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人材派遣ノワール小説『幽霊社員の給与明細』  作者: 如月妙美


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第二章 搾取の箱

小章① SOS

 その夜。真壁は署に泊まり込み、ニブス社の関連施設をリストアップしていた。  深夜二時。  署の代表電話が鳴った。  こんな時間に一般人からの相談はない。間違い電話か、酔っ払いか。  真壁は受話器を取った。

「はい、湾岸労監署ですが」

『……タスケテ』

 かすかな、女性の声だった。  日本語だが、たどたどしい。

「どうしました? 事件ですか?」

『パスポート、トラレタ。……ココカラ、デラレナイ』

 真壁の表情が引き締まった。  強制労働の訴えだ。

「落ち着いて。君の名前は?」

『アリーナ。……フィリピンカラ、キタ』

「アリーナさん、今どこにいる? 住所は分かるか?」

『ワカラナイ。……クライ、ソウコ。……ウミガ、ミエル』

 海が見える倉庫。湾岸エリアだ。  だが、この辺りには何千もの倉庫がある。

「周りに何が見える? 音は? 何でもいい」

『……フネノ、オト。……アト、アカイトウダイ』

 赤い灯台。  真壁は頭の中の地図を検索した。  大井埠頭の南端、京浜運河の入り口にある古い信号灯のことか。

『アッ……! キタ! カキザキガ、キタ!』

 電話の向こうで、ドアが開く音と、男の怒鳴り声が聞こえた。  『おい! 誰と話してる! 携帯は禁止だろ!』  あの声だ。昼間会った、ニブス社の柿崎。

 ドカッ、という打撃音。女性の悲鳴。  プツン。  通話が切れた。

 真壁は受話器を叩きつけた。  柿崎。あのヘラヘラした男が、裏では監禁と暴行を行っている。  場所は絞れた。大井南埠頭の、運河沿いの倉庫群だ。

 真壁はロッカーから防刃ベストを取り出し、ワイシャツの下に着込んだ。  管轄外の深夜捜査だ。警察を呼ぶ時間も惜しい。  これより先は、監察官の権限を超えた領域になるかもしれない。  だが、知ったことか。  目の前で人間が殴られているのを黙って見過ごすなど、俺の正義が許さない。


小章② 人間倉庫

 深夜三時。  真壁は愛車の古いセダンを飛ばし、大井埠頭の最深部へと向かった。  街灯もまばらな埋立地。コンテナが壁のように積み上げられ、死角だらけの迷路を作っている。  運河沿いに、廃墟同然の古い倉庫があった。  表向きは『東和水産加工』という看板が出ているが、人の気配はない。  だが、建物の裏手に回ると、窓がすべてベニヤ板で塞がれ、換気扇だけがフル稼働しているのが分かった。  生暖かい、酸っぱい臭いが漂ってくる。  人間の生活臭だ。

「……ここか」

 真壁は懐中電灯を片手に、裏口の鉄扉に近づいた。  鍵がかかっている。  ピッキングなどという器用な真似はできない。  真壁は辺りを見回し、放置されていた鉄パイプを拾い上げた。  ドアの蝶番ちょうつがいに狙いを定め、渾身の力で叩きつける。  一度、二度、三度。  錆びついた金属が悲鳴を上げ、扉が歪む。  最後の一撃で、鍵が弾け飛んだ。

 中に入ると、そこは地獄だった。  かつて魚の加工場だった広い土間に、二段ベッドが隙間なく並べられている。  百人、いや二百人はいるだろうか。  アジア系の男女が、カイコ棚のようなベッドに押し込められ、眠っていた。  空調は壊れているのか、蒸し風呂のような暑さだ。床にはゴミが散乱し、衛生状態は最悪だ。

 突然の侵入者に、労働者たちが目を覚まし、怯えたように身を寄せ合う。  彼らの目は死んでいた。希望を奪われ、ただ生きるためだけに労働力を提供する家畜の目だ。

「……誰だ、てめえ!」

 奥の管理室から、男たちが飛び出してきた。  三人。全員、手にバットやスタンガンを持っている。  真ん中にいるのは、柿崎だ。

「よお、柿崎。夜勤ご苦労さんだな」

 真壁は鉄パイプを肩に担ぎ、不敵に笑った。

「労監署だ。是正勧告書を持ってきたぞ。……もっとも、口で言っても分からんようだがな」

「労監署……? あの時のデカブツか!」

 柿崎が顔を歪めた。

「不法侵入だぞ! 警察呼ぶぞコラ!」

「呼べよ。こっちも助かる。お前らのやっている監禁、暴行、不法就労助長……全部まとめて洗いざらい喋ってもらおうか」

 真壁が一歩踏み出すと、柿崎たちはたじろいだ。  だが、すぐに殺気立った目つきに変わる。

「……ここで死ねば、ただの事故だ。港に沈めちまえ!」

 男たちが襲いかかってくる。  真壁は冷静だった。  刑事時代の血が騒ぐ。  先頭の男が振り下ろしたバットを鉄パイプで受け止め、すかさず前蹴りを腹に叩き込む。男がくの字になって吹き飛ぶ。  二人目がスタンガンを突き出してくる。真壁は身を低くして懐に飛び込み、男の腕を掴んで背負い投げた。コンクリートの床に叩きつけられ、男は悶絶する。

 残るは柿崎一人。  彼は腰を抜かし、後ずさりした。

「ひ、ひぃ……! 化け物か……!」

「アリーナはどこだ」

 真壁は柿崎の胸ぐらを掴み上げ、宙に浮かせた。

「言え。さっき電話していた女だ」

「あ、あそこの……独房だ……」

 柿崎が指差した先には、冷凍庫として使われていた頑丈な個室があった。  真壁は柿崎を引きずって行き、冷凍庫の重いハンドルを回した。

 プシューッという音と共に扉が開く。  中は冷凍されてはいなかったが、真っ暗な闇だった。  床に、一人の若い女性が倒れていた。顔は腫れ上がり、唇が切れている。  アリーナだ。

「……ダイジョウブか」

 真壁が抱き起こすと、彼女は薄く目を開けた。

「……ケイサツ?」

「ああ。日本の役人だ。……遅くなってすまない」

 真壁は自分の上着を脱いで彼女にかけた。  そして、震える柿崎を振り返った。

「これでお前らは終わりだ。監禁致傷の現行犯で逮捕する」

「ま、待ってください! 俺はただの雇われで……社長に言われた通りにやっただけで……!」

「社長? 氷堂のことか?」

「そうです! 氷堂さんが全部指示したんです! 不法滞在者を集めてこいって! 逃げたら殺してもいいって!」

 氷堂 怜二。  メディアで見せる爽やかな笑顔の裏で、現代の奴隷船を操る船長。  その化けの皮を剥ぐ時が来た。

 真壁は携帯を取り出し、警察へ通報した。  遠くからパトカーのサイレンが聞こえてくる。  それは、夜明けを告げる音のようだった。

 だが、これはまだ事件の入り口に過ぎなかった。  ニブス・スタッフィングの背後には、さらに巨大な闇組織と、国政に関わるどす黒い利権が絡み合っていたのだ。  真壁の戦いは、ここからが本番だった。


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