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三話

 ヨーコが下水道の中で臭い思いをしている時、サイハテも心中穏やかではいられなかった。すぐさま救出に向かいたかったのだが……前々からの薬物の乱用に加えて、今回はガスマスクを破損し、東京に散布された毒ガスを吸い込んでしまっていたのだ。

 サイハテは倒れた、心肺停止にまで陥る事態になっており、救出に赴くのはまず不可能だった。


「……そもそも、左肩は脱臼してるし、大腿骨に皹は入っているし、頭蓋骨には穴が開いてて、内臓は腎臓一つと肺一つと腸の一部が破損中。おまけに右手足の靭帯は断裂、よく動けたわね、それで暴れたんだって? 死ぬわよ」


 そして超重傷だった。

 すぐさま奈央の手によってキュアポッドにぶち込まれ、ナノマシンによる集中治療を受けている。


「……そもそも、普通なら三回位死んでいる傷なんだけど。聞いてるかしら西条くん」


 試験管の中で眠るサイハテに向かって、奈央は声をかける。しかし、キュアポッドの中でぐっすり眠っているサイハテからの返答はない。奈央は一つ溜め息を吐くと、医者に診断させたカルテを覗き見る。


「重度の薬物中毒を確認、常に幻覚、幻聴、幻肢痛に苛まれているはずであり、正気を保っているとは考えにくい……ねぇ」


 サイハテは常にラリッている状態でもあったらしい、それで正気を保ちながら狂人のふりをし続けるサイハテに呆れてしまう。どんな精神力をしているのだろう、そしてこの薬物中毒は奈央が原因の一旦を担っている。


「もしかしたら、貴方が、あたしの求めていた人物かもしれないわね……フフフ」


 奈央は怪しく笑うと、顔に包帯を巻いて、集中治療室から出て行ってしまう。彼女が出ていくと、すぐさま患者の様子を見る医療スタッフが再配置されて、キュアポッドの中に新たな薬剤を注入していく。青かった薬剤が緑に代わり、中のサイハテが呻いた。














 薬局、その倉庫には小さなマンホールが存在した。それが音を立てて空くと二本の細い腕が出現する。


「よい……しょっと」


 その腕の主はアサルトライフルを投げると、腕を着いて体をマンホールから引きずり出す。最初に現れたのは犬だ、まさか獣人の類とでも思う光景だが、それはあり得ない。頭の上にカナタを乗っけたヨーコが腕の主だからだ。


「おん!」


 倉庫の中まで毒ガスが充満している訳ではないらしく、新鮮な空気を吸えたヨーコはほっと一息をつくのだ。ベルトに括り付けた水筒から鉄臭い水をガブリと飲み、一口で半分も飲んでしまった事を後悔しつつ、カナタに残りの水をあげるのだ。

 水筒から一生懸命水を飲むカナタの姿に癒される。


「うふふ、カナタ。お前はモフモフね。モッフモフね」


 カナタの背中を撫でて、毛皮の感触を堪能したヨーコは思わず表情を弛緩させる。ふりふりと動いているカナタのしっぽを見たからだ。


「おん!」


 あんまりゆっくりしている時間はないんじゃない、と言いたげなカナタの鳴き声に、ヨーコはトリップしていた意識を戻す。もう少しカナタを撫でていたいが、今はそんな事している場合ではない。


「そうね、行きましょう。この店の中にガスマスクがあればいいんだけど」


 なかったら下水道に逆戻りだ。毒の中を突っ切る訳にはいくまい、外に満ちているのは神経性の毒ガスで吸い込むと手足のしびれから始まって、神経をやすりで擦られているような痛みが走り、死に至る毒だと言う。さらにいろんな場所が緩んでいろんな物をぶちまけて死んでしまうのだと言うから驚きだ。

 ヨーコは店内に続く扉をゆっくり開けて、銃口を突き出しながら部屋の中に入る。敵の姿は見当たらないが商品の姿も見当たらない。

 お仲間(ワンダラー)達が荒らして行ったのだろう、ワラシベシティからも遠いと言うのに、よくここまで来るものだとヨーコは自嘲気味に笑う。サイハテが商品が置いてない場合でもバックヤードに何かしら存在するから漁っておけと言っていたのを思い出す。


「バックヤードにあればいいんだけど……」


「おん!」


 不安そうなヨーコに対して、カナタはなるようになるさと鳴く。それもそうねと返事をして、ヨーコはバックヤードへのドアに手をかける。


「鍵。しまってるわね」


 ノブを押してもがちゃがちゃと音を立てるだけ、ゲームならどこかに鍵が落ちているはずなのだが……人生そう都合よくいかない。ヨーコはドアの前で考え込む。


(銃で蝶番を……ダメね、何発必要になるかもわからないし、跳弾が怖いわ)


 サイハテが使用していたショットガンがあれば、ドアをぶち破る事だって出来ただろう。しかし今は存在しない。


「おん!」


「え、ナイフ? ナイフなんてどうするのよ」


「おん!おおん!」


「単分子カッターなら開けられるんじゃないかって? サイハテがそんな事言ってたわね……」


 カナタに言われ通りに、ナイフを引き抜いた所でカナタと普通に会話してしまった事に愕然とする。最近野生化してきたなとは自分でも思っていたが、まさか動物と会話できるまで野生化していたとは……何も困らないので作業に移る。

 切っ先をドアのカギに向けて突き立てると、驚く程簡単に刃が通り、サムターンと共にシリンダーが引き出される。その中に指を突っ込んで、中のカギを動かしてやると。ロックボルトが跳ね上がり、ドアの動きを制限する物はなくなった。ドリリングと呼ばれる単純なピッキングである。


「……中は薬で一杯ね。目的のもの、あるかしら」


 取られていない商品で溢れ返っているバックヤードを、ヨーコとカナタは楽しく徘徊する。サイハテがよく言っている楽しい楽しい家探しタイムだ。


「ナプキン……は、そろそろだから貰っておきましょ」


「おん!」


 生理用品を背嚢にぶち込んだヨーコは違うものへと手を伸ばす、その手を伸ばした先に、袋を咥えて、しっぽをぶんぶん振るカナタが居た。彼女は咥えていた袋を落とすと元気よく鳴く。


「それ犬の餌じゃないの……食べたいの?」


「おん!」


「今開けてあげるわ」


 薬局と言うよりドラッグストアみたいな店であったらしく、様々な物がバックヤードに溢れ返っている。


「生理痛の薬……もらっとこ、私重いし」


 なんだか目的を忘れてしまう、ガスマスクをゲットしようと思ったのに、背嚢は違うもので一杯になっていっていく。薬屋と乙女は、切っても切れぬ関係とは言え、少々楽しみすぎである。

 こうして、太陽は地平線に身を隠し、ヨーコはここで一泊する羽目になってしまう。これが後に幸運をヨーコの元に運んでくるのである。

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