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六話

 奈央の家に帰還したが、サイハテの表情は強ばったままだった。

 腹の奥深くに沈み込むような気配を抱いて、サイハテは奈央からの依頼……ナノペーストの製造データを持って、住宅に上がり込んでいく。ヨーコはその背中に声をかけようとしたが、思わず躊躇ってしまう。なんだかヨーコの知っているお調子者でセクハラ大好きのサイハテではなく、歴史書に書いてあったかのような殺人鬼がそこに居た気がしたのだ。


「奈央さん、居るか?」


 サイハテが声を出した。

 抑揚のない、運送屋の兄ちゃんが出すような声で、住宅の中に問いかける。


「居るわよー、その顔だと出会って、生き残ったみたいね」


 その声に反応して出てきたのは黒髪の美女、二十代前半の女性であった。

 ヨーコは思わず首を傾げてしまう、この家にあんな人いただろうかと。


「奈央さん、なんだ。アレは」


 ……サイハテ曰く、どうやらあれがいつも包帯を巻いている奈央らしい。ヨーコは奈央に包帯を巻く理由を聞いた事がある、確かにあの美貌なら納得だと思う。

 ヨーコですら見惚れる程の氷のような美貌、二束三文のモデルなど歯牙にかけないスタイル、そして何より顔つきとは裏腹に、強い母性を感じさせる口元の微笑みが特徴的であった。氷漬けの聖母(マリア)、思わずそんなあだ名を思いついてしまう。


「聞きたい?」


 無表情のサイハテは恐ろしい、いつもコロコロ表情を変える感情豊かな彼がそんな顔をするのはどんなときだろうか。

 しかし奈央は怖気づく事はない。むしろサイハテをからかうようにそんな聞き方をするのだ。

 サイハテは深々と溜め息を吐くと、苦笑を浮かべた。


「善意で向かわせましたか」


「ええ、ヨーコちゃんは置いてくと思ってたから」


「それは俺のミスです」


 サイハテの不気味な雰囲気がパッと消えた。

 ヨーコは再び首を傾げてしまう、あの下腹部に来るムカムカした感じは消え去って、いつものどこかホッとするサイハテが帰ってきたのだ、なぜか唐突に。


「ヨーコ、お茶淹れてくれ。ハルカは……回収した物を売っぱらってこい、なるだけ高値でな」


「え、分かったわ……」


「サイハテ様ってわたくしに冷たいですよね」


「お前はおっぱいを大事にしないからな」


 困惑するヨーコに、唇を尖らせるハルカ、二人を見て苦笑するように笑って、何言ってるのかさっぱり分からないサイハテ。いつもの光景であった。

 ハルカはサイハテの言いつけ通りに山に芝刈り……ではなく、電子部品やら薬剤やらを売りに行き、ヨーコは奈央宅のキッチンでお茶を淹れている。耳は居間に居る二人に向けている、居間の二人も分かっているのか、ヨーコに聞こえるように大きめの声で会話している。


「まずは西条くんが生きてた頃の世界と大分変わった訳を話さなくてはならないわ」


「……この世界に何があったんです? 俺は感染爆発(パンデミック)だと思っているのですが」


「ピンポーン、大正解」


 サイハテの予想は当たっていたらしく、ヨーコは火にかけた薬缶の前で感心した。あれは目覚めて一日も経ってない頃に話した事だったから。


「正確に言うと人災的なパンデミックなの。中華人民共和国って知ってる?」


「ええ、世界一の人口を誇る日本の隣国です」


「そう、あの国がね。恐ろしいウイルスを作ったのよ、ありとあらゆる環境に適応し、数秒で進化して爆発的に増える最悪のウイルス。できたのは偶然だったらしいけど」


「まさかそれをばらまいたのですか?」


「いいえ、爆発したのよ。研究所が」


 それを聞いてサイハテとヨーコはずっこけてしまった。

 無常なる爆発系列チャイナボカンシリーズと呼ばれる現象だ、中国ではありとあらゆる物が爆発し、爆弾が爆発しないのである。


「そのウイルスは瞬く間に世界中に広がったわ、様々な生物に感染し、人間の人口も80%が減ったと言われているわ。誰も確認してないからもっと死んでるか、それとも誇張かの違いは有るけどね」


 それはまた凄まじいウイルスである。


「……残り僅かな人間はシェルターに避難したの。僅かでも感染した者を見捨てて、自分だけ生き残る為にね、それがあたしたちの始まり。ウイルスが地上で全滅してから、シェルターの外に出た人達があたしたちのご先祖様なのよ」


 奈央の話にはまだ続きがありそうだ、ヨーコもお茶を淹れてきてこっそりとサイハテの隣に座っている。


「対して、地上に残された人間達も居た。ウイルスの影響をもろに受けて変異する動物や人間、その攻撃を受けながらもほそぼそと生きていた人間達が居たの。そして彼らは進化したわ、頭脳はより賢く、どんな病気にもウイルスにも負けない強靭な体を持って生まれて来た彼らは、自らをこう呼称したわ」


 新人類(ニューマ)

 奈央はそう語った、ヨーコは奈央の言葉を反芻して首を傾げていたがサイハテは合点が行った。何故自分があんな少女に怯えたか、戦う事もせず全力で逃げたかをようやく理解出来た。

 サイハテが鍛え上げた生存本能が警鐘を鳴らしていた訳ではなかったのである。


「なるほど、人間の本能がビビってたのか」


 そもそも人類のルーツは他の原人を全員ぶっ殺して覇権を得た原人である、遥か昔の遺伝子がサイハテに囁いただけなのだ、怖いからぶっ殺せと。


「そう言う事、西条くんは生物学にも詳しいの?」


「いいえ、食べれる動物にしか興味ありません」


 サイハテの返答は野性的である。

 奈央は呆れたような表情を見せ、ヨーコはクスクスと笑った。


「サイハテ、私食べれる動物よ」


「人は美味しくない」


 ヨーコのからかいはそう言う意味ではないのだが、どうやらサイハテはそのまんまの意味で受け取ったようだ。さらっと恐ろしいことを言ったような気がするが、ヨーコは都合よく忘れる事にする。大人になるって悲しい事なの。

 そしてサイハテは奈央がしたい事を理解し始める。

 奈央はサイハテ達を取り込みたいのだ、組織とやらに。


「奈央さん、俺は高いですよ」


「あら、美人ナースの体じゃご不満?」


「ええ、美少女に美メイドもどきまで居るので、食傷気味です」


「……あっそ、振られちゃったわ。ヨーコちゃん、西条くんがひどいのよぅ」


 ヨーコはなんのやり取りが行われたかわかってないのか、泣きついてくる奈央をなんとなく抱きしめている。今のやりとりはこうだ。

 サイハテは雇うならそれなりの報酬を出せと言う、奈央は自分の体一個で組織に取り込みたい、サイハテは拒否する、これ以上の権限はあたしにないのよ。って会話だ。


「西条くんなら、女の為に命をかけてくれると思ったのに」


「ハッ! そんな馬鹿がどこに居ますかね?」


 腕を組んで高慢不敵に言い放つサイハテに、奈央とヨーコの指先が向いた。

 それもそうである、女の為に命張ったバカはここに居たのだ。そのバカの名前はサイハテ、見事なブーメランであった。


「あ、ガスの元栓閉め忘れた!」


 こうして、サイハテは二度目の撤退を強いられる事となる。

 どうにもこうにも……ヨーコに勝てなくなってきてしまっている、由々しき事態である。

迫り来るシリアスの為に日常編を入れようと思います。

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