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死神が目の前から消え去り、清司は麻由美との恋愛を楽しめるようになった。

これからは、あんな奴のことを考えなくていいんだ。

麻由美ちゃんは僕のものだ。

絶対に、あんな奴に取られたりしない。

さっさと忘れてしまえばいい。

僕は、美しい麻由美ちゃんと、幸せになるんだから。

そう思いながら、清司は毎日を過ごした。


しかし。

なぜか、栄一のことが頭から出て行かない。

なぜだろう。毎日、栄一のほっそりとした姿が、幻のように目の前に見えるのだ。

おかしい……。

僕は、どうしたんだろうか。

なぜ、栄一を忘れることができないのだろうか。


そんな気持ちで過ごしていたら、誰でも気分が悪くなるのは当然だ。

栄一がいなくなってから初めてお茶会の誘いが来た時も、うきうきとした気持ちはなく、実際に麻由美に会っても、何の楽しみもなかった。

ずっと仏頂面で黙っている清司を見て、麻由美は心配そうに話しかけた。

「どうしたの?清司さん。気分が悪いの?」

「違うよ。何でもない」

清司はぶっきらぼうに答えた。せっかくこんなに心配しているのに、この態度はあまりにも失礼だった。

「本当に何でもないの?もし、何かあるんだったら、私に話して」

「何でもないから。あんまり話しかけないでくれない?」

偉そうな口ぶりに、麻由美も少し気に障ったようだ。

「そう。じゃあ、今日のお茶会はここで終わりにしましょう」

えっ?と清司は麻由美の顔を見た。まさか、こんなことをいわれるとは思っていなかった。

「どうして?」

「だって、お話ししたくないんでしょう?だったら、ここにいても仕方ないじゃない」

「ちょ、ちょっと待ってよ」

あわてて清司は立ち上がる麻由美にいった。せっかくのお茶会。次に呼ばれるのはいつか、わからないのだ。ここで、麻由美に不快な思いをさせてはいけない。

「ごめん。いまの、無しにしてくれないかな」

頭を下げる清司を冷めた目で見つめ、麻由美はソファに座り直した。

「……じゃあ、何があったのか、教えてくれる?」

麻由美にいわれ、清司はどうしよう、と迷った。

栄一の名前を、麻由美にいってもいいのだろうか。

しかし、いわなければ、麻由美に不愉快な思いをさせてしまう。

何か、違う話を考えようと思ったが、清司の回らない頭では、何も思いつけなかった。

仕方なく、清司は栄一のことをいうことにした。

頭のどこかで、「いってはいけない」と誰かが警告をしていた。

だが、清司はその警告を無視した。

「実は、僕、すっごく嫌いな人がいて」

「嫌いな人?」

予想外の答えだったらしく、麻由美は目を大きくした。

「清司さんが、人を嫌うなんて」

その言葉に、清司は、自分のイメージが悪くなった、と思った。

「うん。で、その人の名前は、杉尾栄一っていうんだけど」

清司がいうと、麻由美は口を手で塞いだ。いままで見たことがないくらい、大きな目をしていた。

「どうしたの?麻由美ちゃん」

清司が訊いても、麻由美は石のように固まったまま、動かなかった。

「麻由美ちゃん?」

清司が肩を触れようと手を伸ばした瞬間、はっと麻由美は我に返り、清司の手からさっと身をかわした。

「ううん。何でもない。……その、杉尾栄一さんが、清司さんの嫌いな人なの?」

「うん」

清司は力強く頷いた。

「すごく嫌な奴なんだよ。口も悪いし、性格も悪いし、目つきも悪いし。いいところなんて、ひとっつもないよ」

清司は、麻由美に栄一がどういう人間か、全ていうことにした。

きっと麻由美は、「嫌な人ね」というだろう。

悪い印象を持たせれば、麻由美が栄一の方に気を向けることなどない。

「杉尾栄一はね、養子のくせに威張ってて、大人ぶってて、最低最悪の男だよ。僕ん家が引き取ってあげなかったら、今頃餓死してるんじゃないかな」

「養子!?」

麻由美は、また驚いて、目を大きくした。

「杉尾栄一さんは、養子なの……?」

「そう。親もいないし、家もないし、お金もないし。痩せぎすで、背ばっか高くって。カカシみたいで、全然格好良くないよ」

栄一が悔しがる顔を想像し、清司は思わずにやりとした。

「どんなに話しかけても無視して、迷惑そうな顔で睨んでくるんだ。そうだ、それから、中学校のテスト、いつも一位だったんだけど、全部カンニングだったんだって。卑怯者って、一番嫌だよねえ」

口から次々と言葉が出てくる。栄一を罵倒するのが、いまの清司にとって、ものすごく快いことだった。

「……そうなんだ……」

麻由美は小さく呟くと、俯いた。

「どうしたの?」

清司が訊くと、麻由美は顔を上げた。麻由美の目は、涙で潤んでいた。

「麻由美ちゃん、何で泣いてるの!?」

驚いて、清司は大きな声を出した。

すると、麻由美は小さく何かいった。

「なに?もっと大きな声でいって」

清司にいわれ、麻由美はもう少し大きな声で、もう一度、いった。

「……かわいそうだわ……」

「えっ?」

「その、杉尾栄一さんが……、かわいそうだわ……」

「え……、かわいそう……?」

清司は目を丸くした。麻由美が、こんなことをいうとは思っていなかった。

「何でかわいそうなの?あんなに性格が悪いのに」

そういうと、麻由美は涙を拭きながら、首を横に振った。

「……親がいないなんて……、養子なんて、かわいそうよ……。それに、お家もお金もないなんて……。杉尾栄一さんが、かわいそう……」

麻由美は、自分に同情してくれると清司は思っていた。

栄一に、あんな態度をとられ、もう何年も嫌な気持ちで過ごしていた自分を同情し、栄一を「ひどい性格ね」というに違いない、と。

しかし麻由美は自分ではなく、栄一の方を同情した。涙を流すほど、深く栄一を想っているのだ。

「あんな奴のこと、同情しなくてもいいよ。あんな奴、さっさと一人きりで死んじゃえばいいんだよ。麻由美ちゃん、泣かないで」

麻由美は清司の言葉を無視し、両手で顔を覆った。

「……私、杉尾栄一さんに会いたい……」

「なっ……」

清司は愕然とした。一番、あってはいけないことだ。

「何で会いたいと思うの?あんな非常識な奴のことなんか、どうだっていいじゃん」

「でも……」

そういって、麻由美はまた俯いた。

清司の胸が、どくどくと速くなっていった。

まさか……、まさか……、麻由美ちゃんは、栄一のことを…………

「だめだよ。麻由美ちゃん」

力強く、清司は麻由美にいった。

「絶対に、あいつと会ったらだめだ」

「どうしてだめなの?」

じっと見つめられ、清司は冷や汗を流した。

「と……とにかくだめなんだ。会っちゃいけないんだ」

「だけど、私、杉尾栄一さんと仲良くなりたい……」

麻由美の言葉を聞き、清司は思わず、がたがたと体を震わせた。

「……仲良くなりたいって……」

麻由美は頷き、寂しそうに呟いた。

「私、お友だちがいないでしょう……?だから、杉尾栄一さんと、お友だちになりたいの」

麻由美の口から、「杉尾栄一」と出てくるのが、清司にはもう耐えられなかった。

「そんなこと」

無理矢理明るい声を出し、清司は胸を、ぽんと叩いた。

「大丈夫だよ。友だちなんかいなくても、僕がずっと側にいてあげるよ。心配しないで。僕は、麻由美ちゃんが一人きりにならないように、一緒にいてあげるから。ね、もう杉尾栄一のことなんか忘れて……」

「でも」

清司の言葉を遮り、麻由美はぽつりといった。

「あなたには、親がいない私たちの気持ちはわからない」

それを聞いた瞬間、清司は突然、孤立したような気持ちになった。

仲間外れにされたような気がした。


清司には、きちんと親がいる。

だから、親がいない、栄一と麻由美の気持ちは、わからない………。


確かにその通りだ。

清司は言葉を失った。

何もいえなくなった。

頭の中で、いま麻由美がいった言葉が、ぐるぐると浮かんでいた。

栄一と麻由美が行ける、二人だけの世界には、清司は行けないのだ。

「二人だけ」の世界には…………。


あなたには、家族がいていいわね………。


以前、麻由美はこういっていた。

それがあまりにもリアルで、清司は驚いた。

家族がいない子どもの気持ちを、清司は知ることができない。


「清司さん?」

麻由美の言葉で、清司は我に返った。

「どうしたの?急に……」

清司は、麻由美と目を合わせないようにしながら、しどろもどろに答えた。

「い……いや……。何でも……」

ないわけなかった。何でもないなんて、思えなかった。


清司は想像した。

嫌というほど見慣れた、痩せた栄一が目の前で立っている。

そして、その栄一に、美しい麻由美が近づいて……

二人で手を繋ぎ、また、あの「どこか遠くを見る目」で、清司には見ることができない場所を見つめている………。


清司は首を激しく横に振った。

そんなこと、あってはいけない。

栄一に、麻由美を取られるなんて、死ぬよりつらいことだ。

「清司さんは」

麻由美が話し始めたので、清司は悪夢のような想像を消し去った。

「なに?僕が?」

清司が訊くと、麻由美は「もう一人の麻由美」の顔をして、いった。

「杉尾栄一さんのことが、嫌いなのよね」

「うん」

「……養子で、親がいない栄一さんを、あなたは嫌っている」

そして、じっと清司を冷たい目で見た。

「私、あなたが栄一さんを嫌う理由がわからない」

「えっ?」

清司はどきりとした。この場から、走って逃げたくなった。

「あなたは何でも持っているでしょ。ご両親もいるし、立派なお屋敷だって持ってる。それなのに、何も持っていない栄一さんを悪くいうなんて……。……ひどい……」

清司は気が狂いそうになった。

「ねえ、本当に、栄一さんに会えないの?」

清司は、もう何も答えられなかった。

完全に麻由美の心が栄一の方に向いているのが、頭の悪い清司にもわかった。

「……出て行ったんだ……。この前……」

「出て行った?」

麻由美は驚いたような顔をし、それから、ひどく残念そうな顔をした。

「うん。殻の中で生きるとか、変なこといって。栄一くんは、頭がおかしいんだ」

口早に答えた。悪夢のような想像が、また頭の中にざわざわと広がりだす。

「……そうなの……」

ため息をつき俯いた麻由美を見て、清司の体から冷や汗が噴出した。

清司は必死に頭の中で、もっと栄一を罵倒する言葉を探した。

「麻由美ちゃん、あんな奴に会ったらだめだよ。あいつは人間じゃない。死神だよ。もし会ったら、殺されちゃうかもしれないよ!」

しかし麻由美は驚いたりせず、真っ直ぐと清司を見つめ、いい切った。

「平気よ。私、もう死んだも同然なんだから」

清司は衝撃を受けた。冷や汗で服がびしょびしょに濡れていた。

「死んだ……?」

震える声で何とか声を出すと、麻由美は少し笑ったような顔をして、短く答えた。

「そうよ。私、殺されたの。悪魔に。もう、何年も前にね」


それ以上、話を続けることはできなかった。

清司は逃げるように鳥居家から出た。最後に見せた麻由美の死人のような笑顔が、頭の中から離れなかった。


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