第二話 おじいちゃんの手紙
小さく風鈴が鳴る。
外の日差しが嘘みたいに、クーラーのきいた部屋は涼しい。
鉛筆の音だけが、静かな部屋に響き渡る。
いや、もうひとつ、小さな音が。
すうすうという、小さな小さな声。それにあわせて、ピンクの髪飾りが上下に揺れる。
ぼくは立ち上がって、……ハルの頭をたたいた。
「いた!」
ハルが飛び起きる。
「なにするの!」
「こっちのせりふだっ!」
「眠いから寝る……」
「寝るなっ!だれのせいでこんな事になってると思ってるんだ?」
そういって、真っ白い宿題のページを見せる。
「ほら、出発はあさってなんだから。とっととやるの」
「ううー……」
不満そうにうなった後、ハルはあきらめたらしい。とにかくぼくの向かい側に座って、宿題をせっせとやり始めた。
どうして、こんなことになったのか。
「旅行の前に、宿題は済ませておきなさい!」と、おとうさんにきつくいわれたからだ。
といっても、ぼくはともかくハルが勉強なんかやってるわけがない。
だから、ぼくが新しい問題を解き、その解いた問題をハルがせっせと書き写す、なんてことになるわけだ。
「……なあ、ハル」
「んー?」
「なんか不公平な気がするんだけど」
「気のせいだよ」
「ぜーったい、ちがうとおもうけど……」
不満そうなぼくの声に、ハルがむきになる。
「こーんなかわいい子と一緒に勉強できるなんて、役得なんだよ!」
本気でいってるんじゃないことはわかったけど、それでもぼくはすこしどきどきした。
じっさい、ハルはかわいい。ちょっとおてんばすぎて手に負えないし、わがままで無計画で無鉄砲でいいだしたら聞かないけれど、性格だって悪くない……と思う。
でもここでうなずいたらこいつの思うつぼだ。
「そうかな?」といって首をかしげてみる。
とたんに、ハルがむくれた。
「かわいくなーい!」
後ろから、頭をぐりぐりされる。
「かわいいって言えー!」
「やだよー!」
「まあまあ、二人とも仲がいいわねえ」
麦茶を持ってきた母さんがいった。
「仲良くなんかないよ!」大きな声で言ったけど、ハルと声が重なってしまった。
一瞬顔を見合わせて、
「まねするなよ!」
「そっちこそ!」
「ふん!」
「ふん!」お互いにそっぽを向く。
「やっぱり仲がいいわねえ」なぜかくすくす笑いながら、かーさんが言う。
「ところで、おじいちゃんちにごあいさつはしたの?」
「ごあいさつ?」
「おじいちゃんのおかげで旅行に行けるんだから。二人とも、ちゃんとごあいさつしてらっしゃい」
「はーい!」待ってましたとばかりに、ハルが答える。
「おばさんもああいってることだし、行こうよ、おじいちゃん家!」
「この宿題は、ハル?」
「いいの。宿題なんかより、おじいちゃんにお礼を言う方がずっと大事だよ」
「……おまえ、やりたくないだけだろ、宿題」
「……ほら、いこうよ!」
強引にハルが話を終わらせる。どうやら図星みたいだ。
「……まあ、いいか」
確かにハルが言うことも一理ある。
「帰ってきたら、ちゃんとやるぞ」と言って、ぼくは立ち上がった。
おじいちゃんの家は、そんなに遠くはない。だいたい家から自転車で10分もあれば着く。
立派な門の前で、チャイムを押す。
「どちらさまですか?」
と言って顔を出したのは、少し髪の薄くなったおじいさんだった。
「伏見さん!お久しぶりです!」
ハルが、元気に挨拶をする。
「おお、ハルちゃんに周ちゃんか!大きくなったなあ!」
伏見さんは、おじいちゃんが会社にいたときの部下だった。おじいちゃんが会社を隠退したとき、伏見さんも会社を辞め、この近くに家を建てて隠居した。よくおじいちゃんの家に遊びに来ていて、ぼくも何度か会ったことがある。
「おじいちゃんは?」
「お部屋の方にいらっしゃいますよ。ただ、今日は体調が優れないようで、お部屋で横になっていらっしゃいますが」
「……じゃあ、帰った方がいいですか?」
「いえいえ、とんでもない。ハルちゃん達が来てくれたら、とてもよろこばれますよ」
そういって、伏見さんは笑った。
「それに、今ちょっと嫌なお客様がいらっしゃってて…」
「いやなお客様」
「光彦様ですよ」
「ああ……」
光彦さんは、ぼくらのおじさんにあたる。おじいちゃんともとうさんたちとも仲が悪くて、あまり家には寄りつかない。
「だから、はやめにいって助けてお上げなさい」といって、伏見さんは笑った。
おじいちゃんの部屋に行く手前の廊下にさしかかったとき。
「出て行け!」
おじいちゃんの、すさまじい怒鳴り声が聞こえてきた。思わず、首をすくめる。
と、ドアが開いて、40歳くらいの太った人が足音高く歩いてきた。
光彦おじさんだ。
「あれ、おまえら……」
ここで会うとは思っていなかったんだろう。何か疑わしそうな顔をしている。
「なにしに来たんだ?」
「旅行に行くから、ごあいさつにきたの」ハルが答える。
「旅行?」
「うん。あのね……」
「ハル、はやくおじいちゃんのところにいかないと…」
ぼくがそういうと、ハルは急いでおじさんにあいさつをして、こっちに走ってきた。
寝室のドアをノックする。
「誰だ?」不機嫌そうな声。
「周哉です。遙もいます」というと、おじいちゃんの声が和らいだ。
「おお、周坊にハルか。よう来てくれたな!」
ドアを開けると、おじいちゃんがベッドで身を起こしていた。
ふとんの上に、古ぼけた大きなアルバムを広げている。
そのとなりには、やっぱり古ぼけた写真立てと、白黒の写真。おじいちゃんが、数人の仲間達と写っている写真だ。
「あいさつにきてくれたのか?」
「うん!旅行に行けるのも、おじいちゃんのおかげだもん!」
「そうかそうか」
ハルの言葉に、おじいちゃんが目を細める。
「ところで、どんなコースで行くつもりなんだ?」
おじいちゃんがきいてきた。
「まず夜行列車で東京に行って、それからディズニーランドと渋谷と…」
そういって、ぼくたちが立てた計画を話していく。
おじいちゃんは嬉しそうに、僕らの話を聞いていた。
旅行の話をして、旅行中に気をつけないといけないことについて注意されて、さあ帰ろうかと言うとき。
「ところで、ちょっと頼みがあるんだが」
そういうと、おじいちゃんは懐から手紙を取り出した。
「これを、このひとに渡してくれんか?」
そう言って渡されたのは、ていねいな字で「仁科幸子様」とだけ書かれた書状だった。
「本当ならわしが渡すんだが、今ちょっと手が放せない用事があってな。あっちの方に行くなら、ついでに渡しておいてほしい」
「場所はどこなの?」
というと、やっぱりていねいな字で書かれたメモをくれた。
「……せただに?」
「せたがやって読むんだよ」
「世田谷って、ぼくらが行くところから少しはずれてるよ?」
ぼくの質問に、おじいちゃんは、
「もちろん、こっちの頼みなんだからお小遣いは出すよ?」
「うん、わかった」
ハルが即答した。
「……おい、ハル……」
「だって、おじいちゃんには助けてもらったし、お小遣いくれるならそれ位したっていいじゃない」
「迷子とかにならないかな?」
「だいじょうぶだよー!」なんの根拠もなしに、ハルが断言する。
「まあ、いいか。おじいちゃんには助けてもらったし」
そう言って、うなずく。
「ねえ……おじいちゃん。これって、ラブレター?」
ハルがとんでもないことをいう。
「さて、どうだろうね?」
おじいちゃんが、くすくす笑う。
「ばか」そういって、遙をこづく。
「あんまり失礼なこと言うなよ」
「だって……」
「それじゃ、おじいちゃん。手紙はこの人に渡せばいいの?」ハルを無視して、おじいちゃんに聞く。
「ああ。なるべくなら手渡しで渡してくれ」
「うん、わかった!」
なくしちゃうといけないし、なるべく早めにわたさないといけないかな。
「それじゃ、気をつけてな……」
おじいちゃんの声を背に、ぼくらは部屋を出た。




