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愛子が施設から出て二週間が過ぎた。

栄一はベッドの上で寝っ転がっていた。

そして、ピンク色のミサンガをぼんやり見つめていた。

栄一の膝の上に載っていたミサンガは、ピンク色だった。

薄いピンク色と綺麗な白の刺繍糸で、丁寧に編みこまれている。

さすが愛子だな、と栄一は思った。

愛子は父子家庭だというのに、料理もものすごく上手かった。

生まれつき手先が器用だという感じではなかった。

たぶん、大好きな父親のために一人きりで練習したのだろう。

お父さんに、おいしいご飯を食べさせてあげたい………

愛子は父親の娘でもあり、小さな妻でもあったのだ。

愛子と一緒に生きていく男は幸せだろうな、と栄一は思った。


このミサンガを付けようか、そのまま置きっ放しにしておこうか、栄一は迷った。

捨てるわけにはいかなかった。

愛子ががんばって作ってくれた物を捨てるなんてことはできなかった。

蝉の抜け殻は、全てあの空き地に捨てた。

そして小さな幸せを、愛子との思い出を、靴で踏み潰した。

踏み潰している時、何度も泣きそうになった。

しかし負けるわけにはいかなかったから、栄一は必死に耐えた。


寂しいと思ったら負けだ

寂しいといって泣いたら負けだ


そう呟いて、粉々にした。


愛子はミサンガをどうしたのだろうか。栄ちゃんがミサンガを付けてくれないなら、あたしも付けないでいよう……なんて思っているのだろうか。

愛子は必死にミサンガを付けてくれといっていた。

また会えるはずだよ。約束しよう。そして、大人になってから残せる何かを二人で見つけよう…………

あの顔は、二週間経っても鮮明に覚えている。

そしてその顔を思い出す度に、栄一の胸はちくちくと痛んだ。


本当に、愛子は行ってしまった……………………


もしかしたら、ひょいと部屋から出てくるのではないかと思った。

実は全部嘘で、愛子と栄一は永く永く、一緒に生きていくのでないか。

何度もそう思った。

しかし愛子はどこにもいなかった。

施設の中にも、空き地にも、愛子はいなかった。

重くつらい現実に、栄一は押し潰された。

そしてその現実から逃避できるのが、愛子の作ったミサンガを見ている時だった。

愛子と繋がっていたい。

愛子も栄一と繋がっていたいといっていた。

ミサンガを付けていれば、愛子は消えない。

栄一とミサンガによって繋がっていられることで、愛子はこの世に存在する。

もし栄一がミサンガを付けなかったら、栄一の愛する愛子という少女は消える。

完全に愛子は引き取り先の娘として生きていくのだ。


さらに栄一は後悔していた。

どうしてあの時、愛子の言葉を最後まで聞かなかったのか。

愛子の真剣な目を見ていられなかった。

緊張して、動揺で頭がおかしくなって、そのまま倒れそうになった。

愛子が最後に栄一に伝えたかったことは、一体なんだっただろう。


栄一が逃げてしまったのは、急に何もかもが怖くなったからだ。

自分がものすごく小さくて弱い生き物に変化したような気がした。

大人になってまた再会した時、どんなことが起こるのか一瞬で頭の中を駆け巡った。

愛子は大人になった時の話をした。いつかどこかで出会うはずだといっていた。

そんなことが本当にあるのだろうか。

いま、また会おうなんて約束をして、本当に果たせるのかどうかわからなくなった。

愛子が栄一としたかった約束は、まだ六歳の栄一には、あまりにも飛躍していて大きすぎる約束だった。

その約束を本当に守れるかどうか、栄一は不安になった。

何か重いものが、上から降ってきた気がした。

そんなに重大な約束を守れる自信が、栄一にはまだなかった。

そしてその自信がない自分を、愛子に見せたくなかった。

どうしようもなくなって、栄一は逃げたのだ。

愛子の約束が、怖くなったのだ。


結局、何も約束できずに、栄一と愛子は離れ離れになってしまった。


愛子が、まだ六歳だというのに、あんなことを一人きりで考えていたのかと知り、栄一は驚愕した。

実は自分よりも、もっともっと大人だったのではないかと思った。

栄一は初めて会った時からずっと『泣き虫で俺がいないと何もできない女の子』として見てきた。

しかし本当は栄一よりもずっと大人だったのではないか。

大人ぶっていた自分が情けなくなった。


栄一はベッドの上でミサンガを見つめた。

愛子を消したくない。初めて繋がった糸を切ってしまうわけにはいかない。

よろよろと起き上がり、ミサンガを手首の上に載せた。

その時、栄一はあることに気がついた。

巻くのは右と左のどちらがいいのだろうかと思った。

ふつう腕時計など手首に何か巻く時は、利き手と反対の方に巻く。

栄一は左利きだった。だから巻くのは右の方だ。

しかし栄一は左に巻くことにした。

愛子はいつも栄一の左側にいた。左利きの栄一を見て「すごいなあ」と感心していた。

ミサンガも左に巻いた方がいいのではないか、と思った。


これでもし、愛子も同じようにミサンガを巻いていれば……………………


「愛子は消えない」


栄一は小さく呟いた。なぜか愛子が左側にいるような気がした。

ミサンガから、愛子の暖かい熱が伝わってくるようだった。

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