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麻由美は目を少し大きくし、すぐに冷たい目線を清司にぶつけた。
「何をしているのですか。こんな時間に」
明らかに軽蔑しているのが、顔を見なくてもわかった。
清司はゆっくりと振り向いた。
麻由美の顔を見るのは怖かったが、このままずっと何もいわずに立ち尽くしてはいられないと思った。
「……ま……麻由美ちゃん……。お……おはよ……」
震える声でいうと、麻由美は鋭いナイフのような目をした。
「質問に答えてください」
いままでは普通に話していたのに、突然敬語に変わってしまった。
「……え……えっと……、僕は……ま、麻由美ちゃんを驚かせようとして……」
動揺しながら答えると、麻由美は冷たく凍った言葉を発した。
「不法侵入、って言葉を知っていますか」
清司はどきりとした。
「……そ、それって……」
いい終わらないうちに、麻由美は小さくため息を吐き、面倒くさそうにいった。
「立派な犯罪です」
清司はその場に座り込んだ。足の力が、抜けてしまった。
「犯罪……」
「そうです。あなたは犯罪者です」
清司は愕然とした。体がぶるぶると震えた。テレビで見た警察官が頭の中に浮かんだ。
もしそんなことになったら、麻由美どころか、家族にも会えなくなってしまう。
「違うんだ……。僕は、その、お、おかしなことをしようと思ったわけじゃないんだ。ただちょっと、麻由美ちゃんを驚かせようとして」
どもりながらいうと、麻由美は目をそらし、独り言のように呟いた。
「じゃあ、どうしてこんな夜遅くに侵入したのかしら」
麻由美の声を聞きながら、清司は後悔した。
どうしてこんなことをしてしまったのだろうか。
清司は無理矢理明るい声を出し、必死に作り笑いをした。
「侵入なんて、何いってるの?麻由美ちゃん。僕たち婚約者同士じゃないか。これから一緒に暮らすんだよ?そんな……、犯罪だなんて」
「警察を呼ばなくちゃ」
清司の言葉を無視し、麻由美は部屋から出ようとした。
清司は悲鳴を上げた。
「待って!待って!麻由美ちゃん!」
ひざで歩きながら、清司は麻由美に近づいた。
しかし麻由美は何もいわず、すたすたと歩いて行ってしまう。
「お願いだよ……。警察だけは呼ばないで」
泣きながら清司がいうと、麻由美は足を止め、くるりと振り返り、清司を見つめた。
「どうして?あなたは犯罪を犯したのよ。きちんと、罰を受けなきゃいけないでしょう?」
「嫌だ!嫌だ!お願いだから許して……」
涙を流して清司は土下座をするように頭を下げた。
その哀れな姿を、麻由美は小さく笑った。
「私、あなたと結婚する気なんてさらさら無いわ」
清司は衝撃を受けた。
「……え……?」
「私は、あなたと結婚なんかしたくない。あなたみたいな、頭が悪くて何もできない人と幸せになりたくない」
清司は呻いた。悪夢であってほしかった。麻由美が、こんなにストレートに話す人だと思っていなかった。
「でも……、でも、お茶会とかしたじゃないか……」
掠れた声でいうと、あっさりと麻由美は答えた。
「あれは、お父様が勝手に決めたことだもの。毎回、つまらない話に付き合わされて、本当に面倒だった」
清司は床にうつぶせになって倒れた。体中から、力が抜けていく。
「だけど……、お菓子とか、料理とか食べさせてくれたじゃん……」
そういうと、麻由美は馬鹿にしたように答えた。
「あなたって、本当に何もわからない人なのね。私が作ったっていったら、全部その通りに信じちゃうのね。あれは、お店で買ってきた安いお菓子よ。料理は冷凍食品」
もう何を聞いても、清司は涙を流すしかなかった。答える言葉が見つからなかった。涙だけでなく、鼻水も出てきた。
「あなたに料理を作ってあげたいっていう女性は、きっと一人もいないと思うわ」
そういって、また麻由美は歩き出した。
清司は必死に体を起こし、うわああああああと泣き叫びながら、麻由美の腕をつかもうと手を伸ばした。
しかし、つかむ前に、清司は信じられないものを見てしまった。
体が石のように固くなり、動かなくなった。
頭の中も真っ白だった。
「……ま……麻由美ちゃん……、なに……それ……」
がくがくと震えながら、清司は無意識に声を出した。
「早く出て行って」
とどめを刺すように、麻由美はいい切った。
清司は固くなった石の体を無理矢理動かし、鳥居家から逃げ出した。
鍵もお茶会も無くなり、清司は完全に麻由美との関係を断ち切られた。
数日後、北原家に警察はやって来なかったが、代わりに麻由美との婚約破棄の知らせが届いた。




