第十二話 大迷惑
平沢さんは、答えないまま、ゆっくりと近づいてくる。
さっきまでの、優しそうな顔じゃない。
あいつらと同じ顔。
自分の目的のためなら何でもする、と、顔に書いてある。
いやな顔。
ハルを後ろに隠したまま、ゆっくりとさがっていく。
壁際に追いつめられた。
平沢さんの手が伸びてくる。
体の後ろに手紙を隠したとき……
急に平沢さんが頭を抱えた。
彼の後ろには、棒を構えた金髪の男。
さっき殴り倒された男達が、反撃に出たんだ。
不意を付かれて、男はよろめく。
そのすきを、ぼくは見逃さなかった。
黙って強くハルの手を引く。
男達がやりあっているすきに、そおっとそおっとドアによって。
音を立てずにいちもくさんに。
大きく開いた入り口から外に出る。
薄暗い倉庫から急に明るいところに出たから、目がくらんだ。
後ろのハルを確認して。
ちょっとだけ胸をなで下ろす。
さっきまで捕まっていた倉庫を振り返る。
倉庫には、「高月製紙」とだけ書かれていた。
あたりを見渡して、人のいなそうな方向に歩き出す。
と、ハルに腕をひかれた。
「どこいくの、しゅーちゃん?」
「あっち。ひとのいないほう」
ぼくの返事に、ハルは思い切り顔をしかめた。
「……だめだよ、しゅーちゃん。そんなんじゃ、つかまっちゃうよ!」
「じゃあどうするんだよ?」ちょっとだけむっとしたのが、声に出た。
けれど、ハルは気にしない。
「わたしにまかせて!」
さっきのハルの顔。何か考えがあるときの、あの笑顔。
「ちゃんと、ついてきてね!」
そういうと、ハルは走り出す。
さっきとは反対側。つきあたりには、人でいっぱいの大通り。
「ハル、そっちは……」
「なるべく、ひとのおおいほうににげるの!」
「そんなことしたら、見つかっちゃうよ!」
「ひとのいないほうに逃げてもおなじだよ。とにかく、ついてきて」
「でも……」
反対しようとしたぼくの耳に、後ろからいくつもの足音。
どうやら、あいつらが気づいたらしい。
迷うのはあとだ。とりあえず、ハルについて走り出す。
「しゅーちゃん!」
びっくりするくらいの声で、ハルが叫ぶ。
「なるべく、おっきなこえでさけんで!」
「そんなことしたら、ぼくらの居場所わかっちゃうよ!」
「だいじょうぶだから!」
自信たっぷりのハル。こんな時は、何をいっても無駄だ。
……それに、たいていはうまくいく。
「『助けて!』ってさけぶの?」だからぼくはあきらめて、これからどうするかハルに聞いた。
「もっとだめだよ!そんなことしたら、私たち、助けられちゃうよ?」
……そっか。忘れてたけど、ぼくたちは家出中だった。
いつかは見つかるにしても、警察に捕まってお説教されるのはいやだった。
「それ以外なら何でもいいから、とにかくおっきなこえで!」
「こんなふうに?」
そこらじゅうにひびきわたるような声で、ぼくが返す。
「そう、それでいいの!」
ハルが嬉しそうに笑う。
「どうせみつかるんだったら、おもいっきり大騒ぎにしちゃうんだよ!」
「そんなこと……」
納得できないぼくに、ハルが振り向いて、笑う。何かいたずらを仕掛けるときの、自信たっぷりで、これから何が起きるかにわくわくしている、あの顔。
「しゅーちゃん。追っかけられてるのは、あいつら、それとも私たち?」
「……ぼくたち」
「小学生二人をおおぜいの大人が追っかけるの。ぱっと見て、わるものどっち?」
「むこう」
「だったら、だいじょうぶ。きっとみんなが、あの人達を止めてくれるよ!」
そう言って、ハルは大通りの中へと飛び込んだ。
あわてて、ぼくも追っかける。
離れないように、しっかりと手をつないで。
はじめての街の中。
どこからこんなに人がきたのかしらないけれど、ぼくらの町では見たこともないほどの人。
その中を、走る、くぐる、飛び越える。
カップルの間をすり抜け、ガードレールを飛び越え、人波をくぐり抜ける。
そのたびにあっちこっちで声がするし、ぼくらは大きな声でしゃべってるから、居場所はすぐにわかるはず。
けれど男達は、ぼくたちのほうに近づけない。
人波にじゃまされて、だんだんと離されていく。
悲鳴と怒鳴り声。それで、向こうの位置はこっちにもわかってしまう。
……そっか。
だからハルは、町中に飛び込んだんだ。
人のいないところなら、ぼくたちの足じゃ大人にすぐに追いつかれる。
けれどここなら。
速さじゃなくて、すばしこい方が勝つ。
それに、あたりのひとがいる。
ハルの言うとおり、これだけ人目があればそんなに無茶なことはできない。
でも、こっちは子供だから、たいていの無茶は大目に見てもらえる。
だから、できるだけ派手に「しなきゃいけない」んだ。
……やっぱハル、頭いいや。
通知表は「もうすこしがんばりましょう」ばっかりだけど。
「……なんか言った?」ちょっとハルににらまれた。
「なんにもー!」知らんぷりして目をそらす。
だったら……
「ハル、こっち!」
大きな声で呼びながら、なるべく店に近い、人の多いところを選んで走る。
自転車が止めてあるところのすぐそばで、直角に曲がって逃げる。
後ろの一人が曲がりきれずに、自転車の列に突っ込んだ。
大きな音がして、順番に自転車が倒れていく。
また一人、今度は靴屋の店先に突っ込んだ。
派手な音がして、色とりどりの靴が下に散らばる。
男はそれでもぼくらを追いかけようとして、店員に捕まった。
怒り狂う店員をにらみつけ、立ち去ろうとして、周りの人に捕まえられる。
「どういうつもりだ、こんなところで!」
「あんな小さい子を追っかけ回すなんて!」
周りの人に怒られて、彼は動けなくなった。
それでも、まだ追いかけてくる人はいる。
だんだんコツをつかんできたみたいで、少しづつ手が近づいてくる。
なんとかこいつらの目を、ほかのところに向けないと…
ひらめいた。
「ちょっと待っててね、ハル」
急に立ち止まって、あいつらの方に向き直る。
走ってた勢いで二、三歩後ろに下がってから、手に持っていたリュックを、まるで違う方向に力一杯投げ飛ばす。
リュックは十メートルくらい飛んで、道路の反対側のちょっと小さめの街路樹にぶつかって止まった。
「しゅーちゃん、カバン!」あわてたようなハルの声。
「いいんだ。お金と証明書は持ってるから。それに、手紙はハルのカバンの中でしょ?」
今度だけは小さな声で。
「……だったら、なんでカバンを捨てたの?」
「手紙がこのカバンに入ってるかどうか、むこうにはわからないから。もし手紙がほしいんなら、とりあえず拾って中身は確かめるでしょ?」
ぼくの説明に、ハルがちょっと泣きそうな顔になる。
「でも、あの中にはしゅーちゃんの大事なもの、いっぱい……」
「どんなだいじなものでも、ハルがいなくなったらなんにもならないよ」
そう言って、ハルの手からカバンを取ろうとする。
「ぼくが持つよ。だいじょうぶ、投げたりしない」
そう言って伸ばした手に、でもハルはカバンを渡さなかった。
「いいよ。わたしが持ってく」
「でも、重いだろ?」
「だってこれ、私の荷物だもん。しゅーちゃんに迷惑かけるの、いやだよ。じぶんのことはじぶんでするの」
「……そっか」
ハルの言うこともわかるから、手を引っ込めて後ろを見る。
ほとんど人は減ってなかった。
平沢さんはリュックを拾いにいったけど、誘拐犯達はそっちには目もくれずに追っかけてきている。
あわててまた走り出す。
「こわい?」なんとなく、聞いてみた。
「ちょっとだけ。でも、すっごくおもしろい!」
楽しそうな声で、ハルが言う。
「やっぱそうか。ぼくもだよ」
こんなこと、普通じゃ絶対にできないし。
ひとりではこわいだろうけど、となりにはハルがいる。
だったら、だいじょうぶ。どんなときでも。
お互いに顔を見合わせて、笑って。
それからまた走りだした。後ろの男達を振り払うために。




