第十七話 到着
「東さんに話は?」
「しないほうがいいと思う。話してもだいじょうぶだとは思うけど、もし違ったら、ね」
ちょっと申し訳なさそうなハルに、笑いかける。
「それに、もし東さんに頼んだら、あの運転を我慢しなきゃいけないんだよ?」
ぼくの言葉に、ハルも笑った。
「荷物は置いていこう。荷物を持っていかなかったことがわかれば、戻ってくるつもりだってこと、信じてもらえると思う」
持ってくものは、あの手紙だけ。
短い書き置きを残して。
「こうやって逃げ出すの、今度で何度目かな?」
「これで最後だよ。きっとね」
そういって、ハルの手を握って。
ぼくたちはまた、そっと家を出た。
人通りの少ない裏道から、大通りへ。
待ち伏せしている人はいない。
伏見さんの言うとおりに何か手を打ったのか、それとも単純に見失っただけなのかわからないけど、ぼくらにはとても都合が良かった。
地図を見て、案内板を見て、なんとかあたりをつけながら駅へと急ぐ。
人ごみを逆に走りながら、電車に。
知らない駅から知らない駅へ。
人ごみの中は、まぎれこむにはちょうどよかった。
あたりの人もみんな、こっちに注意もせずに通り過ぎる。
だれもいないみたいに。
知らない町の知らない場所で、知らない人に囲まれて。
ハルと二人きり。
ここにはこんなにひとがいるのに。
……なんだか、怖い。
ハルの手を少し強く握る。
ハルは、ちょっとだけ驚いて、すぐにぼくの手を握り返してきた。
何度も何度も乗り継いで、目当ての駅へ。
小さいけれどにぎやかな駅前で、地図を確認。
「どっちなの?」
「うーんと……あっち」
細長くのびている商店街を、人のすくない方に。
「見張ってる人、いないよね」
「たぶんね。もうおじさんにぼくらを追いかけ回す理由はないはずだもん」
おじさん以外はどうかわからなかったけれど、それでハルは安心したらしい。
「じゃ、いくよ!」
そういって、どこまでも続く道をいきおいよく走りだして。
……迷った。
「三番目の角だから、ここだよ!」
「だってここで右に曲がったんだから、その先は…」
商店街も終わり、あたりには大きなお屋敷が建ち並んでいる。
大きくて、ぼくらには塀しか見えない。
道がこんなに入り組んでるなんて思わなかった。
まっくらな通りのあちこちに、寂しくぽつんと街灯が立つ。
道行く人も、誰もいない。
「……やっぱり、怖いよ」
今度はハルが、ぽつりといった。
「……うん」
これまでは、ずっと追っかけられていたから。
こわいなんて思ってるひまがなかった。
ハルと手をつないで、必死になって逃げていれば、それでよかった。
けど、今は。
知らない町の真ん中に、ほうりだされて。
今ぼくたちがどこにいるのか、それさえもわからなくて。
……このまま、どこにもつかなかったら、どうしよう。
「こんど誰か通ったら、道を聞こう」
ハルに、そういってみたけれど。
「いや!」
ハルは思い切り首を振った。
「もう誰にも、話なんか聞きたくないよ。どこの誰がなにするか、わかんないもん。平沢さんみたいな人がまたいたら、どうするの?」
ハルの言うことは、わからなくはなかったけど。
「でも、このままじゃ、いつまでもあの人のうちまでいけないよ?」
「それでも、いや」
がんこに首を振り続けるハル。
……しょうがない。
あきらめて、またハルの手を引いて、歩き出す。
だんだんと、ハルの歩きが遅くなってきた。
「だいじょうぶ?疲れた?」
返ってきたのは、
「しゅーちゃん、ねむい……」
緊張感を全部ふっとばすみたいな、ハルの声。
「もうちょっとがんばれよ。あとちょっとなんだからさ」
……ほんとかどうかは、ぼくも知らないけど。
「だいじょうぶ、へいきだよっ」
言葉だけは元気なままで、ハルが答える。
なるべくゆっくり、ハルが疲れないように歩く。
それでも、道はわからない。
同じところを、ぐるぐる回る。
見覚えのある屋敷の角を、三回目に回ったとき……
つないでいたハルの手から、ふんやりとちからがぬけた。
そのまま、地面に崩れ落ちる。
「ハル!?」
あわててかけよったぼくの目の前で。
すうすうとねいきをたてて。
気持ちよさそうに、ハルは眠っていた。
「おいハル、おきろっ!」
ぺちぺちとほっぺたをたたいてみる。
ゆすぶって、耳元で大声を上げて。
それでも、ハルは起きなかった。
……まったく。
「しょーがないなあ」
大げさにため息を付いて、ハルを背負う。
「今日、つかれたもんな……」
これは、ぼくのわがままだから。
これ以上ハルに無理させるわけにもいかない。
不思議と怖さはなくなっていた。
背中のハルの、幸せそうな寝息。
とりあえず、ハルだけは間違いなくそばにいる。
それだけで、ずっと気持ちが楽になった。
「ハル、重いぞー……」
今考えたことがなんとなく照れくさくて、ひとりごとを言ってみる。
「重くなんかないもん……」
いきなり背中から声が聞こえてくる。
「おきてるなら……」
聞こえてくるのは、規則正しい寝息。
「寝言か……」
ひとつため息を付いて、またハルを背負い直す。
だんだん、足取りが重くなってきた。
考えてみれば、ぼくだって疲れてるはずなんだ。
でも、こんどは誰かに助けてもらうわけには行かない。
ぼくが言い出して、ハルまで巻き込んだことなんだから。
さいごまで、やらなくちゃ。
それから20分くらいたって、やっとぼくは目的地にたどり着いた。
時計を見る。
……もう十時か。
大きなお屋敷。
「仁科」と書かれた表札に目をやって。
くっつきそうになる目をなんとかこらえて、大きな門の前に立つ。
ハルをおぶったまま、玄関のチャイムを押す。
インターホンから、品の良さそうなおばあさんの声がした。
「はいもしもし。どちらさまでしょうか?」
「夜分遅くすいません。高月周哉といいます。後ろにいるのが、従妹の遙です。
おじいちゃん……高月作蔵から手紙を預かってきました」
インターホンの向こうで、息をのむ気配がした。
「受け取りたくないかもしれませんけれど、どうか受け取ってもらえないですか?ぼくたちも、そのことで聞きたいこと、いっぱいあるんです」
返事は聞こえない。
足が、がくがくする。
でも、これはぼくたちだけで、やらなきゃいけないことだから。
だんだん、気が遠くなってきた。
それでもなんとか、残った力で言葉を続ける。
「お願いします。ほんとに、ごめんなさい。
……おばあちゃん……」
ぼくが覚えているのは、そこまでだった。




