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栄一と愛子が結婚するということを聞き、すみれは大喜びした。
「わかった。式の準備をするね」
「式なんて挙げなくていいです」
愛子の考えに、栄一も賛成した。できれば誰にも知られたくないと思っていた。それに、式を挙げてもやってくる人はいないだろう。
「私は、栄一くんと愛子ちゃんの幸せなところを見たいのよ」
すみれにいわれ、二人はひまわり園で式を挙げることを決めた。
結婚式は、子どもたちが飾りつけた小さな部屋で挙げられた。
ケーキは施設の人たちが作ってくれた。
二人を祝うのは、すみれとボランティアの人と親を亡くした子どもたちだけだ。
それでも、栄一も愛子も幸せだった。
「おめでとう。愛子お姉ちゃん」
子どもたちが作った花束をもらい、愛子は涙を流した。
「ありがとう。本当に、みんな、ありがとう」
何度も繰り返しいった。その姿を見て、栄一はさらに幸せを感じた。
小さく短い結婚式が終わると、愛子は栄一にそっと声をかけた。
「ちょっと外に出よう。寒いけど」
それを聞いて、栄一はすぐに綺麗な星空を思い出した。
栄一は頷き、外に出た。
すっかり暗くなった外は冷たく凛とした空気に変わっていた。
小さな空き地の少し手前まで行き、愛子は立ち止まった。そして、そっと上を向いた。
何もいわず、栄一も同じように夜空を見上げた。
星空はなかった。月は出ていたが、星は見えなかった。
「お父さんとお母さん、見えないな」
呟くと、愛子は首を横に振った。
そしてゆっくりと栄一の方に視線を向けた。
愛子の大きな目は、あの夜、見た星空のようにきらきらと輝いていた。
「いま、お父さんとお母さんは、あたしの心の中にいるみたい。心の中で、お祝いしてくれてるみたい」
そういい、愛子は微笑んだ。
栄一は先日、すみれが話してくれたことを思い出した。
あの日から、栄一の心の中には母親の姿がある。顔も声も名前も知らないのだが、なぜかそんな気がするのだ。そして、母親は栄一の胸を暖めてくれている。
「俺の母親も、心の中で祝ってくれてると思う」
そういうと、愛子は「嬉しいな」と喜んだ。
幸せなことは、それだけではなかった。
何とすみれが、二人が暮らすためのマンションを探してくれていたのだ。
「そこまでしてくれなくていいよ」
栄一はいったが、すみれは聞かなかった。
「何いってるのよ。私は二人の母親なのよ」
そういって、毎日夫と相談していた。
何もしないでいるわけにはいかなかったので、栄一と愛子はすみれのためにいろいろなことをした。
家事は全て愛子が行い、栄一は光一の面倒をみた。
お腹にいる子どものために、愛子は健康的な食事を作った。
四歳の光一はすぐに栄一に懐き、毎日ボール遊びをした。
光一を見ながら、栄一は自分が父親になったらということを想像した。
すみれは、子どもは命よりも大切な宝物といっていた。
愛子の父親は、子どもは愛の結晶だといった。
そして自分の母親は、自分を犠牲にしてまで子どもを育てようとした。
子どもとは、どういうものなのか……。
自分に子どもができた時、どういう気持ちになるのだろうか……。
そんなことを思いながら、持ちつ持たれつの日々を過ごした。
あまり人が通らない場所にあるマンションが、二人の住居になった。
マンションの中は、はっきりいって殺風景だった。
必要最低限の物しか置いてないからだ。
「お父さんとお母さんに会えるかな?」
愛子が心配そうに訊いてきたが、「会えるよ」と栄一はいった。
人がいない場所は空気が綺麗だ。空気が綺麗なところでは、星空は美しく輝く。あまり人が通らず空気が綺麗なこのマンションは、二人にとって最高の殻だった。
「ここが俺たちの新しい殻なんだな」
改めていうと、胸の中にじわじわと暖かいものが染みてきた。
「そうだね。幸せになろうね」
そういって、愛子はそっと近付いてきた
さらに手を繋ぎ、肩に頭を乗せた。甘えているような格好だ。
「愛子」
栄一も愛子の方を向いた。愛子が、顔を近づけてきた。
少し深呼吸をするように息を吐き、愛子は目をつぶった。
そして栄一の唇に自分の唇を合わせた。
栄一は全身に雷が落ちるような衝撃を受けた。
緊張で体が震えそうになる。それを必死に抑えつけた。
実は男性よりも女性の方が強いということを、どこかで聞いたことがあった。
たぶん愛子はいま、緊張なんかしていないのだろう。
告白したのも、結婚をしたいといったのも、キスも全て愛子からだということに栄一は気が付いた。
しばらくそうしていると、そっと愛子が唇を放した。
「ごめん。びっくりした?」
微笑む愛子を見て、栄一はさらに愛子を愛しく想った。
「びっくりするよ。いきなりされるなんて思ってなかったよ」
そういって、栄一はふと視線を下に向けた。
栄一は驚いて目を大きくした。まさか、ありえない、と自分にいい聞かせた。
「なに?どうかしたの?」
愛子が覗き込んできた。すると、愛子も大きな目をさらに大きくした。
栄一の足元に、ほつれた紐が落ちていた。
二人が繋がっていられるようにとして手首に巻いていたものだ。
それが、切れて落ちているのだ。
「ミサンガが切れてる……」
そういって、愛子は自分の手首を見た。愛子の手首に巻かれていた紐も切れていた。
「……本当に、ミサンガって願いを叶えてくれるお守りなんだね……」
愛子の言葉を聞き、栄一は頷いた。




