴んで、眠りの世界へ入って行った。

――――あとがき――――


ども。風月白夜です。

最近受けた試験は普通運転免許の筆記試験です。

加えて苦手なことは後書きを書くことです。


この度、いつかの眠りまでを読んで頂き、ありがとうございます。


ふむ。やはり、後書きを書くのは苦手です。何を書こうか考えてから打ち込んでいるのに、いざこうしてその段に来ると、それをド忘れします。


きっとコレは、あれです。円環の理を超えた世界真理へ近づいたあれです。はい、すみません、テキトーです。


ってか、これ大分書いたのでは無いでしょうかっ?

良い進歩です。次回もこの調子で後書きを長くしていきましょう。うん。それではまた。


前作:井の中の蛙、大海を知らず http://ncode.syosetu.com/n4638cc/

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