一話
「しかし、なんと言うか。荒れ放題だな」
デザートカモフラージュに包まれた服で、男はビルの中を闊歩する。
ビル全体が傾いており、いつ崩れるか分からない状況でフラフラと出歩いているのは中々豪気である。とは言っても、フラフラ出歩いて情報を集めなくては生きられないと、男の生存能力が判断したのだ。
「しかし、西暦二千五百年ね……五百年近く立ってるんだな、父ちゃん母ちゃん、まだ生きてっかなぁ? 生きてたら親孝行してやらなきゃな」
生きている訳ないのである。
それはともかく、男はエレベータを発見し、扉を力づくでこじ開ける。
「電気も止まってるのかよ……ふんっ! うっひょ、鉄錆と腐ったオイルの香りがするなりぃ」
ツンと鼻腔を擽る香りに、男は思わず顔を顰めてしまう。
そして男は重大な事に気がついてしまう。
(一人だと間が持たん!)
ともかく、急いでこの場から脱出すべきだろう、エレベータのワイヤーにしがみつくとラベリングの容量で男はスルスルと下に降りていく。
(……どこで降りようかな、ともかく最下層。いける所までは行こう)
男がエレベータの虚空に姿を消した直後、直立した犬のような化け物が男が居た辺りを嗅ぎ分けている。見知らぬ臭いに首を傾げ、しきりに鼻を鳴らしてその主を探すがその主は終ぞ姿を見せなかった。
「なんかヤバかった気がするー」
二十メートルは下ったであろう頃、男はそう呟く。
今更ながら、この男の紹介をしておこう、名前は西条疾風、名前をモジってサイハテと呼ばれている。年の頃は十八、第一空挺師団の父と旧日本軍中野学校の教官だった祖父に徹底的まで鍛え上げられた常識では考えられない変態である。
銃の撃ち方は知らないがどんな状況でも楽しく生きて行けるのが特技である普通の変態だ。
そんな変態はゆっくりとだが確実に地下へと潜っていく、腐ったグリスが容赦なくサイハテの体を汚し、滑るワイヤーは握力を奪っていく。それでもここを降らなければ自分の命が危ない事を、サイハテは理解していた、経験と直感、そして父と祖父から受け継いだ兵士の血が教えてくれる。
「……じっちゃんと父ちゃんには感謝だな」
何はともあれ、最下層まで辿り着く事が出来た。
握力を使いすぎて手が震えている、しかし前に進まなければならない。
サイハテは力を込めて、エレベータのドアに手をかけて、開く。
「ふんっ、ぎぎぎぎぎぎ……」
僅かな隙間を作り、そこに身を滑り込ませて外に出る。
新鮮とはいかないがあの油の腐った臭いと極限まで溜まった埃の臭いがするエレベータシャフトの中よりはマシな空気を肺に吸い込んだ。
暗闇に慣れた目を辺りに走らせると、どうやらここは研究区画のようだ。
何はともかく、どこかに脱出手段があると信じてサイハテは行動し始める。
「おっ、アサルトライフルだ」
ガンロッカーを開くと中には一丁のライフルが置いてあった、ガンロッカー自体に何か仕掛けがあったのだろう、劣化はしておらず、とりあえずは使えそうだ。
「……しかし、随分と近未来的な造形をしてるな。えーっと……M‐24? 米国製っぽいな」
六十発の弾も一緒に入っている、弾倉に入っている分も合わせて九十発……少し心もとない数だがサイハテにとっては何よりも心強い。
サイハテは探索を再開する、警備室を抜けて研究区画の中に侵入する、どうやらここの研究区画は崩落しており、奥がありそうなのだが今の状態では行けそうにない……諦めて手前の部屋に入る事にした。
「……注射器か」
青い薬剤が詰まっている注射器が一本、何かの溶液に入った巨大ビーカーの中に浮いている。
巨大ビーカーの前にはコンソールがあり、予備電源でも入っているのだろう……コンソールのディスプレイは光を放っていた。
「……贅沢にもパスワードらしきものが書かれた紙が貼り付けてあるな」
罠、と言うのは考え過ぎであろう。
何かに導かれるように、パスワードをコンソールに打ち込んでみせると、注射器が入っていたビーカーから溶液が抜かれ、ガラスのビーカーが機械の中へと姿を消していく。
注射器を手に取ると随分大きいのが解る、薬剤が入ったシリンダーは拳位の大きさで、薬剤は青い光をわずかながらも放っている。
「俺の幸運と、直感を信じよう」
注射器であるから体内に投与する薬剤である事は間違いなく、サイハテの直感もこれを打てと訴えている。
サイハテは徐に、注射器を腕に突き刺した。
「ぐっふ!?」
直後に走る激痛、血管の中を薬剤と言う名のヤスリが通り抜けるような感覚がサイハテを襲う。
その中サイハテは……
「ら、らめぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!? 痛みが、痛みが快楽に変わっちゃうのぉぉぉぉぉぉ……んほぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
痛みを快楽に変えて悦んでいた、流石変態である。
恍惚の表情を浮かべ、部屋の中をのたうち回ったサイハテは、痛みが消えると少しだけ残念そうに立ち上がった。
注射を打った左腕に雷の刺青が出来ている、これはなんなのだろうか。
「……ら、らいでいん!!」
左腕を向けて呪文を唱える、しかし何も起こらなかった。
「痛かっただけかい……」
後でベッドに顔をうずめて足をバタバタさせる作業が待っているが、まぁいいだろうとサイハテは考えていた。何はともかく、脱出しないといけないだろう。ビーカーのあった部屋から出て、向かいの扉を開くと廊下が続いていた。
廊下の奥には頑丈そうな扉が鎮座している、プラスチック爆弾でも突破は出来ないだろう。
「……流石に、ロックがかかったドアにパスワードはないか」
電子錠によるロックがかかった扉を前に、サイハテはボヤく。
「ノートパソコン一台でもありゃクラックしてドアを開けることが出来るんだが……」
忘れがちではあるが、サイハテはハイスペック変態である。未来の技術であろうと使っているプログラムが同じ系統ならばクラッキングやハッキングはお手の物だ。
「……まてよ?」
そこでサイハテは左腕を見てみる。
雷のような黒い刺青が疼いているような気がして左腕の手袋を外し、電子錠に当ててみる事にした。
刺青が青い光を放ち、電子錠からはロックを外した事を伝える電子音が鳴り響き、重厚な扉が音を立てて開き始めた。
「なるほど、そう言う薬剤なのね」
あまりの都合の良さに感心しながら、サイハテは扉の向こうへと歩を進める。
どうやら地下駐車場のようで、ここから脱出できそうだ。あいにく動きそうな車は存在しないが……出口はしっかりと存在した。
ようやく、サイハテの旅は始まるのだ。




