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清司にカウンセリングなど必要なかった。ただ美代に話を聞いてもらうだけで満足だった。
美代は清司の話を一つ一つしっかりと聞き、親身になって何度も励ましてくれた。
さらに清司の醜い姿を見ても、何もいわなかった。街の人々に怪物のように見られ続けていた清司には、とてつもなくありがたいことだった。
「清司さんは、独りじゃないんですよ」
美代は口癖のようにいった。その言葉を聞くだけで、清司は癒された。
そして何よりも嬉しかったことが、食事ができるということだ。
美代の作ってくれる料理はどれもおいしく、清司は毎回、泣きながら食べた。
「そんなに泣かなくても」
美代は困ったように笑った。その笑顔を見るのも大好きだった。
そんな日々を送りながら、清司の心の中に、生きたいという気持ちが沸いてきた。
生きていたい。生きよう。ずっと生きていこう。
清司が完全に忘れていた気持ちだ。美代がまたこの気持ちを教えてくれた。
美代の料理を食べながら、清司はふと昔のことを思い出した。
麻由美とのお茶会だ。麻由美は美しく、清司とはとてもお似合いだとは思えない少女だった。
優しく、いつも穏やかな麻由美。麻由美と婚約が決まり、清司は優越感に浸っていた。
しかし実際に会ってみると、麻由美は少し想像と違っていた。
麻由美とのお茶会があると聞いた時、清司は嬉しかった。また麻由美に会える、次はどんな話をしよう……そんなことを考えていた。
その裏で、麻由美に失礼なことをしないように、嫌われないように、とあせっている自分がいた。
お茶会でも、緊張とプレッシャーでいっぱいだった。とにかく麻由美を自分のものにするために必死だった。
さらに麻由美は突然鋭い目つきで睨んできたり、冷たい態度になったり、何を考えているか全くわからない少女だった。
栄一が嫌がるのも気分が悪かったし、もし結婚しても麻由美は心を開いてくれなかったかもしれない。
だが美代は違った。一緒にいて、とても楽しい女性だ。おしゃべりするのも気楽で、ずっとずっと側にいたい、といつも思う。
要するに、清司にとって麻由美は「憧れの少女」で、結婚する相手ではなかったのだ。
そう考えると、麻由美に嫌われていたという惨めな想いも和らいだ。
美代の素朴なところ、平凡なところに清司は惹かれた。自分も平凡な普通の人間だから、付き合いやすいのだ。
さらに清司は西口家の人々とも仲良くなった。美代が一週間に二回は実家に帰るからだ。美代と同じく、家族みんなが清司を受け入れてくれた。
「清司さん、よかったら食べて」
美代の母親はお菓子作りが好きで、清司のためにたくさんのお菓子を作ってくれた。もちろん料理もだ。
食べることが大好きな清司には女神のように見えた。
本当の家族のように接してくれて、清司は天国にやってきた思いがした。
美代と西口家のおかげで、清司は回復していった。自然に笑えるようになり、殻のことなどすっかり忘れていた。
しかし栄一のことは頭の片隅に残っていた。
何故か忘れることができない。栄一が北原家を出て行った時も同じだった。
清司本人にもわからなかった。どうして栄一の姿を消すことができないのか。
さらに、北原家へ養子としてやってきた時の栄一の心の中を考えたりした。六歳の時、血の繋がらない人たちと本当の家族のように暮らすことになった栄一。あの時、栄一はどんなことを想っていたのか。
いま清司は、栄一と同じように生きている。家も家族も何もかも失い、血の繋がらない西口家で暮らしている。まだ六歳の栄一は、どんな想いで生きていたのか。
何もかもを失くし、ただ子どものように泣くことしかできなかった自分。しかし栄一は泣いたり、誰かに頼ったりすることは一度もなかった。
栄一はすごいな……
清司は強く感じた。たった独りきりで、殻の中を歩いている栄一。自分は、そんなことはできない。強い栄一が羨ましくなった。
そして、栄一と会えてよかったとも思った。栄一に会えて、自分はいろいろな経験をした。
人生は楽しいことや嬉しいことだけじゃない。悲しいこともつらいこともある。傷つき、悩み、そして人は大きく強くなる。幸せだけな人もいないし、不幸だけの人もいない。
もし栄一と会っていなかったら、まだ自分は強い人間だと馬鹿なことをいっていただろう。
栄一に会えてよかった。
栄一が、全てを教えてくれた。
殻の中を教えてくれた。
栄一に、また会いたいと思った。
だがどこにいるかも知らないし、会いたいといっても断れることは既にわかっている。
清司が栄一のことを考えていると、美代が声をかけてきた。
「どうしたの?清司さん。また何か悩んでるの?」
我に返り、清司は美代を見た。
「いや、何でもないよ。ちょっと、ぼうっとしてただけ」
そういって笑った。それならよかった、と美代もにっこりと笑った。




