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「ミサンガ?」
栄一がいうと、愛子はこくりと頷いた。
「栄ちゃん、ミサンガ知らないの?」
愛子は首を傾げて訊いた。
「知らないよ」
栄一が答えると、愛子は小さな息を吐いた。
そして、手に持っているミサンガを栄一の方に差し出した。
ミサンガは2本あった。暗くてよくわからなかったが、色は白と黒に見えた。
「ミサンガっていうのは、願いを叶えてくれるお守りみたいなものなの。お願い事をして手首に巻いておくの。それでそのお願いが叶ったら、糸が切れるんだよ」
「糸が切れる?」
栄一は驚いて声を出した。
「そう。お願い事が叶ったら、自然に切れるんだよ。だからずっと手首に巻いてなきゃいけないの。お願い事が叶うまで」
愛子はミサンガを見つめ、本を読むようにすらすらと話した。
栄一はミサンガと愛子の顔を交互に見ながら、強くいった。
「そんなことあるわけねえだろ。勝手に糸が切れるとか、願い事が叶うとか」
「でも、ミサンガはそういうものなんだよ」
「そういうものって何だよ」
「だから、願い事を叶えてくれるものなの」
愛子は寂しそうな顔をした。
栄一はその顔を見て、いま自分が愛子にひどいことをいっているということに気がついていた。
「じゃあ訊くけど、愛子はミサンガが自然に切れたところ見たことあるのか?」
栄一がいうと、愛子は黙った。
「見たことないんだろ。それなのに信じるなんておかしい。俺は占いとかおまじないとか信じないんだよ。嫌いなんだ」
「ミサンガは占いでもおまじないでもないよ。お守りだよ」
「お守りも一緒だよ。そんな紐一つで願い事が叶うなんて馬鹿馬鹿しい。だったら、この世の中の人間たちはみんな幸せだよ。金持ちになりたいって願っても、こんな細い紐は何にもしてくれねえよ」
栄一が一気にいうと、愛子は俯いた。
「だからミサンガも付けない。付けたって、ただほつれてほどけるだけだ」
そういって、栄一は顔を横に向けた。今日でお別れというのに何てことをしたんだ、と自分が嫌になった。
愛子は俯いたままだった。もしかしたら泣いているのかもしれない。
そのまま二人は何もいわずに立っていた。
しばらくして、愛子はそっと顔を上げ、栄一の横顔を見た。
少し息を吐いた。深呼吸のようだった。
「ねえ、栄ちゃん。また会おうよ。あたしたち、きっとまたどこかで会えるよ」
愛子の言葉を聞いて、栄一は愛子の方に顔を向けた。
「どうして会えるなんていうんだ」
「会えるよ。あたしはそう思う。いつかどこかで会えるはずだよ」
「いつかどこかで?そんなことあるわけねえよ」
「栄ちゃん。あたしは会いたいよ。また栄ちゃんに会いたい。また一緒に星空見たい」
必死なのは顔を見なくてもわかった。
栄一も愛子と同じ気持ちだった。
また会いたい。会って、二人で永く永く生きていきたい。
大人になって、さらに美しくなった愛子に会いたい。
そして手を繋いで、二人きりで星空を見たい………………………。
だがこんな細い紐が、また二人を会わせてくれるわけがないと栄一は思った。
愛子はまたミサンガを差し出した。
しかし栄一は受け取らなかった。
「俺は信じられない。こんな紐巻いてたって、何も変わらないよ」
「そんなことない!」
愛子は大声を出した。少し震えているように聞こえた。
「ねえ、お願い、栄ちゃん。ミサンガ付けて」
愛子は祈るように両手を胸の前で合わせた。
栄一は何もいわず、顔を横に振った。
栄一がミサンガを付けたくない理由はもう一つあった。
『糸が切れて願いが叶う』ということだ。
いま、栄一は愛子との糸が切れかけている。
それなのに糸が完全に切れてしまったら、もっと離れ離れになる気がした。
もっと離れ離れどころか、もう二度と会えないと思った。
愛子はミサンガを信じているようだが実際に見たことがない。本当に願いが叶うのかどうか知らないのだ。
栄一にはミサンガなんて、ただの紐にしか見えなかった。
何もいわずただ立ち尽くしている栄一を見て、愛子はふう、と息を吐いた。
そして俯き、黙っていた。
しばらく二人は何もいわずに立っていた。
周りがだんだん暗くなっていく。
もう施設に戻るぞ、と栄一がいいかけた時、愛子は小さく呟いた。
「あたし、愛子じゃなくなっちゃうの。愛子は死んじゃうのよ。何も残さないで」
その言葉に、栄一は驚愕した。
体が石のように固まった。




