第二十話 はじまりの前のはなし
「……もしわたしが違うと言ったら?」
かたい声で、仁科さんがつぶやく。
「違うんですか?」
ほんとにびっくりした顔で、ハル。
「……そう返されると、なんともいいにくいわね」
そういって、苦笑いする仁科さん。
「そうすると、やっぱり?」
ぼくの言葉に、仁科さんはうなずいた。
「ええ。わたしは昔、おじいさん……作蔵さんと結婚していたことがあるの。
聞きたかったことって、このことでしょう?」
悲しそうな顔。
聞いてはいけないことだと、わかってはいたけれど。
「……はい。ごめんなさい、こんなこときいちゃって」
「いいのよ。ここまでわかってたなら、隠しても仕方がないし。
……でも、どうしておじいさんといままで連絡をとらなかったのか。いまでも、連絡を取ろうとしないのか。そこまでは、さすがにわからなかったみたいね」
小さく笑う仁科さん。
「ごめんなさい。何か事情があるとは思うんですが、そこまでは…」
「いいわ。わかるわけないんだから。話してあげる。あまり楽しい話にはならないかもしれないけれど」
そういって、仁科さんはぽつりぽつりと話しはじめた。
「昔、腕のよい技術者だったおじいさんは、私と結婚したあと、小さな工場を建てて独立したの。
おじいさんと仲間たちは毎日毎日機械をつくって、わたしはその世話と、事務一般をやって。
お金はなかったけれど、腕と夢はあったから。
毎日が楽しかった。
そのうち腕が評判になって注文も増えて。赤ちゃんも産まれて。
いつまでも、こんな日が続くと思ってた」
昔を懐かしむように、仁科さんは話し続ける。
「けれど、そのころ日本は大きな戦争をやっていてね。
おじいさんのところにも、戦争に来るようにっていう命令がきたの。
わたしはいやだったけど、どうにもならない。
笑って送り出すしかなかった」
仁科さんは、淡々と話し続ける。
「それからしばらくして、南の島から電報が届いたの。
おじいちゃんが亡くなったってね」
「…!?」
一瞬、なにを言われたのか、わからなかった。
「……でも、おじいちゃん生きてるよ!」
「そうよね。でも、そのころはたまにあった話なの。もちろん、そのときはそんなこと知らなかったけれど」
「それで、どうしたの?」
「最初のうちは、それでもがんばってたんだけどね。
会社の方は残った人達が必死になって守ってくれてたし」
「でも、その時代、赤ちゃんをかかえて一人で生きていくのは大変だって、みんな…とくに伏見さんが心配してくれたのね。
しばらくたってから、仁科さんを紹介されて、再婚したの。
工場のみんなも、祝福してくれた。
私は工場を離れて、伏見さんが中心になって会社を続けて。
そのうちに、戦争も終わって。
それなりに幸せだった。あの日までは」
そういって、溜息をつく。
「ある日、伏見さんから電話がかかってきて。『社長が帰ってきた』って。
あわてて工場まで出かけて、作蔵さんが確かにそこにいることがわかって。
……出ていけなかった。
作蔵さんは、帰ってきてくれたのに。私は、あんな電報なんか信じて、ほかの人と再婚して。
会わせる顔がなかった。
そのまま、作蔵さんに見つからないように、そっと帰って。
それから、ずっと会ってない」
仁科さんの手が、震えているのがわかる。
でも、ぼくもハルも、仁科さんに声をかけられなかった。
「おばあちゃんは、何にも悪くないよ」といえればよかったけれど。
仁科さんは、そんなことはわかってる。
たぶんぼくらが生まれる前から、ずっとそのことで悩んできたんだ。
ぼくたちがなにをいっても、何のなぐさめにもならない。
だから、仁科さんの話をだまって聞いていることしかできなかった。
「噂は、いろいろ聞いたの。作蔵さんが別の人と再婚して、子供ができたこと。
とても仲のいい夫婦だったこともね。
こっちも、作蔵さんには申し訳なかったけれど仁科とはうまくいった。とても大切にしてくれたし」
「仁科さん……旦那さんのほうは?」
「……五年前になくなったわ。大往生……ね」
「……すいません」
「いいのよ。わかるわけはないしね」そういって、軽く手を振る仁科さん。
「そのあとも、娘と孫と曾孫…あなたたちに会った「東さん」と「駿君」ね…はいたし、今まで特に困ったことはなかったの。
……今年のはじめ、急に作蔵さんから手紙が来るようになるまでは」
ここで一度、仁科さんは言葉を切った。
いや、言葉を続けられなくなったみたいだった。
少ししてから、また話し始める。
「何十年も連絡がなかったのに、急に手紙が届いて。
……怖くなった。
何十年も昔の罪が、突然目の前に突きつけられたような気がして。
……思わず、捨てたの。
それから、何度も手紙も来たし、電話もかかってきたけれど。
全部、無視した。
おじいさんが、今になって私を責めようとしているような気がして」
「おじいちゃん、そんなことするひとじゃないよ!」
ハルの抗議に、仁科さんはゆっくりと首を振る。
「わかってるわ。でもね…どうしてもだめなの。いまさら、おじいさんの手紙は受け取れない。
おじいさんは、ちゃんと生きて帰ってきてくれたのに。私は、待っていられなかった。
いったい、いまさらどんな顔して、あの人に会えばいいの?」
そういった仁科さんの顔は、ぼくらよりも何十年も生きてきた、優しいおばあさんの顔と言うより、昨日迷子になったときのハルみたいな、途方に暮れた顔だった。
「……それは困るな」
ふいに、玄関の方から声がした。
「おじいちゃん?」
思わず声がそろってしまう。
「おじいちゃん、具合悪かったんじゃないの?」
「……やっぱり、仮病だったんだ?」
ぼくの言葉におじいちゃんは苦笑いして、
「すまんかったな、心配させて」とだけ、いった。
それから、真っ青になった仁科さんに、優しく声をかける。
「悪かったな、こんな手の込んだことまでして」
その後ろから、やっぱりぼくたちの知った顔。
「ごめんねーふたりとも、びっくりさせちゃって」
「東さんに駿くんまで……」
駿くんを抱きながら、東さんが姿を見せた。
「……まず、私より先に謝る人がいるでしょう?」
仁科さんが、静かに言う。
おじいちゃんはうなずいて、ぼくとハルに頭を下げた。
「悪かった。こんなことにまきこんで」
「ほんとにごめんね。高月さんがこんなことまで考えてるとは思わなくて。ただおばあちゃんに手紙を渡しに来るだけだと思ってたから」
そういって、東さんがおじいちゃんをにらむ。
「ちょっと、やりすぎですよ。たったこれだけのことのために……」
東さんの言葉に、おじいちゃんがうなだれた。
「なるべくおまえ達がひどい目に遭わないように、手を打ったつもりだったんだが……」
言葉を濁すおじいちゃん。
と、東さんが頭を下げた。
「すいません、知らなかったもので」
「いや、いい。伝えておかなかったわしが悪い」
そういって、おじいちゃんも頭を下げる。
「……何の話?」
ぼくの言葉に、おじいちゃんと東さんは顔を見合わせて。
「あのね」いいにくそうに、東さんが切り出した。
「あの、電車の中の人のこと」
「……あの、ぼくらを追っかけてきた人だよね?」
「そう。あのね……」
「あのひと、しゅーくんたちを見張ってたのよ」
「……それが?」いいたいことが、よくわからない。
「……おじいちゃんの命令で、ね」
「……え?」思わず、ハルと声が重なってしまう。
「あのひとね。おじいさんがつけてくれた護衛のひとだったの」
ハルと顔を見合わせたぼくに、おじいちゃんが説明する。
「いくらなんでも、こんなあぶないことをおまえたちだけにさせるわけにはいかないからな。何かあったときに、すぐに助けられるように護衛をつけておいたつもりだったんだが」
苦虫をかみつぶしたような顔で、おじいちゃんが言う。
「東さんには『怪しい人が付いてくるかもしれないから、注意しておいてくれ』とはいったんだが。まさか、護衛を追い払われるとは思わなかった」
「『ああ、この人が怪しい人だ!』と思っちゃって」
たっぷり十秒はたったあとで、ぼくはやっとの事で聞いた。
「…じゃ、あの人とおじさんの関係は?」
「きれいさっぱり、なんにもなし!」
「…だから、ぼくたちのこと、見張ってたんだ…」
ハルと顔を見合わせて、笑い出す。
結局、なんてことない。
ぼくたちが自分でわざわざ危ないところへ飛びこんでっただけだったんだ。
ぼくたちが笑い終わったあと、東さんが切り出した。
「ごめんね、おばあちゃん。おばあちゃん、ずっと気にしてるのは知ってたけれど、
……もうそろそろ、自分を許してあげても、いいと思うよ?」
「いいえ」
けれど仁科さんは、首を縦に振らなかった。
「どうして?これ以上、苦しまなくても…」
「そういうことじゃないの」
きちんと背筋を伸ばし、仁科さんは言った。
「作蔵さん。この子達に謝らなければならないのは、本当にそれだけですか?」
仁科さんの視線を浴びて、おじいちゃんが目をそらす。
「ハルちゃん達も、気が付いてるんでしょう?たったあれだけの証拠で、わたしたちのことに気が付いたんだものね」
うそは、つけなかった。
だまって首を縦に振る。いちどだけ。
「……やっぱり」
ぼくらの様子を見た仁科さんが、おじいちゃんに何か言いかける。
けれど、ぼくの方が早かった。
「できるなら、あとで言おうと思ってたんだけど。
……おじいちゃんには悪いけれど、やっぱり許せないよ」
「……周坊?」
となりでハルが、必死に首を振る。
ハルの言いたいことは、わかる。
いま、これを言うことは、たぶんだれのためにもならない。
でも、もうがまんできなかった。
「ぼくらを誘拐した、本当の理由。まだ、話してくれてないじゃない」




