第十六話 おまじない
「どうして、おじいちゃんが、そんなこと?」
少し落ち着いたらしいハルが、ぼくに聞いてくる。
「わかんないよ」
「おじいちゃん、わたしたちのこと嫌いだったのかな?」
「わかんないよ」
「おじいちゃん……」
「わかんないよ!」
つい、怒った声が出た。
ハルがびくっと身をすくませる。
「……ごめん、ハル。ハルはなんにも悪くないのに」
「……いいよ。しゅーちゃんの気持ちも分かるし」
ハルの声を、半分聞き流す。
頭の中ぐろぐろで、何も考えられない。
たぶん少し、落ち着いた方がいい。
このままだと、いい考えが浮かぶ前に、もっとひどいことをハルに言っちゃいそうだから。
部屋の中を、ぐるっと見回す。
東さんと駿くんは、さっきどこかに出かけてしまった。
だからこの家には、今はぼくとハルしかいない。
ソファー、クッション、テレビ、カーペット。
落ち着いた感じの、いごこちの良さそうな部屋。
テレビの上においてある、小さな写真立てが目についた。
来たときに電話のところで見かけたのとおんなじ、小さなセピア色の写真。
どこかで見たような気がすると、さっき思った写真だ。
手に取ってみる。
古い工場と、前に並んだ……
……思い出した。
あれを見たのは、確か。
記憶が巻き戻っていく。
ハルと一緒に逃げた町。倉庫。にぎやかな通り。夜行列車。電気の消えたぼくの部屋。おじいちゃんの家。宿題。ラジオ体操。ハルと、はじめてあったとき。
昔のカメラの、使い終わったフィルムみたいに、記憶は音を立てて巻き戻って。
あるべきところにおさまって。
かちり、と音がした。
ハルの目の前に、きちんと座り直す。
「……ハル。ちょっと、お願いがあるんだけど」
「どしたの?しゅーちゃん。急にあらたまって」
あわててハルも座り直した。
「あの人のうちにまで、行きたい。今すぐに、手紙をとどけに」
とたんに不機嫌になるハル。
「あんな目にあったのに、まだおじいちゃんの言うこときくの?」
「そうじゃないよ。ちょっと、聞いてみたいことがあってさ」
「何を聞くのよ」まだとがったままの声で、ハル。
「今度の事件のこと」
「……あの人が、何か知ってるの?」意外そうな声。
「たぶん。この計画とはなにも関係ないだろうけど」
「どういうこと?」
不思議そうなハルに、ひとことだけ言う。
「わかった……かもしれない。ぜんぶ」
「わかった……って、こんどのこと?」
「うん。ほんとかどうかはまだわからないけど」
そしてぼくは、さっき思いついたことを残らずハルに話した。
長い時間をかけて、考え考え。
「え……だって、だってだって……」
今度の旅行に来てから、ハルの驚いた顔を見るのは、何度目だろう?
「でも、これだったら、どうしてこんなことになったのか、わかるでしょ?」
ぼくの言葉に、しぶしぶうなずくハル。
「……それなら、おじいちゃんのしたことは、わかるような気がするよ。許してなんか、絶対にやらないけど」
「……でも。それ、ほんとなの?」
「わかんない」
ぼくの言葉に、ハルが不安そうな顔になる。
「でも、ぼくにはこれしか思いつかない。少なくても、いまは。
……だから、確かめに行きたい。いまから、すぐに」
「そんなことしなくても、あしたおとーさんたちといっしょにいけば、事情がわかるんじゃないかな?」
「……それじゃ、だめだよ。ぼくたちの聞きたいこと、たぶん聞けない」
出発の時のことを思い出す。
「たぶん、あの時と同じみたいに、『ぼくたちのため』に、父さん達は絶対に本当のことを言わないだろうと思うんだ。
……そんなの、いやだよ。
どうして、こんなことになったのか。
だれが、こんなことしたのか。
そんなこともわからないままに、知らないうちに誰かの道具にされてさ。
光彦おじさんもおじいちゃんも父さん達も、みんなぼくたちのこと道具扱い。
それで、最後までほんとのことは教えてもらえない。
冗談じゃないよ。絶対にいやだ。
だから、ぼくとハルで、全部解いちゃいたい。
誰かに、誰かの都合がいいようなことを聞かされるんじゃなくて。
こっちで全部解いちゃって、みんなに突きつけてさ。ほんとのこと、しゃべらなきゃいけないようにしようよ」
ぼくの言葉に、ハルはちょっと笑って、はっきりと頷いた。
「ごめんね、迷惑かけて」
「迷惑なんかじゃないよ!でも……」
心配そうな顔のハル。
「……しゅーちゃん、こわくないの?」
「怖いよ!もし違ってたらこわいし、本当だったらもっと怖い。でも……」
まだ言おうとするぼくを止めて、ハルが言う。
「……おまじない、してあげよっか?」
「おまじない?」
「うん。元気が出てくるおまじない」
「めずらしいね、ハルがそんなこと言うなんて」
ハルはあんまりそういうこと信じなかったと思ったけれど……
「いいから!」
びっくりするくらい強い声で、ハルが言う。
……こういうときは、逆らわない方がいい。
「で、どうすればいいの?」
「そこのソファーに座って、ちょっと目をつぶってて。ぜったい、開けちゃだめだよ!」
「うん。……これで、いいの?」
いわれたとおりに目をつぶって、じっと待つ。
なかなか、始まらない。
聞こえてくるのは、息を整えるハルの呼吸だけ。
がまんできなくなって、なにするつもりなのかハルに聞こうとしたとき……
ぼくの唇に、小さくて柔らかい何かがおしあてられて、すぐに離れた。
それが何か気がつくのに、一瞬だけかかった。
ハルの唇だ。
「……ハル!?」驚いて目を開けると、
「だめだよ、目開けちゃ」真っ赤な顔のハルが、恥ずかしそうに笑っていた。
「……元気出た?」
「え、でもそのちょっと……」
あんまりあわてて、声が出てこない。そんなぼくを見て笑ってから、ハルが話し出す。
「心配することないよ。
おじいちゃんやお父さんやおじさんが何を考えて、どんなことをしたとしても。
わたしはずっと、しゅーちゃんのそばにいるから。なにがあっても、絶対にね」
まっすぐにぼくの目を見て。
「だいじょうぶ。いつだってしゅーちゃんは、わたしのそばにいてくれたでしょ?今日みたいに、大変なときはいつだって助けてくれて。だったら今度は、わたしが助けてあげる。
しゅーちゃんが泣いたりしないように」
ゆっくりと、でもだれよりもしっかりと。
「いまのは、約束。ゆびきりのかわり」
真っ赤な顔のまま、ハルははっきりと言った。
「好きだよ、しゅーちゃん」
そこにいたハルは、いつもとなりにいる、あのハルで。
けれど、いつものハルとはまるで違って。
だから、ちょっと横を向いて、
「ありがと」
とだけしか、言えなかった。
しばらく、そのままでいたあと。
「ねえ、しゅーちゃん。おねがいがあるんだけど……」小さな小さな声で、ハルが言う。
「なに?」
聞き返すと、ハルは真っ赤になって、
「わたしも、約束してほしい」
ハルのいった意味を、ちょっとだけ考えて。
「しゅーちゃんがいやならいいよ!わたしが勝手にあんなことしただけだし」
あわてて両手を振るハルに、そんなことないよといいたくて。
でも、なんだか照れくさかったから、黙ったまま。
かちこちに固まった体を、なんとか動かして。
しばらく迷ってから、目を閉じて待っているハルに、同じおまじないをしてあげた。




