二話
頬に水が当たる感触でヨーコが目覚める、薄ぼんやりとした視界を回し、辺りの状況を見ると薬缶を持ったカナタの姿が目に入る。
――――――凄まじく器用な犬だとサイハテは言っていたけど、器用とかそう言った問題を超えていると思う――――――
ヨーコは率直にそんな事を思った、いやいや、カナタが薬缶で水を汲んで来たとか、そう言った事は後回しだ。サイハテに教えられた事がある、見知らぬ場所に居た場合、敵対勢力による誘拐か、事故による分離が考えられるからとにかく周囲の状況は素早く確認する事と、教えられたのだ。
ヨーコは素早く周囲を見渡すと、足元に落ちている自分の相棒、減音器付き24式自動短小銃を拾う。銃身に歪みや破損は見られない、分解してみないと中身は解らないが使えそうだ。そもそもこれ以外の武装がサイハテから渡された拳銃の九ミリと、手榴弾が三つ。後はナイフが一本位だ。
おまけに状況を思い出す事が出来た、自分はヘリから落ちたのだ。あの巨大な牛の化け物がやってきて、その攻撃の衝撃で機体が揺れて投げ出されたのだ。生きていた理由は単純明快、ボディアーマーが衝撃を吸収し、病院の瓦礫がちょっとしたクッションとなって、ヨーコは減速しながら旧下水道まで落ちてきてしまったのだ。
ガスマスクは砕けてしまっているが、ここには致死性のガスは存在していないか、直ちに問題はないレベルに落ち着いているのだろう。
――――――つまり私は、下水道を通ってガスの勢力圏から脱出しないといけない訳ね、あれ。私死ぬんじゃないのこれ――――――
下水道にどんな生き物が居るかわからないし、ヨーコ自身のサバイバル能力は皆無。変な物食べて死ぬならまだしも、どこぞのビニ本みたいに虫の苗床とか最悪のエンドが待っていそうな気がする。少なくとも幼少期に見た魔法少女物のように触手なんかに捕まりそうだ。
「カナタ、私、命と貞操のピンチだわ。どうしよう、苗床として生かされるより、人としての死を選んだほうがいいのかしら?」
「ギャウウウン!?」
カナタもびっくりの理論である。
「ジョークよ、本気にしちゃ嫌よ」
ヨーコなりのジョークだったらしいと、カナタはほっと安堵の息を吐く。何故なら、ヨーコの容姿だとそう言ったシチュエーションも映えるからだ。冗談になってない冗談とでも言うのだろうか、犬でも笑えない冗談であった。
「カナタ、指揮は私が取るわ。悪いけど……したがってくれる?」
「おん!」
ヨーコの要望に、カナタは元気良く返事をする。
カナタとしても、若い身空で野良犬生活はしたくないし、このご主人は前のご主人によく似て優しいから失いたくないのである。カナタは秋田犬である、秋田犬は中世日本では熊猟用の猟犬として用いられた位で頭の出来はそこそこ、瞬間的に発揮するパワーは日本の犬の中でも五指に入るだろう、それでも土佐犬とかの相手はごめん被りたいカナタだった。
「先行して頂戴、距離は六メートル。敵を発見したら立ち止まってね、ハンドサインで指令を出すわ」
「おん!」
犬にハンドサインが分かるものかと思った諸兄、飼い主であるサイハテが変態なのだから、無論カナタもただの犬ではない。
彼女は旧文明世界で生み出された恐るべき犬なのである、完全兵士計画の前身である強化実験で作られた二十八体の強化犬の内の一体がカナタなのだ。人語を理解する頭脳に、頭脳自体人間に匹敵する。閑話休題。
「前進開始するわよ。ともかく出口を探しましょう、いい? 毒のない所よ」
「おんおん!」
わかってるよご主人とも言いたげなカナタの鳴き声に、ヨーコは一安心するとカナタを先行させる。ヨーコが腰を曲げて通れる位に狭い配管の中、一人と一匹の少女達はゆっくりと進んでいく。いつもはサイハテと言う頼りになる変態が居るのだが……今回は居ない、ヨーコはサイハテがかつて支持してくれた事を思い出しながら前進していく。
こう言った状況ではなんと言ってたか、あんな状況ではどうしていたかを思い出す。頭を絞らねば死んでしまうのだ。
「……おん」
狭い配管を抜けて、大きな配管に辿り着く前でカナタが足を止めた、そして小さな声で鳴くのだ。
「私がやるわ……」
カナタを下がらせて、配管の影から向かおうとしていた場所をそっと覗きこむ。そこに居たのはヴィランと呼ばれる悪党だ。しかも人間の。
サイハテなら会話するなり、なんなりでうまく切り抜けるのだろうが、生憎ヨーコは可愛らしい見た目も相まって、話術で切り抜ける事は出来なさそうだ。容赦なく24式自動短小銃を構える。
「……ごめんね」
本来なら謝る必要など欠片もない、弱者ばかりを狙って行動し、食い物にする人間など何時の世も必要とされないのだから、何人死のうが喜ぶ者こそ居るもの、悲しむ者は居ない。それでも、ヨーコは人だったから、胸の奥底に残った良心が謝罪の言葉を呟かせた。
圧縮された乾いた音が僅かに鳴って、ヴィランの男が倒れる。頸椎から小脳を貫いたから、苦しむ事なく即死であっただろう。
「うっ……!」
ヨーコは口を押える、他の生き物ならいくらでも始末出来るだろう、生きる為だからと言い訳をして……だけど人間だけは無理だった。罪悪感が胸を焼いて、胃の内容物を喉元まで押し上げる。ヨーコは口を押えたまま体を震わせる、そのまま顎を天上に向けて、せり上がってきた物を飲み干す。一度では飲み切れなかったから、何度でも嚥下させる。
人殺し、その言葉が頭の中を何度も木霊して、胃を再びひっくり返そうとするがヨーコは頭を振るう。
――――――絶対に吐いてやるものか、楽になってやるものか――――――
ヨーコは女性らしくない選択をする、楽な方に逃げずに辛い道を選び取る。言い訳なんてしない、殺さずに済む道だって絶対にあったはずなんだ、だけど、我が身可愛さで人を殺した。ヨーコはそれを受け入れる。
「クゥーン……」
カナタが不安そうな鳴き声を出す。
「……大丈夫、大丈夫だから。私は絶対に大丈夫」
誰に対しての言葉だろうか、カナタへのだろうか、それとも自分のだろうか。
それはヨーコでも解らない、しかし、話は終わりだと言うように24式自動短小銃を構える。カナタはそんなヨーコを見て、悲しそうに表情を歪めると再び同じように先行し始める。
少女と犬の冒険は始まったばかりだ。
終末世界アイテムメモ
24式自動短小銃:自衛隊正式採用の自動小銃、ガウスライフルが主流になってきた2020年代で古臭いアサルトライフルを正式採用したのは自衛隊のドクトリンが国土防衛を主眼と置いたものだから、アサルトライフルの集大成と呼ぶべき銃であり、高い整備性、いかれた命中率、低い故障率を誇っている。ちなみにこれは市街地戦を想定したアサルトカービンライフル、可変ストックがちょっとオシャレでヨーコはピストルグリップにストラップを着けている。
もちろん野戦用の24式自動小銃はしっかり存在する。




