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ドアを開けると、栄一が立っていた。何もいわず、ただ清司を見つめている。
以前、喫茶店で再会した時ではなく、六歳の時に養子としてやってきた時の目をしていた。
「栄一くん、どうして……」
清司がいうと、栄一は首を横に振った。そんなことはどうでもいい、といっているようだった。
「清司」
小さく声を出した。からからに乾いているような音だ。清司はどきりとした。栄一に名前を呼ばれたことが、ほとんどないからだ。もしかしたら初めてかもしれない。昔、一緒に暮らしていた頃、栄一は「お前」としかいってこなかった。
「栄一くん……」
清司は栄一に触れようとした。しかし栄一は後ずさった。
「触るな」
そういって睨んできた。その睨む目も、六歳の時と同じだった。
栄一は深いため息を吐き、俯いた。とてつもなく疲れているように感じた。あわてて清司は室内を指差した。
「栄一くん、疲れてるなら、部屋に入っていいよ。お茶を出すから……」
「いい」
清司の言葉を遮り、呻るようにいった。そしてまた首を横に振った。
「そんなことよりも、聞いてほしい話がある」
「話?」
清司は動揺した。栄一から話しかけてくるのも初めてなのだ。
というか、こんな栄一を見たことは一度もなかった。いま目の前にいる栄一は、困惑しているような、自信がない顔をしているのだ。
「頼みがあるんだ」
「えっ」
驚いて目を見開いた。清司の動揺をよそに、栄一はさらに続けた。
「お前にしか頼める奴がいねえんだ」
「僕にしか?」
そういうと、栄一は頷いた。そしてまたため息をついた。
清司は冷や汗を流した。栄一は昔から、誰にも頼らず、全て一人でこなす人間だ。常に大人びていて、人よりも五つくらい先を見ているようだった。
だが、いまの栄一にそんなものは一つも見られない。いったいどうしたというのか。
それに栄一は清司のことを子ども扱いし、馬鹿にしていた。どうしてその清司に頼むのか。
「頼みたいことって、何?」
震える声で訊くと、栄一はじっと顔を見つめてきた。
「お前、結婚したのか」
「あ、うん」
清司は頷いた。なぜこんなことを訊くのか。
「カウンセラーの人と。栄一くんの奥さん、すごく綺麗だったよね」
いいながら清司は悲しくなってきた。忘れかけていた嫉妬心が、また蘇ってきた。
それを抑え、清司は頭を下げた。
「ずっと前、喫茶店で大暴れしちゃって、本当にごめん。奥さんにも伝えておいて」
すると栄一は即答した。
「もうあいつは死んだよ」
「えっ?」
冷や汗がさらに増した。訳がわからなくなった。
「死んだ……?……奥さんが……?」
そういうと、栄一は深く頷き、苦しそうに目をつぶった。
「肺がんで死んだ。タバコの臭いを嗅ぎ過ぎたんだ。毎日同じ部屋にいれば、肺がんになって当然だ」
「なに?は……肺がん……?」
幼い頃、外科医の父が、「タバコの臭いを嗅ぎ過ぎると、肺がんという病気になって死んでしまう」とよくいっていた。しつこくいってきたので、いまでも覚えている言葉だった。
「栄一くんって、タバコ吸うんだっけ?」
訊くと、栄一はどこかを睨みつけながらいった。
「悪魔のタバコだよ。あいつは、悪魔に殺されたんだ」
清司は何と声をかけたらいいのか迷った。悪魔とは、誰のことなのか。
黙っていると、栄一は清司の顔をじっと見つめた。
「俺の頼みは」
ゆっくりと話し始めた。清司は聞き逃さないよう、神経を集中させた。
「子どもを、代わりに育ててほしいということだ」
「子ども!?」
あまりの衝撃に、声を大きくしてしまった。
栄一は頷き、もう一度、静かにいった。
「俺の子どもを、代わりに育ててくれ」




