87
清司が布団の中でうつらうつらしていたある夜、突然部屋に美代が入ってきた。
「どうしたの?」
すぐに清司は立ち上がり、支えるように美代の肩に手を置いた。
美代はじっと見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「あのね、清司くん。私、考えたの」
「えっ?」
清司は驚いた。美代の口調が、力強かったからだ。最近の美代はひ弱で、小さな声しか出せないでいた。清司が気付かない間に、とても強くなっていたようだ。
美代はそっと息を吐き、呟いた。
「私、決めたんだ。もう、あきらめようって。忘れようって」
「忘れる?」
清司がいうと、美代は頷いた。
「子どもが死んじゃったこと、もう忘れる。産めないってことも、あきらめるよ」
美代がこんなことをいうとは思わなかった。清司は動揺した。
「でも、美代さん、子どもがほしいっていってたじゃないか」
そういうと首を横に振り、話した。
「もういいの。あきらめる。子どもはもう産めないんだから、こうしてずっと暗くなっててもどうしようもないじゃない」
「そうだけど」
清司は美代がかわいそうになってきた。子どもができないのは、美代ではなく、自分のせいかもしれないからだ。もし相手が違ったら、美代は母親になれたかもしれないのだ。
しかし清司はいえなかった。そんなことをいったら、美代をさらに傷つけると思ったからだ。
「ごめんね、清司くん。ずっと迷惑かけて。本当に、私ってだめな人間だよね。カウンセリングだって、未だにうまくできないし」
「そんなこといわないでよ」
あわてて清司がいった。すると美代は真剣な目を向けてきた。
「私、清司さんと二人きりで生きていく」
「二人きりで……?」
そういうと、こくりと頷き、何かを伝えるような目でじっと見つめてきた。
「子どもがいなくても、私は充分幸せだよ。清司くんと出会えて結婚もできたのに、こうやって毎日泣いていたら、神様に怒られちゃう」
「美代さん……」
清司はかけられる言葉が見つからなかった。ただ黙って、美代を見ることしかできなかった。
「いいのよ、清司くん。これは私の運命だったのよ。それに、子どもがいるから幸せってことでもないでしょう?もしその子どもが病気持ちだったら悲しいし、育て方を間違えて不良なんてことになったら、すごく苦労するでしょう?」
美代は寂しそうに笑った。子どもを授かった時の美代の笑顔が、重なった。
清司は黙っていたが、確かに美代のいう通りだと思った。もしかしたら、自分たちには子どもがいない方がいいのかもしれない。
「それでいいの……?」
清司がいうと、美代はこくりと頷いた。
その夜から、美代は元に戻った。以前のように、笑ったり話したりするようになった。
美代のために、清司は子どもの話をしないように気を遣った。育児の本も全て処分し、美代の目に付かないようにした。
同じように美代も子どもの話は一切しなかった。自分の本当の気持ちと戦っているのだと感じた。
二人きりの生活も悪くなかった。やりたいことをやり、行きたいところへ行き、充実した日々を送っていた。
口ではそういっているが、やはり母親になれなかったという寂しい思いは残っているようだった。
外で小さな子どもが遊んでいたりすると、美代は必ず立ち止まり、ずっと優しく見つめていた。
それを見る度に、清司は胸が痛んだ。
その充実した生活に、突然雷が落ちてきた。
寒い冬の日だった。清司が眠くなり寝室へ行こうとした時に、インターホンの音が聞こえてきた。
「ごめん、清司くん。出て」
そのまま布団の中に入りたいところだったが、仕方なく清司はインターホンの画像を覗いた。
その瞬間、清司の体が硬直した。眠気が一気に飛んでいった。
「……どうして……」
心の中の思いが、言葉になって出てきた。頭の中が、真っ白になった。
「どうして、栄一くんがいるんだ……」
そういって、大急ぎで玄関に向かった。




