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栄一にどつかれ、清司は暗い日々を送っていた。

こんな時、麻由美が側にいてくれたら………。

しかし、麻由美からのお茶会の誘いは、なかなか来てくれなかった。

それにたとえ会えたとしても、麻由美とどんな話をすればいいのか、わからなかった。

麻由美は自分のことが嫌いなのだろうか。結婚が嫌なのだろうか。

けれど麻由美は何も答えてくれない。

もし嫌いなのであれば、正直にいってくれていい。

そうすれば諦めもつくし、もうこの悩みは完全に消える。

麻由美の曖昧な態度に、清司は、いてもたってもいられなくなった。


そんな不安定な毎日を過ごして三ヶ月ほど経った頃、ようやく麻由美から、お茶会の誘いがやって来た。

清司は天にも昇るような幸福感を感じた。

また「素敵」といってもらえるように、新しい服を親に買ってもらった。

そして緊張しながら、麻由美が部屋に入ってくるのを待った。

清司がやって来て一時間経ち、麻由美は部屋に来た。

いつもだったら、もっと早く……、五分後には、二人で紅茶を飲んでいた。

一時間も待たせることなど、絶対になかった。

麻由美は清司と目を合わせず、無言でソファに座った。

こんなことも、一回も起きなかった。

必ず「こんにちは」とか、「今日も素敵なお洋服ね」とか、優しく微笑みながら清司にいっていた。

清司は俯いた。麻由美にどんな顔を向けたらいいのか、わからなかった。


その時、突然麻由美が声を出した。

「素敵なお洋服ね」

「えっ?」

驚いて顔を上げると、麻由美はにっこりと笑っていた。

「よ……洋服?」

「そうよ」

麻由美はそういって、紅茶を飲み、また笑顔で話し出した。

「新しいお洋服?いままで一度も見たことがないけれど」

清司は動揺しながら答えた。

「う……、うん……。母さんに買ってもらったんだ」

「そうなの」

麻由美は大きな目で、清司の顔を見つめた。

「清司さんは、何を着ても似合うのね」

清司の体から、冷や汗が滝のように流れた。

「そんなことないよ……」

震える声を必死に出した。

麻由美はまた紅茶を飲んだ。

「あ、あのさ。それよりも」

清司は、一番いいたいことを話した。

「この前はごめんね……。パスタ作らないってだけで、怒っちゃって……」

心臓がバクバクと速くなっていく。許してくれなかったらどうしよう、と思うと、体が震えそうになった。

麻由美は少し首を傾げ、ふふふっと小さく笑った。

「そんなこと、まだ気にしていたの?」

「えっ?」

驚いて変な声を出してしまった。

「そんなことって……」

清司がいうと、麻由美は可愛らしい声で、いった。

「そんな小さなこと、もう私、すっかり忘れていたわ」

おかしそうに笑う麻由美を見て、清司は心の中が暖かくなっていくのを感じた。

「そ……、そうか……。うん、そうだよね。何でもないよね、あんなこと」

清司も笑い返した。いままで胸に刺さっていた棘のようなものが、一気に溶けていった。

しかし、完全には消えなかった。

なぜか複雑な思いが残った。


どうして、今回はこんなに優しいのだろう………………………

前回は、どう見ても早く帰ってくれ、という顔だった。

なぜ今日は、こんなに穏やかな口調で、にっこりと微笑むのか………………


麻由美は二重人格者のようだと清司は無意識に思った。

いつもは優しいのに、突然冷たい人間に変わるのだ。

まるで、もう一人、清司が知らない「誰か」が、麻由美の心の後ろに潜んでいるようだった。

そしてその「誰か」は、清司のことを好く思っていない。

もしかしたら、死ぬほど嫌っているのかもしれない。

清司が過去のことについて何かいうと、その「誰か」が麻由美の心の中に現れるのだ。


部屋に入る時、麻由美は無口で、清司とのお茶会に無理矢理付き合わされているような顔をしていた。

いまは可愛いらしい声で、楽しそうに笑っている。


清司は、なぜか怖くなった。

この麻由美という少女は、どういう人間なのだろう………………

後ろに潜んでいる人間は、誰なのだろう………………



清司は首を横に振り、いま考えたことを振り払った。

こんなに美しい麻由美が、二重人格なんてこと、ありえるわけがない。


清司は麻由美の顔をじっと見つめ、誓った。

「これからは、もう食べ物なんていらない。ただ麻由美ちゃんとおしゃべりするだけだ」

これで麻由美は自分のことを好きになってくれる……。そう、清司は思った。

麻由美は面倒くさそうに、適当に首を縦に動かしていた。


麻由美と仲直りをすることができたが、今度は栄一の死神のような顔が清司の頭の中に浮かんだ。

麻由美が話しているのに、あまり耳の中に入ってこない。

「どうしたの?清司さん」

何度も麻由美に訊かれた。

「いや……。ちょっと眠くてさ」

人が話しをしているのに、眠いなど、何とも失礼な話だ。

しかも相手は婚約者の麻由美なのだ。

マナーのなっていない清司は、全く気付かなかった。

「何か具合が悪いのなら、いってください」

心配そうに話しかける麻由美に、清司は手を振った。

「何でもないから、気にしないで」

「本当?」

「全然何でもないから」

麻由美は困ったような顔をしたが、すぐに笑顔に戻った。

「よかった」

ほっとしたように、麻由美はため息をついた。


「で、今日はどんな話をする?」

清司が訊くと、麻由美は少し大人びた口調で訊き返した。

「清司さんの欲しいものって何?」

思いがけない質問に、清司は驚いた。

「欲しいもの?」

「そう。いま、とっても欲しいもの」

清司は頭の中で、すぐに欲しいものを浮かべた。

一番欲しいものは、もちろん麻由美だ。

麻由美と過ごす、華やかな人生だ。

しかし、そんな恥ずかしいことは、いえない。

いえる勇気がなかった。

どうしよう、と清司があわてて考えていると、麻由美が先に答えた。

「私が欲しいのは、綺麗な星空よ」

「ほしぞらあ?」

変な声を出してしまった。

「綺麗な星空が欲しいの?」

「欲しいというか、見たいの」

凛とした声で話す麻由美の顔を見て、清司は思いついた。

「もしかして、またお母さん関係?」

麻由美は少し驚いたような顔をしたが、すぐにもとに戻り、こくりと頷いた。

「またお母さん……」

清司はうんざりした。

どうしたら、この麻由美の頭から、死んだ母親の記憶を取り出せないのかと思った。

「もういい加減にしようよ。麻由美ちゃん。死んだ人は、戻ってこないんだから」

そういいながら、清司は、また麻由美が違う人間の目に変わっているのに気が付いた。

そして、無表情で体を固くしていることもわかった。

「どうしたの?麻由美ちゃ……」

清司の言葉を遮り、麻由美は低い声で一言、呟いた。

「あなたには、家族がいていいわね」

そして、俯き、何も話さなくなった。


麻由美の声の重さに、清司は驚いた。

あまりにも、リアルだったからだ。

本当に、家族がいない人間の声だった。

家族がちゃんといる、住む家も持っている、お金もある清司を、心の底から恨んでいるような口調だった。

「何いってるの、麻由美ちゃん」

清司は、あわてて声をかけた。

「麻由美ちゃんには、ちゃんと家族がいるじゃないか。お母さんは死んじゃったけど、お父さんやお世話のお姉さんだっているじゃないか」

しかし麻由美は何もいわない。


仕方なく、清司は帰ることにした。

せっかくのお茶会を、台無しにしてしまったと後悔した。




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