74
アパートを出たのはいいが、いったいどこに住めばいいのか、清司は考えていた。父の死体を見たあの日からずっと公園で寝泊りしている。仕事は見つからず、金もほとんどない。飲食もほとんどしていないため、体力も衰えていく一方だ。
一昨日あたりから、左足が痛くてたまらない。至るところで、体が弱っているということを感じた。本当に自分は死んでしまうのではないかと不安な気持ちでいっぱいだった。というより、もう死んでしまおうかと考えていた。死んでしまった方が楽だと思えてきた。一日中そのことばかり考えているのだ。
始めは叔母の家へ行くことにした。優しい叔母は自分を助けてくれるだろう。また、おいしいご飯がたくさん食べられる………。
足りない頭を必死に回し、迷路のような道をただひたすら歩き続け、やっとの思いで叔母の家にたどり着いた。
まずインターフォンを押した。すぐに叔母が出てくると清司は信じていた。
しかしいつまで経ってもドアは開かれない。おかしいな、と思い、また押してみた。しかし叔母は出てこない。
次にドアを叩いてみた。清司だよ!と声も出した。しかし何の返事もこない。
清司がドアの前で立ち尽くしていると、そばで誰かが見ていることに気が付いた。
見ると老けた女性が気味悪そうな顔をして立っていた。
清司と目が合うと、女性は顔を横に逸らした。
「ちょっといいですか」
清司は女性に近付いた。女性は顔を青くし、清司を見た。
「あの、ここに住んでる人、僕の叔母なんですけど、どこかに行ってるんですか?」
訊くと女性は首を横に振った。
「知りません。何も知りません」
繰り返しいった。まるで幽霊を見たような顔つきだった。
「じゃあ、どうして僕のことを見てたんですか」
そういうと、女性は黙った。やはり何か知っているのだ。
「お願いです。僕、住むところがなくて困ってるんです。それで、叔母さんの家に来たんですけど……」
「死にましたよ」
清司の言葉を遮り、女性はいった。
「えっ」
清司は驚いた。意味が一瞬わからなくなった。
「死んだ……?」
愕然とした。体中の力が一気に抜けていくのを感じた。
「何でですか!?何で死んじゃったんですか!?」
大声を出した。訳がわからなかった。
「知りませんよ。そんなこと」
そういって、女性は逃げるように走って行った。
後に残された清司は、固まったまま身動きひとつできなかった。追いかける力などなかった。
嘘だ。叔母さんが死んだなんて、嘘だ。あの女の人は、嘘をついているんだ……。
清司は無理矢理体を動かし、また屋敷へ向かった。
そして窓を覗いた。カーテンがひかれていて、中は見えない。さらに隣の窓も覗いた。屋敷の窓を全部覗いてみることにした。
そうしているうちに、何故か女性の言葉は正しいという気持ちになってきた。
人がいる気配がしないのだ。それに、昼なのにカーテンがひかれているのはおかしいと思った。
それでも清司は叔母が生きていることを信じ、必死に窓を覗いていった。
裏庭に回り、やっとカーテンが開いている窓を見つけた。
期待して窓を覗くと、中は真っ暗だった。なぜか家具が置かれていない。さらに目を凝らすと、ベッドのようなものが見えた。
そのベッドには、誰かが横たわっているようだった。
清司の頭の中に、死んだ母親の姿が蘇ってきた。
もう思い出したくないのに、昨日のことのように思い出せる。
母親も、布団の中で横たわっていた。やっと楽になれた……そんな顔をしていた。
さらに父親も、畳の上に寝転がっていた。他人が見たら、ただ昼寝をしているように見えるだろう。
そして叔母も……。
清司は、目の前が真っ黒になっていくのを感じた。
生きていこうという気持ちが、減り始めていた。
そのまま地面に寝転がり、空を見た。
他人から見たら青い空だが、いまの清司には真っ黒に見えた。
もう行く当てはないのだ。自分は独りきりなのだ。
そして仕方なく清司は公園に寝泊りしなくてはいけなくなったのだ。
公園のベンチに座り、死にたい、とまたいつものように思った。
もう生きていても何もいいことなどないと考えていた。
こんな日々を過ごすのなら、もう両親や叔母がいる世界へ逝ったほうがいいのではないか。
しかし清司には、自分で自分の命を絶つことなどできなかった。
そんな勇気など、清司にはなかった。
そして栄一のことを思い出した。栄一も、北原家に引き取られる前はこういう気持ちで暮らしていたのかもしれない。
もしかしたら、これが栄一のいっていた「殻」なのだろうか。
「殻」が、こんなにも恐ろしい世界だと思っていなかった。
この「殻」から出るためには、何が必要なのだろうか。
ふと、足元に野良猫がいることに気が付いた。
その野良猫には子どもがいた。
清司は子猫がうらやましくなった。家も食べ物もなく、毎日やっとの思いで暮らしているに違いない。
しかし、誰かに愛されていれば、ほんの少しでも幸せになれる。
清司の心の中に、母親がいった一言が鋭いナイフのように刺さっていた。
「お前なんか生まなきゃよかった」という言葉だ。
お前なんか生まなきゃよかった………。
何度も何度も、繰り返し繰り返し、母は怒鳴った。
清司は子猫の頭を撫で、ベンチに横になった。




