50
お茶会が終わり自宅に向かって歩いていると、誰かがすぐ近くにいるのに気が付いた。
清司は立ち止まった。
栄一だった。
死神………………………
見てはいけない、と思った。
しかし、清司は見た。
その時の栄一は、死神には見えなかったからだ。
栄一は、じっと夜空を見ていた。
あの、どこか遠くを眺める目で、暗い夜を見つめていた。
何を考えているか、清司にはわからなかった。
「……栄一くん……」
呼んでみたが、栄一は全く反応しない。
「栄一くん」
さらに呼んでみたが、栄一は顔を向けてもこなかった。
「栄一くん。こんなところで、何をしてるの?」
近づきながら訊くと、栄一は目だけを動かした。睨んでいるような顔だ。
そして、ゆっくりと後ろに振り向き、すたすたと歩いていった。
「ねえ、栄一くん」
清司は栄一を追いかけた。すると栄一は早足になった。
「栄一くん、ちょっと待って」
清司はいったが、栄一はそのまま歩き続ける。
「ねえ、どうして、僕の話、聞いてくれないの?」
ずっと思っていたことだ。なぜ、栄一は、自分の話を聞いてくれないのだろうか。
「……僕ね、栄一くんと、仲良くなりたいんだ」
しかし栄一の反応はない。
「僕は、栄一くんと、ただ仲良くなりたいんだ。兄弟みたいになりたいんだ。一緒に遊んだり、勉強したり……」
話していくうちに、何だか切なくなってきた。
清司は目を閉じて、足もとを見た。
「……栄一くんは、なにも教えてくれないね……」
寂しさが急に高まって、清司の目から涙が溢れた。
「寂しいよ。僕。すごく……寂しいよ……」
泣きながら、清司は栄一に話しかけた。
それでも栄一は無反応だ。
二人はそのまま、ゆっくりと自宅へと向かった。
清司はずっと泣いていた。
もう10年も一緒にいるのに、栄一は友だちと認めてくれない。
みっともなく泣き続ける清司の声を聞いて、栄一は気分が悪くなっていた。
家の近くまで来た時に、栄一は清司に一言、いった。
「俺が、お前に何を教えても、お前には意味がわからないから、いわないんだよ」
清司は驚いた顔をし、栄一の顔を見つめた。
「……どういうこと?何を教えてもって……。どうして、僕には意味がわからないの?」
栄一は、小さくため息をついた。
「じゃあ、お前は」
栄一も清司の顔を見つめ返し、質問をした。
「殻って知ってるか?」
「えっ?なに?殻?」
「そうだよ。殻だよ」
「……知らないよ。なに?殻って」
清司の声を聞き、栄一は、また小さく息を吐いた。
「ほらな。やっぱり知らない。だから、いちいちいわなくてもいいんだ。特に、殻のことなんか聞いたって、気分が悪くなるだけだ」
清司はじっと栄一を見つめ、訊いた。
「どうして気分が悪くなるの?」
栄一は首を横に小さく振った。もうこの質問攻めに嫌気が差した。
「人間は、必ず殻を持っている。だから自分の殻に篭る、っていう言葉があるんだよ」
「自分の殻に篭る……?」
栄一は頷き、また話し始めた。
「その殻に気づくか気づかないかってことで、その人間の人生は変わる。俺と、お前みたいにな」
「僕と栄一くんの人生が変わる?どうして?一緒に住んでるのに」
「そうじゃなくて、これから先、俺たちがどうやって生きていくのかってことだよ」
「どうやって生きていくか……」
清司が小さく呟くと、栄一はまた頷き、さらに付け足した。
「その殻の中には、喜びとか、幸せなんてない。ほとんどが、人間の汚らしい心、残酷なところ、そして、信じたくないことだけだ」
「人間の汚らしい心って……?」
栄一はじっと清司の顔を見つめ、強い口調でいった。
「人間の汚らしい心なんて、数えきれないほどあるだろ。たとえば、妬み、恨み、憎み。そして、信じたくないことは、後悔、恐怖、孤独感、劣等感、絶望感。……もうキリがないだろ」
栄一の口から出てくる言葉を聞いて、清司はだんだん気分が悪くなってきた。
「……本当だ……。そんなこと、僕、全然気付かなかった」
栄一は清司の顔から目を逸らし、さらに強くいい切った。
「気が付かなかったのは、お前がそういう汚らしい心を見たことがなかったからだ。お前は、いままでずっと幸せな日々を送っていたから、わからなかったんだよ」
栄一の言葉を聞き、清司は首を横に振った。
「そんなことないよ。僕、小さい頃は独りぼっちで孤独だったよ。それに、いじめられたりして劣等感で死んじゃいそうだったし」
「でも」
素早く栄一はいい返した。
「いまは、そんな気持ちじゃないだろ。もう、その時の気持ちなんか消えただろ」
「……うん」
清司はこくりと頷いた。
「それは、殻の中にある、人間の汚らしい心じゃない」
そして栄一は、そっと息を吐くと、少し震えたような声で、また話し出した。
「殻の中にある、本当の、人間の汚らしい心っていうのは、知ってしまったら絶対に消えない。ずっと、一生その汚らしい心を見ながら、生きていくんだ。信じたくない、悪い夢だったんだって思いたくても、忘れようと思っても、できない。だから、ふつうに生きている人間には、殻は見つからない。見つかったとしても、それは本当の殻じゃない。本当の殻じゃないから、もとの自分に戻れるんだ」
清司はわけがわからなくなってきた。
「……そんな……、そんなもの、本当にあるの?っていうか、何でそんなこと知ってるの?」
緊張しながら訊くと、栄一は、睨んだような顔で答えた。
「俺がいままで生きてきた場所が、そこだったからだ」
「えっ」
清司が驚いた顔で見ると、栄一はそっと目を逸らし、付け足した。
「俺が生まれたのは殻の中だ。そして、いまも殻の中にいる。これからもそうだ。俺はそうやって、一生汚い心と隣り合わせで生きていくんだ」
そして、もう何もいわない、というふうに、口を閉ざした。
清司も、そのまま黙って立ち尽くした。
栄一にいえる言葉が見つからなかった。




