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硬直し、耳を澄ましていると、声の主はまた言葉を投げかけてきた。
「ここで何をしているんですか……」
若い女性の声だった。だが麻由美ではなかった。怖くて震えているのが、はっきりと伝わった。
清司は何もいわなかった。相手が何者かわかるまで、動かないと決めた。
清司が返事をしないので、女性はまた声をかけた。
「こんな時間に、何を……」
女性が不思議に思うのは当然だった。真夜中に誰もいないゴミ捨て場に人間がいるなんておかしいのだ。
「何をしているんですか……」
清司は黙ったまま座っていた。警戒の目で女性の影を見つめていた。
しばらく沈黙が続き、女性は空き地の中へ入ってきた。清司は少し驚いた。普通だったら、そのまま逃げると思ったのだ。
「近寄るな」
思わず声を出していた。自分でも驚くほどの、低い声だった。
女性はびくっと震え、立ち止まった。しかし逃げようとはしない。そのまま立ち尽くしたままだ。
「邪魔するな」
もう一度、清司は脅すようにいった。これで、この女は空き地から出て行くに違いないと思っていた。
だが女性は動かなかった。何故逃げないのか。
「あの、何でここにいるんですか……」
また訊いてきた。清司はいらいらした。早くこの世を去りたいのに、と唇を噛んだ。
「邪魔するな。さっさと出て行け」
殺人者に見えるようにいった。女性にはどう聞こえるかわからないが、殺人者のフリをした。
女性はまた黙った。だが空き地を出ようとしない。清司はもっと大きな声でいった。
「早く出て行けっていってるだろ!」
女性は動かない。むしろ、もっと清司に興味を抱いているように感じた。
「早く……」
清司はだんだん怖くなった。この女性は何者なんだろうか。
女性が深呼吸をするように小さく息を吐いた。そして、同じように訊いた。
「どうしてこんな夜遅くに、ここに……」
「じゃあ、あんたもどうしてこんなところにいるんだよ」
女性の言葉を遮り、清司は怒鳴った。
「あんた、女だろう。女が、こんな真夜中にどうしてこんなところを歩いてるんだよ。おかしいだろ」
女性は黙った。その通りだと思ったのだろう。
しかしすぐに答えは返ってきた。
「私は、よくここに来るんです。ここは誰も知らない場所だから、秘密の隠れ家みたいにして」
「秘密の隠れ家?」
「そうです。秘密の、自分だけの隠れ家です」
そういって、女性は驚くべき言葉を発した。
「聞いたことありませんか?自分の殻に閉じ篭るって言葉。ここは私の殻なんです」
清司は動揺した。この女性は、栄一の知り合いなのだろうか。
「私は、心理カウンセラーの勉強をしているんです。いろいろな患者さんのお話を聞いて、癒してあげるという勉強をしています」
そこまでいうと、女性は小さく息を吐いた。
「でも、私、全然患者さんの気持ちをわかってあげられない。自分勝手なことばかりいってしまって……。……才能ないんだと思っているんですけど……。でも、たくさんの患者さんを笑顔にしてあげたくて……」
その言葉に清司は、はっとした。
昔、父がまだ外科医だった時、清司の夢は「たくさんの人々を笑顔にしてあげたい」というものだった。
この女性は、あの時の清司と同じだった。
「……心理……カウンセラ……」
呟くと、女性は深く頷いた。
「人間はみんな、様々な悩みや不安を持っていると思います。私も持っているんですから。それは一言ではいい切れない。言葉ではいい表せない。そんな人たちを、一人でもいいから救ってあげたいんです」
清司は幼い頃に胸にあった気持ちを思い出した。この女性は、あの時の自分と全く同じ考えだった。
それなのに清司は人を妬み、憎み、さらに父を酒瓶で殴ろうとした。
「だから、あなたを救ってあげたい」
女性は力強くいった。本気で清司を助けたいと思っているようだった。
「一緒にお話しませんか?私の部屋で」
そういって女性は歩き出した。
清司は戸惑ったが、仕方なく連いていくことにした。




