四話
今年の更新はこれで終わりかな
まだ日も登らぬ頃、病院内に警報が鳴り響き。仮眠室で睡眠を取っていた奈央を叩き起こした、この警報は機材が破壊された時に鳴る物で、そんな警報装置を着けている程高価な機材を使っている患者は、今はサイハテ一人だった。
奈央は仮眠用のリクライニングチェアで目を開けて、ゆっくりと身を起こす。
「……相変わらず、規格外な男」
どうせ、体が完治したサイハテが脱走したのだと言うのは分かり切っていた。
普通の人間ならば、一週間はキュアポッドの中だと言うのに、あの男はポッドに入れた時から異常な回復力を見せていた。恐らく、この上なく理想的な健康体だったからだと推測できる、怪我した部分の細胞分裂速度は赤子に勝り、体内の酵素などはかなり活発になっていた。
「あの子はそこまで想われていて羨ましいわ……中毒症状は抑えてある、装備のお膳立てはしてあげた、あたしに出来る役目はここまで。後は貴方次第よ西条くん」
そう呟くと、どこからかお礼の言葉が聞こえてきた。
姿は見えないし、空耳のような響きであったが、お膳立てしてやった装備が消えている。そして開けたはずのない窓は開いて、風が吹き込んでいる。
奈央は大きな欠伸をすると、再びリクライニングチェアに身を沈めて、目をつぶるのだ。
(どうでもいいけど、あたしもそこまで想われてみたいわ)
飯塚奈央24歳、乙女真っ盛りである。命を賭けられる位に両想いの男性に思われると言うのは、ちょっと憧れる年頃だった。
サイハテが病院を脱走する一時間前に、ヨーコは目を覚ました。目覚めてやる事は栄養の補給と装備の点検だ。これはサイハテが口を酸っぱくして言ってた、まぁ、梅干しを全力で食べながら言っていただけなのだが。
それはともかく、銃の分解整備などは昨夜の内に済ませてあるし、元水泳部員だったヨーコは朝食の大切さを理解している。サイハテはヨーコと一緒に過ごすようになってから、朝食は大量に用意するようにしていた、運動があった日は昼も大目に、しかし夜はかなり少なかった。
「それじゃ、いっただっきま~す」
スプーンを持って、高カロリーな軍用レーションを食べ始める。脂っこくて味も濃い品ではあるが、昼に食事をとれるかどうかは解らないし、ここでドカンと栄養補給しておかなくては後で動けなくなって死亡する可能性が高まる。
ただ死ぬなら、まだ良い方だ。ブッチャーなんかは女を浚って増えるのだ、甚振り、苗床にされての死などヨーコは御免蒙りたいのである。
一セットとなったたくあんと白飯を頬張りながら、ヨーコは今日の予定を立てる。ワラシベシティまでの大体の方角は理解している、理解してなくともカナタが居れば迷うことはまずない。
「おん!」
「そんな事言われてもねー……私はサイハテみたいな事は出来ないし」
「おん、おおん!」
「え? そうかな……今回はサイハテの救助も望めないんじゃない?」
「わう~ん」
「……私ってサイハテに好かれてたの? それ本当?」
脱出作戦の会議が、いつの間にかガールズトークに変貌してしまっている。カナタの鳴き声に、ヨーコは割り箸を咥えながら微妙な表情をする。
「正直、最近の私って鬱陶しいかなって自分でも思ってるのよね……」
「おぉん……」
「嫌よ嫌よも好きの内? そうなのかしら……中学で恋ぐらいしとくんだったわ」
野戦服のままガールズトークを繰り広げる一人と一匹、その間でもヨーコとカナタは食事を勧めていく。少しの会話位なら脱出計画に響かないだろうが、流石に危険地帯で気を抜きすぎである。
「……やっぱり脱出も恋愛も地道に行かないとね」
しかし一応会議にはなっていたらしい、と言うか徒歩以外の移動手段はないし、地の利はないし、おまけに持ってきた弾丸も心許ない。ないないずくしで脱出しないと行けないのだ、おまけに東京は関東一ホットな危険地帯だ、巨人のような牛は居るし、人類種の進化形は居るし、人間を積極的に襲う野生動物に、蛮族が居る。
一般人なら一キロの散歩で七回は死ねる場所だ。
「そろそろ行きましょうか、カナタは先行して危険を察知。敵は私が殺るわ」
「おん!」
ガスマスクを被り、アサルトライフルを構え、拠点にしていた薬局のドアを慎重に開く。前夜の内に簡単なバリケードを製作していたので、撤去に手間がかかったが、なんとか外へと出る事が出来た。
ドアの隙間からライフルの銃口を突き出して、右と左を見て、敵影がないのを確認してヨーコはようやく外に出る。カナタが先行し、ヨーコが続く、これを繰り返す事でゆっくりとだがワラシベシティに近づいて行く。
しかし、薬局を出て一時間後に彼女達の行進は止まる事になる。
「おん!」
カナタが今までにない位強い声で鳴き、ヨーコは近場の店に身を潜める事にする。彼女達が目撃したのはワラシベシティに向かっていく大量の車両と、縦列横隊を組んで進んでいく新人類の軍勢であった。統率がとれており、優秀な指揮官や士官が存在する事は、サイハテになら分かった。
「不味い気がするわ」
向かっているのはどう見てもワラシベシティで、戦車や装甲車で構成された車両群と、武装を施した兵士の群れでヨーコにもこの事態が不味い事が分かる。
ヨーコはここがワラシベシティからそこそこ遠い事を知っている、しかしこのピンチを伝えなくてはならない、ならばと背嚢の中からペンと薄汚れた紙を取り出して、サラサラと一筆書く。
「カナタ、これをサイハテに届けてくれる?」
「……キューン」
「私は大丈夫、この店の中に隠れておくわ。そうそう見つかりはしないわよ」
カナタもこの状況が不味い事位解っている、ハイスペック秋田犬だから。手紙もどきを首輪に結わえると、彼女はサイハテが居るであろう方向に走り去っていく。
「……任せたわよ」
ヨーコはその背を見送ると、パン屋らしき店の奥へと引きこもるのだ。サイハテに教わった手榴弾トラップを設置してから。
それでは皆様良いお年を。




